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第七十五話



 王都アルサメルの中心に位置する有無を言わさぬ巨城

 ──アルカディア城。


 王都アルサメルが内包したもう一つの"核"。

 その城郭規模だけで、これまたひとつの都市国家に等しい。


 外周を巡る三重の防壁は、遠目には山脈を彷彿とさせ、

 ネーデル川も含むいくつもの大河川から水を引いて造成された湖が、

 巨大な蛇のように城を包み込んでいた。

 天を貫く大天守は、白銀に金箔、濃紺で彩られた幻想建築。

 無数の尖塔が霧の中に浮かび、

 その頂には、黄金の双翼を広げた天翔龍が鎮座している。


 城内、それも一画に過ぎないのだが、それでもなお高い天井、

 白亜の回廊、足元に広がる重厚な赤絨毯。

 その威容は、エリュシアやエドモンド公爵と共に幾度となく訪れ、

 見慣れたはずのメレーネの瞳にもわずかに緊張を与える。


 ──とはいえ。


 今、応接間で対峙している相手は、恐るるに足る者ではない。


 目の前の男、王都財政局補佐官、コーネル。

 身に着けた貴族らしい燕尾服に相応しい立ち居振る舞いはしていたが、

 その態度には、あからさまな侮りと怠慢が滲んでいた。


 コーネルは、書類の束をペラペラとめくりながら、鼻を鳴らす。


 「まったく……庶民上がりの公爵など、

 書類だけでも頭が痛いというのに……」


 これ見よがしの嫌味。

 だがメレーネは涼しい顔のまま切り返す。


 「この際それは関係ないでしょう」


 あくまで冷静に、感情を交えず。

 こういうタイプに、感情を見せるのは無駄。

 メレーネは目を細め、あくまでも冷徹に接する。


 「まあ? その通りですが……」


 コーネルは、舌打ちでもするかのような表情で肩をすくめる。

 目の端には苛立ちと煩わしさが同居していた。


 書類を一通りめくり終え、渋々と言った口調で呟く。


 「不備は、まあ、無いみたいですね」


 と、悔し気に言い放った後、

 だが──と続けた。


 「......この申請書の中にある親衛隊長、

 "10歳"って本気で言ってます?」


 顔をしかめたコーネルが書類を突きつけてくる。

 その指先には嘲笑と呆れの色が濃かった。


 「ええ。規定に基づけば、

 S+級なので正しい記載ですよ?」


 メレーネは事務的に応じる。

 ルシアも隣で頷くが、コーネルは鼻で笑った。


 「何を馬鹿な事を……そんな化物が10歳な訳がないでしょう」


 椅子をきしませ、コーネルが身を乗り出す。

 すでに顔には、感情的な苛立ちが滲んでいた。


 「少なくとも、規定上年齢制限などないはずです!」


 ルシアが真っすぐな声で反論する。

 その横顔には、かすかな緊張と、

 こちらが嘘をついているかのような物言いへの憤りが滲んだ。


 しかしコーネルは、それをまるで見ようともしない。


 「これはあくまでも"常識"の話だ!

 証拠が無ければ取り合えないね!」


 提出された書類を叩く音が、

 静かな執務室に無粋に響く。


 「うん、確かにそれもそうですね」


 ルシアが歯噛みする中、メレーネは静かに、

 そして意外にも同調した。

 ルシアが驚きに目を見開く。


 「メレーネ様!?」


 ──だが、メレーネの内心は至って冷静だった。


 「ネーデル河川領域やハルコンネ地方の交易路の守護、

 それに加えてシュタルクから

 魔物の流れを堰き止めている事を証明するには、

 相応の"証拠品"か何かが必要になる、と仰りたいのでしょう?」


 あえて問いかけるように言う。

 コーネルは思わず口をつぐみ、やや鼻白んだ。


 「ま、まあその通りだ」


 メレーネは余裕の笑みを見せる。

 コーネルは瞬きをして視線を泳がせた。


 「分かりました、手配いたします。

 ですが──」


 ここで、彼女は一歩前に出た。

 琥珀色の瞳に、ぎらりと光が走る。


 「……納得いただけましたら相応の"手当"は頂きます」


 静かな声。だが、その言葉には一切の逃げ場がなかった。

 コーネルはびくりと肩を震わせ、

 考えるように視線を上に逸らす。


 メレーネはルシアに軽く微笑み、

 コーネルへ一礼する。

 ルシアはメレーネの表情に余裕を感じたのか、

 メレーネを追うように応接間を出た。


◆  ◆  ◆


 ハルコンネ新領地の大食堂。

 真夜中の静けさに、かすかな煮込み鍋の匂いが漂う。

 照明を落とした広い空間で、厨房だけがほのかに温かい光を放っていた。


 その厨房の奥、白い制服を着た料理長オルビスが、

 明日の仕込みだろう、大鍋をかき混ぜる手を

 止めてこちらを振り向いた。


 「骨が欲しい?」


 メレーネは頷く。


 「エウラから聞きました。

 どうも倒した魔物をここに持ってきているとか」


 オルビスはふむ、と顎に手を当てる。


 「ああ、エウラ嬢の事ですか。

 “面白い食材”を色々と調達してきてくれますよ」


 その口ぶりは、どこか可笑しさすらブレンドされている。

 ルシアが目をぱちぱちと瞬かせながら尋ねる。


 「面白い食材?」


 ──まあ、当然の反応。

 メレーネは内心で小さく嘆息し、

 驚愕の事実を淡々と補足する。


 「……魔物の事です」


 次の瞬間、ルシアは顔色を変えた。


 「ま、魔物ですかあああ??」 


 耳を疑うような叫びに、メレーネは表情を変えない。

 無理もないことだ。


 オルビスはにこにこと笑いながら、平然と続けた。


 「そう思うでしょう?

 ですがね、実はこれが美味しいんですよ」


 ルシアは半信半疑で首を傾げた。


 「王都にいた頃は、魔物って嫌な“えぐみ”があって

 美味しくないって聞きましたよ?」


 「もちろん、美味しくない奴の方が多い。

  ですがね、美味しい奴もいるんですよコレが。

  そうそう、例えば──」


 オルビスがカウンター下から取り出したのは、

 大人の握りこぶしほどの塊が二つ。


 一つは乾いた白石灰のような色合い。

 もう一つは、黒と紫が渦を巻く不吉な光沢を帯びていた。

 どちらにも、微細な螺旋模様が刻まれ、

 ごつごつとした骨の質感が滲んでいる。


 メレーネは、冷静にそれらを観察した。

 しかし、それが何であるかは、すぐには分からなかった。


 「これは剛腕魔牛ミノグランツから一つしか取れない骨、

 コアホーンです」


 オルビスがさらりと言い放つ。

 

 ──ルシアは目を丸くした。


 「ちょっと待ってください。

 ミノグランツって、確かかなり強力な魔物ですよね……?」


 「……まあ、私は詳しく知らないですが、

  エウラ嬢がよく持ってくるのですよね」


 オルビスが軽い口調で答えるたびに、

 ルシアの顔色がどんどん青ざめていく。


 メレーネは静かに息をついた。


 「基礎代謝の次元が違いすぎるのですよ」


 ルシアがほとんど泣きそうな声で食いつく。


 「どどど、どういうことですか??」


 「エウラは私の妹ですが、

 ちょっと龍の因子が入っているので……」


 「りゅ、龍!?」


 ルシアの絶叫に、オルビスが小さく笑った。


 「とりあえずこの際は気にしません」


 メレーネは淡々と話を進めた。

 任務遂行に、感情の動揺は不要だ。


 「オルビス料理長、このコアホーン、いくつありますか?」


 「そうですね、ちょうど二十個あります」


 オルビスが指さした先には、袋詰めされたコアホーンの山。

 白石灰色のものが四つ、

 残り十六個は、黒と紫の光沢を持っていた。


 メレーネは無言でそれらを一つずつ点検し、

 そのまま袋を抱え上げた。

 

 ──ずしり、とした質量感。

 だが、これで十分だった。


 「すみません、すこしお借りします」 


 おうおよ! と合図する料理長。


 「これが動かぬ証拠になるでしょう」


 そう言い放つメレーネに、

 ルシアが泣き笑いのような声を上げる。


 「よ、よくわかりませんが! 王都に行きましょう!」


 その声に、メレーネは小さく笑みを浮かべた。


◆  ◆  ◆


 巨城・アルカディア城、応接間。


 冷たい石壁に囲まれた、無機質な空間。

 重厚な机の上に、ずらりと並べられた二十個のコアホーンが、

 どす黒い存在感を放っていた。


 コーネルは目を見開き、額に冷や汗を浮かべたまま、絶句していた。


 「剛腕魔牛ミノグランツのコアホーン……

 それも──狂戦士化したもの......??」


 震える声で絞り出す。

 机の向こうで、メレーネは静かに頷いた。


 「どうでしょう。この数を討伐していれば、

 少なくともそれ以下の魔物程度であれば討伐できる証明になるかと」


 淡々と、事実だけを告げる。

 ルシアも隣で小さく拳を握り、黙って背筋を伸ばしている。


 「この魔物の強さを知ってて言っているのか!?」


 コーネルの叫びは、もはや哀れみに近かった。

 だが、メレーネの声色は変わらない。


 「少なくとも、私の妹は“それ”をただの“つまみ食い”程度にしか

 思っていませんので、よくわからないですね」


 「つ、つまみ食いぃ!?」


 わずかに首を傾げながら告げた言葉に、

 コーネルの顔がさらに青ざめる。


 「そうです! つまみ食いです!」


 ルシアが元気よく断言した。

 

 ──これが、事実である以上、

 何人たりとも否定できはしない。


 コーネルは、崩れ落ちそうな態度で机に手をつき、

 遠い目をしながら、心の中で呟いた。


 (辺境領域にはバケモノが住み着いているのか──?)


◆  ◆  ◆


 ハルコンネ新領地、執務室。

 昼下がりの陽光が窓から差し込んでいる。


 エリオスは、積み上がった書類の上から力なく

 1枚、1枚と目を通してハンコを押していた。


 「ななな、なんですかコレ……?」


 ルシアが、声を裏返らせながら、

 手に持った紙をエリオスに見せた。


 「エウラのお昼ご飯代の請求だね」


 エリオスはあっさりと答え、軽く肩をすくめた。

 もはや、その桁には慣れたと言わんばかりだった。


 「け、桁が一つ違いませんかね……?」


 額面に顔を引きつらせるルシアをよそに、

 エリオスは冷めた珈琲を啜る。


 「最初は驚いたけど、まあ“慣れ”ると思う」


 「この公爵家、やっぱりヤバすぎます──!!」


 ルシアが絶叫しながら、机に突っ伏した。

 マリアは苦笑しながら、涼しげに書類整理を続けている。


 「そうそう、危険手当もそうですが、

 ヴィクトール様達、堀の造成も手伝われてるそうだとか」


 「筋トレって言ってたな」


 エリオスが思い出しながら、苦笑交じりに応じる。

 あの誇り高かった男が、今や汗まみれで土木作業をしているとは、

 誰が想像できただろうか。


 「そうなんです! かなり人件費が浮いてますよ!」


 ルシアが必死に現実逃避をするように話を戻す。

 マリアが、ふとエリオスの方を見た。


 「なんて言うんでしょうか……

 ヴィクトール様、随分と変わられましたよね?」


 柔らかな声。

 だがそこには、心からの感慨が滲んでいた。


 エリオスは、しばらく考え込むように視線を落とし、

 やがて静かに答えた。


 「まあ色々あった......けど、

 元はそういう男だったんだと思うよ?」


 マリアはその言葉を聞き、はっとしたように瞬き、

 次いで、ゆっくりと、静かにほほ笑んだ。

 窓の外では、やや熱を帯びつつある夏の風が、

 ハルコンネの地をそっと撫でていた。

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