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第二十話

  曇天の下、シュタルク要塞の廃墟は不気味な静寂に包まれていた。

 かつて難攻不落と謳われたその要塞は、既に第一城壁を破られ、

 第二城壁地区はほぼ壊滅し、

 第二城壁(シュタルク・リグ)そのものも遂に突破を許してしまう。


  第二城壁から第三城壁へと繋がる

 既に拉げた鉄城門を跨いだセラ隊。

 煙が立ちこめ、瓦礫と血の匂いが混じる。

 要塞内部に足を踏み入れた瞬間、エリオスの目に飛び込んできたのは、

 累々と転がる騎士たちの遺体だった。


 「......これは少し不気味ね」

 

 セラが低く呟く。

 

  拉げた甲冑、無造作に投げ出され、折れている鉄剣。

 そこかしこに肉片が飛び散り、騎士の腕や脚が無惨に転がっている。

 まさに破壊が徹底された地獄だ。


  第三城壁へと向かう歩みの一方で、

 その魔物の規則だった動きにセラもエリオスも違和感を感じた。

 魔物の群れは通常、強者を襲い、残った者たちを貪る。

 だが、この戦場には異様な"ルール"がある。


  「妙だ……」


 エリオスは思わず零す。


  「何がだ?」


 ロールスロイス家の伝令官カウフマンは、エリオスに視線をやる。


 「なにか気になる事があるか?」

 

  「もし魔物の襲撃なら、もっと無秩序に死体が散らばっているはず。

 けど、ここの遺体は

 

 ──まるで、戦術的に"押し込まれた"ように見えるな」


  それを聞いたカウフマンも、蒼鋼隊の面々も、

 各々惨状を直視し、その得体の知れない魔物の"統率された"であろう

 "証拠"に背筋を冷たい指が撫でたような感覚が走る。


  そう、遺体は要塞の奥に向かうほど"密集"している。

 まるで、魔物が計画的に騎士たちを追い詰めたかのように。


  「……まさか、魔物が戦術を使ったっていうのか?」


 カウフマンが信じられないといった表情を浮かべる

 

  「──いや、そうじゃないはず」


 セラが歩みを止め、天守方向を見やる。


  「もし魔物そのものに戦略を考える知性があるのなら、

  少なくとも"こんなこと"はしないはず」


  セラが指さした先に、一同の表情が強張る。

 無惨な姿となった”騎士”が吊るされていたのだ。

 血を吸い込んだ縄が軋みながら揺れ、

 まるでまだ抵抗しようとするかのように、死者の体を震わせている。


 ──見ろ、と言わんばかりに、誰もが目を逸らせぬ位置に


  「魔物を指揮している奴がいる……それも"人間"の指揮官......」


  セラの声は低く、乾いていた。

 感情を押し殺したような静けさの中に、凍てつく殺意が滲む。

 目を伏せる者、怒りに拳を握る者、静かに唇を噛む者。

 しかし、セラはただ"見つめていた"。

 まるで無機質な彫像のように、微動だにせず、吊るされた亡骸を睨みつけていた。

 だが、その目の奥に潜むものは──氷のように冷たい"激情"だ


  「──単に魔物退治とはいかないな」


  エリオスの言葉にセラは微かに瞳を細める。

 その眼差しは、まるで無機質な彫像のように冷え切っていたが、

 その奥底では、研ぎ澄まされた刃のような怒りが、

 過去の底からじりじりと燻っていた......


──────────────────

 

  第二城壁を越え、やや急な坂を登った先、

 エリオスはふと振り返る。

  

  ここからは要塞の周囲を広く見渡せた。

 眼下には、戦場を覆う紅霞が広がり、

 魔力の奔流が大地を苛烈に焼き尽くしている。


 ──まるで業火が降るかのように。


  轟音と共に広がる熱気が、はるか遠くまで波となって押し寄せる。

 大気すら震わせる圧倒的な力。

 それは、ただの魔法ではなかった。


 「ヴィンセント達も、よくやってるわね……」


 誰かが感嘆の息を漏らす。

 しかし、その声には"驚き"だけではなく、どこか"畏怖"の色が混じっていた。


 「……あれが、ヴィンセントの魔法……」


 呟くように漏れた言葉が、凄絶な光景の中に静かに消える。


 眼下に広がる戦場には、爆炎と光の残滓が踊り、

 魔物はまるで火をつけた紙吹雪のように、散っていく。


 "殲滅"


  それが、ヴィンセント・グリードという男が振るう魔法の本質。

 この魔法の嵐に巻き込まれ、生き延びられる魔物がどれほどいるだろうか。


  敵の増援が、これで一気に減る──そんな希望が、僅かに胸をよぎる。

 

 

 ──────だが、それと同時に、肌を撫でる冷たい戦慄が第六感を刺激する


 ズゥゥン……!


 低く響く咆哮が、空気を震わせた。


 「こ、これは不味いな......」

 カウフマンの声は震えていたが、それを隠そうともせず、

 彼は目の前の"怪物"を見据える。

 連隊員の叫びとともに、堂々と仁王立ちするその魔物──


 「剛腕牛魔(ミノグランツ)......!?」


 「嘘でしょう......?」


 赤黒い魔力を帯びた角、黒い鋼のような胸筋。

 筋肉が幾重にも隆起した巨体が、人間を見下ろしている。

 

 魔物の巨体が、こちらを捉えた——


 ズドォォォォンッッ!!


 大地を砕く轟音とともに、拳が振り下ろされた。

 地面が陥没し、爆風が周囲に広がる。


 「っ……!避けろ!」


 カウフマンが叫ぶも、その一撃はあまりに速かった。

 次の瞬間、彼の体が宙に舞う。


 「物理攻撃でこの馬鹿力──!?」


  エリオスも名前だけは知っていた魔物。

 もちろん村にこんな"兵器"のような魔物は来ることはない。

 彼らはその莫大な魔力や肉体を担保するために、非効率な事は好まないからだ。


  エリオスは空中でなんとか体勢を立て直し、三点で着地する。

 他の連隊員、ロールスロイス家の騎士たちも同様に甲冑姿にもかかわらず、

 特殊な身のこなしで着地をする。


 「セラ!こいつはどうすれば──」


  エリオスは叫びながら、剣を握り直す。

 しかし、その言葉を遮るように、ミノグランツは再び拳を振り上げた。


 「判断が遅いわね」


 セラの冷静な声とともに、槍の切っ先がわずかに光を帯びる。

 次の瞬間、彼女は槍を地面に突き立てた。


 「"グランドスパイク"」


 発動と同時に、大地が生きているかのように唸りを上げた。


  轟音とともに地面が裂け、無数の岩槍が鋭く突き上がる。

 そして、空気を切り裂くような破裂音が響き、

 衝撃波が砂塵を巻き上げ岩槍の群れが仁王立ちの巨牛へと殺到し──


 ゴォォォォン!!


  鈍い音とともに、岩槍は装甲表面で砕け散った。

 

  彼女の必殺とも言えるグランドスパイクが、完全に防がれたのだ。

 剛腕牛魔ミノグランツは、その巨体をわずかに揺らしながら、

 ニヤリとでも笑ったような錯覚を覚える。


 「嘘、だろう......?」


 鉄甲魔殻(アイアンシェル)

 ——物理攻撃をほぼ無効化する、防御魔法を帯びた装甲。

 上級戦闘魔法でもなければ傷すらつけられないほどの防御力......


  「……これは、やばいんじゃない?」


 蒼鋼隊の誰かが、僅かに震えた声を漏らす。


  (やばい、なんてもんじゃない。こいつを倒せるのは——)

 

  エリオスの脳裏にはヴィンセントのあの魔法が浮かんだが、

 天空大結界(シュトラール・シルト)が邪魔な存在となる。

 

  それを考える間にも、ミノグランツは腕を振りかぶる。

 巨腕の一振りには質量と魔法が込められた一撃──瓦礫と砂塵が乱舞する。


 寸での所でエリオス周囲の瓦礫は急減速し、難を逃れる。

 

 が......


  その一撃をまともに受けた者たちは、

 吹き飛ばされるように地面へ叩きつけられた。

 構えた盾は魔弾と化し、貫徹力を増した石垣の一部により貫徹され、

 鎧がひしゃげ、折れた剣が無残に転がる。


  「「がぁぁぁぁぁぁ!!腕、腕、腕がぁぁぁ!!」」


  叫びは絶え間なく響く。

 蒼鋼隊の精兵とはいえ血に濡れた地面の上でのたうち回るしかない......


  別の騎士も鋭く尖った瓦礫が、肉を裂き、深々と突き刺さり、

 剣を握る握力を担保できなくなっている。

 

  壁にたたきつけられた連隊員の一人が肩を抑えながら、

 震える手で何とか立ち上がろうとする......が、

 その足元に広がる赤黒い液体の広がりが、彼の"命の残量"を如実に示していた。


  「……立てない」


  呆然とした声が漏れる。

 それが何を意味するか、彼はすぐに悟った。


 "戦場で動けない者は、死ぬ"。


 ミノグランツの次の一手を避ける手段などない──────




 「「"とまれッ!!!"」」




 雷鳴のような声が轟き、空気が張り詰めた。

 大気そのものが凍りつくような感覚が環境を占める。


 魔力の奔流が制御を失い、腕の周りに纏わりついて靄のように動かない。

 それはまるで、不可視の力が魔法の秩序を取り上げ、

 時間の"概念"そのものを捻じ伏せたかのように——

 

 ──────ミノグランツの巨体が、不自然なほどに静止する。

 巨腕から正面に突き出されるはずの魔力の籠ったその拳が......宙で止まる。

 まるで重力すら失ったかのように、戦場の一角が"凍結"する


  「セラッ、今だッ!!」


  エリオスの力によって"停止"した隙をつき、

 背後を取ったセラの巨槍の一撃が、

 ミノグランツの左脇腹を正確に、そして無慈悲に貫通した。

 鈍く、肉と骨を砕く音が響く。

 魔獣の巨体が一瞬震え、沈黙が走る。


  「鉄甲魔殻(アイアンシェル)は魔力を帯びた外骨格。

 なら、魔法が止まれば単なる"骨"だ──」


  『ガァァァァァァァァ────!!!』


 轟く咆哮。

 それはこの魔物が味わう初めての"痛み"であり最後の"感覚"だった。


 ミノグランツの巨体が膝をつき、地面に叩きつけられる。

 地面に叩きつけられた魔物は、荒い息を一度だけ吐き——

 それきり、"完全に"停止した。


 「なんとか、なったわね......」


  ミノグランツを踏み越え、セラは血と土に染まった槍を無造作に振るい、

 付着した魔物の血を払い落とした。


 「なんとかなった、ありがとう」


  エリオスはそう言いながら、ゆっくりと肩の力を抜いた。

 剣を持つ手にじんわりと疲労が広がり、指先が鈍くしびれている。


  セラは僅かに警戒度を下げる。

 しかし、魔物の巨大な亡骸を前にしても、

 緊張の糸はまだ完全には解けなかった。


  ......エリオスはふと、視界の端が霞むのを感じた。

 身体の芯が微かに冷え、息を整えようと深く吸い込む。

 普段ならすぐに馴染むはずの魔力の流れが、わずかに鈍い──

 

  「……終わった、のか?」


  後ろで誰かが、息を詰めながら呟く。


 至る所に、傷ついた兵士たちが残っていた。

 

 「このままでは足手纏いになってしまう......」


  カウフマンもまた、足を瓦礫にやられたようだった。

 彼の鎧は砕け、傷口から血が溢れている。


 「エリオス君と言ったな、先程はすまなかった......」


 「何のことだか分からないな」


 「いや、そうか......ありがとう」


  カウフマンの目に、微かに揺らぎが生じた。

 戦場での振る舞い、そしてミノグランツを討った瞬間——

 彼の中の"庶民"への先入観が、今崩れ去ろうとしていた。


 「君が"庶民"であることに変わりはない。

 だが、それが"問題"だとは、今の俺は思わない」


 エリオスは何も言わずにカウフマンを静かに見つめる。


 「"指揮権"に触れるな、とは言ったが……君はもうどうやら、

 "触れてしまっている"のかもしれないな」


  カウフマンは、一度だけ苦しげに肩を上下させた。

 彼の鎧はひしゃげ、先ほどまでの高貴な貴族騎士の雰囲気は、

 戦場の塵に紛れていた。


 「触れたいとも思っていないんだけどな」


 エリオスの言葉にカウフマンはふっと笑う。


  「触れることになる、必ずな」


  エリオスはそんな彼を見つめながら、静かに剣の柄を握り直す。


 「"エスメラルダ様"を頼んだ......」


  カウフマンらロールスロイス家の騎士たちが語る"指揮権"を託される。

 

 大天守閣(ヴァルディアの塔)には未だ勝利の狼煙は上がらない──────

 

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