第六十七話
ロールスロイス家主催の晩餐会。
王都正門破壊──という衝撃がまだ街の空気に残る中、
壮大に行われたこの催しは、ただの社交の場ではなかった。
多くの貴族たちは、より正確な情報を求め、
この夜会へと足を運ぶ。
熱気に包まれた会場の空気は、
まるで氷と炎が拮抗するかのような奇妙な緊張を帯びていた。
そこに招かれた4人──
エリュシアとメレーネが並び、少し後ろにはエリオスとエウラが続いている。
エウラはエリオスの側から離れず、
手をしっかりと繋いでいた。
エリュシアは少し顔をしかめ、隣にいるメレーネに声を潜めた。
「エウラも呼ぶなんて、エスメラルダは何を考えているのかしら」
メレーネは視線を前に向けたまま、落ち着いた口調で答える。
「少なくとも、なにか思惑はあると思います」
「最近は、本当に何を考えてるのかが分からないわ」
「いや、恐らくある一点においては、ずっと変わらないと思います」
「ある一点……?」
「エリオス様ですよ」
その言葉に、エリュシアは一瞬言葉を失い、目を伏せる。
「……」
「ただ言えるのは、エリュシア様とは
性格が違いすぎると思います」
「ど、どう言う事──?」
「政治を巻き込んで包囲する策略家……私にはそう見えます」
エリュシアの足がわずかに止まる。メレーネは続けた。
「目的はもっと、奥にある。そんな予感がするのです……」
「そう、ね……」
その後方では、エリオスが淡い水色の
ドレスを着たエウラと並んで歩いていた。
エウラは慣れない衣装に身を包み、
どこか窮屈そうにしている。
「……この服、やっぱりきつい……」
「エスメラルダが送ってきたドレス、やっぱり細すぎたか」
「大丈夫……大人しく、してる、してる……」
「辛くなったらすぐ言うんだぞ?」
エウラは無言でこくりと頷く。
やがて一行は会場へと足を踏み入れた。
──ロールスロイス家の大広間。
鏡面仕上げのラピスラズリブルーの大理石床が、
来賓たちの姿を淡く映し出す。
氷に閉ざされた湖面を模したその床は、
動くたびに貴族たちの姿を対称に反射し、
その歩みの品位までもが試されるようであった。
天井には、霜細工の装飾が円を描き、
その中心には“雪原と女王”を描いた壮麗な天井画。
中央から吊るされた魔導式の氷細工シャンデリアが、
蒼光を揺らし、熱気を覚ますかのような光が広間を満たしていた。
室内にはほのかに沈静効果を持つ香が焚かれ、
壁に並ぶ歴代の公爵肖像画が、
貴族たちの視線を厳かに受け止めている。
柱は銀樹を模した彫刻で囲まれ、“不変の血統”を主張していた。
その中には、既に若きエスメラルダの肖像も含まれている。
広間に響く弦楽の調べ、冷たい光に満たされた空間は、
まさに"ロールスロイスの象徴"
そして珍しそうなものを見るかのようにゆらりと現れた、
ハニーブロンドの髪を持つ高身長の男──
ナサニエル・フォン・クライスラ公爵。
「ご機嫌よう、ナサニエル公爵閣下」
「……おや、ラグナディア家の"雷光"ではないですか。
空は晴れているのに、何かが起きる予兆ですか?」
「ら、らいこう……??」
「流石はナサニエル様ですね……」
メレーネが半ば呆れたように呟く。
エリオスが笑みを堪え、エリュシアが軽く咳払いをした。
「はは、冗談です。
あなたが“王都のために戦った”ことは聞き及んでおります。
もし、私のような風まかせの男ばかりなら、
王都は今頃、砂の城になっていたでしょう」
ナサニエルは軽く両手を広げ、あくまで軽妙に笑ってみせる。
不思議と嫌味を感じさせないのが上手い男だ。
「あ、ありがとうございます」
「そういえば、ご婚約されたとか。
お相手が“庶民”という噂──真実ですか?」
ただの確認作業にしては、刃のように鋭い。
それは「どこの家と繋がるつもりか」を探る、
貴族社会ならではの探査だった。
「はい。こちらの──」
エリュシアがわずかに口を開きかけたその瞬間、
ひと足早く、落ち着いた声が割って入る
「エリオス・ルクレイと申します。初めまして、公爵閣下」
その立ち振る舞いには一切の無駄がなく、
それでいてどこか"場慣れ"している事を感じさせるものがあった。
ナサニエルは目を細めて小さく感嘆する。
「初対面とは思えない落ち着きようですね。
こちらが庶民とは──いささか信じがたい」
「恐縮です」
型通りの礼を返すが、庶民の肩書がこれを強調する。
メレーネはガッツポーズ、エリュシアはどこか誇らしげだ。
そして、表情を和らげたナサニエルが言葉を続ける。
「君と私は、少し似ている気がします」
「……と、言いますと?」
「私もまた、王都“の外”から来た者です。
我が家は……900年前、この地に辿り着いた」
声には誇りがあり、だが同時に歴史の響きもあった。
エリオスは静かに眉を寄せる。
「外、ですか」
「王都の1000年貴族とは違って、
当家は900年前にこの王都に来たようで、
先代たちは“西方の異界”から香辛料・香料を持ち込んだ
“異端の風”と言われて最初は余所者扱いされていてね」
周囲の貴族たちの一部が、わずかに視線を逸らす。
「異端」という言葉は、王都では今なお慎重に扱われる響きだった。
「香料や香辛料は必需品なのに、何故でしょうか?」
「“新しい常識”というのは、得てして嫌われるもの。
便利や驚きは、人を変えるが
──それまでの秩序を“壊す”ことにもなる」
ナサニエルの言葉に、エリオスの胸の奥が静かに反応する。
まるで、自身の魔法の在り方に重ねられるように。
「新しい、常識……」
「変化というものはいくつか種類があるけれど、
そのほとんどは最初は疎まれるもの。
でも便利や感動は人を徐々にドミノのように動かす力がある」
その声は、どこか未来を語る者の響きを帯びていた。
血統の歴史に基づく確信──
エリオスは静かに頷いた。
ナサニエルはふっと、エリュシアの方へと視線を向ける。
そして、柔らかな声で続けた。
「あなたは、“正しさ”を選び取る術に長けている。
だからこそ、時に間違えることを恐れてはいけませんよ」
「……ハイ」
言葉を飲み込むように、エリュシアが頷いた。
そしてエリオスへゆったりと歩み寄る。
「エリオス君。君は王都に吹き込む“新しい風”だ。
……あとは、どこまで吹き抜けるかを楽しみにしています」
ナサニエルはエリオスの肩を軽く叩き、
ナサニエルは背を向けて去っていく。
エリオスの肩には僅かな熱がこもった。
そして──────場の空気が再びざわめく。
主賓たるロールスロイス家の令嬢
"エスメラルダ"が姿を現したのだ。
「お待ちしておりましたわ、皆さま」
蒼銀のドレスが揺れ、彼女が一歩踏み出すたび、
会場の空気が“支配”されていく。
その晴れ晴れとした笑顔に、周囲の貴族は心を絆される。
だが、その態度にあえて鋭い言葉をぶつける声があった。
「今日は何の企みがあって?」
エリュシアの言葉に、眉をピクリとさせるが、
彼女は取り繕うのが兎に角うまい。
「そんなことは考えておりませんわ」
完璧な微笑を浮かべながらの返答。
その言葉が真実かどうか、判断できる者は誰もいなかった。
──その時、エウラがエリオスにもたれかかる。
「ああ──すまないけど、エウラの服を変えてもらえないか?」
「あらあら、“やはり”きつかったでしょうか?」
「そうらしいんだ」
「分かりましたわ。服ならいくらでも揃えておりますので」
エスメラルダは軽やかに微笑み、エリオスとエウラを
連れて場を離れていく。
その様子を見送りながら、メレーネがぽつりと呟く。
「ラグナディアでも服は用意できましたけれど、
なぜ向こうから服を送ってこられたのでしょうか」
メレーネの声には、普段の冷静さに微かな疑念の色が混じっていた。
彼女の目は、すでにエリオスたちの姿が消えた方角へ向いたまま、
じっと静かに、何かを探るように揺れていた。
「服に何か不自然な事はあった?」
「確認はしました。 普通のドレスでした」
そう答えながらも、メレーネは自分の言葉にわずかに引っかかりを感じていた。
確かに布地も、裁縫も、魔力の状態も不審はなかった。
至って普通の最上級ドレス。
だが、なぜ「こちらが用意するよりも先に」向こうから送られてきたのか。
──そして、エスメラルダともあろう人物が、
ややきつめのドレスを間違えて送るのだろうか?
いや、むしろその“順番”にこそ、意図が隠れているのではないか。
「この大広間に合う色、として送ってきたのだと
思ったけれど、何か違う気がするわね」
エリュシアの言葉を咀嚼するように聞いたメレーネ。
色の指定、キツイと訴えるエウラがエリオスを頼るのは容易に考えられた。
それをエリオスが解決しようとすることも当然、予想の範囲内だ。
そしてこの場にエウラほどの子供は招待されていない────
──瞬間、瞳に閃光が走る。
(まさか、エリュシア様からエリオス様を離すつもりじゃ……!!)
心の警鐘が鳴り響く。
だがすでに、その姿は人混みに紛れ、視界から消えていた。
メレーネは組まれた手を強く握るが、その感情を表に出すことはなかった。
ただ、胸の奥に生まれたつっかえを、
ゆっくりと、静かに飲み込むしかできなかった。




