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第七十話

 ────ラグナディア邸の門前────

 

 一人の騎士が馬を下り、

 白い外套を靡かせながら歩を進める。


 陽光を反射し、金色に輝く髪、碧眼は澄んだまま、何ひとつ迷いを映さない。

 彼の身を包むのは、白地に金の繊細な装飾が施された甲冑。

 まさに「王都に選ばれし騎士」にのみ許された特注の意匠と一目でわかった。


 彼の正体は、

 王都親衛隊副隊長──聖騎士ランハルト・フォン・グランバルト。


 彼の到来に、

 偶然、門前でほうきを操っていたメレーネは

 思わず背筋を伸ばした。


 その視線に気付いたランハルトは、にこりと笑った。


 「エリオス・ルクレイ殿はいらっしゃいますか?」


 張りのある声は、礼儀を尽くしており、

 さわやかな切り口があった。


 「お、おりますが、どうされましたか……?」


 緊張で少しだけ声が裏返る。

 だがそれも無理はない。

 彼の名と姿は、王都に生きる者であれば知らぬ者のいない存在だ。


 「悪い話ではないですので、どうか構えないでください」


 そう続けた声には、不思議と人を安堵させる響きがあった。


 「は、はい。 案内させていただきます」


 メレーネは一礼しながら、すぐに踵を返して屋敷の扉へと向かう。

 その背後で、金属靴が控えめに石畳を鳴らす音が響く。



◆  ◆  ◆



 ────ラグナディア邸、応接間────


 静寂の中に、重たい空気がゆっくりと染み込んでいく。


 ランハルトから差し出された、一通の文書。

 王家の紋章の押された封蝋が、一際質量を感じさせる。


 「これは、どういうことなの……?」


 ソファに腰かけたエリュシアが、言葉を失いながら呟く。


 「はい。大陛下からの勅命です」


 「俺に……?」


 エリオスは文書を見つめたまま、短く呟く。

 意味をなさない言葉が、頭の中でただ反響していた。


 「これを」


 一段深く差し出された文書を、エリオスが受け取ると、

 隣にいたエリュシアが、無意識に肩を寄せた。

 彼の見るものを、一緒に確かめようとするかのように。


 背後ではメレーネがソファの影から覗きこむように、

 視線だけを向けていた。


 エリオスは息を吞み、文書の封を静かに切る。

 指先に伝わるのは、上質な羊皮紙の重みと、封蝋のわずかな固さ。

 彼は丁寧に、それを両手で広げた。


 そこには、誰もが知る名が並んでいた。


 ───────────────

   王都勅命文書 第七四一号

 ───────────────


 王都の正統なる勅命のもと、

 ここに一名の者に対し、公爵位を賜与することを宣言する。


 【被任命者】

 氏名:エリオス・ルクレイ

 出身:辺境・ヴィレア村

 現居:王都アルサメル・ラグナディア公爵邸内


 【推挙者】


 大公:イゼルカ・フォン・フェンリル


 公爵:エドモンド・フォン・ラグナディア


 公爵:エスメラルダ・フォン・ロールスロイス


 公爵:ナサニエル・フォン・クライスラ


 侯爵代行:ヴィクトール・フォン・ファルクス



 右五名の推挙を以て、王国の慣例に従い、

 以下の勅命を発する。


 ───────────────

 よって、王都アルサメルを統べる王家の名において

 エリオス・ルクレイを【公爵】として任ずる。

 ───────────────


 これは、我が御意に基づく正統なる命にして、

 王国における貴族認定の最上位として、

 記録となし奉るものとす。


 【女王陛下】

 アグレイア・セラフィーヌ・ヴィクトリア・フォン・アルサメル


 【代読】

 王国宰相

 クラリス・フォン・ロズベルト


 ───────────────

 発行日:王国歴1017年 春月 

 発行地:王都アルサメル・アルカディア城

 ───────────────


 王都の重心をなす錚々たる人物たちによる“推挙”。

 否応なく、ただの一個人だったエリオスを

 “王都の頸木”へと引きずり上げる証だった。


 「これは……」


 あまりにもいきなり過ぎた。

 だがこれは冗談ではない。

 それだけは、確かだった。


 「エリオスが......公爵に......?」


 彼女にとって“並んでいたはずの肩”が、

 どこか"自分のモノ"だと思っていたはずの背中が。

 いつの間にか一人だけ置いていかれたような事ばかりが続いた。


 エリュシアが静かに俯いたその後ろで、

 メレーネは冷静に言葉を返す。


 「公爵位に任ぜられたとはいえ、エリオス様には

 領地も家名もございませんが?」


 メレーネが、理性的な声で現実を告げる。

 だがその言葉もまた、この場に漂う不安定な均衡を崩していく。


 「ご心配には及びません。

 私が聞くところによれば、ファルクス家の指揮権、

 東部辺境の一部を両名から引き継ぐことになっております」


 「そ、それは聞いてないぞ?」


 エリオスの声が、思わず上ずる。

 メレーネも衝撃で瞬きが早まる。


 「無理もございません。なにせ急ですから」


 ランハルトは、淡々と、笑顔で返す。

 感情の介入はない。

 それが“王国の命”である以上、個人の事情など枝葉に過ぎない。


 「失礼ながら......あまりにも突然すぎますので、

 これでは公爵として立ち振る舞えないのでは……?」

 

 メレーネの問いにランハルトは一呼吸置く。

 全てが勝手に決まっていた。

 まるでそれは彼の“意志”は、どこにも存在していないかのように。


 「その点についてもご安心ください。

 貴方は特例中の特例、異例ともいえる任命ですので、

 当面は様々な政治式典、行事に関しては免責されます」


 事務的な言葉が続く。だがそれが、むしろ“逃げ場のなさ”を物語っていた。

 エリュシアははっと、顔を上げると、波打つ瞳を抑えて語気を荒げた。


 「なら一体、どういう意図があって

 エリオスを公爵にしたのッ!」


 怒りとも悲しみともつかぬ、揺れた感情がぶつけられた。


 「我々が意図を知る必要はございません。

 大陛下が下された、それが全てにございます」


 ランハルトは冷静に、そして運命を受け入れる様に、と

 言わんばかりの口調で返す。


 「……それで、エリオスを手駒にしたいって訳?」


 「答えかねます」


 鋼のように揺るがぬ返答。

 感情の余地は一切与えない。

 それが、王国に仕える者の姿勢だった。


 エリュシアの肩に、メレーネがそっと手を置く。


 「大陛下のご意思となれば、これは既に王家の施策です。

  残念ながら、こちらの意志など、意味を成さないでしょう」


 静かな声だった。

 だがその言葉は、エリュシアの内側に深く刺さる。


 拳を膝の上で握りしめる。

 その震えは、感情の噴き上がりか、それとも無力さへの悔しさか。

 言葉にはならない。


 「領地も、家も、軍も全部借り物。

 つまり俺は、看板公爵ってところですか」


 エリオスは小さく笑った。

 つい最近、やってみると笑った言葉が、

 まさかこうも早く、現実に飲み込まれるとは思ってもみなかったのだ。

 だがその笑みに、納得も、誇りもなかった。

 ただ、悪あがきとするには、あまりに冷静だった。


 「面白い捉え方をされますね。

 そう受け取られても構いません。

 ですが、""公爵位""は看板ではございませんので、

 そこだけはご留意ください」


 ランハルトの丁寧な口調が、返ってエリオスのペースを狂わせた。


 どこまでも冷静。

 どこまでも合理的。

 それでいて、一切揺らがない。


 「それに、貴方を推挙された方々は、

 あなたの味方でもあり、責任を負う者たちでもあります。

 くれぐれも、家紋に泥を塗るようなことは無いようにお願いします」


 それは脅しではなかった。

 ただ一つの“忠告”として、そこにあった。


 その響きにエリオスは、

 もう後戻りはできないのだと、改めて自覚する。


 かつてエスメラルダが言った言葉が、

 皮肉にも、そしてあまりにも早く現実となった。


 ────私は貴方を "9番目の公爵" に推挙したいと思っております


 それは運命か、策略か。

 いずれにせよエリオスは、“公爵”にされてしまったのだ。

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