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第七十三話

 ────ハルコンネ地方・イーストベース────


 ほんのりと温まった室内、昼の気怠い空気が漂う。

 部屋の中心に据えられた大きな机には、

 未決裁の書類が積み重なっていた。


 執務室──書類を胸に抱えたマリアが、

 申し訳なさそうにエリオスを見つめている。

 その顔には、責任感と焦りが滲んでいた。


 「実は……建築資材や人件費、

 これらが資金繰りを圧迫しております」


 エリオスは眉間を指で軽く押さえながら、

 小さく息を吐いた。


 「これだけの規模になると、

 薄々分かってはいたけれど、やっぱり、か......」


 マリアは小さく喉を鳴らし、さらに追い打ちをかける。


 「特に三の丸や堀の造成となれば、

 人工にんく代が無視できないのです」


 「とはいえ、シュタルクに近いからな……」


 とは言いながらも、胃のあたりが重くなる。

 問題の最前線に近い拠点だからとて、完全を目指せない現実。

 ただこのイーストベースを守る立場として、

 簡単には飲み込みたくないのだ。

 

 それでも、背を押すように彼女は続けた。


 「でも、なにかを削るか工夫しないと──」


 マリアが言いかけたところで、

 ノックが2回響き、控えめに扉が開いた。


 「失礼いたしますっ!」


 人の苦悩をよそに、

 背筋を伸ばして入室してきたのは、ヴィクトールだ。

 その動きには、迷いも疲れも一切感じさせない。


 「今日はどうしたんだ?」


 エリオスは椅子に一度座り直し、

 どこか期待と不安が入り混じった気持ちで

 彼の表情をうかがった。


 「実はお願いがあって飛んでまいりました」


 「お願い?」


 「実はイーストベースに、

 1000人程度の練兵場を作りたいと思いまして」


 マリアが書類を抱えたまま小首をかしげ、

 ヴィクトールに目を向ける。


 「練兵場を?」


 ヴィクトールは声の主に視線を向ける。

 目を瞬かせながら、戸惑いの色を浮かべた。


 「……エリオス様、この方は?」


 「財務担当のマリアだよ」


 紹介を受け、マリアは書類を脇に抱え直し、品よく一礼する。


 「マリア・フォン・エーデルと申します。

 以後、お見知りおきを」


 マリアが軽く微笑んで頭を下げる。


 「よろしくお願いします、マリア殿」


 ヴィクトールは深々とお辞儀を返した。

 マリアが少し驚いたように瞳を見開いたのを、

 エリオスは横目に捉えて小さく笑う。


 ヴィクトールの礼儀正しさは、

 王都のどこか堅苦しく形骸化したものとは違う。

 素直で、それでいて相手を敬う心に裏打ちされた、

 "最良の貴族"そのものであった。


 「練兵場か、どのあたりに作りたい?」


 エリオスが話を戻すと、ヴィクトールはすぐに姿勢を正した。


 「城郭とは離れた位置、

 交易路に近い場所に作りたいと思います」


 エリオスは頭の中で簡単に地図を思い浮かべ、

 指先で机を軽く叩く。


 「となると、三の丸外縁辺りになるのかな」


 「理想的です」


 ヴィクトールが嬉しそうにうなずく。

 マリアはそれを見て、ふと何かを思いついたように目を輝かせた。


 「その練兵場、どのようなものをご所望ですか!?」


 マリアの予想外の食いつきに、

 ヴィクトールが一瞬圧倒されたように言葉を詰まらせた。


 「えっと、とりあえずは宿営地、厩舎、飼料倉、倉庫・雑具庫辺りを

 準備しつつだね……」


 「規模ですよ、規模! ざっくりで良いので!」


 「ああ、馬で突撃隊形を組むとなれば、

 最長270メートルくらいは必要になると思う」


 マリアは目を輝かせ、机に手をついて勢いよく話し出した。 


 「実は──」


 マリアが三の丸造成工事の予算が逼迫していることを

 熱心に語る間、エリオスはヴィクトールの表情を横目でうかがった。


 「なるほど、それで私になにが……?」


 ヴィクトールの問いに、

 マリアは一瞬申し訳なさそうに顔を曇らせる。

 しかし、言わなければ、

 と覚悟を決めたように、口を開いた。


 「大変言い辛いのですが、

 騎士の方々にお手伝いいただけないでしょうか?」


 エリオスは慌ててマリアを制止するように身を乗り出した。


 「えっと、それは流石に──」


 流石に騎士としての誇りがあるはずだ、

 と心配したが、ヴィクトールは穏やかな笑顔で即答した。


 「それはいい考えですね」


 意外な反応に、エリオスは言葉を失った。

 わずかに眉をひそめたまま、慎重に尋ねる。


 「本当にいいのか……?」


 エリオスの問いにヴィクトールは真剣な目を向ける。


 「実際に部下たちに地形の重要さを

 学ばせる機会にもなるでしょうし、

 なにより魔法ばかりに頼っていたら鈍ってしまいますから」

 

 エリオスの遅延にあてられた男の言う事の説得力は絶大だった。

 マリアが嬉しそうに目を細める。


 「ありがとうございます!」


 ヴィクトールは笑みをを崩さず、エリオスに向き直った。


 「それに、このイースト・ベースは

 王都でも話題なのですよ?」


 エリオスは軽く眉をひそめた。


 「そうなのか?」


 「庶民公爵"悲劇の辺境送り"と」


 エリオスは苦笑して肩をすくめた。

 自分でも、その評価がどれほど的を射ているか分かっている。


 「まあ、そうだろうな……」


 ヴィクトールは熱を帯びた口調で続ける。


 「私はそれが許せないので、ここを発展させてやりたいのです」


 「代わってくれない?」


 エリオスが冗談めかして言うと、

 ヴィクトールはきっぱりと否定した。


 「それは出来ません、でもいつでも頼ってください」


 ヴィクトールは堂々と胸を張る。

 エリオスは苦笑しながらも、

 ほんの少し胸が温かくなるのを感じた。


 「ここはポテンシャルはあります!」


 マリアが力強く言った。


 「そうなのか……?」


 マリアは、力強くうなずいた。

 そして、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


 「水資源、鉱物資源、共に最近素晴らしいのが見つかっています!

 ちょくちょく資料を作っていたのですが、

 目を通して頂けてませんか?」


 エリオスはぎくりとして目をそらした。

 その絶妙なタイミングで扉が開き、

 メレーネが書類の束を持って現れる。


 「タングスケイル鉱、ですよね?」


 「メレーネ様、そうです!」


 エリオスは脳内の記憶の断片を片っ端から参照するが、

 コーヒーの苦みしか浮かばない。


 「タング……なんだって?」


 メレーネは軽く微笑み、冷静に説明した。


 「タングスケイル、どうやら上手く精錬すると

 鉄の10倍程度の頑強さを示すとか」


 マリアが嬉しそうにうなずいた。


 「そうなんです! それに魔力の伝導率が高いので、

 法術師の武具には最適なんですよ!」


 ヴィクトールが口元に手を添え、考え込むように言った。


 「それならばむしろ、王都から職人を呼ぶのも手かもしれませんね」


 メレーネが穏やかに微笑む。


 「元々イゼルカ様が保持されていた土地だけに、

 かなりの恩恵が大地に眠っていたようです」


 「そう、なんだ……」


 エリオスの呆けたような答えに、

 メレーネは少しお灸を据えるかのように、

 書類をドサッと置いた


 「はい、書類です」


 「げっ、分厚ッ!」


 メレーネがエリオスに書類を渡す。

 分厚さに顔をしかめるエリオス。


 「あの......エウラと同じ反応をしないでくれます……?」


 そのやりとりを聞いて、ヴィクトールとマリアが思わず笑い合った。

 エリオスはやれやれと肩を落としながらも、

 その笑顔に少しだけ気が楽になった。

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