7. 建国祭
建国祭が始まって一週間以上が経った。澄んだ空が広がり、街中賑わいに満ちていた。
様々な分野の職人組合が張り切って広場や街の装飾を手掛け、大きな彫像や置物を作り、催しを開催している。祭りは二週間に渡って行われる予定である。数多くある催しの中でも噴水広場で魔術師によるショーが行われるのは建国記念日前日の夜だけであった。
貴族たちは建国祭のあいだ、式典や社交で忙しかったが、この前日の夜だけは予定を開けて家族や親しい者だけで過ごすことも多かった。
「フェルナド様、見てください!」
アニエスが示す方向を追うと、巨大な氷像が広場の一角を占めていた。
「これは建国当時の聖女と王族の方でしょうか? わざわざ北の街から大きな氷を運んできて職人の方が彫刻したそうですよ」
「随分と凝った作りだな」
二体の像は寄り添うように立っていた。建物に匹敵する高さがある。衣服も装飾も荘厳な雰囲気を湛え、丁寧に表現されていた。
「しかし、どれほど素晴らしくても氷であればいずれは溶けてしまうだろう」
言ってからしまった、と手で口を塞いだ。ネガティブな感想は避けるべきだった。クラウディアからも事前に忠告されていたことである。
「……私はあまり近づかない方がいい。私はここで待っているから、アニエスは近くで見てきてくれ」
心を乱して仮面の呪いを制御できず、せっかくの氷の彫像を壊してしまう恐れがある。
「いいえ、大丈夫です。ここからでも十分見えますから。せっかくですから甘いものを食べに行きませんか?」
アニエスはくるりと方向転換した。気遣う素振りも見せずに気ままに振る舞うさまが、却って心を軽くしてくれた。
フェルナドは心中でアニエスと、それからクラウディアにも感謝した。
アニエスは白いブラウスに袖のない前開きの紐で締め上げた胴衣に、ふくらはぎが半分ほど隠れる丈の長いスカートを履いていた。細かい刺繍も施されていて、上品で清楚な印象を受けた。一方フェルナドは丈の長い上衣の上に質素なマントを羽織り、極力市井に溶け込めるよう苦心した。貴族の服では目立ちすぎると、クラウディアの助言を受けていた。
クラウディアと作戦を練っている時点で建国祭の日は間近に迫っていて、すでに出遅れているはずだった。アニエスに想いを寄せる者は多くいる。ところがアニエスは誰かと出掛ける予定があるのかと思いきや、クラウディアが誰よりも先攻してアニエスとのデートの約束を勝ち取っていた。アニエスに想いを寄せる生徒会の面々に対しては、互いに牽制するように仕向けて時間を稼いでいたらしい。そしてクラウディアが土壇場に約束をキャンセルし、代わりにフェルナドを差し向けた。
どうやってクラウディアがアニエスとの約束を取り付けたのか不思議だったが、どうしてもお詫びをしたいと頼み込み、断ろうとしたアニエスに涙ながらに訴えたらしい。心優しいアニエスの性格につけ込んだ作戦だった。
(なりふり構わないやり方だな……)
しかし、そのおかげでフェルナドはアニエスと建国祭の一日を過ごすことができている。
フェルナド一人ではアニエスを誘えないままで終わっていただろう。
「このふわふわのお菓子、美味しいですね」
アニエスたちは出店で買った棒つきの菓子を食べながら通りを歩く。貴族としては多少のはしたない真似も、建国祭という祭りに乗じて楽しむ。祭りならではの風景だった。
「ああ。食感が独特だな」
「砂糖を溶かして糸状に巻いたものだそうですよ」
色もカラフルで、口の中に入れるとたちまち溶けていく。
そのまま二人は出店をあちこち回ったり、町民が開催した謎解きに夢中になって方々歩き回った。祭りの雰囲気に便乗して仮装する者も多く、フェルナドが堂々と街を闊歩しても目立つことはなかった。
日が沈み、街がだんだんと暗闇に包まれ始めると、通りの至るところに設置された筒状の入れ物にろうそくの灯りが灯り始めた。幻想的な光の帯が街全体を淡く照らした。
アニエスは立ち止まってその光景に魅入った。ひとつひとつ彩色された入れ物を興味深く覗き込む。
「きれい……」
「アニエスは、建国祭は初めてだったな」
「はい。地方の出身で、裕福でもありませんでしたので遠出できなかったんです。今は『聖女』としてお仕事をさせて頂いて、両親に仕送りもできるのですよ」
『聖女』とは、聖魔法を使える稀少な使い手の呼び名である。男性にも聖魔法の使い手がいることもあったが、大概は女性であることが多い。癒しの光はかつて王国の祖を救い導き、ともに国を成したという伝説があり、初代の聖女とされる人物は救世主として崇められていた。
そのため聖魔法を扱える者が現れた際には国を挙げて保護し、育成するのが習わしだった。
アニエスも何十年ぶりかに現れた珍しい聖魔法の使い手だった。
「学業との両立は大変だろう」
アニエスに主に聖女としての仕事を振っているのはナザレだった。忙しくするアニエスだが、原因を作った当人はあまり表立って気遣う様子はない。その態度に苛立つことも度々あった。
(ナザレも、アニエスのことを気にかけているだろうに)
髪飾りを送るくらいだ。行き届いた警護や、学院での保護は王族としてだけでなく、ナザレ個人の配慮も感じた。
「はい。でもとても充実した日々を過ごせています」
光のアーチを潜り抜けて夜の噴水広場に辿り着く。周りは多くの見物客が集まっていた。
「うぅ……。人がいっぱいですね」
アニエスが精一杯足を伸ばして噴水広場を覗くが、前方までは見えない。水のショーは空まで打ち上がるので、人混みでも見ることは可能だが、身動きが取りにくく、居心地は悪い。
「アニエス。向こうへ行こう」
フェルナドはアニエスを誘って人混みを抜け出した。
『有料の特等席を取っておきましたわ!』と、鼻息を荒くしたクラウディアから渡された券がある。
近くの建物ではこの時期だけの特別の観覧席を設えていた。受付をして、カフェの二階へ上がった。部屋に入ると、中央と、窓際のほうにそれぞれテーブルと椅子が用意されていた。バルコニーがあり、そこから広場が見渡せる。アニエスは室内に案内されて入ると、そのままバルコニーのほうへと吸い寄せられた。そのまま手すりから身を乗り出して広場を見下ろす。
「こんな場所で有名な興行を見ることができるなんて……素敵ですね。フェルナド殿下。ありがとうございます」
フェルナドは振り向いたアニエスに微笑みかける。
「ずっと歩き詰めだったから疲れているだろう。ゆっくり休みながら見物しよう」
店員に飲み物を注文して、ショーの始まりを待つ。やがて広場に音楽が流れ始め、水が踊るように常とは違う動きをして、噴水のあちこちから打ち上げられた。炎や光も飛び出した。魔道具も駆使しているらしい。水は音楽に合わせて色々な形に変化し、弧を描き、光を反射し、生き物のように弾んだ動きを見せた。二人は感嘆したり時に驚いたりしてその光景に魅入った。
ショーが終わっても、広場にはざわざわとした喧騒が残っていた。これから家路に着く人、仲間と飲食をしに行く人々、残って余韻を楽しんでいる人。アニエスはその様子を愛おしそうに眺めていた。
「アニエス」
アニエスが広場から目を離して振り向く。意を決して、フェルナドはアニエスに向き合った。
「今日は付き合ってくれてありがとう。呪われた私にいつも偏見なく接してくれて感謝している」
「こちらこそ、ありがとうございます。私もフェルナド様と過ごす時間がとても楽しいです」
アニエスは礼を言いながら、フェルナドの改まった口調を不思議に思い首を傾けた。
フェルナドは椅子から立ち上がって歩み寄り、片膝をついてアニエスの手を取った。
「私はアニエスのことが好きだ」
「……フェルナド様?」
アニエスが一瞬、大きく目を見開いた。フェルナドの真剣な様子に、その意味を悟って、アニエスの瞳の奥が陰る。
「私……」
言い淀むアニエスを見て、言わずとも答えがわかった。するりと力なく手が解かれる。フェルナドは視線を足元に落とした。
「申し訳ありません……。私、フェルナド様のことは畏れ多くも、とても仲の良い友人だと思っていて、恋愛として意識したことがありません」
スカートの裾を握り、アニエスは悲しげに瞳を伏せた。
「いや、私こそ突然すまなかった」
アニエスが無言で首を振る。それ以降は二人黙って俯き、時間だけが過ぎた。祭りを楽しんだ人々が広場から去るのを横目に眺めていた。
アニエスを送るため、広場から出て石畳の上を徒歩で進む。道中、騒がしく祭りの片付けをしている人々を通り過ぎる。互いに口を開かないまま、並んで歩いた。やがて学院沿いの通りへ辿り着く。
「私、ここからは一人で帰れます。今日は本当にありがとうございました」
アニエスが一歩進んで振り返り、フェルナドに深くお辞儀をした。
遠くなる背中を見守っていると、門の前に誰か立っているのが見えた。学院の警備ではない。ナザレがアニエスの帰りを待ち受けていた。一言二言交わして、二人揃って門の中へ消えて行く。門の中へ入る寸前、ナザレがフェルナドのほうを一瞥した。遠目からでは微細な感情は読み取れず、フェルナドは心底ほっとした。