『過去回想』
「双子のお兄ちゃん、ねぇ……」
しばし思案する様子を見せる黒木さんを、私は少し見直した。
何かメルちゃんのためにしてあげようとか考えたりするんだ。びっくり。
「俺にも双子の弟がいたらなぁ……」
見直した直後に、黒木さんの口からため息と共に零れてきた、あまりに能天気な言葉を私はジト目で見る。
前言撤回。
にしても、黒木さんに双子の弟なんかいたら困ります。
そりゃあ、二人並んだらもう生きてて良かったとガッツポーズ取るぐらいの素晴らしさ、美形っぷり、いやむしろ二人が並んでいるだけで美景だろうけど……。
アンタが二人もいたら生活に支障をきたすわ。
「いつまで俺をそんな目で見てるのかな?」
「右手のチョキをしまってください。私はまだ目が惜しいです」
あぶねえよ。突かれるとこだったよ。
本当に放っておくといらないことしかしないんだから。
私はメルちゃんに、女子力の象徴とも言われるいつも持ち歩いているハンカチを
すっと差し出し、
さらにお茶が冷めてきたであろうと思い、新しく淹れなおしてあげた。
「その双子の兄に、何かされたの?」
お茶を少し飲んで、首を横に振るメルちゃん。
暖かいものを飲んだので落ち着いたようだ。
このクソ暑い中、そんなお茶を差し出すほうの性格も悪いと疑われて仕方ないが、
ちゃんとそういう意図があったんだよ。うん。
湯のみを口からはなし、ほう、と息をつくと、
メルちゃんはぽつりぽつりと、言葉を探すようにしながら話し出した。
「あたしの双子の兄――レイは、小さい頃から、格闘技とかが好きだった。
あたしははっきり言って嫌いだったんだけど」
彼女の話によると、
彼女の家はある有名な格闘術を受け継いでいる血筋正しいお家柄で、
レイは長男として生まれたこともあり、
格闘技が好きな彼は色々とそのへんについて面倒を親戚中に見てもらい、
めきめきと力を伸ばしていったという。
それはもうご当主としてふさわしいくらいの実力を身につけた、と。
「レイは、自分の力に自信を持っていたわ。
あたしにもいつも言ってた。
ちっちゃい頃から。メルは僕が守るからって」
やはりメレディス=メルはポピュラーなんだなぁとどうでもいいところに
一度意識をとらわれかけるが、その兄御の可愛らしさに笑みが漏れる。
いい兄じゃないか。
「でも、ある日、あたしがお友達の家に遊びに行ったときのことだった」
「友達いたんだ、メル」
「殴るわよアンタ」
マジでいらないことしか言わないな黒木さん。メルちゃん腹立ってるじゃないか。
口にガムテープを張っておこうか迷う。
でも私の血の涙を流さんばかりの必死な、
「し―――――ずかにしといてください!!」が面白かったようで、
分かった静かにしとくよ、とでも言いたげなお茶目な瞳で人指し指を口元に当てた。
あらやだ可愛い。
クッソ、むかつく。この可愛さが。天使の如き可愛さが。
「ごめんねメルちゃん、続けて」
私が言葉を継いでもメルちゃんはさすがに、
少し怪訝な顔をするが、一度軽い咳払いを混ぜて
話を再開した。
「あたし、お友達の家に遊びに行った帰りに、誘拐されちゃったんだ」
その時のことを思い出したのか、瞳が俯きがちになる。
「すごく怖かった。
うちがお金持ちなのは有名で、
あたしの身代金目当てだったのはすぐに分かったけど……。
黒服の人たちに無理やり連れて行かれそうになって……」
それは怖いだろう。
ロリコンがいなかったのが唯一の救いだ。
きっとその頃の、
おそらく素直だったメルちゃんは破壊力抜群の可愛さだったろうから。
こんなことを考える私がロリコンか。
悪かった。
「でも、幸運なことにあたし、友達の家に忘れものをしてて、
それを渡しに親御さんが、あたしを後ろから追いかけてきてくれてたの。
だからすぐに異変に気付いて110番してくれて、
あたしは事なきを得たわ」
確かに、幸運だったろうが……。
もしそれがなければどんな目に逢っていたことだろう。
この小さな女の子が……。
「あたしが警察と少し話をしていると、お父さんとお母さんが私を迎えにきてくれて
おうちに帰ると、親戚中があたしのために安心して泣いてくれたわ。
あたしのために護衛をつけようかって話にもなった。
あたしも怖かったから、そうしようと思ったけど
代わりにレイをつけてよ、って言ったの。
恥ずかしい話だけど、あんまりにもちっちゃい頃は兄妹とか良くわかんなくって
もしかしたらあたしは、レイのことが王子様のように見えてたのかもしれない。
レイだったら守ってくれるってあたしも、そう思ってたの」
隣の男が「ブラコン」と言いそうになるタイミングを見計らって口を塞ぐ。
何年もの付き合いなので、こいつのいらないことを言うタイミングが
大体分かってきている私なのだった。
途中で塞いだせいで、「ブラッ」しか言えなかった黒木さんなのだった。
ははは、下着の名前を呟く変態めが。
可愛い兄妹の話にいちゃもんを付けるでない。
「レイもきっと、また『いいよ、僕がメルを守ってあげる』って言うと思った。
でも、
レイは黙りっきりだった。
あたしはそこで少しがっかりしたのを、覚えてる。
でもその日からレイは変になっていった」
ここから暗い話になってしまうのか。
前半があまりにも可愛い話だったから、少し胸が塞がる思いになる。
メルちゃんはやっぱり、空中にある言葉を一つずつ拾って、繋げているかのように
目線を私たちに合わせず、ふらふらと虚空を見つめて
ぽつりぽつりと話すのだった。
「レイは、あたしに言ったの。
『僕に、君を守るのは無理だよ』って。
あたし、びっくりしたわ」
レイは、おそらく自分に絶対的な自信があった分、それを打ち砕かれてしまったのだろう。
可愛い妹御を守れなかったという絶望感が。
もし自分がついていて、妹御を守れなかったらどうする? と考えたのかもしれない。
おそらく彼は、
妹御を守れなかったら、という恐怖から
逃げ出した。
「あたし、怒った。
レイに叩きつけるみたいに怒って。
『じゃああたしが、また誘拐されて、今度は殺されちゃったりしちゃってもいいの!?』
って叫んだの。
するとレイはあたしに飛び掛ってきた。
『そんなことは絶対させない。
なぜなら、メルはこれから強くなるんだ。
僕と同じくらい、いやむしろ僕よりも強く。
誘拐なんてさせないくらい、僕が今から強くするんだ』
って言って、あたしに殴りかかろうとしてきたの。
わけがわかんなくて、暴れてその腕から抜け出した。
でもレイは聞いてくれないの。
『それぐらいの力で、自分を守っていけると思っているのか』
ってあたしに言うのよ。
レイは格闘技の天才だったけど、
あたしに教えようとしてたのは、絶対に格闘技じゃなかった。
ナイフを使って殺されそうにもなったし、
どこまでも追い詰められて首を絞められそうにもなったわ。
追い詰められたとき、あたしは急に何か武器を持ち合わせるなんて不可能だった。
だからその場にあるものを武器として使うことに慣れてしまったのよ。
サバイバルゲーム。
その言葉がぴったり当てはまるような、そんなものだった。
さすがのレイも、『あたしを強くする』ことが目的だったから、殺すことはしなかったけど、
常に『殺すような』殺気をもって、あたしと対自してた。
あたしが『殺される前に殺さなきゃ』っていう、意思を持つようにあいつはしてたのよ。
でも、あたしはそんな生活が嫌になって、
レイもいつか傷つけてしまうんじゃないかって怖くなって、
なんだかんだ言って、あたしはまだレイが大好きだったから、
家から逃げ出したの。
あたしに良くしてくれていた、叔母さんと一緒に逃げ出して、お金を沢山持ち出した。
今はもう家から離れて、未亡人の叔母さんと二人でちんまりと暮らしてる。
なのに
あたし、いまだにその癖だけが抜けていないの。
叔母さんも、あたしのそういう部分は理解してくれているけど、
やっぱりたまに怯えさせてしまうときがある。
あの時いた友達も、傷つけてしまったら、って思って皆追い返したわ。
酷い言葉を浴びせかけたり、無視したりして。
あたしを嫌うようにした。
誰かが近くに迫ってきたら
あのときのことがフラッシュバックっていうか、もうその時にいる錯覚に陥ってしまって、
襲い掛かってしまうんだわ」
彼女は、そこで言葉を止めた。
黒木さんは、
返事が必要な今、口を閉ざしているのだった。