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第三十五話

 ──視界が歪み、そして静かに揺らぐ。


 石造りの壁に囲まれた薄暗い空間。

 淡い燭台の炎が壁に描く影は、不気味にゆらめき踊っている。


 「これで12回目の失敗……忌々しい……」


  低く響く、深い皺に覆われた老人の声が室内の静寂を破った。


 暗色のローブをまとった数名の術者たちが羊皮紙を手に並び、

 淡々と呪文のように記録を刻みつけている。

 鉄格子の向こう側には、無機質に表情を失った子供たちが佇んでいる。

 粗い麻布の衣に包まれ、首元には奇妙な紋章を刻んだ銀の首輪。


 理由も分からず俯瞰するメレーネの視線は、

 ボロボロの白衣を着せられた二人の幼子に吸い寄せられた。


 ──琥珀の瞳。


 銀髪の中に碧眼の光を湛えながらも、

 その瞳は人間離れした琥珀色の輝きを宿している。


 「……またしても龍の因子が馴染まぬのか」

 別の術者が抑えきれぬ落胆の息を漏らした。


 「後天的には、やはり......」

 若い男の声はやや良心の呵責があるかのような含みがあったが──


 「これが出来なければ意味はないッ!!」


 老人は苛立たしげに羊皮紙に記録を終えると、

 羽根ペンを机に叩きつけるように置いた。


 「すでに双子に龍の因子は完全に融合した。

  あとはなにが足りぬ?」


  静寂をかき消すように、

 か細いすすり泣きが石壁にこだまする。


 そっと視線を動かした先で、

 一人の少女が床にうずくまり、震えながら泣いている。

 メレーネは何故か胸が締め付けられるが、

 そこから目が離せない。


 「ええい黙れッ! “実験”が無駄になる!」

 

 冷たく叱責する声、足蹴にされ、少女はより

 身を縮めるように激しく震え続けた。


 ──あの子は


  少女は震える手をゆっくりと顔から外したが、

 髪の色も瞳の色も霧に包まれたようにぼやけて見えない。

 ただ胸元を必死に握りしめ、得体の知れぬ何かに抗っている。


 老人は鋭い瞳で部下らしき者達を見据え、無感情な声で告げた。


 「次の龍因子を用意せよ。必ずや『琥珀の瞳』を完成させるのだ」


 その言葉を聞き、床の少女はさらに怯え震える。

 助けたい──が、メレーネの体は縛られたかのように動かない。

 いくら悶えても、いくら身をよじっても、それは叶わない。

 次第に意識が薄れ、記憶がぼやけ始める。


 冷たく湿った空気、暗く陰鬱な石室。

 魔法陣が刻まれた床の上に立つ、

 琥珀色の瞳をした双子の少女。


 消えゆく記憶のなか、

 メレーネは胸の奥に鈍く熱い疼きを感じ続けていた────────


────────


 「これは──」


  荒く息をつきながら胸を押さえるメレーネを、

 戦場の喧騒が現実へと無慈悲に引き戻した。

 その時、イゼルカがふいに低く、しかしはっきりと呟いた。


 「……忌々しい」


 その声音には、怒りとも悲しみともつかない、

 冷ややかな感情が滲んでいた。


 「イゼルカ様......?」


 「理を歪め、命を模し、力のみを追い求めた愚か者どもめ……」


  "それ"はかつて彼女が“封じたもの”を模倣した──まがいものの龍。

 霧の奥で蠢く巨大な影が徐々に輪郭を作り始める。


 黒い霧は凝り固まりながら形を成し、やがて龍の姿をとりはじめた。

 だがその姿は歪み、中途半端でいびつなものだった。


 「……どうも、普通の魔物じゃないわね」

 

 エリュシアが剣を構えつつ、視線はまっすぐ霧の核へ。


  鱗の配置は不均等で、四肢は非対称。

 翼はねじれ、尾は途中で断ち切れたように短い。

 まるで“完全な龍”になり損ねたかのような異様さが、そこにはあった。


 「あの霧……魔力を吸収してますわね……」


 エスメラルダは剣をひと振りし、

 距離を取りながら冷静に状況を見極める。


 不吉を極める黒い霧の渦が地を這い、

 周囲の空間すら歪ませながらユラユラと浮遊していた。

 これはもはや“魔獣”の範囲に収まらない。

 命そのものを蝕む“災厄”の象徴──


 「知っている。これは──」


 ロガルトの額に一筋の冷汗が伝う。

 それはかつて東部辺境を襲わんとした、名を持たぬ災厄。


 『死霧龍(モルフォドラ)


 「──霊流を汚染し、“死霧龍”を真似た出来損ないがッ!」


 イゼルカの怒りに満ちた叫びが、霧を裂くように響いた。


 その声は、音ではなかった。

 言葉の形をした“衝撃波”だった。


  エリュシア、エリオス、エスメラルダが咄嗟に振り向く。

 そこには、尾を揺らしながら歩み出る霊狐姫の姿があった


 彼女の一歩で戦場が静まる。

 空気が凍りつくような、圧倒的な“沈黙”。


 霊流が逆巻き、空がわずかに震える。

 彼女の足元に展開された金色の霊符陣から、

 淡い光とともに浮かび上がるのは──幾重にも重なる幾何学模様。


 イゼルカが、ひとつ息を吐き、両手を前に出した。


 「《破撃・千裂衝》──」


 両手で柏手を打った次の瞬間、

 大気が一度だけ“沈んだ”。


 そして、龍の咆哮すら矮小化する断裂音。


 空間ごと破壊されたかのように、霧が断ち割られた。

 龍は何か抵抗をしようと一瞬たじろいだが、

 行動に移す前に空間ごと断ち切られて霧散した。


 「これが、イゼルカ様の……」


 マリアの震えるような声に、誰もが頷くしかなかった。

 これはもはや、“戦闘"という言葉では形容できない。


 ──やれやれ、と。イゼルカはわずかに息を吐いた。


 《破撃・千裂衝》は確かに強力な術式だが、

 彼女にとっては“切り札”ですらない。

 

 ......のだが、まさしく有無を言わせぬ"裁き"の一撃。

 小細工などは存在しない、単純で最も強力な"力" 


 (……たかが、模造品じゃ)


 そう、思ったはずだった──


 イゼルカの小さな肩が、わずかに揺れた。


 「……イゼルカ様?」


 マリアが駆け寄ろうとした瞬間、

 彼女の足元の霊流が“滲み”を見せる。

 金色の光がわずかに濁り、まるで油を垂らしたように渦を巻く。


 光は濁り、力は削れ、意思すらも僅かに霞む。

 イゼルカは術者としての経験則、いや、歴史を高速で巡らせる。


  ──否。


 これは術の反動ではないことはすぐわかった。

 だが、口元から紅が一滴、ぽたりと落ちる。

 

 「なんで──」


 エリュシアが叫ぶより早く、イゼルカは両膝をついた。

 マリアは彼女の背に浮かんでいたはずの霊力の流れに口元が震える。


 霊力の性質が、川のような整流ではなく、

 粘度の高い流体へと変わっていたのだ。


 「イゼルカ様、どうされたのですか!!」


 マリアが強く問う。


 「い、今すぐ治療を──」


 マリアの治癒の手が伸びるが、

 それを、イゼルカがそっと制止する。

 

 「……触れるな。これは……“内側”からの干渉じゃ」


 その言葉に、エリオスが目を細めた。


 「内側……?」


 彼女の金色の瞳が、わずかに伏せられる。


 (……貴様か。グリフォード・ヴェルナード)


 無礼な男。軽薄な言葉。だが、あれは“ただの道化”ではなかった。


 “無駄な足枷”──そう言った、あの言葉。

 それは、“理”そのものへの挑発だったのだ。


 (……理を足枷と笑い、己の浅知恵で刺す)


 (……まったく、忌々しい)


 彼女の両膝が地をついたとき、誰の目にもそれは“異変”だった。

 だが彼女の内では、それ以上のものが蠢いていた。


 (まさか、余の“内”に手を伸ばすとは……)

 

 「……よもや、ここまでとはのう」


 口に出た言葉はただの独り言。

 だが、それは滲む怒気の表れだった。


 しかし想像に反してこの一撃は重かった。

 イゼルカの脳裏には、既に覚悟の文字が浮かんでいた。


 (これは、“第一の一手”。)


 (……ならば、次は──もっと厄介になる)


────────────────


 ロウソクの揺れる実験室。

 そこに響くのは、くぐもった笑い声。


 「……効いたみたいだねぇ」


 グリフォード・ヴェルナードが、

 机の上に無造作に置かれた霊符を指先で撫でる。


 符は黒く、縁に歪な焦げ痕を残している。

 まるで、それが“誰かの内部”を焦がした証であるかのように──。


 「“符毒式”が間に合ってよかったよ。あたしの調整、完璧でしょ?」


  その隣では、クラナ・メルヴィッツが楽しげにシリンダーをくるくると回していた。

 不揃いなガラス器具、血の染みた羊皮紙、そして崩れかけた模型の山。

 “研究”の名のもとに放置された異様な物が、部屋の空気をさらに歪ませている。


 「ほんっと、さすがはクラナちゃん!」


  クラナは笑みを浮かべながら羽ペンを器用に指で弾き、

 ピタリと止めたペン先を机の上の鏡に向けた。


 「霊狐姫が“理”を通じて術を下すとき、

 その内部に仕込んだ“反作用”が跳ね返るのだぁ──!!」


 己が狂気を笑うクラナを見て、

 グリフォードもまた、どこか愉しげに口元を歪める。


 「失敗作、役に立ったな」


 「私の可愛い作品たちをすぐ失敗って言わないで!!」


  ふくれたように抗議するクラナに、

 グリフォードは「悪い悪い」と手をひらひらさせて笑う。

 だがその手には、一撃返したという確かな手ごたえがある。


 「でもさ、よく引っかかったよね」


 「”無駄な足枷”に縛られて、

 律儀に“理”に従うやつほど、刺さるもんさ」


 その言葉に、クラナはにんまりと笑みを浮かべながら、

 スケッチブックを取り出し、さらさらと書き記す。


 “イゼルカ・機能不全”


 あくまで冷静に、事務的に、それでいてどこか嬉しそうに。


 「第一の罠、成功ってことでいいよね?」


 ふざけるような声に、グリフォードも肩をすくめて応じる。


 「そういえば“第二の使者”……

 そろそろ“揺らぎ”が安定してきた頃合いじゃないの?」


 「うーん、まだ無理っぽいんだけどさ、でも──」


 ゆっくりと、唇が開く。

 声は、毒を含んだ蜜のように甘く。


 「“傑作”がまた会いたがってるんだよ。“彼”に、ね?」


 

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