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第三十七話

  松明が壁に三つ、揺らめくだけの質素な空間。

 だが、その中心には重々しい気配が立ち込めていた。


 机の上には地図。王都アルサメルと辺境を結ぶ補給路、

 魔王城と化したシュタルク要塞を守る鉄壁の布陣図。

 それらを見下ろす男――グリフォードの視線は、

 ある一点に釘付けになっていた。


 「……イゼルカは、もう戻らないよ」


 それは事実であり、希望でもあった。

 彼女がいない今、東部辺境は穴となる。

 そこへ“最適な破壊者”を送り込めば――


 ──東部辺境の秩序は全てが崩れる。


 グリフォードは、背後の気配に目だけを向けた。

 扉が音もなく開き、入ってきたのは、一人の少女。


 琥珀の瞳。茶と白が混じる淡い髪。

 その顔には、やはり表情というものが乏しかったが――

 それでも、グリフォードは確かに“熱”を感じた。


 (コイツは、“あの名”を聞けば、必ず動く)

 グリフォードはこの化け物をコントロールできる一言を知っていた。

 そして意図的にゆっくりと、その名を口にする。


 「……辺境に、いるらしいんだ。――エリオスが」


 沈黙。


 だが、空気が僅かに震えた。

 エウラの瞳が、わずかに見開かれた。


 「……いるの?」


 その問いは、掠れるような小さな声ではあったが、

 間違いとでも、うわ言とも言ってしまえば、

 今ここで斬殺されかねない波動を持っている。


 「……あの時みたいに、また?」


 エウラの声が、かすかに震えた。

 それは恐れではない。まるで、“期待”のようだった。

 グリフォードは好都合、とばかりにゆっくりと自信をもって頷く。


 「……ああ、はやく、会いに行かなくちゃ」


 踵を返し、扉を締めずに部屋を飛び出していく。


 「ククク......これは、“観測可能な恋”……かしらねぇ」


 古びた木製の椅子に腰かけ、

 ペンを弄んでいたクラナが

 椅子の上でくるりと一回転する。


 「うーん、やっぱり楽しいわ!

 “恋”って、もっとこう……胸がきゅーっとなるって本で読んだけど……

 違うものねぇ。

 きゅーじゃなくて、“ずぶっ”って感じ。刺さるような恋情?」


 「......それは殺意ダネ」


 ジルヴァンが苦笑混じりに応じる。

 その瞳は、未だ揺れている霧の残り香を、どこか遠く見つめていた。


 「まあ……戦いには誰しも理由が欲しいしネ」


 「ふーん。でも、本当に“理由”が戦場に必要?

 生きるためとか、生まれつき強かったからとか……

 それで十分じゃない?」


 クラナの問いは、本気で気持ちを理解できていない。

 彼女にとって感情も動機も、

 すべて“観察対象”にすぎない。


 グリフォードが、そんな二人のやりとりを無遠慮に断ち切るように言い放った。


 「……くだらないなぁ」


 その声音は乾いていて、情の欠片もなかった。


 「どんな動機で動こうが、

 思った通りに“破壊してくれれば”それでいいよ。

 恋だの感情だの、“道具”に余計なものをつける必要はないね」


 ジルヴァンの眉がぴくりと動いた。

 それを察したかのように、グリフォードは続ける。


 「それに辺境の秩序が崩れれば、こちらの手数は一気に広がる。

 ……もしエウラが壊れても、

 それは消耗品が消えただけの話だしさ」


 クラナは、グリフォードを見てにっこりと笑う。

 だがその瞳に浮かんだものは、

 知的な好奇心だけ――人の情ではなかった。


 「わぁ、まっすぐな利己主義ね。好きよそういうの。

 でも、“作品”が壊れたら、私泣いちゃうかも」


 「泣けるのか、君が?」


 ジルヴァンが苦笑気味に問うと、クラナは楽しそうに首を傾げた。


 「失礼な!涙腺はあるもの。

 ただ、使ったことないだけよ?」


 その言葉に、場がほんの一瞬だけ静かになった。

 笑えもしない空白が、息を飲むように重なる。


 ジルヴァンが、重く呟いた。


 「……エウラがもし、“愛”を知ったらどうなると思う?」


 クラナが首をこてんと傾ける。

 その問いは彼女にとっては思ってもみなかった視点だった。


 「愛……ねぇ? 定義、難しいわよね。

 人間の脳が、“不可逆な快楽回路”に陥ること、って書いてあったわ。

 でも……見てみたいかも」


 「何を?」


 「“人が誰かを愛した時に、どこまで壊れるのか”ってこと」


 その言葉に、ジルヴァンはしばらく黙った。

 

 沈黙が落ちたその瞬間――

 空気を破るように、軽やかな音が響いた。


 「はいはーい、質問です!」


 グリフォードが両手をひょいと上げ、

 まるで茶化すような口調で割って入る。

 椅子の背もたれに体を預け、靴のかかとをカン、と打ち鳴らした。


 「“愛を知った兵器”がどうなるか……とか、

 “人が壊れる”とか……いやぁ、哲学だね!」


 わざとらしく肩をすくめると、

 クラナの方へ視線をやり、にやりと笑う。


 「……でもさ。

 その“壊れるかも”って兵器を、

 シュタルクの時に間に合わせたじゃん?

 あ、いや、クラナちゃんは“作品”って呼んでたっけ?」


 「ふふっ、そうよ。“作品”が“兵器”になるの。

 それってすっごく、芸術的じゃない?」


 クラナは悪びれる様子もなく微笑む。

 だがその笑みにも、やはり“情”はない。


 「芸術かぁ……」


 グリフォードは鼻を鳴らし、ぽんぽんと指で机を叩いた。


 「じゃあ、“壊れても味が出る”ってやつじゃん?

 ほら、割れた茶碗を金で継ぐあれだよ。

 ……なんだっけ、金継ぎ? 金つぎ?」


 「修復美学まで持ち出す気?」


 ジルヴァンが呆れたように言うと、

 グリフォードはにっこりと笑い、両手を広げてみせた。


 「違う違う。俺が言いたいのはね?

 どれだけ壊れようと、“使い道”があれば、

 それでいいってことさ」


 「相変わらず、まっすぐに非道だねぇ!」


 「誉め言葉、ありがとう!」


 グリフォードは楽しそうに目を細める。


 「だってさ。恋をして壊れるかもしれない?

 ……いいじゃん、壊れても。

 壊れたら、“ああ、やっぱり駄目だった”って笑えばいいのさ」


 ジルヴァンはふと、それは違うという表情をする。


 「“笑える”かどうかは、エウラのほうだロ?」


 「やだなあ、そういう事にするんだよ。

 知ってる? “残った側”が思いも何もかも全部決めるんだよ、戦いって」


 それは軽く、冗談のような言葉だった。

 けれどそこには、確かな戦いの冷酷さと“現実”が混ざっていた。


 クラナがそんなグリフォードを見つめながら、楽しげに言った。


 「あなたってほんと……“魂のかけら”も感じないのよねぇ」


 「えっ、あるよ? 今朝なくしたけど、

 ポケットにひと欠片ぐらいはあったって信じてる」


 「ひとかけら? ホントにぃ!?」


 クラナとグリフォードの狂人の如き笑いに、

 ジルヴァンはついていけない。


 「でもさ俺、わりと“万能”なの。

 破壊も計算も、愛も涙も、

 ちょっとしたユーモアで片付けちゃうタイプだから」


 「問題は、“片付けた後”に何が残るか、だネ」


 ジルヴァンの声には、かすかに棘が混じっていた。

 だがグリフォードは気にも留めず、

 壁の地図を見やると、指をパチンと鳴らした。


 「残るさ。“勝者”の記録がね。

 エウラを使って王都を脅せば面白いことになる。

 その後に魔王様がその筆を取るのか、

 別の"誰か"が上書きするのかは――」


 彼は、ふっと笑い、そして淡く呟いた。


 「――見ものだよね?」


 クラナはノートを閉じ、ジルヴァンは静かに壁に背を預ける。


 グリフォードだけが、どこか楽しげに鼻歌を口ずさみながら、

 次なる“計略”のページを、地図の上でめくっていた。

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