@ファミリーメイト◆
リア充。
現実世界が充実している人を指す、ネットスラングだ。
その意味は状況と考え方によって変化するが、最近では『恋人がいる』人のことを指す使い方が増えてきている。かく言う俺も俺の周りも、専らその意味で使っている。
リア充の定義が『恋人』なら、俺はこれまで一度もリア充になった事はない。小学校、中学校と通う間、女子と関係を持つ機会はたくさんあったし、それなりに可愛い子だっていた。でも現実には、俺から告白したこともされたこともない。
そこまで好きになれる子がいなかった、っていうのもある。でも、俺がモテる要素を持ち合わせていないのもまた事実だ。人としては好かれても、恋愛対象と見るとなると『この人はないなあ』ってなるような奴、いるだろ? お前はちょうどああいう人間だ、って友達に言われた時はさすがに腹が立ったけど、今思えば間違ってないんじゃないだろうか。
自分で言うのもなんだけど、はっきりいって俺はノリとかはいい方じゃない。今だって空気を読むのは苦手だし、つい冷静になって物事を見てしまいがちだ。
……いくら理由が分かっていても、周りでどんどんカップルが成立していくのを見ているのは正直キツかった。なんの自慢にもならないが、俺の友達のリア充率は三割ほどにもなるのだ。
だから中三に上がった時、俺は心を決めた。どうせ無理なら、何も見ないですむような環境の高校に進もう。そうすれば、いちいち凹まずに済むかもしれないから。ヘタレと言われたらそれまでだけど、そんなわけで俺は男子校の高校を選ぶことにした。あと一週間もすれば、俺はそこに通い始める事になる。
でも、口先では何だかんだ言っていたって、心の中には違う思いが巣を張っていたのかもしれない。
リア充になんか、ならなくていい。せめて遊びたい。それっぽいシチュエーションでもいいから、体験してみたい。
そんな、非モテの男子なら──いや、女子を含めた誰もが抱きうる、淡い儚い夢が。
「……撮れちゃったね」
「……ああ」
印刷されたプリクラを手に、俺も美南もぼんやりとしばらく佇んでいた。
見るからに適当に捺されたスタンプに、これまた誰でも思い付きそうな『八王子LOVE』の文字。いや、時間短かったんです。だから思い付かなかったんです。
「どうしようか。この後」
って、その荷物を宅配便に頼むのが先か。
美南も同じことを考えていたらしい。ほっそりした右手が、バーゲンセールの後のような紙袋の束を掴むのが見えた。
俺の右手と美南の左手はまだ、繋がれたままだ。
「シュン」
プリクラをポケットに仕舞うと、美南は俺にそう聞いてきた。
「……ちょっと、歩かない?」
伏せられたその顔には、どんな表情が浮かんでいたんだろう。
俺は頷いた。実のところ、俺もそうしたかったんだ。このまま家に帰ったら、何が起こるか分からない。
「……いいよ、行こうか。どこを回っていく?」
「……先に、邪魔物をどうにかしたい」
お前が買ったんだろ、その邪魔物。
俺たちはそこでやっと、握った手を離す力が出てきた。美南の左手の温もりがすうっと消えて、代わりに夜の静かな涼しさが身体を冷やしてくれる。
取りあえず、宅配便を取り扱ってもらえる所に行こう。何事も便利になった現代、宅配便はその辺のコンビニでも送ることが出来る。ここから一番近いのは、八急スクエアの北側にあるファミリーメイトか。
俺も美南も、無言でゲーセンを出た。自動ドアの向こうに汗の混じったような熱気も消えて、少し肌寒かった。
「ねー、あたしもう帰りたいー」
「ああ? まだこんな早ぇ時間じゃんかぁ、帰るのはもっと後でいーだろぉ?」
酔っ払ってるカップルがいる。
日曜日の夜の繁華街だからな。酒臭い息がぷかぷか漂ってきて、思わず顔をしかめたくなる。
「やだー。つーかさぁ、あたしもあんたも明日仕事あんでしょぉ? だったら早く帰ろぉよぉ」
「バーカ、帰ったって寝かさねえぞぉ。先週も先々週も会ってなくてさぁ、色々溜まりまくりなんだよぉ」
「えぇー、またあたしあんたの○○○を○○○○しなきゃいけないのぉ?」
「そん代わり俺も○○○してやっからさぁ」
「やったぁー!じゃああたしもっと○○○……」
……頼むから、頼むからこんな時間からこんな場所でそんな会話をするのは止めてくれ。そのNGワードの羅列を止めてくれ。
俺も美南も、一言も話さなかった。否、話せなかった。下を向きながら黙々と歩みを進めたけれど、そのスピードは遅かった。
やばい、超気不味い。逃げ出したい。逃げ出して自室のベッドに飛び込んでしばらく蛹になっていたい。あんなのになるくらいなら俺はリア充になんかならなくていい。マジで。
また右手が誰かの手に包まれるまで、俺は頭の中でそうぶつぶつ繰り返し────
あれ、今俺何て言った?
「……握らせて」
先に口を開いたのは、美南だった。
俺とは視線を合わせようともせず、道行く酔っ払いどもをじっと見つめている。ように見える。
「ど……どうして突然?」
「ちょっと、寒くなっちゃって」
ぎゅっ、と手にかかる力が強くなる。
握り返さなきゃいけないような義務感に駆られて、俺も手に力を入れた。触れ合った僅かな面積から、ものすごい量の熱が流れ込んできた。
ファミリーメイトまでの残り数十メートルの道のりを、俺と美南は手を繋いだまま黙って歩いた。拍子抜けしたようなホッとしたような、そんな気分だった。
「いらっしゃいませー!」
店員の声に出迎えられて、自動ドアを通り抜ける。
中途半端な時間だからか、人はそんなに多くないみたいだ。
美南が一歩進み出る。俺の手は握られたままなので、当然俺も引っ張られる。
「すみません、宅配便を頼みたいんですけど……」
「どちらですか?」
「あ、はい。その……結構多いんです」
多いな、うん。しかもそれぞれバラバラになってるし。
美南の左手を見て、店員もその量を察したらしい。ちょっとお待ちくださいと言い置くと、奥に入っていく。
「……今届けたら到着は遅くなるだろうなぁ。明後日とかか?」
「うん、どうせ向こうの引っ越し作業も終わってないだろうし。準備にさえ三日掛かったんだもん」
「どんだけ大量だったんだ……。片っ端から段ボールにでも突っ込めばいいんだろ?」
「そんな簡単な訳ないじゃん。シュン、お父さんが単身赴任に行く前の様子とか見てなかったの?」
「いや、父さんは最低限のモノしか持って行かなかったから」
「だからー、お父さんだって分かってるじゃん。何でもかんでも全部なんか持って行けないの。どうしてもこれは、っていうモノ以外は捨てて行くの。今度の家は八王子のより広いけど、それでも捨てようって決めたんだ。もう大変だったんだから!」
「……その割にお前、嬉しそうだな」
「まあね。思い切って色々捨ててみたら、なんかすごくすっきりしたの」
手にしたぬいぐるみを見つめながら、美南の声は笑っている。
「引っ越しで私も心機一転するって決めたから、結果的にはよかったかもしれないなーって思うの。過去の自分はここに置いて、何にも縛られずに新しい生活をしたいんだ」
その割には、今日買ったモノは大切に苫小牧まで持って行くんだな。
輸送費用だってそこそこかかるだろうに。何だか矛盾を感じて、俺は苦笑いした。
……それに、美南の今の言葉は、まるで誰かに向かって意地を張っているようにしか聞こえなかった。
「お待たせしました。こちらの段ボールご利用になられますか?」
奥から店員が出てきた。その腕には、大きな段ボール箱が抱えられている。
美南のために、荷物を全部入れられそうな箱を探してくれていたのか。申し訳ないな……と肩を小さくする俺を横目に、美南は大喜びだ。
「あっ、ありがとうございます! 使います!」
「それでは、こちらに送るものをお入れください。割れ物等はありますか?」
「あっ、香水どうしよう……」
「ウエストポーチに入れればいいんじゃない?」
「そっか、ウエストポーチがあるの忘れてた!」
「……今さっきその中から財布出しといてそれはないだろ」
店員が吹き出しそうになっている。
伝票を書くと、次はお金だ。東京都八王子市から北海道苫小牧市まで、一日で1520円らしい。結構かかるなぁとぼやきながら、美南は財布からお札を無造作に引っ張り出した。
今更だけど、美南の長財布は革製っぽい。長財布はお金が貯まりやすいって聞くけど、勝手に湧くんだろうか? だったら俺も欲しいよ。
いつの間にか手が離れている事には、俺も美南も全く気がつかなかった。レジ脇の保温容器の中のチキンが、美味しそうな色の湯気を上げていた。
「あー、やっと厄介ごとが終わったー!」
気持ち良さそうに美南は天に向かって伸びをする。おい、へそ見えてる。そんなんで寒い寒い言っても同情出来ないぞ。
とは言え、空調の効いたファミリーメイトから出るのは、正直言って抵抗があった。ああ昼間の暑さよ、今すぐ戻ってきてくれ。黄色やオレンジの光を灯らせた八急スクエアを見上げ、俺は少し腕を擦った。
現在、深夜11時半。こんな時刻まで外出していた事は、今だかつて一度もない気がする。賑やかな時間の過ぎた八王子の町は祭りの後のようで、少しぐったりとしていた。
「シュン」
「分かってるよ。どういう風に回りたい?」
「最後に浅川の方まで行きたいな」
「甲州街道か。んー、じゃあ取りあえず北大通を西に行って、ユーロードを八王子駅まで戻って、放射道路を通って北西に出る?」
「そうだね、あんまり欲張ってもアレだし。…………ねぇ」
「ん?」
「……また手、繋ぎたいな」
……俺も、同じこと考えてた所だよ。美南。