ある絹糸人間の一生
絶子は自分の才能に気づいた時、天にも昇るような、得意な気持ちになった。
七歳だった。絶子が小学校に入ってすぐ、国語の先生によってそれは発見された。
「望月さんは綺麗な糸を吐くね」
国語の先生はそう言って、しかし何でもないことのように、すぐに他の生徒の糸も見て回った。しかし他の子は誰も皆、糸とは呼べないような涎を口から垂らし、それでありきたりな絵を布に描いているだけだ。
本物の糸を口から吐けるのは、クラスのみならず学校の中でも、絶子一人であった。
口から糸を吐ける才能を持つ『絹糸人間』は一万人に一人しか産まれないと言われている。0.0001%の天才だ。国の人口が一億人なら一万人しかその国にはいないことになる。こう言うと結構多い気がするものであるが、10万人の都市なら10人しかいないと言い換えれば、とても希少だということがわかるであろう。
ふつうは白い糸を吐くものである。彼らは絹糸人間と呼ばれ、その吐き出した糸は衣服や寝具、化粧品などにも使われる。
何よりも、自分の産み出した糸を使ってさまざまなアートを創る『絹糸アーティスト』が人気だ。産んだばかりの糸でしか創れないそれは、彼らにしか創れないものだ。とはいえ絵心や歌心のない者が、糸を吐く横でパートナーに形にしてもらうこともあるのだが。
絶子は金色の糸を吐いた。
艶々と煌めくその糸で、いつか輝く麦畑の絵を描きたくて、毎日練習をした。
すべての生きとし生けるものの幸せを願って、命の煌めきを表現したかった。自分の頭の中にその絵はあっても、皆に伝えるためには表現する必要があった。
約20年かかった。
その絵は遂に、完成した。
『命輝く麦畑』と題したその絹糸アートは、とても満足のいくものであった。
絶子は自信満々で絹糸アーティストの新人賞にそれを提出した。
審査員や展覧会に来た一般客の評価は次のようなものであった。
「金色の糸なんてダサい」
「糸は何色にも染まる白じゃないとダメ」
「こんなの流行りじゃない」
「こんな絵が見たくて来たんじゃない」
突き返された『命輝く麦畑』を抱いてうちひしがれる絶子の横で、膝を抱いていた男が呟いた。
「キミなんて、まだいいよ。まだ、ましだ。僕なんて……僕の糸なんて、黒だから──」
彼の絹糸アートは、白いキャンバスに描かれた胸毛だった。
タイトルは『白と黒』だった。
「僕の糸は黒だから……何色にも染まらないんだ。白の正反対さ。何を描いても黒なんだ。キミの糸はまだ、染めれば染まるじゃないか」
それを聞いて絶子は閃いた。
世間で今、流行っているのは、白い絹糸に、さまざまな、それぞれの色をつけた、貴族風のアートだ。
自分の金色の糸に赤や青や緑や黄色のさまざまな色をつければ、突出できるのではないかと思ったのだ。
やってみた。
とてもきらびやかな、貴族が錬金術師になったようなアートが産まれた。
絶子はそれに『命のざわめき』というタイトルをつけ、展覧会に出品した。
評判は概ね、次のようなものであった。
「今風じゃない」
「金ピカがうざい」
「ふつうと違う」
「もっとふつうがいい」
絶子は自殺した。
多摩川にひとり入水し、帰らぬひととなった。
彼女には絹糸しかなかったのだ。
多額の借金を踏み倒して死んだ。
絶子の死後、その50年後に、彼女の作品は発見され、再評価された。
「白ばっかりの絹糸アートに飽きていたところに、斬新な金ピカ登場!」
「これは新しい! 新たな流行を創り出しうる力だ!」
「金色ってダサいという固定観念を破壊する鮮烈さ!」
「ちなみに作者は50年前に亡くなっている」
「早すぎた天才」
「ようやく評価され、天国で笑っていることだろう」
「よかったね!」
「ハッピーエンドだ!」