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04話 褒めてください。

 

 

「待て、待て待て!」


 なんだそれは、と皇帝が叫んだ。



     ※



 飛龍に水浴びをさせるというので「私もしたい!」と靴と上着を脱いで、勢い勇んで参加したところ、いいぞ、と気軽に許可をくれた皇帝が慌てたように叫んだ。


 なんだそれは、と。


「え?」


 この世界では空を飛ぶ馬のような役割となっている飛龍に抱きつこうとしていた私は、皇帝の声にきょとんと振り返った。

 何を驚いているのだろう。

 ノースリーブのシャツ一枚になった私は、その理由に気づいて「ああこれか……」と思ったがもう遅い。


 左腕についた裂傷と、右肩から(見えないけど)背中を斜めに走る刀傷。


 それが、この世界に来てからついたものだということは、先生からの報告でわかっているはずだけど、まさかここまでとは思っていなかったに違いない。

 私は自分の左腕についた傷を見て、へへと笑った。恥ずかしくて、なんだか照れる。


「斬られて、咬まれちゃったんです」


 ――ん、ちがうかな。


 私は首をかしげて、言いなおした。


「咬まれて、斬られちゃったんです」


 ――いや、同時、かも。


 どう説明したらいいのかな、と考えてみたけど、皇帝を見れば、そんなのどっちでもいいのがわかった。

 私は左の拳を握ってガッツポーズをしてみせた。

 肘から手首にかけて、獣に咬まれ骨まで砕かれた傷が雷のように走っている。

 長いリハビリを終えて、左手を違和感なく使えるようになったのは半年ほど前だった。


「見た目はすごいですけど、もう痛くないし、筋肉もついたし、ぜんぜん平気です!」


 元気に言って、再び飛龍に近づこうとすると、猫のように首根っこをつかまれた。

 本当の猫じゃないから後ろ襟をつかまれたわけですが。


「どういうことだ」


 耳元で聞こえてくる重低音の美声ってすごい迫力だ。私を怒っているわけじゃないとわかっていても、思わずびくりと身を縮めてしまう。


「どういうことって、言われても」

「見せてみろ」


 皇帝は、いきなりシャツの裾をつかんで、ぐわしとめくり上げた。


「えええ!!!」


 私の背中がむき出しになる。


「わ! わ!」


 何してんの、と私は叫んだ。

 なんとかまえは押さえたけど、背中は丸見えだ。ちなみに、キズがあるから肩紐や横紐があるブラはしないで、シャツの胸元にカップがついているものを着ている。

 彼が見ているのは私の肌ではなく刀傷だというのはわかっているけれど。


「リヴァイス! 下ろして!」


 みんな見てるから!!


 水浴びさせるために厩舎より出した飛龍は五頭。一頭につき二人の兵士と、飛龍の主である近衛兵がいて、さらに皇帝の侍従が二名と近衛が二名いるのだ。

 総勢十九名。

 全員が龍人であることは、秀麗な容貌と長身であることからわかる。

 しかも、全員が私たちをガン見。

 花も恥らう乙女の柔肌を見て、そこは頬を染めたり顔をそらしたりするところじゃないの!? と脳内で突っ込む。

 もおおおおおお恥ずかしいからやめてー!

 しかも、皇帝の手が私の背中――傷に触れるのがわかって、内心でギャアアと叫ぶ。実際にもれた言葉は「ひゃあ!」――なんて色気のない叫び。

 私が飛び跳ねたので痛いと思ったのか、シャツを下ろされてホッとする間もなく、今度は襟を引っ張られて上から覗きこまれた。


「リヴァイスー!」


 ギャアギャアと騒ぐ私の顔は真っ赤だ。

 恥ずかしさと怒りと、色々な感情で頭が沸騰しそう。

 顔は見えないけど、リヴァイスが険しい顔をしているのは想像がついた。それが、怒りに近い類のものだということもわかっている。

 でも。


「やめてったら……!!」


 私は振り向きざまに、皇帝の顔をパシリと叩いていた。

 それに驚き反応したのは周囲の人たちだった。即座に攻撃態勢――剣の柄を握る人たちが目に入った。


「あ――」


 一瞬しまった、と思ったけど、してしまったものはしょうがない。

 開き直って、無礼打ちでもするならすれば!? と逆に皇帝を睨んでやった。


 くるならこい!


 なんて、睨んでみたけど、やっぱりちょっと怖くて、身体が震えた。

 目に涙も浮かぶ。

 それが龍人たちには、威嚇して怯えてぷるぷる震えた小動物に見えてとても可愛かったらしい――と知るのは後のこと。


「自由に触ってもいいって言ったけど、人前で服を脱がせるとか、そういうのはダメ!」


 人前じゃなかったらいいのか、という突っ込みはなしで。

 皇帝は、驚いたように私を見ていたけど、逆にすまん、と短く謝った。

 妙に素直で、なんだか、子供が叱られて謝るような感じがして可笑しくなる。かわいい、なんて思ってしまった。

 近衛の人たちからも殺気がなくなっている。

 侍従のひとりが、ぼそりとつぶやいた。


「そりゃあ、猫の嫌がることをしたら威嚇されるし、爪で引っかかれもしますよ、うん」


 今のは陛下が悪いです、という視線が集まった。

 よかった。龍人の皆さんは闇の神子の味方でした。

 ほっとして、今のうちに――と逃げようとしたら、また襟首をつかまれた。


「またっ!」


 後方へ転びそうになって慌てると、ふわっと身体が浮く感覚がした。


「珠子」


 足元をすくわれて、私は子供のように抱っこされていた。あっという間に視線が高くなる。


「……」


 ああ、うん。

 なんだか慣れたかも、これ。


「珠」


 すぐ目の前に、綺麗な顔。


「これが、あのときの傷なのか」


 身近で問うたのは静かな声で、いつも太陽みたいに明るく笑う人が、真剣な顔で私を見ていた。

 陽光の下で、顔に出来た影が深みを増している。

 金色の髪は相変わらず鮮やかに輝き、紫色の瞳は引き込まれるほど澄んでいた。


 ホント、かっこいいです。


 15歳で外見年齢が止まったと彼は言ったけど、実年齢の25歳といってもぜんぜんおかしくない。

 止まったのは精神年齢なんじゃないの、なんて思ったけど、口にしたら無礼になるのかな。


 形のいい眉、通った鼻筋、引き締まった唇に視線を落として、再び宝石のような目を見て、私は照れ笑う。

 だって、本当にまっすぐに見つめてくるから、頬が火照る。

 皇帝の視線に、心臓が高鳴って止まらない。

 明らかに男性的な凛々しさがあるのに、整いすぎている容貌は「綺麗」としか言いようがなくて。

 もし自分に猫仲間がいるなら、私のご主人様ってかっこいいのー! と主張してキャアキャア騒いでみたかった。

 シミやホクロすらない肌は柔らかそうだし、髭とか生えてるのかな、と鼻の下や頬に触れてみると、肌は思ったよりも硬くて、チクチクと刺すような感触もあった。


「おひげだー」

「珠子」


 戸惑うようなリヴァイスの声に、私は笑った。


「傷に驚きました?」

「驚いた」

「痛みはもうないから大丈夫ですよ」


 大丈夫、と言ったのに、皇帝の顔が痛ましげに歪んだ。

 嘘をつくな、と言いたげだった。

 まるで自分がその傷を負ったような表情で、その傷が痛むことを我慢するように唇を噛んでいる。


 ――ねえ。お願い。


 そんな顔しないで。


 私を召喚したことに、罪悪感を覚えないで。


 だって、私、闇の神子でよかったと思っているんだよ。





 魔力が暴走して魔獣と化した霊獣と、それを斬ろうとした騎士を止めようとして負った傷。

 彼らは〈こんの契約〉を交わした特殊な関係だったのに、魔獣となった相方を殺すと決意した騎士と、炎を纏って牙を剥く獰猛な獣の、全身から悲鳴を上げるような双方の声が痛いほど響いてきて。

 ただただ止めなければ、と身体が動いていたのだ。


 遅すぎる、と叫んだ先生の言葉が背後から聞こえたけれど。 


 自分は闇の神子で。


 闇の神子だと言われて。


 ただいるだけでいいと言われて何の実感もなかったのに、つい先日、私が魔物の側に寄るだけで、火を吐いていた2メートル超の獣が小さなウサギに変わったことで認識を改めたばかりだった。


 遅すぎるなんてことはない。

 今、止めなくちゃ。


 心が裂けるようなこの悲鳴を止めなくちゃ。




 ――私は、何のために、この世界に呼ばれたの。




 私は双方がぶつかり合う寸前のただ中に飛び込んでいた。


 気づけば、必死の形相で私に魔力を注ぎ込む先生がいて。

 私の手を握って泣いている騎士と、額に赤い石が光る獅子が私の顔を舐めるのがわかった。


 間に合ったのだ、と嬉しく思った感情と安堵しかそこにはなかった。





 ケガの状態はあまりにもひどく、強大な魔力を持つ先生ですら傷をふさいで私の命を留めるのが精一杯だった。

 残ってしまった傷跡は見目痛ましく、自分で見ても「これはひどいな」と苦笑がもれるほど。

 それでも、今はまだ赤黒い傷跡は、いずれ白くなって目立たなくなるだろうし、世界を巡る旅の中で五体を失った人を多く見たので、これくらいの傷は大したことないと思うようになった。


 皇都に戻り、闇の神殿にいたときは、傷を見た巫女に悲鳴を上げられて以降、お風呂や着替えもひとりで済ませていたのだけれど、宮殿ここに来てからはそれをやめようと思ったのだ。


 だって、これは、名誉の負傷だから。


 私は微笑んで、皺になった皇帝の眉間に指を当てると、ぐりぐりとこすった。


「珠子、やめろ」


 嫌がるのを無視して、ぐりぐりぐり。


「珠」

「あはは」


 私は笑った。


「リヴァイス」


 心配してくれてありがとう。

 私は皇帝の首に腕を回した。

 暖かくて大きな身体にぎゅっと抱きつくと、彼はしばらくそのまま抱かれていたけど、小さく息を吐いて、私の頭をくしゃりと撫でた。


「本当に、お前は……、変わっている」


 皇帝は私をいったん地面に下ろすと、今度は両脇をつかんで、子供を高い高いするように抱き上げた。


「わ!」


 ふわっと浮き上がった身体は、ここにいる誰よりも高くなった。

 みんなが驚く顔が見えた。その顔に、暖かい笑みが広がっていく。


「珠子!」


 しばらく天に持ち上げたまま私を見上げていた皇帝は、腿と腰を抱いて正面で抱きかかえてくれた。


「お前を誇りに思う」


 皇帝が真面目な顔で言った。

 周りにいる龍人たちが、みんな片膝を落として私を見ている。


「リヴァイス」


 私はなんだか泣きそうになって、皇帝の首に腕を回した。


「なら、リヴァイスも笑ってください」


 私、死ななかったんですよ。


 私、がんばったんです。


「褒めてください」


 言えば、腕の力が強くなって。


「よくやった」


 笑って褒めてくれたから。


「はい!」


 私は嬉しくなって、ぎゅうう、と皇帝に抱きつく腕に力をこめた。






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