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第七話

  窓から差し込む陽光が、鏡の前に立つエリュシアの姿を照らしていた。

 深い青のドレスが、絹のように柔らかく波打つ。

 袖口には銀糸の刺繍が繊細に施され、

 細く締まったウエストには細かい装飾が控えめに光っている。


  エリュシアは鏡に映る自分をじっと見つめる。

 鮮やかに彩られた衣装、完璧な髪型、隙のない化粧。

 それはまるで「ラグナディア公爵家の次女」という仮面を被る儀式のように思えた。


 「……ため息をついても、待ってくれませんよ?」


 淡々とした声が背後から響く。

 メレーネだった。


 エリュシアは肩をすくめ、小さく笑う。


 「……わかってるわ」


 彼女は静かに髪を撫で、金の宝石が散りばめられたピンを整える。


 「王都に戻ってから、あなたが"本当の貴族"らしくなっていくのが分かります。」


 メレーネが鏡越しにじっとエリュシアを見る。


 「......皮肉?」


 「いえ、純粋な感想です」


 エリュシアは微かに唇を噛み、メレーネの視線を受け止める。


 「……やっぱり、外の世界には私の居場所はなかったみたいね」


 自嘲気味に呟くエリュシアに、メレーネは僅かに首を傾げた。


 「では、なぜ彼を選んだのですか?」


 その問いに、エリュシアは微かに目を見開く。


 「……何が?」


 「田舎者(エリオス様)です」


 メレーネは鏡越しにエリュシアの目を覗き込む。


 「最初は逃げるための駒だったはずです。

 それが今や、貴族社会に婚約者として引き入れている。」


 「……。」


 エリュシアは視線を落とし、指先でドレスの裾を弄んだ。

 一瞬の沈黙。


 「……出会いは最悪だったわ。」


 微かに微笑みながら、エリュシアは言う。


 「あの村で初めて会った時、彼は何者でもないって顔をしていた。

 私が何者かであることを知っても、彼は特別な敬意を払うわけでもなかった。

 むしろただの村人って顔をしてた」


 エリュシアは僅かに目を細める。


 「それが気に入らなかったのかもしれない。

 でも……同時に、それが"楽だった"のかもしれないわね」


 メレーネは静かに耳を傾けながら、問いを重ねる。


 「では、それだけの理由で王都に連れてきたのですか?」


 「そんなわけないでしょう?」


 エリュシアはふっと笑った。


 「彼は未知の魔法を使ったわ」


 メレーネの眉が僅かに動く。


 「未知の魔法……?」


 「そう」


 エリュシアはゆっくりと歩き、窓の外を見つめる。

 王都の街並みが、陽光の下で静かに広がっていた。


 「敗残兵(ジルヴァン)との戦いで見たわ。あの時間を遅らせるような奇妙な魔法……。」


 メレーネは黙って彼女の言葉を待つ。


 「普通の魔法とは違ったわ。力で押し潰すのでもなく、破壊するのでもなく……。

  魔法という存在そのものに干渉するような"魔法"だった」


 エリュシアの声には、確信めいた響きがあった。


 「魔法は、基本的に体系化されている。

 誰がどの系統の魔法を使えるのか、どんな特性があるのかすべて記録されているのよ」


 メレーネは頷く。


 「確かに、貴族の血統によって魔法の種類はほぼ決まりますね。

 如何に多種多様とはいえ、雑多な魔法ならいざ知らず、

 高位の魔法は基本的には体系化されております」


 「でも、エリオスの魔法はその枠組みの外にあるの」


 エリュシアはゆっくりと振り返り、メレーネを見据える。


 「だから私は、彼をここに連れてきたのよ」


 「……それは、自分の為にですか?」


 メレーネが問いかける。


 エリュシアは微かに笑った。


 「そうね、私の為でもあるわね......」

 

 鏡の向こうの瞳が、静かに揺れた。

──────────────────

  ラグナディア公爵家の大広間。

 壁には豪奢な装飾が施され、煌びやかなシャンデリアが光を放つ。

 この空間に足を踏み入れるだけで、"ここが貴族の領域"であることを痛感させられる。


 扉が開かれると、柔らかな絨毯の上を、優雅な足音が響いた。

 入ってきたのは、ヴィクトール・フォン・ファルクス——ファルクス侯爵家の嫡男。

 端正な顔立ちに、整えられた金髪。

 深紅の刺繍が施された白の礼服は、彼の格式の高さを誇示するものだった。


 「……これはまた、随分と面白い話を聞いたものだ」


  彼は微笑を湛えながら、ゆっくりと歩みを進める。


 「エリュシアが戻ったと思えば、"新しい婚約者"を連れてきた、とな」


  その視線が、すっとエリオスへと向けられる。

 一瞬にして、空気が変わった。


 「——君が、エリュシアの ‘新しい婚約者’ か?」


  ヴィクトールは微笑を崩さず、ゆっくりと口を開いた。

 その声音はあくまで柔らかい。

 だが、その奥には、試すような鋭さが含まれていた。


 エリオスは静かに視線を合わせる。

 「新しい婚約者」——つまり、元はこの男がエリュシアの婚約者だったということ。


 「……そうだな」


 エリオスは、無駄に飾ることなく、短く返す。


 ヴィクトールの眉が僅かに動いた。


 「……ほう?」


 その反応が、彼には少し意外だったらしい。

 もう少し狼狽えるか、何か言い訳をするかと思っていたのかもしれない。


 「貴族ではなかった君が、どうやって彼女を射止めたのかな?」


 ヴィクトールの唇が、ゆっくりと弧を描く。

 その目には、はっきりとした"値踏み"の色が浮かんでいた。


 「......少なくともマシだった、って事じゃないか?」


  エリオスのその言葉に、一瞬ヴィクトールの眉が僅かに動いた。

 次の瞬間、彼は愉快そうに笑った。


 「ハハハッ、そうか、そうだったな!」


 ヴィクトールは軽く手を広げる。


 「確かにマシだったかもしれないな」


 彼はゆっくりと歩み寄りながら、楽しげに言葉を続ける。


 「だが”マシ”というのは”最低限”ということでもある」


 エリオスはヴィクトールの言葉を静かに聞く。

 彼の声は穏やかだが、どう取り繕っても目の奥には怒りが見える。


 「貴族というものは最低限ではなく"最良"を求められる存在だ。

 "妥協" など存在しない世界で生きる……。それが私たちだ」


 エリオスは無言のまま、ヴィクトールの言葉を受け流すように聞いていた。


 「……まあ、庶民には難しい話だったかな?」


 ヴィクトールは目を細める。

 そして、一歩前に出ると、ゆっくりと右手を差し出した。


 「だが、ここは貴族社会だ。

 こういう時、握手を交わすのが礼儀だよ」


  わざとらしい仕草。

 周囲にいた数名の貴族たちも、そのやり取りに注意を向けている。


  エリオスはその手を躊躇なく握り返そうとする。

 しかし、この握手が単なる挨拶のためのものではないことは明らかだった。

 ヴィクトールの瞳は微かな光が宿り、

 さながら相手の出方を楽しむかのように細めた。


 (まあ、望み通りにしてやるか……)


 エリオスは無言のまま、その手を取ろうと——


 ——その瞬間、手が"止まった"。


 「……?」


  ヴィクトールの手が"固まる"。

 それは、わずかに触れるかどうかの距離だった。

 だが、エリオスの手に近づいた瞬間、手が凍り付いたかのように動かない。


 「......どうした?」


 エリオスは目を細め、わざとらしく首を傾ける。

 握りつぶす程の力と強化魔力を込めているヴィクトールの手は、

 まるで "凍りついた" かのように動かない


 「......握手は"礼儀"なんじゃないのか?」


  周囲の貴族たちが異常を感じ取り、僅かにざわつく。

 ヴィクトールは一瞬だけ表情を崩しかけたが、すぐに微笑みを取り繕う。


  周囲の貴族たちが僅かにざわつく。

 ヴィクトールは一瞬だけその完璧な表情を崩した。


 (……何だ? 手が……動かない……!?)


  確かに、手を握り潰すつもりだった。

 魔力を込め"貴族と庶民の違い"を分からせてやるつもりだった。

 そしてエリュシアをモノにするのは誰がふさわしいか、と。


 だが、エリオスの手に触れる前に——手が硬直した。


 (これは……!?)


 エリオスは何もしていないように見える。

 だが、確かに"何か"が働いている。

 自身の魔力の流れが……鈍っている?


 ヴィクトールの額に、僅かに汗が滲む。


 「……庶民との握手は、あまりお気に召さなかったかな?」


  エリオスは微笑を浮かべながら、

 力を込めているはずのヴィクトールの手を普通に握り返す。

 もちろん、本当に力を込めているわけじゃない。

 あくまでも"普通に"だ。


 ヴィクトールは何故握り返せないのかが理解できない。

 (くそッ……なぜ握れない……!?)

 

  ヴィクトールの喉が僅かに鳴った。

 周囲の貴族たちが不思議そうにその様子を見守っている。

 彼らからすれば、"ただの握手" のはず。


  手の中のエリオスの掌は、何の抵抗もない。

 だが、それが"異常"だった。


  ほんの一瞬の攻防だったが、ヴィクトールの動揺は隠しきれなかった。

 彼はすぐに握手を解き、手袋を整える素振りを見せた。


 「……なるほど、興味深いな」


 取り繕った余裕の表情。

 だが、その手のひらには"じわり"と汗が滲んでいた。


 エリオスはやっぱり、といった表情で手を戻す。


 (普通に握手をしていればこうはならない。

 要するに"勝手に魔力を込めて、勝手に苦しんだ"ってところか……)

 

  ヴィクトールは、軽く指を動かしながら自らの手の感覚を確かめた。

 先ほどまでの違和感は消えている。

 だが、その一瞬の"硬直"が何だったのか、未だに理解できない。


 (……魔法か? いや、そんなはずはない)


 魔法は"視認"できるものがほとんどだ。

 発動すれば、魔力そのものの気配がある。

 だが、エリオスにはそれがまるでなかった。

 ただ自分の魔法も魔力も鈍り、思うように動かせなくなる——。


 (バカな……そんな魔法は聞いたことがない)


 内心の焦りを隠すように、ヴィクトールはふっと微笑を浮かべる。

 そして、肩をすくめながら軽く手を振った。


 「……いやなに、少し驚いただけだよ」


 エリオスは微笑みを浮かべたまま、ヴィクトールを静かに見つめる。

 その表情は、"何かを知っている" というわけではないが、

 "自分がしたことを特に気にしていない" という自信に満ちていた。


 「……そうか。なら、問題ないな?」


 ヴィクトールは微かに目を細める。

 貴族の流儀では、"何かを掴めなかった"時こそ、探るべき瞬間だ。

 そして、その"探り"を"遊び"に変えるのが上位貴族の嗜みでもある。


 「──いや、どうやら私は君のことを少し誤解していたようだよ」


  ヴィクトールは勿論、エリュシアを諦めてはいなかった。

 しかし同時に、新たに出現したこの(エリオス)に興味を示したのだ──


 そして同時に、強力な敵愾心が彼の心に生まれた。

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