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@八王子市街





 八王子。

 近いと言えども一時間はかかる、東京都心からの距離。間に立ちはだかる、多摩丘陵。

 首都としてではなく、甲州街道の宿場町として発展してきた歴史。

 そうした背景があってか、この町には色んなオリジナル文化が花開いている。

 文楽のものに似た人形たちが箱車の上で舞い踊る八王子車人形は、江戸時代に誕生した伝統芸能だ。無形民族文化財に指定され、多摩の郷土芸能として大切にされている。

 醤油味が特徴の東京ラーメンに、きざみ玉ねぎを使用するなど独自のアレンジを加えた八王子ラーメンは、市内に多数の店舗が展開され話題を呼んでいる。

 『夕焼小焼』で有名な作詞家・故中村雨紅は、ここ八王子の出身だ。暮れ行く世界を織り込んだ歌詞が郷愁をさそうあの歌は、JR八王子駅の発車メロディーにも採用されている。

 東京という強すぎるアイデンティティに決して埋もれることなく、この町は発展を続けてきた。

 何世代も前から住んでいる八王子ガチ勢もいれば、色んな事情を抱えて移り住んできた新しい市民だっている。それでもここを離れる時、誰もが寂しいと感じてしまうのは、きっとこの町にそれだけの魅力があるからだと思うんだ。自分は八王子に住んでいたんだと誇りに思える、何かが。


 だから本当のところ、美南の言ったことが真実だとは俺には思えなかった。

 美南にだって、きっとあったはずだと思うんだ。この町で重ねた経験、紡いだ人間関係、刻み込んだ思い出。

 過去をぜんぶぜんぶ忘れ去って未来を歩けるほど強い人間なんて、そうそういるわけがない。美南も俺もそういう意味では、ただの一般人だ。口ではあんな風に平気を装っているけれど、その胸の中にはどれほどの葛藤があるんだろう。

 生まれ育った故郷を、人々の輪を、『捨てる』ことへの葛藤が。




 合唱コンクールに出場した時に初めて足を踏み入れ、その広さに感動した八王子やまゆりホール。

 授業中に美南が描いた絵がたまたま賞に入選し、しばらくの間展示をしていた八王子市ふれあい美術館。

 毎年正月には必ず参拝をして、入口の萌えイラストと共に写真を撮るのが恒例行事だった良法寺。

 園内に(こみち)が迷路のように入り組んでいて、よく鬼ごっこをしては迷子になりかけていた小宮公園。


 それらの全てを回ることなんか、出来るはずもない。この広い町には、思い出のある場所が多すぎる。

 それでも俺たちは欲張った。足が動く限り、うんと遠くまで足を伸ばした。美南が快活な女の子で本当によかったよ。むしろ、俺が置いて行かれかけるシーンの方が多かった気さえするくらいだ。


 歩きながら、色んな話をした。

 美南の将来の夢は、図書館の司書なんだそうだ。たくさんの本に関わる仕事がしてみたい、という理由だという。何となくラクそう、という恐ろしく間違ってそうな感覚もあってのことらしいが。

 司書って言ったら、図書館中の全てを知り尽くしていなけりゃならない存在だ。そんなのになるのって、大変なんじゃないだろうか。そう訊いてみたら、美南は誇らしげに胸を張った。

 曰く、


「私、逆境の方が強くなるタイプの人間だから!」


 初耳なんだがな、それ。説得力ないし。

 苦笑いで流すと、美南はぷうっと頬を紅に膨らませながら、シュンはどうなのって尋ねてきた。

 俺の夢は、公務員だ。そう正直に言うと美南の奴、鼻で笑いやがった。公務員っていうとすぐに安定志向だと思われてしまうのは今に始まった事じゃないから、言ってやった。今どき公務員だって、安定してるなんて限らないんだって。

 それでも構わないし、そんなのはどうだってよかった。俺、大人になったらみんなのための仕事をしてみたいんだ。特定の誰かじゃなく、みんなの役に立つ仕事に就いてみたかったんだ。

 そう説明すると、美南は小さく目を見開いた。その視線がすぐに、足元へと流れて行った。

 シュンは、偉いんだね。ぽつりと落とされたその声に、何だか照れ臭くなって俺も足元を眺めていた。


 全部で、一時間半は歩いたと思う。

 色んなモノを見て、色んな事を話して、気づけば俺たちは京王八王子駅の前を通過していた。もうどこの店も閉まってしまって、光の減った町はしんとしている。この先の信号を抜ければ、美南の言っていた目的地が見えてくるはずだった。

 午前十時に始まったこの長い長い旅の、最後の目的地。それは、八王子の中心市街地のはずれを突き抜けるように流れる多摩川の支流、浅川だ。




「このくらいの時間だと、車も少ないねー。ここ、いっつも混んでる場所なのに」


 甲州街道を行き来する白や赤の光を眩しげに眺めながら、美南は少し楽しげに笑う。


「そりゃあ、こんな時間に出掛けてる人なんて言ったら仕事かデートか悪いことしてる人くらいだからじゃないか?」

「それ偏見だよー。私たち悪いことなんてしてないし、仕事じゃないし」

「た……例えばだって。でもほら、バンとかトラックとかトレーラーとか、見てると結構業務用車って多いぞ?」

「なんでこんなにたくさんいるんだろうね」

「この道が、そのまま都心部まで続いてる主要街道だからだろ」


 甲州街道は、山梨県の方から途絶えずに山を越えてやってくる数少ない一般道だ。

 中央自動車道の高速料金をケチってこの道を走ってくる車だって、きっと多いんだろう。

 びゅんびゅんと過ぎていく光の河の先を、美南は見つめていた。もうすぐそこに、浅川に架かる大和田橋が見えるはずだ。


「……この道を行けば、この町を出られるんだよね」

「うん」

「そこにあるのって、どんな景色なんだろう。私、あんまり外出とかしたがらなかったから、想像つかないや」

「……きっと、いい所なんじゃないか?」


 へえ。

 微かに呟いた美南の手が、温かかった。

 実際のところ、この先の風景は俺も知らない。日野市の丘陵を越えた甲州街道が立川市に出て、京王線沿いに都心を目指して突っ走ってゆくのは知ってる。でも、その道中の光景は何も分からない。

 でもだからこそ、わくわくもした。この道は、この川は、この線路はどんな世界に繋がっているんだろう。そんな風に想像を巡らせるのが、昔は大好きだったなぁ。

 そんなことを考えているうちに、俺たちは大和田橋へと足を踏み入れていた。


「ね、川の側に建ってるあのすっごくオシャレな建物なに? ライトアップが綺麗なの」

「ホテルじゃない?」

「違う違うー、その手前のちょっと小さな方。結婚式場かなぁ」


 川沿いに立ち並ぶ、大小様々な建物。中でも目立つのは三つ連なった不思議な形のオフィスビルと、ちょっとお洒落な姿のホテルだ。

 美南が言っているのは、どうやらそのホテルの横に佇む教会のような建物のことのようだった。

 確かに、そう言われればそう見えなくもないな。


「私もいつか、あそこでウェディングドレスを着られるチャンスが来るのかなぁ。二十年後とかかな」

「悲しいこと言うなよ……。それを言ったら俺なんか、向こう二十五年はあそこに立たない自信があるぞ」

「シュンは大丈夫だって、好きな人くらいきっと出来るよ。シュンは優しい人だから」

「むしろミナに言いたいな、それ。お前だって心機一転、苫小牧で頑張るんだろ?」

「あ…………うん……」


 ……その時一瞬、美南は言い淀んだ。

 どうしたのだろうと考える前に、ぐいっと腕を引かれる。いつしか俺たちは、大和田橋の対岸まで渡りきっていたんだ。


「……ちょっと、そこで休まない?」

「疲れた?」

「うん。それに、まだ王子まんじゅう食べてなかったし」

「まだ食べてなかったのかよ……。冷めちゃったんじゃないのか?」

「食べてみなけりゃ分かんない!」


 当たり前の事にどや顔を決めた美南の姿が、街灯の光に照らされて青白く見えた。




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