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17. 過去の記憶

注意:流血表現があります。


 物心がつく前から、周囲に嫌悪され拒絶されてきた。普段身の回りの世話をする侍女も、城ですれ違う兵や仕官も皆同じだった。悲しくて、怖くてレイティアに訴えると、その者たちは遠ざけられた。ホッとする同時に、得体の知れない罪悪感が募って、使用人の不満を口にすることは控えるようになった。


 六歳頃になると、フェルナドは王城で開かれる茶会に出席するようになった。

 貴族の子どもばかりの集まりで、事は起きた。

 

「いやぁ! さわらないで!」


 撥ね退けられた手が、痛んだ。フェルナドは自らの手と、目の前にいる年の頃が同じくらいの令嬢を交互に見た。

 手に持っていたハンカチがひらりと床に落ちた。落とし物を拾って渡そうとしただけだった。


「申し訳ございません!」

 令嬢の母親が飛んできて、慌てて頭を下げた。その貴族は謝りながら令嬢を連れて、その場を辞した。レイティアがフェルナドに寄り添う。周りの者たちは固唾を呑んでフェルナドたちの様子を窺っていた。フェルナドは、ゆっくりと首を巡らせた。

 貴族たちの顔は強張っていて、その視線はフェルナドへの評価を雄弁に語っていた。


「おぞましい」

「気持ち悪い」

「近付くな」


 王族に表立って悪口を言う者はいない。それでも、周りの人々からひそひそと囁かれ注がれる悪意は、じわじわと確実にフェルナドを蝕んだ。


「社交は最低限でいいのよ」

 レイティアはフェルナドを気遣った。

 王子としての責務もろくに果たせず、フェルナドは落胆した。そのかわり、座学や武芸に打ち込んだ。


 一年後、国家間で戦があり、人質としてやってきた隣国の王子は快活で、フェルナドの呪いのことを歯牙にもかけなかった。ただ物珍しそうに仮面を見て、顔とか洗うの不便そうだなぁ、と呑気に笑った。やがて、その王子とフェルナドは親友と呼べる間柄になった。


 周りの目など気にするなと言ってくれた友は、しばらく経つと魔法の研究材料としてフェルナドを他国に引き渡そうとした。誘拐されそうになったフェルナドを救ったのは、国王のモルゼット自身で、そのときに初めて父の愛を知った。必死でモルゼットに懇願し、友を見逃してもらった。



 フェルナドが十一歳の頃、新しい教師が配属された。女だけの部族に生まれ、各地を旅してきたセレスティアという流浪の剣士だった。旅の途中に立ち寄ったエインセント国で、フェルナドに剣術を教えてくれた。年齢は母親とそう変わらず、浅黒い肌に銀髪が映えて、美しかった。


 セレスティアは恐れも偏見もなく、気さくに呪われたフェルナドに接した。フェルナドはセレスティアを師として仰ぎ、尊敬していた。まるでかつての友のように、心許せる存在となっていった。社交における感情の制御の仕方も彼女から学んだ。



 セレスティアが稽古をつける場所は、決まって騎士団の使う訓練場の隅だった。そこで他国の珍しい武器や技を披露してくれた。ナザレもフェルナドとともに時折セレスティアの師事を受けていた。


 あるとき、セレスティアは警備の隙を突き、フェルナドとナザレに剣を向けた。そのとき訓練場には、三人の他には誰もいなかった。


「ごめんね。……かないと……」

 何か、理由を口にしていたが耳に入らなかった。突然のことに、頭が追い付かない。狙いはフェルナドであるようだった。

 抵抗しようとしたナザレを、セレスティアは剣の柄で殴り、地面に叩き伏せた。


 フェルナドの胸を怒りと絶望が満たした。仮面から黒い霧が溢れる。訓練場の窓という窓が割れて、仮面の呪いがセレスティアの身体にも及んだ。


「うあっ……」

 セレスティアが頭を抱えて後ずさる。フェルナドから距離を取った。


 その好機を逃さず、ナザレが動いた。剣を構え、体当たりするようにセレスティアに向かった。

「やめてくれ、ナザレ……ッ」

 フェルナドの制止もむなしく、ナザレの剣がセレスティアの心臓を貫いた。確実に、身体に深く沈ませてから引き抜く。大量の血が飛び散った。声にならない声を上げてセレスティアの身体が傾ぐ。


 ナザレが剣を手に持ったまま、肩で息をしていた。顔面蒼白で剣を持つ腕が震えていた。


「どうして……」

 あまりの衝撃に、咄嗟にナザレを詰っていた。茫然自失となっていたナザレの身体が反応する。

 フェルナドを振り返った翠の目は憎悪に満ちていて、服も顔も返り血で染まっていた。むせ返るような匂いが鼻をつく。


「……っ」

 ナザレはフェルナドに向かって口を開きかけて、結局何も言わずに閉じた。口元を歪め、黙ったまま、横たわるセレスティアを見下ろした。


「ごめ……ね」

 セレスティアの、か細く掠れた謝罪が離れたフェルナドの耳に届いた。いっそのこと罵倒されたほうがマシだと思えた。セレスティアにも、ナザレにも。何も考えたくなくて、事切れる瞬間をただ眺めるしかできなかった。


 兵たちが駆けつける。物々しい雰囲気が場を満たした。モルゼット自ら先頭に立ち、フェルナドと、ナザレと、セレスティアの亡骸を一瞥した。


「片付けろ」

 冷たい声で兵に命じた。兵たちは亡骸を回収にかかる。

 モルゼットはゆっくりとフェルナドに歩み寄り、頭に軽く手を載せてから、ナザレの元へ向かう。兵が道を開ける。後ろからレイティアが息を切らせて走ってきていた。

 モルゼットがナザレの硬直した指をひとつひとつ慎重に広げて、剣を取り上げる。傍にいた近衛に血のこびりついた剣を手渡した。


「よくやった」

 上半身を屈めたモルゼットが自らの衣服が汚れるのも構わずに、ナザレの頭を肩に寄せて労った。両手を下ろしたまま、モルゼットの肩に顔を埋めたナザレの身体が一度だけ大きく震えた。


 レイティアがフェルナドを背後から抱き締めた。

「フェルナド」

「母上……」

「どうか、絶望してしまわないで。私たちを置いて行かないで……」

 切実な願いと背中の温もりにようやく緊張が解けて、涙を流した。レイティアを傷つけないよう、必死で仮面の呪いに抗った。深呼吸を繰り返した。感情の殺し方は、セレスティアに教わったものだった。


 裏切られた痛みと、絶望と、喪失と、後悔に吞み込まれそうになりながら、心を殺した。ナザレへの後ろめたさと、モルゼットの哀しい眼差しと、レイティアの流す涙が闇に堕ちようとするフェルナドの心を辛うじて引き留めた。



 城の寝室で横になりながら、フェルナドは子どもの頃の苦い記憶を思い返していた。今でもふと油断すると意識を持っていかれそうになる。


(今回のことはあのときより、さほど大したこともない)

 命を狙われたことに比べれば、クラウディアの謀りごとなど裏切りと呼べるものでもない。フェルナドはそう自分に言い聞かせて、目を閉じた。

 しかし裏切りとも思えないからこそ、諦めて忘れ去ることもできなかった。


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