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第六十八話

 部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、エリオスは思わず立ち止まった。


 そこは“衣装部屋”と呼ぶにはあまりにも広く、まるで一つの店......

 いや、王都でも最大級の仕立て屋を思わせる空間だった。


 壁一面に整然と並ぶドレス、

 色とりどりの布地が、虹のように広がるのだ。

 そのどれもが気品と技巧の結晶と言えた。

 エウラとエスメラルダが衣装の大河川に消えてから数十分。


 見繕ってきたのだろう、軽やかな足音とともに、2人が戻ってきた。


 「これ、ちょうどいい!」


 エリオスの前でくるりと回り、愛嬌を振りまく。

 エウラが選んだ一着は、深紅のワンピースに胸元には白いリボン。

 肩口から広がる短い袖やスカートの裾はふんわりと丸く、

 年齢相応の柔らかさを持つ反面、その西洋人形的な佇まいと、

 彼女の琥珀の瞳が不思議な調和を見せていた。


「ならよかったよ」


 エリオスが安堵したように頷くと、

 エスメラルダがしゃがみ込み、エウラと視線を合わせる。


「サイズを違えたようですわ。ごめんなさいね」


「いいよ!」


 即答するエウラに、

 エスメラルダは微笑みを浮かべたまま軽く頭を撫でる。

 エリオスはその光景にどこか暖かさを感じた。


「そうそう、お詫びに......」


 二回、手を叩いたその合図と共に、

 扉が開き、使用人たちが両手に盆を抱えて列をなして入室してきた。

 銀器に盛られた菓子は、煌びやかな宝石のような色と形。

 香ばしいバターと紅茶の香りが一気に部屋に満ちた。


 エウラの瞳が、表情が、ぱぁっと輝いた。


「この量、どこから......?」


 エリオスも思わず声を漏らす。


「晩餐会用に用意していたものですわ。

 とはいえ......いつも大量に残ってしまうので、

 これくらいエウラ様にお渡ししても問題ないですわ」


 その言葉を聞くなり、エウラは一心不乱にお菓子に手を伸ばし始めた。

 マナーも格式も、彼女にはまだ遠い世界のようだ。

 とはいえ、窮屈な思いをさせてしまったのは確か。


「エウラ、あんまり食べ過ぎるなよ?」


 微笑むエリオスに、エウラもまた満面の笑みで答える。


「残すのはまなーいはん!」


 茶菓子を口いっぱいに頬張りながらマナーを語る少女。


「あのなぁ......」


 苦笑いするエリオスを横目に、

 エスメラルダはそっと身を寄せ、耳元で静かに呟く。


「ふふ、美味しく食べてもらえる方が、幸せですわ」


 その声は、まるで愛玩動物に囁くような柔らかさで、

 言葉の裏に何を込めていたのか。

 しかし、肝心のエリオスには上手く伝わっていないようだった。


「それにしても、物凄い数の服だな」


 ドレスの棚を見渡しながら、エリオスが声を上げた。


「当家にも腕利きの裁縫師の方が大勢おりますので、

 作りたがるのですわ」


「まさか、これ全部......?」


「私の服ですわ」


「嘘、だろ......?」


 絶句するエリオスに、エスメラルダは優雅に肩をすくめた。


「これだけあると、着たことのないドレスもありますわ」


「それはそうだろうな」


「でも、どのドレスも似てはいても、決して“同じもの”は無いのですよ」


「これだけあれば何着かは同じものがありそうだけど」


「個性は被らないものですわ。

 例え同じものを作ったとしても......」


「......お気に入りの服とかはあるのか?」


「今着ているドレスですわ」


「即答か」


「ふふ、大勝負になりますからね?」


 冗談めかしつつも、その声音には真剣さが滲んでいた。

 エリオスは若干気圧されるが、

 いつものエスメラルダだと言い聞かせる。


 その時、控えていた使用人が一礼して声をかけた。


「エスメラルダ様、お時間迫っております」


「あら、もうそんな時間?」


 完璧な弧を描く足取りで振り向き、

 ひるがえるドレスの裾を払いながら、

 ちらりとエウラに目を向ける。


「エウラ様は──どうされます?」


「たべる!」


 両手で菓子皿を抱えるように答えるエウラに、

 エスメラルダは使用人を一人呼び寄せ、

 

「頼みましたわ」


 と小さく耳打ちする。

 そして本命と言わんばかりに振り向き──


「エリオス様、行きますわよ」


「──え、どこへ?」


 エリオスが思わず問い返すと、

 エスメラルダは楽しげに微笑む。


「どこへ? じゃなくて、貴方は“主賓”ですわよ?」


 その瞬間、流れる様にエリオスの手を軽く取って、

 2人はまるで"駆け落ち"するように部屋を出た。



◆  ◆  ◆  ◆



 大広間に敷かれた王羊毛の絨毯を踏みしめ、

 エスメラルダは濃紺のピアスを揺らし、

 蒼銀のドレスをひるがえして進む。

 その細い腕が、黒燕尾のエリオスの腕に絡みつく。


 舞台に今、登ろうとする2人に、

 貴族たちの視線が一斉に集まった。


「ちょっと、聞いてな──」


 舞台脇で足を止めたエリオスは、小声ですがりつく。

 けれどエスメラルダはうっすら微笑みを浮かべたまま、

 耳元で少しだけ楽しげに囁きを返した。


「あら、説明はしましたわ?」


「何の準備もしてないぞ!?」


 焦りを隠せぬ彼の声は、

 ざわめきや談笑の1つとなって消える。


「貴方は横で立っているだけで十分ですわ」


 凛とした一言が落ちた次の瞬間──


 二人は舞台袖の階段を踏みあがり、

 大広間でもひときわ高い“檀”へと姿を現した。


 エスメラルダと共に引き上げられてしまったエリオスと、

 舞台慣れしているエスメラルダが、

 誰の目から見ても対照的に映る。


「今宵この宴に、皆さまのご光臨を賜れましたこと──

 ロールスロイス家を代表し、心より感謝申し上げますわ」


 エスメラルダの澄んだ声が、天井の円穹に柔らかく反響する。

 無数の扇子が一斉に閉じられ、

 会場はひと息に静寂へ沈んだ。


「ご存じの通り、近頃、我らが王都は、

 幾たびもの混乱と試練に晒されてまいりました。

 なかでも、あの無惨にも破壊されました正門こそ──

 我らが“安寧”と“誇り”を象徴する、王都の顔であったはずです」


 スライドするように視線を動かし、

 彼女は堂々と王都貴族たちを射抜く。

 袖口にあしらわれた紺宝石が、淡く瞬いた。


「しかしながら、その混乱の渦中において、

 私たちはひとりの“真の英雄”を得たのです」


 言葉と同時に視線が隣りの青年へと誘導され、

 エリオスはメドゥーサに魅入られたかのように固まった。

 胸もとに集まる無数の視線は、名誉というよりただの眩暈に近い。


「エリオス・ルクレイ──

 彼は血統に頼らず、階級に甘んじることなく、

 あの“王都の門”に代わり王都を守ったのです」


 賛嘆とも畏怖ともつかぬ吐息が、観客席からふわりと漏れる。


 それはまさに、「「困惑」」の一文字だった。


 エリオスの耳には鼓動の音ばかりがやけに大きく響いていた。


「ゆえに私は、ロールスロイス次期当主として、

 ここに宣言いたします」


 宣言の予兆に、会場の空気が一瞬、真空めいて凍りつく。


「破壊された王都正門は、“修復”されるのではなく──

 エリオス様の英雄譚を讃える、記念碑として、

 我がロールスロイス家の私財を投じて“再建”させていただきます」


 放たれた一言は、鋼より重く、鈴より澄んだ音で着地した。


 次の瞬間、

 華やかな渦が静寂を飲み込み、嵐のざわめきへと反転する。

 ロールスロイスが私財を投げ打つ価値があると認めた。

 それは、庶民を公爵が認めるという前代未聞の"珍事"──


 その一幕を静かに見ていたメレーネが細く笑った。


「してやられましたね……」


 その呟きは、冷ややかな敗北感よりも、

 ここまでやるのか、というある種の敬意。

 純粋な称賛に近いものがあった。


「何よコレ、まるで婚約披露みたいじゃない」


 肩を震わせるエリュシアの声は、

 悔しさと切なさを混ぜたような熱を帯びる。


「ええ。タイミングも舞台設計も完璧ですね......」


 メレーネは舞台の灯を映す瞳で、

 “全て計算ずく”の演出を見抜きつつ、

 掌のうちを読むほどの余裕はもはや失われていた。


「でもエリオス......何も知らないまま立たされてるわね」


「事前説明する暇なんてないでしょうが、

 それも織り込み済みでしょう......」


 吐息混じりの言葉を交わし、

 二人の視線は揃って舞台へ釘づけになった。


 舞台の上で、月明かりのような照明に照らされて並び立つ二人。

 完璧なドレスに身を包んだエスメラルダと、

 その隣に無防備に立たされるエリオスの姿が、

 まるで“対”のように映る。


 エリュシアは両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。

 胸の奥が、じわりと熱を帯びて"痛み"となる。


「いつもそう。気づいたときには中心にいるのに、

 自分が選ばれてるってことだけは分かってない」


「その通りだと思います」


 メレーネが静かに頷く。


 そして更なる動揺が、群衆の先頭から波のような広がりを見せる。

 2人は何事かと周囲を見回すと、 

 舞台袖から一人の男が舞台に歩み出るのが見えた。


 礼装の裾が揺れ、

 コツッ、コツッ、と靴が床を打つ気配が遠雷のように響いている。


 エリュシアは息を飲み、目を見開いた。


 「な、なんで......?」


 エリュシアはその男の正体を知っていた。

 そして同時に、次に起こる出来事を

 静かに見守るしかなかった。


 そして、僅かではあるが、

 エスメラルダの唇の端が歪んだのを、

 メレーネは見逃さなかった。

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