5. 復学
クラウディアがフェルナドに近付く理由について、思い当たる節はあったものの、その決定打までは掴めなかった。
その行動を不審に思いながらも、クラウディアの奇妙な勢いに押され、またアニエスと親しくなる機会を得られる誘惑に抗えなかった。フェルナドはクラウディアの甘言に乗せられ、言う通りに行動を続けた。
「本当に頂いてよろしいのですか? ありがとうございます……!」
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかった」
「嬉しいです。大切にします」
アニエスが大事そうにペンダントの入った箱を胸に抱える。
クラウディアの助言通りにしてアニエスと親密になることには、複雑な気持ちだった。それでも去り際のアニエスの明るい笑顔を思い出してフェルナドは幸せに浸った。
***
建国祭が間近に迫った頃、謹慎の解けたクラウディアが堂々と学院に復学してきた。クラウディアは学院の門前に止まった馬車から長い黒髪を靡かせて優雅に降り立った。脇には侍女が荷物を持って控えていた。クラウディアは侍女に荷物を寮の自室に運ぶように命じる。エクスナ家の屋敷は学院から比較的近いが、クラウディアは寮にも部屋を持ち、気分によって屋敷に帰ったり寮を利用したりしていた。
門を潜ったクラウディアはさっそく学生たちから注目を浴びた。クラウディアが颯爽と歩く先を、人が避けて通っていく。皆こそこそと囁き合い、クラウディアを遠巻きにしていた。
同じく人波に避けられつつ前を歩いていたフェルナドにクラウディアは近付いていった。
「フェルナド殿下。ごきげんよう」
フェルナドは立ち止まって後ろを振り返った。復学前から頻繁に会っていたとはいえ、人の目がある中、学院で声を掛けられたことに驚きを感じた。
「……ああ。おはよう」
フェルナドは新鮮な気持ちでクラウディアに応じる。学院で他人から萎縮されることもなく、まともに挨拶を受けたことなど数えるほどだった。クラウディアの制服姿を見るのは初めてで、まじまじと頭の先から靴の先まで不躾にも観察した。青みがかった長い黒髪に透き通った白い肌、スカートから覗く足はすらりとしていて均整が取れていた。胡散臭さが服を着て歩いていた占い師の姿とは雲泥の差である。こうして改めて見ると、凛とした気品のある佇まいは彼女が貴族の令嬢であることを思い出させてくれた。
「エクスナ嬢は……人の視線や評判が気にならないのか?」
先ほどから周囲の視線が多く刺さる。呪われた王子に、謹慎処分が解けたばかりのクラウディアの組み合わせは大層目立った。
「気にはなりますが、仕方ありません」
言葉とは裏腹にまったく気にしていなさそうな様子で、クラウディアは扇を片手にフェルナドの隣に並んだ。
「午前中、私は殿下と同じ授業を受けておりますの。良ければご一緒させてくださいませ」
「同じ授業……そうだったか?」
フェルナドは首を捻った。クラウディアが同じ教室にいれば、認識していてもおかしくはない。それほど目立つ容貌をしている。しかし、フェルナドに覚えはなかった。
「夏期休暇が明けてから取り始めた授業です。ただ今まで出席したことはなかったものですから、殿下に覚えがないのも無理はないかと」
クラウディアがフェルナドの疑問を掬い取った。
「……嫌がらせや断罪に勤しんでいたというわけか」
フェルナドは白い目でクラウディアの行動を指摘した。クラウディアは否定せず、無言で閉じた扇に気怠げな視線を注いでいた。
「まぁ、いい。私もお前に聞きたいことがある」
人の波が勝手に避けていくので前を遮るものがない。二人はずんずんと学舎に通じる広場を進んでいく。クラウディアが風に揺れる長い髪を掻き上げた。
「一応確認はしておりますが、殿下の口から直接進捗を伺いたいのですわ」
「進捗?」
クラウディアはそこで少し声を潜めた。
「無論、アニエス様との仲がどの程度深まっているのか、ということを聞きたいのです」
「!!」
「私と一緒にいることで人目を引くのがお嫌でしたら、以前のように内密に接触させて頂きます。アニエス様に誤解されても困りますものね」
「いや……」
フェルナドが返事に窮していると、横合いから声が掛かった。
「次から次へと媚びを売って、はしたないこと」
クラウディアが足を止める。フェルナドもそれに倣って隣に並んだ。学舎の前に、女子生徒たちが固まって立っている。一番前に位置する、金髪を緩やかに巻いた女子生徒の美貌が際立っていた。その女子生徒一人を中心にして、ほかの者たちはずらりと後ろに控えていた。
中心にいるのはイグレイス・アレブス。国の中では上位の貴族の出である。
フェルナドに対し形ばかりの挨拶をして、イグレイスは皮肉な笑みを浮かべてクラウディアへと向き直った。
「クラウディア様。忠告致しますわ。見苦しい真似はよしてください。先日の嫌がらせの件にしてもそう。醜悪な行いはおよそ高位の貴族の令嬢として相応しくありませんわ。こうなってはナザレ様の婚約者候補を自ら辞退すべきではなくて?」
「……」
クラウディアも扇を広げて応戦するかと思いきや、黙ってイグレイスを睨んでいる。フェルナドは借りを返すつもりで助け船を出した。胡散臭いところはあるが、アニエスと最近親しくできているのはクラウディアのおかげだった。
「クラウディア嬢は嫌がらせについて、もう二度としないと約束し、謹慎処分を受けたうえで復学した。十分な報いは受けたのだから、それ以上の罰は必要ないだろう。現にナザレも何も言っていない」
「フェルナド殿下に申し上げているのではありませんわ」
珍しくフェルナドに怯えない、気の強い令嬢だったが、フェルナドを見る視線には軽侮と警戒の感情が含まれていた。
「しかし……。婚約者候補の件にまで口を出すのは差し出がましいだろう」
まぁ、とイグレイスは驚いてみせて、閉じた扇を左耳に近づけて当てこすった。
「フェルナド殿下はお優しいですね。嫌われているクラウディア様の境遇を慮って庇うなんて。お互いによく気が合うのでしょうか」
宝石のように輝く瞳を妖しく細め、似たもの同士が、と言外に含みを持たせて蔑んでいた。イグレイスの取り巻きたちがクスクスと笑いさざめく。
「フェルナド殿下は失礼な態度を取る人間にも寛容で、人を悪し様に罵るようなことはなさらない、優しい方ですから」
王族に対して不敬な態度で恥ずかしくないのかと、クラウディアはにこやかに言い返した。しかしクラウディアの擁護がフェルナドの心に地味に刺さった。つい最近、アニエスにクラウディアの悪口を言ったばかりである。とはいえ、クラウディアの行いを事実に即して話しただけではあるが。
クラウディアとイグレイスのあいだで、バチバチと火花が散る。
「あら、随分とフェルナド殿下をお慕いされているご様子。それではいっそのこと、クラウディア様とフェルナド様が婚約なさるとよろしいのではなくて?」
「……なんですって?」
先ほどとは一転して、クラウディアは感情を露わにした。
女同士の戦いに巻き込まれる形となり、げんなりしていたフェルナドは、クラウディアの態度にさらに暗澹とした気持ちに駆られる。
フェルナドには婚約者がいない。呪われた王子の婚約者に収まりたいなどという酔狂な令嬢はこの国には一人もいなかった。平民でさえ泣いて裸足で逃げるほどだと言われていた。人気があって婚約者を絞れないナザレとは訳が違う。わかっていても、その現実を突きつけられるのは堪えた。
「お似合いだと思いますわ」
満足のいく反応を引き出して、ホホホ、とイグレイスは高笑いをした。周囲の令嬢たちとともに学舎の中へ入っていく。
クラウディアはぶつぶつと小声で何事か呟いて、勝ち誇って去るイグレイスたちの背中をいつまでも睨み付けていた。
それからフェルナドと目が合うと、気まずそうに口元を扇で隠したまま目を伏せた。
「恐れ多い話ですわ」
慌てて取り繕ったのだろうと、白々しい思いで眺めた。こういう扱いを受けることには慣れており、もはや怒りも湧いてこない。ただぽつりと落とした声音と、微かに伏せられた瞳が印象的でフェルナドの心の隅に引っかかった。