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06話 聖剣。

 

 

「それが聖剣……なんですか?」


 思わず確認するようにつぶやいた。

 私は背後に並ぶ肖像画を見上げ、再び皇帝が持つ剣を見た。

 太い両刃の直剣。刃と柄の境目に大きな宝石もついている。――そこまでは同じだけど、どう見ても絵姿に描かれている剣とは違っていた。

 なんというか、えええ? と首をかしげたくなるほど違うのだ。

 私は近衛の腰に佩いてある細身の長剣に視線を走らせた。近衛が持つ剣は銀か白銀製なのか、鞘の装飾が光り輝いている。

 それに対して、皇帝が左手で持っている剣は、鞘が木製で蔦のような彫りがあるだけ。飾り紐もなく、鞘は滑らないように皮革が巻いてあり、いかにも使い込んだとわかるテカりすら見える。

 直径が10センチくらいの宝石は表面こそ丸く滑らかだけど、石のように濁った灰色だ。しかも、鞘にはどこかでぶつかって出来たような打こんやスリ傷がたくさんあった。

 とにかく、年季を感じさせる一品。


「実用的なんですね……」


 褒め言葉が浮かばなくてつぶやいた言葉に、皇帝はニヤリと笑った。


「そう思うだろう?」


 皇帝は、右手を宝石の上に重ねて軽く撫でた。とたんに、濁っていた石の透明度が高くなっていく。

 灰色から白になり、霧が晴れるように白から透明に変わる。さらに透明から薄紫に色づき、薄紫から紫へと色が濃さを増していった。

 時間にしたら五秒もかかっていないのに、皇帝が手を離したときには、宝石は彼の瞳と同じ色に変わっていた。

 皇帝は驚く私がおかしいのか鼻で笑うと、鞘の根元と柄を握った。


「切れるから触れるなよ」


 私によく見せるためにだろう、カチ、と音がしたのを合図にゆっくりと引き抜いた。


 ――っ!


 私は声を漏らさないように口を押さえた。

 それは魔法なのだろうか。

 光り輝く刃が現れると同時に、鍔の部分から剣の色と形が変わっていくのだ。

 まるで映像を逆再生するかのように、鞘から傷が消え、木目が漆塗りの黒色に輝き、彫りには金色が浮かび上がっていく。吊り金具が赤い飾り紐に変わり、巻いてあった柄の皮革が赤い組紐に変わっていた。菱形の間に白く見えるのは鮫皮だろうか。大きな親つぼが見えた。


 ――何、これ。


 鞘と柄は、西洋剣というより日本刀みたいだった。少なくとも、日本の職人が作ったとしか思えない。

 鍔は、翼を広げた龍のような金色の彫刻に変わっている。

 鞘から抜けきった刀身は長く、両刃は歪曲のない直剣で、私の顔が鏡のように見えるくらい研ぎ澄まされていた。

 綺麗、という言葉がため息とともに漏れそうになる。

 それと同時に、刃が陽光を反射して、私は一瞬目を細めた。


 ――この光。


 この輝き。


 背筋がぞくっとして、思わず一歩下がった。

 剃刀を首筋に当てられたような感覚に、ひどく喉が渇く。


 ――私は。


 その切れ味を。


「珠子?」


 顔を上げようと思うのに、視線は刃から離れない。


「大丈夫か」


 はい、と私は答えた。


 三年前に背中を斬られたときの痛みは記憶にない。

 ただただ熱くて、斬られた直後も感覚が麻痺していたのか、それともハイになっていたのか、痛みは感じなかった。それは斬られたのが背中だったせいもあるのかもしれない。それより、魔獣に左腕を噛まれ、骨を砕かれた衝撃の方が強かったのだ。

 いっそ死んだほうが楽になるんじゃないかと思うほどの痛みは、気を失って目覚めてから。

 手や身体を動かすのはもちろん、息を吸っても唾を飲んでも背中に激痛が走った。

 止めることのできない咳やくしゃみが一番恐ろしく、横になって寝ることが出来るようになるのもひと月はかかったのだ。


 あれから何度も戦場を回って、何度も抜き身の剣や刀を目にしているのに、今のような感覚に震えることはなかった。

 なかったのに――。


 なぜ、この剣だけ「怖い」と思うのだろう。


「持ってみるか?」


 皇帝の問いに顔が強張る。私は首を横に振った。


「……危ないからいいです」


 皇帝は意外そうな顔をしたけど、すぐに抜き身の剣を鞘に収めた。


「配慮が足らなかった」

「いえ……」


 刃が見えなくなっただけでホッとして、私は大きく息を吐いていた。


 なぜ、怯んだのか。


 なぜ、この剣にだけ恐怖を覚えるのか。


 鳥の鳴き声ひとつしない宮殿で、まるで先ほどの緊張が嘘のように消えた私は、静かに剣を見つめ続けた。

 鞘に収められたことで、聖剣が元の色と姿に戻るのかと思って見守っていたけど変化はなく。


「怖いか」


 静かな声に顔を上げ、私は正直に頷いた。


「少しだけ、思い出したのかもしれません。今はもう平気です」

「そうか」


 皇帝が私の頬に触れる。私を気遣い、伺うような視線に笑い返した。ちゃんと笑顔になっていたかはわからないけれど。


「姿が変わるなんて、綺麗な魔法ですね」


 色や姿が変わる様は、魔女っの変身シーンみたいだった。

 私は皇帝の袖を掴んだ。


「触れてもいいですか」

「ああ」


 目を細めた皇帝の口元に優しい笑みが浮かんだ。


「持ってみるか?」


 はい、と私は頷いた。






 皇帝は、鞘が外れないようにだろうか、飾り紐で鞘と鍔とを結んだ。

 軽々と持ち扱っているけど、見た目ほど軽いはずはない。

 私は両足を踏ん張って、剣を落とさないように両手のひらを上にして構えた。

 よし。

 乗せてください、とお願いしたら、皇帝は笑いをこらえたような声で、


「なんでガニ股なんだ」


 と吹き出した。

 背後では侍従や近衛たちも笑いをこらえきれずに顔を背けてぷるぷると肩を震わせている。

 ううう、笑うなー!


「早く乗せてください!」


 真っ赤になった顔が熱い。


「わかったわかった。重いぞ、気をつけろよ」


 皇帝はくくくと笑いながら、私の手に鞘がついたままの剣をゆっくりと乗せた。大きな手が離れ――。


 ――ズシ。


 と。

 剣の重みを両手で感じるはずだったのに。


「……」


 ――ん?


 私は瞬き、首をかしげた。

 身体から力が抜けて、私は真っ直ぐに立ち上がった。

 両手に乗った剣をつかんで縦に持つ。


 あれ?


「軽い……」


 あれ?


「なんでこんなに軽いんですか」


 やだ、と思わず声を出して笑ってしまった。


「玩具みたい……!」


 それは、木刀どころか、竹刀どころか、プラスチックの玩具ほどの軽さでしかなく。

 もしかすると、傘よりも軽いんじゃないだろうか。

 模造品だから軽く作られているのか、重い、と言ったのはからかわれていたのだとわかる。

 きっと本物は違うところで厳重に保管されていたりするのだろう。

 先ほどまで、皇帝が軽々と持っていたのもうなずける。こんなに軽いのに、あんな格好で「よしこい!」なんて力んでいたら笑われて当然だ。

 私は照れを隠すように、剣の柄を両手で握り、剣道みたいに前で構えた。


「かっこいいー」


 ふわふわと思わず頬が緩む。

 私はゆっくりと振りかぶってから、「えい!」と声を上げて振り下ろしてみた。




 ――それを、皇帝はじめ、龍人たちが呆然と見ていることに私は気づかず。




「珠子」

「はい?」


 きょとんと振り返れば、神妙な面持ちで皇帝が片膝をついていた。

 その背後では、侍従たちが同じように膝をついている。


「え? え? どうしたんですか」


 驚く私に、皇帝は真剣な顔で私を見上げてくる。


「剣を」

「あ、はい」


 私が慌てて返すと、皇帝は剣帯に下げ直し、今度はさっきまで近衛の人が腰に差していた剣を一本、私に掲げた。


「これを持ってみろ」

「これ?」


 ぐい、と差し出される。


「え、何?」

「いいから持て」


 皇帝は、近衛の細い剣を私に手渡した。


「きゃ!」


 聖剣と同じ感覚で受けとったら、剣の重さに腕が下がった。

 カツーン! と床に鞘が当たってしまう。


「ご、ごめんなさい!」


 私は大慌て。

 背中に汗が吹きだした。

 ちゃんと力を入れて剣を持ち直し、ぶつかってしまったところが凹んでいないか確かめる。


「へ、凹んでる……!」


 血の気が引くというのは、まさにこのことだ。

 私の顔は真っ青になっていたに違いない。


「ごめんなさい!」

「珠子」

「どうしよう!」

「珠子」


 うろたえる私の手を皇帝が包んだ。


「落ち着け」

「でも!」

「いいから。たいしたことではない」

「でも……!」

「いいから落ち着け。――シルト」


 皇帝は、私の手から近衛の剣を取り上げ、持ち主に返した。


「ごめんなさい……!」


 シルトさんは強張った顔のまま、お気になさらず、と言う。でも、その顔は信じられない行為に愕然としているのがわかる。

 なんだか泣きそうになっていたら、皇帝が立ち上がって、私の頭を自分の胸に引き寄せた。


「泣くことか」

「泣いてないです」


 でも、泣きそうです。


「ううう」


 弁償できるのかな。

 騎士にとって剣がどれほど大切なものかくらいは想像がつく。

 大切な物に傷をつけておいて、直せば許してもらえるなんて甘い考えなのはわかっているけど。


「直せる? 中の剣は傷ついてない?」

「珠子、大丈夫だから」

「でも」


 ぎゅう、と皇帝の服を握った。

 これからよろしくおねがいします、って大切なときなのに。


「それより確かめたいことがある」


 真剣な皇帝の声に、私はゆっくりと顔を上げた。

 確かめたいこと?


「珠子、正直に言ってくれ」


 混乱している私は、何でも正直に言います、と小さくうなずいた。

 皇帝は笑うと、ぽんぽんと私の頭を叩いた。

 

「聖剣は軽かったか」 


 はい、とうなずいた。


「玩具みたいでした」

「近衛の剣はどうだ」

「重たかったです。本物」

「本物、か」


 皇帝が私の肩を抱いて苦笑した。彼は私の頭の上に顎を乗せる。


「シルト」


 皇帝の声に、シルトさんが「はっ」と短く答えた。


「ランティスとセイフォンを呼んでくれ。――例の物も」


 静かな応えを返して、シルトさんの立ち去る気配がする。

 ランティスというのは近衛の隊長さんだ。燃えるような赤い髪に赤銅色の瞳を持つ無口な武人だった。

 私はシルトさんの後姿を目で追った。

 先ほど落とした剣が彼の腰に輝いている。

 近衛の人たちは純白の服が正装なのか、上着は立ち襟で裾が長い。ズボンや剣も白く、ロングブーツと剣帯だけが黒いのだ。歩くと裾がなびく姿がかっこよかった。


 ――先生まで呼ぶなんて。


 持ってもいいと言ってくれたからその言葉に甘えてしまったけれど、気軽に振ったらいけなかったんだ、と心の奥から震えてくる。

 軽いからといって、偽物というわけではないことに気づく。

 模造品でも、新たな結界を張れるほどの力を持っていると言っていたじゃないか。

 薄汚い剣が、一瞬で姿を変えたように、重さを軽くすることだって可能に違いなかった。


 大陸の結界を守る大切な道具なのに――。

 丁寧に扱わなくてはいけないのに――。


 軽いからって、剣道を真似て振ってしまった。


 ――聖剣は主を選ぶ。


 俺にしか扱えん、と皇帝は言っていた。


 つまり、彼しか扱ってはいけない代物だということだ。


「あ、あの」

「ん?」

「ご、ごめ、ごめんな、さ……」


 震える喉で、懸命に謝る。


「珠子?」

「ごめ、ん、なさ……、い」


 喉に何かがつかえているようで、言葉にならない。

 ガタガタと、身体が震えて止まらない。


「珠子、どうした」


 皇帝が身をかがめてきたけど、涙が目に溜まって視界がにじんだ。


「聖剣、を、……ら、乱暴に……、軽く、あつ、か……」

「ああ」


 皇帝が苦笑した。


「確かに、振ったときには唖然としたが」

「ご、ごめ……」


 くくく、と皇帝が笑っている。


「まさか、振るとはな」


 皇帝は笑いながら身をかがめて、泣きやめ、とばかりに私の瞼に口付けた。






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