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第九話

  夜の帳が降りたラグナディア公爵家の屋敷。

 昼間の喧騒とは異なり、静けさの中で灯されたランプの明かりが、

 柔らかく部屋を照らしていた。

 広い応接室の中、テーブルを囲むように座る三人。


  エリオス、エリュシア、そしてメレーネ。


  公爵との会談を終えた今、彼らには“選択”が迫られていた。 


 「……さて、どうするつもりですか?」


  沈黙が場を包む応接室。

 メレーネが冷静な声で問いかけた。


 エリオスは短く息を吐く。


 「......軍に行くつもりだ」


 その言葉に、エリュシアが眉をひそめる。


 「また即決?」


 「考えるまでもないさ」


 エリオスはテーブルに肘をつきながら、視線を上げる。


 「貴族社会のことは、俺は何も知らない。なら、軍で学んだ方がいい」


 メレーネが静かに頷く。


 「確かに、軍は実力が全ての世界です。

 貴族としての振る舞いよりも、“何ができるか”が重要になる。」


 エリオスは顎に手を当てながら考える。


 「それに、魔法の扱いを本格的に習得できるのは軍しかない。」


 メレーネの瞳が微かに動く。


 「……なるほど。」


 エリオスは指を組みながら続ける。


 「俺の魔法は普通じゃない。

 ただの"貴族の子弟向けの教育"じゃ、扱い方すら分からないままだろう?」


 エリュシアが静かに聞いていたが、ここで言葉を挟む。


 「でも、それって“軍の駒”になるだけじゃない?」


 エリオスは微かに笑った。


 「それなら、それでいいさ。

 今の俺は何者でもない。だったら、軍で何かを掴めばいい。

 駒も王駒も、戦う"盤上"は同じだろう?」


 その言葉に、エリュシアの動きが止まる。

 彼は本当に、軍を"利用する"つもりなのだ——。


 エリュシアは唇を噛む。


 「それで、立場を手に入れたらどうするの?」


 「……俺の道を選ぶ。」


 エリオスはゆっくりと答えた。


 「軍で立場を上げれば、いずれはこの“偽婚約”なしでも独立できるだろう」


 その言葉を聞いた瞬間、エリュシアの心がざわついた。


 ——"いずれはこの偽婚約なしでも独立できる"。


 それは、何を意味するのか。


 エリオスが貴族社会に馴染むことなく、彼なりのやり方で生きていくのなら、

 いずれこの関係は終わる。


 (……どうして、私はこんなに気にしてるの?)


 ただの逃げ道として利用するつもりだったはずの庶民。

 最初の出会いは最悪で、無愛想で、必要以上に踏み込んでこない男。

 なのに——


 「……エリュシア様」


 メレーネの落ち着いた声が響いた。


  エリュシアがふっと顔を上げると、彼女は穏やかに微笑んでいた。

 そしてエリュシアにそっと耳打ちする。


 「ご安心ください。"軍"といっても、彼はラグナディア公爵家の庇護下にあります」


 「……どういうこと?」


 「公爵閣下は、貴族の中では珍しく軍上がりの実力派です。

 門閥貴族の中でも、特に"実力を示せば認める"という考えをお持ちです」 


 「つまり?」


 「エリオス様が"軍で力を証明できれば"、閣下はそれを評価するでしょう。

 その場合、エリオス様が"独立"という道を選んでも、

 結局はラグナディア公爵家の影響下にあるものとなります」 


 エリュシアは少し目を細める。


 「つまり……公爵家の影響から完全に外れるわけじゃない、ってこと?」 


 メレーネは静かに頷いた。


 「少なくとも、"公爵閣下の認める貴族"となるまでは、

 エリオス様は公爵家の名のもとに動くことになります。

 あのご様子なら、完全に手放すことはないでしょう」 


 エリュシアはその言葉に小さく息を吐いた。


 (……ふぅん、そういうことね) 


 エリオスが軍に行くことで、未知の魔法の扱い方を学び、

 貴族としての実力を証明することができれば、公爵家の"資産"として認められる。


 そして、それは"私の手元から完全に離れる"というわけではない。


 (それなら……)


 エリュシアはテーブルの上の書類を見つめ、ふっと笑う。


 「じゃあ、私が学園に行くのは決まりね」 


 エリオスが怪訝そうに眉を上げる。


 「ずいぶんあっさり決めたな?」 


 「それはそうよ。貴族社会の"道"を作るなら、

 私が貴族の基盤にいないと意味がないでしょう?」 


 彼女は肩をすくめると、堂々と微笑んだ。


 「軍で立場を上げて、好きな道を選ぶなら——

 その道が通るようにしてあげるのが、貴族の役目よ」 


 エリオスは少し考え込み、それから小さく笑う。


 「なるほどな」 


 その言葉を聞いて、エリュシアは安心したように頷く。


 メレーネは静かに二人を見つめ、やや満足げに微笑んだ。


 エリオスは二通の書状を手に取り、静かに立ち上がる。


 「決まったなら、準備をしないとな」


 そう言うと、彼は短く息を吐き、部屋を後にした。

 扉が閉まる音が響き、応接室には静寂が戻る。


 「……ふぅ」


 エリュシアは軽く背もたれに寄りかかり、目を閉じた。

 だが、彼女の表情はどこか複雑だった。


 メレーネは、そんなエリュシアの様子をじっと観察していた。


 「……社交界よりも緊張為されてましたか?」


 エリュシアは目を開け、少し驚いたようにメレーネを見る。


 「……そう見える?」


 メレーネは静かに頷いた。


 「はい。エリオス様が軍を選ばれたことに、"安堵"しているようにも見えましたし、

 "困惑"しているようにも見えました」


 エリュシアは小さく息を吐き、指先でテーブルをなぞる。


 「……私は何を期待してたのかしらね」


 「それは……"彼があなたのそばに残ること"ではありませんか?」


 メレーネの言葉に、エリュシアの手が一瞬止まる。


 「……誰がそんな......思ってないわ」


 だが、そう答えながらも、自分自身に違和感を覚えていた。

 メレーネの言葉は図星だったからだ。


 (……私は、"貴族らしい"考え方をしている)


 最初はただの"利用する存在"だった。

 だが今、気がつけば"手元に置きたい"とすら思っている。

 それがどこか貴族的な"独占欲"に似ていることを、エリュシアは感じていた。


 「エリオス様の魔法は"未知"です」


 メレーネは淡々と続ける。


 「貴族であれば、その力を"管理する"のが当然の考えでしょう。

 エリュシア様が彼を手放したくないと思うのは、

 貴族としての本能なのかもしれません」


 エリュシアは、メレーネの冷静な分析に思わず笑う。


 「……言い方がずいぶん辛辣ね」


 「事実です」


 メレーネは静かに微笑む。


 「ですが、エリオス様は根からの"貴族"ではありません。

 それを決めるのは、エリュシア様ではなく、彼自身です」


 エリュシアは天井を見上げ、考えるように沈黙する。


 (……そうね)


 だが、心のどこかで"惜しい"と思っている自分がいる。

 それが、彼女にとって一番の問題だった。


 「……はぁ、なんか矛盾しちゃってるわね」


 そう呟くと、メレーネは微かに笑う。


 「いえ、"貴族らしい"だけです」


 その言葉に、エリュシアもまた、小さく笑うしかなかった。

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