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1話

 神聖なるセレスティア、その中心に聳える聖堂宮殿。女神を崇める宗教国家が催す祝祭の夜、選ばれた者だけが招かれる特別な宴が、猊下(げいか)の命により開かれていた。


 黄金の光が揺れるシャンデリアの下、華やかな衣装に身を包んだ貴族たちの視線が、一斉に会場の入り口へと集まった。


 ――その少女が現れた瞬間、まるで時が止まったようだった。


 静かに扉が開き、白銀の髪を腰までまっすぐに垂らした一人の少女が現れる。年の頃は十六ほどに見えるが、その歩みには年若き乙女には似つかわしくない威厳と静謐(せいひつ)さがあった。


 目元は純白のレースで覆われ、表情を読み取ることはできない。だが、手に持ったガラスカットのステッキが床を打つたびに、空気に微かな振動が走るような錯覚を周囲に与える。


 深い紫――まるで夜の帳を纏ったかのようなベルベットのドレスは、煌びやかな宴席において異質とも言えるほど控えめでありながら、ひと目で只者ではない存在感を放っていた。


 その後ろには、一歩下がって常に彼女の影に控える少年がいた。黒い礼装に身を包み、無言で従うその姿は、まるで忠誠そのものが形を取ったかのよう。


 誰とも言葉を交わさぬまま、少女――原初の魔女は堂々とした足取りで会場の中央へと進んでいく。


 その姿に、貴族たちはただ黙して見つめるしかなかった。敬意か、畏れか、それとも――魅入られたかのように。

 「一体彼女は……どこのご令嬢だ?」


 その声は、どこからともなく宴の空気を裂くようにして響いた。声を発した者が誰かなど、もはや重要ではなかった。誰もが同じ疑問を胸に抱いていたのだ。


 それほどまでに、彼女は、圧倒的な異彩と美しさを放っていた。


 名門の娘であれば、顔と名はおのずと知れ渡っているはず。だが、貴族たちの誰一人として、彼女の素性を語れる者はいなかった。

 それでも「知られていない」こと自体が、不自然だった。


 この夜は、祝祭であると同時に、新たな貴族令嬢たちを社交界に迎えるデビュタントの宴。

 若き令嬢たちにとっては、政略と縁談の糸が巡る始まりの場。高貴なる家柄、財産、魔力資質――それらを兼ね備えた“選ばれた子女”たちが、上位の貴族たちに自らを売り込む舞台でもある。


 ゆえに、この場に忽然と現れた彼女の存在は――異常だった。


 「見たか、あのドレス。質素に見えて、あの生地……」

 「いや、髪色がいい。あれは染めではない。自然の銀……まさか、どこかの隠れた旧家か?」


 貴族たちは興味と欲に満ちた視線を交錯させ、憶測を交わす。

 この場において“無名”であるということは、ふつうは恥にも等しいことだ。だが、彼女にはその常識すら意味を成さない。


 「尊い血を引いているに違いない。あの輝き……あれは、ただの美ではない」


 彼らの多くはそう思い込もうとした。でなければ、自分たちが“知らない”ことの不安を正当化できないからだ。

 ――だが、ただ一人として気づいていなかった。

 その少女の歩みに、空気の流れが逆巻いていることに。


 煌びやかなシャンデリアの光を受け、銀糸のような髪が静かに揺れる。白のレースに覆われたその顔は、まるで神秘のベールに包まれた聖像のようであり、誰もがその“正体”を探ろうと、無言のまま凝視するしかなかった。


 とりわけ視線を注いだのは、各家の若き令息たちだった。


 誰もが息を止めて、少女の歩みを見守る。

 足音すら吸い込まれるような静寂の中で、彼女がステッキを軽く床に打ち鳴らす音だけが、会場の空気にさざ波を起こしていく。


 もちろん、それを隣で見ていた令嬢たちが黙っているわけもなかった。


 最初こそ、あまりに美しいその姿に、誰もが魅入られるように目を細めていた。だがそれは、ほんの束の間のこと。

 視線を逸らさない自分の婚約者に気づき、令嬢たちの表情は一斉に陰り、次第に鋭い嫉妬の色を宿していく。


 「誰? あの子……」

 「隠し子か、成金の成り上がり? いいえ、それにしてはあの気配……」


 嫉妬と疑念、そして劣等感が入り混じった視線が、四方八方から少女に降り注ぐ。

 だが、そのすべてを無視するかのように、少女はゆったりと歩を進めた。


 まっすぐに、迷いなく――。


 やがて、彼女は祭壇へと続く階段の手前で足を止めた。

 聖職の証たる金糸の冠を戴き、長く伸びた白髭を胸元にたたえた猊下は、神の言葉をこの地に伝える者として、静かに玉座に座していた。


 しかし、その階段下に立つ彼女は、ひるむことも、伏すこともなかった。


 彼女はただ、顔を上げる。


 目元を隠す白のレースの奥、その瞳がまるで世界の奥底を見通すかのように猊下の方へと向けられ、会場の空気が――凍りついた。


「おお、よくきてくれたね。 ここ数年誘ってもきてくれなかったのに……君もようやく心が変わりをしたのかな? ロゼフェルミナリエ・セレスティアーナさま」


 猊下の口から発された「さま」の一言。

 それは、この神聖国家における絶対的権威の存在が、自らを下位に置くような発言に他ならなかった。


 貴族たちは、一瞬聞き間違いかと思い、互いに顔を見合わせる。だが、続く少女――ロゼフェルミナリエ・セレスティアーナの返答が、その幻想を打ち砕いた。


 「……しつこいから1度は顔を出しただけ。それに、ノクターンのためよ」


 軽やかに紡がれるその声音は、まるで鈴を転がしたかのように美しく、同時に冷ややかな拒絶の響きを孕んでいた。


 そして彼女がちらりと後ろを振り返ると、従者の少年――ノクターンは、嬉しそうに頬を緩ませ、弾けるような笑みを浮かべた。


 「ロゼ様は本当にお優しいですね。決して猊下のためじゃなく、僕のためだなんて」


 「……」


 「猊下のためじゃないんですって」


 「聞こえているわい」


 年老いた猊下が目を細め、口元を緩める。その表情は呆れと親しみが半々に混じったものだった。


 だが、そのやり取りは貴族たちにさらなる混乱をもたらした。

 ――この場で、猊下と対等以上に言葉を交わせる者など、存在するはずがない。


 そんな者が“誰も知らぬ少女”として、突然現れた。

 しかも、猊下が何年も誘い続けていた存在であり、彼女はそれを断ってきたというのだ。


 何者なのか。

 なぜ猊下は「さま」をつけたのか。

 そして――なぜ、あの従者は彼女を「ロゼ様」と呼び、彼女に微笑むことを許されているのか。


 「さて……本日は顔を見せてくれただけでも、わしは満足じゃ。だが、願わくば、今宵の舞台にもひとつ付き合ってくれぬかね、ロゼフェルミナリエ・セレスティアーナさま」


 猊下の声が静かに響き、会場は再び静寂に包まれた。

 猊下が招くように軽く手を伸ばすと、ロゼフェルミナリエはわずかに眉を動かし、逡巡の末に肩をすくめた。

 その動きはまるで、「仕方ないわね」とでも言っているかのよう。


 彼女は静かにステッキを一度床に打ち、ゆったりとした足取りで階段を上がった。

 その後をぴたりと従い、ノクターンもまた軽やかに続く。


 高座にたどり着くと、猊下の隣に並び立つ。その瞬間、階下にいる貴族たちの間から、ざわりと小さなざわめきが起こった。

 ――あの場所は、王族でも軽々しく立てぬ神聖な座。そこに、未だ身分も知らぬ“少女”が立っているのだ。


 猊下はその反応を意にも介さず、静かに場を見渡し、声を響かせた。


 「皆の者。知らなくても無理はない。今日は、我が友である彼女と、その従者を正式に紹介させてもらおう」


 その言葉に、会場の空気が変わる。

 “友”――それは、この国で猊下と対等に語らうことが許された存在を意味する。


 「彼女の名は、ロゼフェルミナリエ・セレスティアーナさまじゃ」


 改めて告げられたその名に、貴族たちは息を呑んだ。誰もがその名前を聞いたことがない。だが同時に、聞いたことがないということに――背筋を冷たくするほどの“危険な気配”を感じ取っていた。


 「この数年、我が国は聖女の降臨を待ち続けておった。だが、聖なる守護の光は未だ顕れず、それがわしの頭痛の種でな――」


 わざとらしく頭を押さえて苦笑を浮かべる猊下に、数人の古参貴族が頷く。

 聖女が現れないことは、国の安定にとって確かに深刻な問題だった。


 「そこで、彼女が申し出てくれた。聖女が現れるまでの間、守護の座に就いてもよいと……。これまで影から我が国を見守ってくださっておった、妖精族の血を引く特別なるお方。――皆、礼を尽くせ」


 会場の中央にいる数名の元老たちが、ゆっくりと立ち上がり、黙して一礼する。

 その動きに、他の貴族たちも徐々に追従する形で頭を下げていった。


 「そして彼女に従うのは――ノクターン・ロゼット」


 名が呼ばれると、ノクターンはまるで演技でもするかのように、にこやかに会釈し、場内を見渡す。

 整った顔立ちに、どこか中性的で優美な微笑み。それは、まさに社交の舞台において令嬢たちの心を撃ち抜く“理想の紳士”そのものだった。


 「数年前、ロゼット家に養子として迎えられ、本日が初めての社交デビューじゃ。年若くとも、その礼節と心根は、すでに多くの者が知るところ……皆の者、どうか、彼を歓迎してやってほしい」


 言葉が終わるや否や、会場のあちこちから、令嬢たちの視線がノクターンへと集まる。

 中にはすでに、親たちと視線を交わし、「ご挨拶に伺っても?」と許可を求めている者もいた。


 だが、ロゼフェルミナリエはそんな様子を淡々と見下ろし、ノクターンに向かってぽつりとつぶやいた。


 「調子に乗ったら刺されるわよ。令嬢にね」


 ノクターンは一瞬肩をすくめて苦笑し、こっそりと囁き返した。


 「それはとても、怖いですね」


 そんなふたりのやりとりに気づいたのは、猊下ただ一人だけだった。


 階段を降り立ったロゼフェルミナリエとノクターンに、真っ先に声をかけたのは、社交デビューを迎えた令嬢でも、野心に満ちた令息でもない。

 ――接触してきたのは、重鎮たる元老たちであった。


 彼らの素早い行動に、若き貴族たちの間に嫉妬のざわめきが広がるのは当然だった。

 “この日一番の輝き”に誰よりも先に近づいたのが年寄りどもであったことに、内心で舌打ちする者も少なくない。


 「ロゼフェルミナリエさま。あらためて、我が国のために守護の座に就いてくださったこと……なんとお礼申し上げればよいものか。もしよろしければ、この後、少しだけお話を――」


 「いやいや、それよりも、わしと話そうではないか。ロゼフェルミナリエさま。あなたが聖女としてこの国に住まわれるお考えは……?」


 次々と語りかける元老たち。どれもが穏やかな口調ではあったが、その目の奥には計算された光が宿っていた。

 彼らの言葉の端々には、彼女の立場を取り込もうとする意図が見え隠れしていた。


 だが、ロゼフェルミナリエは微塵も動じることなく、むしろ露骨なまでの不快感をあらわにしながら、冷たく言い放った。


 「今日はノクターンのための日よ。邪魔をするつもり?」


 その一言に、元老たちは露骨にうろたえた。


 「あ、いや、その……わしはただ……」


 「いやいや、最初に声をかけたのはそなたであろう?」


 「ち、違うわい! そなたが先に話しかけようと……!」


 責任の押し付け合いが始まる中、それを見かねたノクターンが小さく肩をすくめて口を開いた。


 「まあまあ、ロゼさま。彼らも悪気があったわけじゃないんです。この国が大好きだから、守ってほしいだけで……」


 「だまらっしゃい」


 ロゼフェルミナリエは即座にぴしゃりと、まるでいたずらを咎める母親のように言葉を被せた。


 「今日はノクターンのための日よ。さっさと社交してらっしゃい」


 その言葉に、ノクターンはわずかに口を尖らせる。


 「……僕が社交苦手なの、分かってるくせに」


 「何か?」


 ロゼフェルミナリエの声音が微かに鋭さを増すと、ノクターンは肩を落としながら小さく答えた。


 「……行ってきます」


 名残惜しげな視線を彼女に向けながら、ノクターンはくるりと踵を返し、令嬢たちの方へと歩き出した。


 その瞬間、まるで合図を待っていたかのように、令嬢たちが一斉に動き出す。

 ――ようやく話しかけても構わないのだと、空気を読んだ彼女たちは、我先にとノクターンに駆け寄っていった。


 「ノクターン様、はじめまして。ロゼット家の方とは初めてお目にかかりますわ」


 「まあ、ずるい! ノクターン様、お話しいただけます?」


 瞬く間に取り囲まれ、流れるように続く問いかけと笑顔に、ノクターンは少し戸惑いながらも柔らかな微笑を崩さない。


 「どうぞ皆さま、お一人ずつお願いしますね。――たくさん話されると混乱しますので」


 その冗談めいた一言に、令嬢たちはくすくすと笑い、ますます心を許した表情を見せる。


 一方、ロゼフェルミナリエはというと、その光景を淡々と見つめていた。

 その目元はレースで覆われているはずなのに、まるで誰がどんな感情でノクターンに接しているかを読み取っているかのような気配。


 その様子に、元老たちはさらに焦燥感を覚えたようだった。

 先ほどの不興を恐れてか、しきりに咳払いをしたり、別の話題で話しかける素振りを見せる者もいたが――ロゼフェルミナリエは一切応じない。


 ロゼフェルミナリエは静かに立ち尽くしたまま、ノクターンが令嬢たちに囲まれている様子を見つめ、ノクターンを囲む令嬢たちの中に、ひと際際立つ人がいることに気づく。

 淡い金髪を波のように巻き上げた令嬢――アナスタシア・ル・ブランシュ。

 名門ブランシュ公爵家の令嬢であり、聖女候補の筆頭として育てられてきた才媛(さいえん)である。


 その美貌、血統、魔力資質、すべてが揃った彼女は、この国において“未来の聖女”として扱われていた。

 だが、今――聖堂の高座に立つのは、突然現れた名も知らぬ少女。


 聖女候補アナスタシアはノクターンに微笑を向けながらも、その視線は時折、ロゼフェルミナリエへと鋭く向けられていた。


 「ノクターン様。初めまして。アナスタシア・ル・ブランシュと申します。……ロゼット家の方とはこれが初めてのご縁でございましょうか」


 「ええ。初めまして」


 「ふふ」


 意味ありげに微笑んだアナスタシアはくるりと身を翻し、今度は意図的にロゼフェルミナリエのもとへと優雅に歩み寄る。


 「ロゼフェルミナリエ・セレスティアーナさま。初めての場でお目にかかれて光栄です。聖女の代行者としてご尽力くださっていると伺いましたわ」


 「ご丁寧にどうも。猊下から一時的に頼まれただけであり、正式な座ではありません」


 ロゼフェルミナリエは事もなげに答える。その声に気負いも傲慢もなく、ただ事実だけがある。


 だが、それがアナスタシアにとっては逆に――癇に障る。


 「ええ、承知しております。でも……そのような重大な役目を“ただ頼まれたから”で引き受けられるのは、なかなかできることではありませんわ。余人をもって代えがたい、と猊下も仰っておりましたもの」


 「あら、それならその“余人”の方を育ててくだされば、私はすぐに退いても構わないのだけど」


 ロゼフェルミナリエはレース越しの視線を向ける。

 その声音は静かだが、言葉の奥に棘が含まれていた。


 アナスタシアは微笑を崩さず、言葉を返す。


 「もちろん、“正式な聖女”が現れたなら、そうなるでしょうね」


 その“正式”という言葉にわずかな力を込めたのを、ロゼフェルミナリエは見逃さなかった。


 「ええ、そうね。その日が来るなら――私も嬉しいわ」


 やわらかに返しながらも、彼女の声の端には冷たさがあった。


 アナスタシアは何も言わずに、にこりと笑って一礼すると、ノクターンの元へ戻っていった。

 ロゼフェルミナリエはそれを見送ることなく、静かにステッキを床に一度だけ打ち鳴らす。


 まるで、ひとつの演目が終わったことを告げる鐘のように。


 「ノクターン様。よろしければ、ダンスをご一緒に……」


 アナスタシアが甘やかに問いかけると、周囲の令嬢たちの顔が瞬時にこわばった。

 ――社交界において、ダンスの誘いは明確な“名指し”であり、公開された優位の宣言でもある。


 「……あまり踊り得意ではないのですが」


 ノクターンはやんわりと断ろうとしたが、アナスタシアの視線がその言葉を許さなかった。

 笑顔のまま、一歩だけ近づく。


 「大丈夫ですわ。私がリードいたしますから」


 令嬢たちの期待と苛立ちの視線がノクターンに集中する。

 居心地の悪さに彼がちらりとロゼフェルミナリエの方へ視線を向けると――そこには、まるで他人事のような無関心を装う姿があった。


 レース越しの瞳は伏せられ、口元は微かに笑んでさえ見えた。

 “踊ってらっしゃい”とでも言いたげに。


 「……じゃあ、よろしくお願いします」


 覚悟を決めたようにノクターンがアナスタシアの手を取ると、周囲から小さなどよめきが上がる。

 アナスタシアは内心で微笑んだ。


 ――まずはこの子を取り込むこと。あの少女の“膝下”から引き離せば、力の均衡は揺らぐ。

 それが、聖女の座に就く第一歩。


 楽団が奏で始めた緩やかなワルツに合わせて、二人のステップが会場の中央へと向かう。

 それを遠くから見守るロゼフェルミナリエのもとに、一人の従者が近づいてきた。


 「……ロゼさま。あの者、アナスタシア様にはお気をつけを。彼女の家は、教会派の筆頭でございます」

 「ええ。知っているわ」


 ロゼフェルミナリエは静かに答えた。


 「だからこそ、“本物の聖女”が出ない限りは焦って動かないと思っていたけれど……ノクターンが想像以上に目立ってしまったみたいね」


 「彼は、あまりに目を引きますゆえ……」


 「それが罪だというのなら、罰は私が受けるわ」


 その言葉に、従者は深く頭を下げた。

 ノクターンがアナスタシアと舞踏の中心に向かうその間、ロゼフェルミナリエは階段近くの静かな位置に立っていた。

 彼女のドレスは華美ではなく、表情もほとんど見えない。だというのに、その存在は否応なく注目を集めていた。


 ――気品、異質、そして“不可侵”。


 そんな雰囲気を纏った彼女に、令息たちは一歩引きながらも、抑えきれぬ興味を隠しきれなかった。


 「……失礼します、ロゼフェルミナリエさま。もしよろしければ、少しだけお話を……」


 一人、勇気を出した令息が声をかけると、まるで堰を切ったように数人の若い貴族たちが集まってきた。


 「まことにお美しく、まるで――」


 「どちらかで音楽を学ばれたことは? いや、もしよろしければ今度、私の家の楽団で――」


 令息たちの口上は、まるで競うように重なり、取り止めのない賞賛や自己紹介が飛び交った。


 だが、ロゼフェルミナリエは一歩も動かず、その姿勢すら崩さない。


 「……ひとつずつ、お願いできるかしら?」


 その声は静かで、まるで空気を撫でるような柔らかさだった。だが、そこに込められた圧は、場を支配していた熱を一瞬で凍らせるほどだった。


 沈黙が落ちる。

 彼らの喉元に突きつけられたのは、刃ではなく言葉だった。

 柔らかく紡がれたたった一言が、まるで冷たい硝子を指でなぞるような緊張を生み出す。


 息を呑む音が、空気の揺れとして伝わった。


 「……失礼しました。あまりにも……その、お美しくて」


 最初に声をかけた令息が、気まずげに頭を下げた。その背後にいた令息たちもまた、ばつの悪そうな表情を浮かべ、無言で距離を取ろうとする。

 彼女がただの美しい“娘”ではなく、自分たちの常識が通じない“何か”だと、肌で感じ取ったのだ。


 それでも、なお引き下がらなかった者が一人いた。


 「……ロゼフェルミナリエさま。もしお耳を煩わせてしまったなら謝ります。ですが、この機会にぜひ親しくなれればと思い、僭越ながら……」


 そう語りながら歩み寄ってきたのは、青いタキシードを着た若き令息だった。

 涼やかな顔立ちに自信を浮かべた笑み――自己評価が高く、他者を見下すことに慣れた者の顔だ。


 「わたくし、第二皇弟殿下の筆頭側近を務めております、リュカ・フレイベルと申します。政治、軍、財に通じた家系の者として……ロゼフェルミナリエさまのご信頼に応える準備は常にございます」


 下心を隠そうとしない言葉に、周囲の令息たちもわずかに顔をしかめた。

 だがロゼフェルミナリエは、一切表情を変えないまま言った。


 「あなたの“準備”に、私が関わる理由はあるのかしら?」


 その声は静かだった。けれど、その一言だけで、空気が張り詰める。


 「そ、それは……この国において、影響力のある立場の者と関係を築いておくことは、きっとあなたさまにとっても――」


 「“力ある者と関係を築け”なんて、誰の教え?」


 「えっ……?」


 「あなたの言葉には、私を守ろうという誠意はない。ただ、利用しようという意図だけが透けて見える」


 ロゼフェルミナリエの声音は淡々としていた。それだけに、言葉は冷たく、鋭く響いた。


 「……ご退席を」


 それは、拒絶だった。否、“対話すら必要ない”と断じた宣告だった。


 リュカは顔をひきつらせたが、何も言い返せなかった。

 周囲の空気が彼を「下がれ」と押し返していた。


 追い出されるように姿を消したリュカを見ても、貴族である令息たちのアピールは止まない。ロゼフェルミナリエが相手をしていようとしていなかろうと、彼らは口を閉ざすことはないだろう。それを知っているからこそ、ロゼフェルミナリエはロクな相手をすることなく、給仕が運ぶ白葡萄のジュースに口をつけていた。

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