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第五話

  石造りの床には豪華な絨毯が敷かれ、天井からは芸術的なシャンデリアが光を落とす。

 壁には精緻な彫刻や金箔が施され、額縁に収められた貴族の肖像画が整然と並んでいる。


 「……すごいな。」


 思わず呟いたが、すぐにエリオスは眉をひそめた。

 「本当に、これが"生活空間"なのか?」


 「いえ、ここは単なる"応接室"です」


 歩みを止めずに言ったのは、先導していた付き人の少女・メレーネだった。 

 次の扉まで歩き終わると、彼女は涼しげな表情で振り返る。


 「ラグナディア公爵家は、王都貴族の中でも最高位の一角。

 これくらいは"当然"ですよ?」


 エリオスは苦笑した。


 メレーネは自らの体格の数倍もあるような巨大な扉を押し広げる。


 「こ、これは......」

 

  天井は高く、広がるアーチはまるで大聖堂のように荘厳だ。

 部屋を構成する白の大石は磨き上げられ、まるで鏡面である。


 天井から吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリアは、

 まるで人工的に作られた夜空に輝く星々を凝縮したかのような立派なものであり、

 無数の光が煌びやかに乱反射し、壁に映し出される影すらも芸術的だ。


 壁には壮麗な油彩画が飾られ、貴族の歴史を物語るように並ぶ。

 足元には豪奢な紋様が織り込まれた絨毯が広がり、

 踏みしめるたびにわずかに沈み込む感触が伝わる。


 空間全体が、言葉では表せない静謐な威圧感を放っていた。


 「足を止めるにはまだ早いのではないでしょうか、"婚約者"様?」


  明らかに歓迎されていないのは分かっているが、こんな広い建物。

 迷子になったら悲惨である。


  「……広すぎて逆に落ち着かないな。」


 部屋全体を見渡しながら、エリオスは正直な感想を漏らした。


 メレーネは足を止めることなく、静かに首を傾げる。

 「落ち着かない、ですか?」


 「庶民の家は......なんていうんだろうな。

 こういう"見せつけるための空間"じゃなくて、もっと生活感があるんだよ。

 そこに落ち着く要素があると言うか」


 「なるほど、そうですか」


 メレーネは短く返すと、そのまま静かに歩き続ける。

 まるで、それが感想に値しないとでも言いたげな態度だった。


  エリオスは"少なくともここではこれが普通"なのだと言い聞かせ、

 結局それ以上は何も言わずについていくことにした。


  やがてメレーネは目の前の扉を押し開いた。

 中から、微かに心地よい香りが漂ってくる。


 「こちらが、エリオス様の部屋です。」


 言われて中へ足を踏み入れた瞬間、エリオスは言葉を失った。


 「……俺の、部屋?」


  白を基調とした壁に、金の装飾が施された柱が立ち並び、天井には繊細な細工が施されている。

 部屋の奥には広々としたベッドがあり、その上には雲のような絹のシーツがかけられていた。

 その周囲には、読書用の大きなソファセット、煌びやかな暖炉、そして広大な窓が並ぶ。

 窓の外には、王都の街並みが一望できるバルコニーまで付いていた。


 「……いや、すごいな。」


 思わず本音が漏れる。


 「当然です」


 メレーネは淡々と言い放つ。


 「エリュシア様の婚約者である以上、それに"相応しい環境"で過ごしていただきます」

  

  メレーネは部屋の一画の巨大なタンスに向かい、扉がゆっくりと開く。

 内側には貴族らしい気品を纏った衣服が整然と並んでいる。


  繊細な刺繍が施されたジャケットは、細部に至るまで緻密な技巧が光り、

 柔軟な生地のシャツは触れるだけでしなやかさが伝わる。

  下段に揃えられた黒のロングブーツは、艶やかな光沢を放ち、

 その上品な作りが一目で上質なものである と分かるほどだった。


 「……これを、着るのか?」


 エリオスは思わず呟く。


 メレーネは静かに頷き、淡々とした口調で応じる。


 「一応"婚約者"ですからね?相応の装いを整えるのは当然のことです」


  エリオスはゆっくりとジャケットに手を伸ばし、指で生地をなぞった。

 表面は豪奢な装飾に彩られながらも、思いのほか軽やかで、しなやかだ。

 装束に求める華やかさと、機能性の両立が見事に成されている。


 「意外と……というか生地がかなり軽い」


 メレーネの表情は変わらないまま、冷静な声で説明を加える。


 「 魔力流動を最適化する繊維が織り込まれています。」


 「魔力流動?」


 「貴族の装備はただの飾りではありません。

 魔法を扱いやすくする補助機能を備えているものが多いのです。」


  エリオスは半信半疑のまま、改めて生地を指先で確かめた。

 そして、実際に袖を通してみた瞬間、ふわりと身体が軽くなる感覚が広がる。

 まるで内側に流れる魔力が滑らかに巡るように、全身が自然と馴染んでいくのを感じた。


 「……すごいな」


  思わず漏れた言葉に、メレーネは微かに口元を緩める。


 「当然です」


  その声音には、わずかな誇りが滲んでいた。


 「──服を整えたなら、次は"振る舞い"ですね」


  案内されたのはダイニングホール。

 部屋の手前から奥まで巨大な長テーブルが広がるこの部屋に、僅か2人。

 

  メレーネが、静かに椅子を引く。

 エリオスは促されるままに座ると、銀の食器が並べられる。


 「貴族の食卓では "無作法" は "無価値" を意味します」


 「え......そんなに大げさな話なのか?」


 「例えば、ワインを飲む際の角度が悪いだけで

 "成り上がり"と嘲笑されることもあります」

 

  村とは違いおおらかさが貴族社会には無いのだ。

 エリオスはナイフとフォークを手に取るが、

 メレーネは即座に眉をひそめた。


 「違います。その持ち方では”田舎貴族”にすらなれませんよ」


 「はぁ……?」


 「こちらの角度で、指の位置をここに。スプーンはこの向きで……」


 メレーネは手を添え、エリオスの指の位置を微調整する。

 わずかに冷たい指先の感触に、エリオスは思わず肩をすくめた。


 「……こんな細かいことまで、貴族は気にするのか?」


 「 振る舞いもまた、価値なのです」


 メレーネは静かに言う。


 「王都(アルサメル)では "所作" 一つで、人の ‘格’ が決まります」


 「むしろ庶民は”正しく食べる事”なんて気にしないぞ?」

 

 「庶民の正しさは、貴族社会には一切関係ありません。

 貴族は”庶民を統べる者”であり、その”振る舞い”が庶民の生き方すら決めるのです」


 エリオスは小さく息を吐いた。


 (……これはエリュシアも逃げ出したくなるのが分かる気がする)


 「またですか。

 ほら、食器の持ち方が──」


 

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