@浅川
スタートから、のべ十五時間。
腰掛けたコンクリートの護岸ブロックに、ものすごく安堵を覚えてる自分がいる。
レストランといい映画館といい、座っている時間はそれなりにはあった訳だけど、それと落ち着くのとは話が違う。なんせ、これまではいつも次の行き先があったからな。終わりがあるって言うのは、実はけっこう大事な要素なのかもしれない。
そして、それは振り回してくださった本人である美南も同じらしい。疲れたー、などと叫びながら、足をぴんと伸ばしている。
八王子の市街地は、ここ浅川に囲まれるように形成された都市だ。高さのある土手からは、中心街のビル群が一望できる。京王八王子駅のデパート、八急スクエア、その向こうにはサザンタワースクエアが頭のてっぺんを覗かせていた。蛍のように明滅する航空障害灯が、ここにいるよって自己主張してるみたいだった。
「わ、美味しそー!」
ウエストポーチに入れていたらしい王子まんじゅうを取り出すと、包装を解くなり美南は歓喜の声を上げた。直径五センチほどの狐色のまんじゅうが、ぎっしりだ。
って、そんなところに入れてたのかよ。『セクシーガール』の匂いが移るぞ……。
「すごい、まだあったかい……」
「マジで!? いつからそこに入れてたんだ?」
「ゲームセンターに入る前かなぁ。あれだね、きっと私のお腹が温かかったから保温されたんだね」
「あー、どうりで手も温かかったわけだ。よく分かんないけど、ミナって何だか体温高そう」
「そー? ……はむ、……んんんー……♡」
やめろ、そんな美味しそうに食べないでくれ!俺もう食べちゃったんだよ!
じわじわ湧いてくる唾を必死に飲み込んでいると、美南はにっと口を歪めた。
「欲しい?」
「え? いや別に……?」
「誤魔化すなー。顔が欲しいって言ってる」
「……お前に顔を読まれるとは、世も末dぶっ!?」
何か、口に突っ込まれた。
いやこれ、何かもなにも思いっきりアレだ。都まんじゅうだ。
そして美南の口からは、さっきまで啣えていたまんじゅうが消えている。
「一個あげるのは嫌だから、食べかけだよー」
にひひ。
悪戯っぽく美南は笑った。
そして自分は、新しいのを頬張っている。
食べかけを口に突っ込みやがったな、美南め。嬉しいような嬉しくないような、妙な気分だった。半分にするにしても、せめて割ってくれたらよかったのに。なんでよりによって食べかけを……。
なんて文句を言えた立場ではないので、ありがたく頂く。未だ仄かに温もりの残るそれは白餡の甘さが最高で、それでいて舌先にしつこく残らない潔さも備えていた。
うん。やっぱり、これが八王子の味だよ。しみじみと感慨を覚えていたら、美南がこっちを見ずに何か言った。
「…………間接キス、成功っと」
……何、だって?
「あれ? シュンなんで固まってるの?」
お前が言ったことに驚いたから固まってるんだよ。
今、間接キスって言った? 言ったよな!?
「えへへ。また一個、ノルマクリアっと……」
「……ちょっと待って、混乱してる……。ノルマって……何だ? あと、なぜにそんなに嬉しそうなんだ?」
ぺろっ、と美南は小さく舌を出した。
「私が、私に課したノルマ。ここを離れる前に絶対にする、って決めてたんだー。二人で手を繋ぐとか、腕を引くとか、とにかくそういうちょっと恋人っぽい事がしてみたかったの!」
やられた。
そういうことだったのか。やけに今日一日、積極的だなって思ってたんだよな……。
ああ、今すぐ浅川に飛び込みたい。握られた手を前に、目を白黒させていた自分が恥ずかしい。俺は今度も美南の遊び相手だったのか。いや、確かに美南を恋愛対象として見る目はなかったけど。
「それならそうと、早く言ってくれたら……」
「だってそれじゃ、間接キスなんて出来ないだろうって思ったから……。ごめんね、でも私どうしてもシュンが良かったの」
「……なんで?」
「信じられるから」
空になった包みをガサガサと丸めてウエストポーチに突っ込むと、美南は膝を抱えて体育座りになった。
その目が、細くなって遠くを向いた。
「シュンだったら、こんなこと急にやってもきっと許してもらえると思ったの。それに、分かってた。シュンにその気はないことも、シュン相手なら私もきっとそんな気を起こさないってことも。だから、安心できたんだ。
クラスの男子じゃ、そんな風な気持ちは持てない。女子同士はもっとやだし。だからどうしても、どうしてもシュンとが良かった」
そう、だったのか……。
美南の言いたいことは、俺にもよく分かった。美南にレズ趣味があるようには到底見えないし、男友達とだってそりゃ抵抗はあるだろうな。
けれど、まだ腑に落ちない事がある。
「でもお前、苫小牧で頑張り直すんじゃなかったのか? そこで出来た彼氏と舌入れキスでも何でもすればいいだろ。なんでわざわざ、東京にいる間にやろうなんて思ったんだ」
吹き抜けた肌寒い風に思わず肩を震わせると、美南はじっと下を見つめた。
「……私、もう恋は諦めることにしたの」
「……嘘だろ?」
「ほんとだよ。私、分かってるから。私が大して可愛くなんかないことも、性格がいい訳じゃないことも、全部分かってる。苫小牧に行ったって、人間関係はリセットされても私の容姿性格は変わりっこない。だから、諦めることにしたの」
「ミナ…………」
「住むのは苫小牧だけど、学校は隣の千歳市にある女子高にしてもらった。そうすれば、もう余計なことを考えなくて済むようになるかなって思って。男の子のいない環境で思いっきり背伸びをしてみたいんだー。逃げじゃなくって、本心からね」
何となく目を合わせづらくって、俺は足元をじっと見つめていた。
美南も、俺と同じ選択をしていたのか。
思い返せば、向こうで頑張ると美南が宣言したことの中に、恋は入っていなかったっけ。そんなのもったいない、と思ってしまうのはなぜだろう。俺が、幼馴染だからだろうか。
「シュン、今日はホントにありがとう。すっごく楽しかったし、色んなことを体験できたし」
「あ……あぁ……。俺こそ、なんか色々ごめんな。けど、俺も楽しかったよ」
「ま、まだ終わってないけどね! まだ家があるもん!」
そうだった。こいつ、今日はうちに泊まるんだっけ。
って! そう言えばまだ覚悟が決まってない! 美南とは言え、俺の家に女の子を上げる心の準備が! しかも今日のこの感じだと、
「もう、一時かぁ……。明日は始発に乗っていきたいから、これはもう寝る時間ないねっ!」
やっぱり言いやがった。
いやいや、さすがにそこまではしないだろ。美南の事だから、実は夜通し枕投げがしたいだけかもしれないし。幼稚だな、俺の中の美南。
「…………なぁ、一つ聞いていいか?」
「なに?」
「ミナの両親だけが先に北海道に行って、今夜は寝る場所がなくて、しかも都合よく母さんは出掛けて……。ミナ、なんか仕組んだんじゃないだろうな」
「なぜバレたっ!?」
「ぅおい!!」
「だってー、さすがに外じゃあんなこととかこんなこととか出来ないでしょ……?」
あー……。
何と言うか、頭が痛い。冗談にしても頭が痛い。
あと美南、お願いだから指を舐めながらそのセリフを吐くのはやめてください。猛烈にエロいです。狙ってやってるんなら今すぐ確信犯の現行容疑でそこの交番に突き出すぞ。
「もーシュン、真剣に捉えないでよー。さすがに私もそこまでは恥ずかしいもん」
「今の美南に羞恥心なんてものがあったとはな……」
「ちょっと! 今然り気無くヒドいこと言った!」
「ふん、有りのままを言っただけですー」
「むーっ!」
俺は、笑った。
美南も笑ってた。二人して、しばらく笑い続けた。
何だか可笑しかったんだ。最低でも高校を卒業するまでは縁がないだろうと思っていた女の子とのデートが、幼馴染ととは言っても実現するなんて。
色々あったけど、終わってみればすごく楽しい時間だった。はしゃぐ美南は本当に可愛くて、まるで時が三年間巻き戻されたみたいだったよ。
お礼を言うのは、むしろ俺の方だ。美南。
俺を誘ってくれて、ありがとう。頼ってくれて、ありがとう。
そう言ってあげたかったけど、どうしても声が出せなかった。




