2. 呪いの仮面
学院ではすでに授業が始まっていた。遠く聞こえていた生徒たちの喧騒は聞こえなくなっている。小屋の周りは人通りがなく、静けさに満ちていた。
狭い小屋の中は変わらずフェルナドとクラウディアしかいない。クラウディアは椅子に座ったまま、静かにフェルナドの反応を待っていた。
フェルナドの険の混じる声がさらに低く、厳しいものになる。向ける眼差しは一層暗さを帯びていた。
「私とアニエスの仲を取り持つだと? クラウディア・エクスナ。お前は何を企んでいる?」
重苦しい空気が小屋の中を満たした。フェルナドの威圧にまったく怯えも見せず、平然としてクラウディアは受け流した。
「何も企んでなどおりません。ただどうやってアニエス様のお心をフェルナド様に向けようか、と考えております」
クラウディアは軽く肩を竦めた。フェルナドは当然それを戯言として受け取った。
「そんなことが容易にできるものか」
「容易でなくとも、気持ちを向けたいとは思っていらっしゃるということですね」
「……お前には関係ない」
まんまとクラウディアの思惑に嵌まり、フェルナドはチッと舌打ちした。
「ですが」
「この場しのぎに私を謀って逃れようとしても無駄だ」
苛々とフェルナドが腕を組んでクラウディアを睨みつける。
「明日、街に最近できた『トーリア』というカフェにアニエス様が一人で訪れます」
クラウディアはフェルナドの対応に構うことなく、淡々とアニエスの行動を予見した。
「そこへ行けば、必ずアニエス様とお茶をご一緒できますよ。甘いものが好きなお二人は話が弾み、互いの仲が深まるかと」
フェルナドがムッと唇を尖らせた。
「……なぜ私が甘党だと知っている」
「隠しておいでのようでしたが、優秀な占い師たる私には見通せぬものはないのです」
クラウディアは後ろ手に長い髪を梳いてみせた。
「……やはり家の情報網を使っているのか」
フェルナドは有無を言わさずにテーブル越しにクラウディアの腕を掴み、身体ごと椅子から引っ張り上げる。クラウディアは眉を顰めた。
「乱暴な真似はおよしくださいませ」
「ついて来い。茶番は終いだ。何を企んでいるのか、全部吐かせてやる」
「ああ……。このままでは、翌月にはアニエス様とナザレ様がご一緒に建国祭に出かけることになりそうですわねぇ」
強硬手段に出たフェルナドだが、クラウディアは落ち着いた態度を崩さない。一方、普段は比較的冷静なフェルナドだが、想い人のアニエスのこととなると精彩を欠いた。
建国祭とは、その名の通り、エインセント王国の建国日を記念して毎年催される祭りのことである。各地から多くの人々が集い、城下町は一年の内で大いに賑わう時期となる。各地の珍しい特産品を扱う店が出たり、色々なイベントが催されたりする。
「噴水広場のショーも二人で観に行かれるかもしれませんね」
「……っ」
祭りのクライマックスとして、夜の噴水広場では宮廷魔術師たちにより光と水の大掛かりなアートが描かれる。そこに気になっている異性を誘って観に行くと、恋人になれるというジンクスがあり、若い男女の間では特に人気の行事となっていた。
クラウディアの言葉に動揺し、僅かに拘束する腕の力が緩む。その隙を突いて、クラウディアはフェルナドの手から逃れた。すばやく小屋の出口へと移動する。
「騙されたと思って、明日昼過ぎ、街のクルス通りにお出でください」
「おい、待て……っ」
フェルナドがクラウディアを追って、小屋の裏口から外に出る。そう長くはない通りの端から端を見回したが、クラウディアの姿はかき消えていた。
***
翌日、フェルナドは城から学院に向かう馬車の中で一人、苛々と足を組んで愚痴を零していた。
「やはり昨日捕まえておくべきだった」
クラウディアを占い小屋で取り逃した後、エクスナ家に問い合わせたが、屋敷の主であるコルデスは、娘は部屋で大人しくしている、との一点張りだった。ならば占いをしていた小屋で動かぬ証拠を手に入れようと動いたが、時すでに遅く。小屋は跡形もなく綺麗に消え去っていた。
フェルナドは学院へ着いてすぐに、何人かの女子生徒を呼び出して占い小屋についての話を聞いた。しかし顧客であった女子生徒から話を聞こうにも、不機嫌に詰め寄るフェルナドに怯えて、なかなか有意義な証言が取れない。苛々とした気持ちがさらに募った。
「兄上。女生徒を怯えさせて、何をしているのですか」
なおも学院の廊下で女子生徒から聴取をしようとしていたところ、通りがかった弟のナザレに咎められた。整えられたプラチナの髪に翠玉の瞳を持つ、端正な顔立ちの青年が少し離れたところに立っていた。フェルナドに声を掛けた青年、ナザレはエインセント王国の第二王子であり、同じ母から生まれた実弟である。フェルナドとは二歳、年が離れていた。
ナザレの周りには取り巻きの貴族の令息たちが三人控えていて、冷ややかな目をフェルナドに向けている。
「ナザレ……」
言われて改めて見ると、件の女子生徒たちは縮こまって涙目になっていた。フェルナドは己の過ちに気付く。
事の真相に当たろうと気が急いて、目の前の状況をよく見ていなかった。
「すまなかった。もう行っていい」
ようやく女子生徒を解放した。
「ひっ……」
女子生徒たちはなおも怯えながら、数歩後ずさり、走り去っていった。
「……はぁ」
ナザレの取り巻きの一人が呆れてこれ見よがしに溜息を吐くのが聞こえる。周りより少し背の低い、小動物を思わせる顔立ちをした青紫の髪の青年は、フェルナドへの侮蔑を隠しもしなかった。
フェルナドは無意識に仮面に手を添えた。外そうとしても決して外れない。齢三つの時に突如顕現したそれは、国の第一王子として輝かしい人生を送るはずだったフェルナドに影を落とした。
ナザレは視線だけで溜息を吐いた臣下を咎めた。取り巻きたちが一斉に姿勢を正す。
「兄上。あまり目立つことはなさらないでください」
無表情でそう忠告して、ナザレは踵を返した。腰に佩いた宝剣の鞘が無機質に光る。取り巻きたちがナザレの後に続いた。フェルナドは黙ってその背中を見送った。怯える女子生徒を見かねて、誰かがナザレに報告に行ったのだろう。
第二王子一行は先々で通りがかる生徒から声を掛けられていた。ナザレはそれににこやかに応じる。先ほどフェルナドに向けていた表情とは大違いだった。
今年の春から学院に入学したナザレは数か月もしないうちに、頭角を現し始めた。学問や武芸に秀で、魔法の成績も優秀だった。生徒会に入って運営に回ると、たちまち統率力を発揮していった。人望も篤く多くの者から慕われていた。
一方、呪われた仮面を付けるフェルナドは同じく文武両道ではあったが、人望について皆無に等しい。第一王位継承権を持っているものの、主だった貴族は国王の決定に反発してナザレを支持していた。無理もない。王国ではたびたび呪いの仮面持ちが王族の中に現れては、その誰もが例外なく悲惨な末路を辿っている。仮面が原因で陰惨な後継者争いが続き、内乱に発展したこともある。
フェルナドはナザレより二年も前に学院に入学したが、未だこれといった信頼のおける友人はおらず、将来を支えてくれる側近候補は見つかっていない。
授業の開始を知らせる鐘が鳴り始める。遠巻きに見ていた生徒たちが慌てて動き出した。フェルナドも遅れて歩き出す。フェルナドが歩く先は、人がさざ波のように揺れて逸れていった。通りすがる者から軽く会釈はされるが声を掛けられることもない。ナザレのときとは大違いだった。それとなく視線が外される。あからさまに恐れや嫌悪の表情を向ける者もいた。
今さらどうということもないと、フェルナドは自分に言い聞かせて感情を押し殺した。以前までは大して心も動かなかった。呪われたフェルナドに何の恐れも抱かず、無条件に居場所を与えてくれるアニエスが現れるまでは。
(アニエス)
淡く揺れるピンクブロンドの髪と澄んだ榛色の瞳を思い出す。
無意識に握り込んでいた拳を、力なく放した。それから考えを巡らせる。
クラウディアの行動による問題は今のところ起きていない。アニエスに直接危害が及ぶことはなさそうである。
(現時点では放置しておくしかないか)
そう結論付けて、フェルナドは気持ちを切り替えた。