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16. 仲違い2


「何がおっしゃりたいのかしら」


 アニエスはクラウディアの前に屈んだまま、恭しくその手を取った。


「クラウディア様。私を助けてくださってありがとうございます」

 ぐっと唇を引き結び、クラウディアは(まなじり)を上げた。


「おめでたい思考ですこと。勝手な憶測で私を評価して満足して頂けました? あなたごときが私を知ったつもりかしら」

 クラウディアは冷たくアニエスの手を振り払って、そっぽを向いた。


「不愉快ですわ。今すぐ出て行って」

「ですが」

「二度は言いませんわ」

「…………失礼しました」


 寂しげに俯いてから、アニエスは立ち上がって医務室を出て行った。フェルナドが後を追って廊下へ出る。背を向けたアニエスを呼び止めた。


「アニエス」

「フェルナド様……」


 アニエスが振り向く。眉が下がり、瞳は潤んでいた。フェルナドはアニエスの気持ちを汲み、慰めの言葉をかけた。


「彼女のあれは……本心ではないと思う」

「きっと、そうですね……。でも、その本心を明かしてはくださいませんでした」


 数日前、女子寮で夜を明かした朝に、フェルナドは寮の前でアニエスと出くわしていた。その折にアニエスはクラウディアについて自分の見解の一部をフェルナドに話していた。


「クラウディア様はやはり、優しい方だと思います」

 アニエスはそのときと同じ言葉を繰り返した。


 はたしてそうだろうか。

 フェルナドはアニエスとは異なる意見だった。アニエスを途中まで送ったあと、フェルナドは踵を返した。


 クラウディアは自らの推しと呼ぶ、フェルナドとアニエスには確かに優しい。回りくどいやり方ではあったが、何度もクラウディアには助けられた。しかし思い返せば、その真摯なはずの立ち振る舞いはどこか空虚で白々しささえ滲ませていた。そして、二人以外には、己にさえも冷ややかなものだった。


「推しにはっきりと認知されていたなんて……」

 室内へ戻ると、クラウディアが茫然と座ったまま滂沱の涙を流していた。


「罪悪感と喜びが一挙に押し寄せて情緒が……。あの子は天使? いえ聖女でしたわ……」

 懐からハンカチを取り出して、目元を拭う。

 フェルナドはクラウディアの言動を非難した。


「クラウディア嬢。きつく言い過ぎだ」

「フェルナド様。チャンスです。こちらへ戻らずに早くアニエス様の後を追ってくださいませ」

 ずびずびとハンカチで鼻を嚙みながら、クラウディアがフェルナドを促す。


「どうしてそう、自分自身を軽く扱う?」

「? とくに軽くは扱っておりません」

 フェルナドがアニエスの後を追う気配はない。クラウディアは不満を露わに主張した。


「私は悪役令嬢としての役割を全うしているだけですわ」

「それは物語の中の話だろう。何もその通りに演じる必要はない」

 フェルナドの指摘にクラウディアは唇を歪ませ、鋭く睨み付けた。


「必要悪ですわ」

 毅然としてフェルナドの意見に真っ向から対立した。


「髪飾りも、本来は返すつもりはなかったのです。ナザレ殿下の好感度を左右する重要なものですから。けれどあのときは生徒会の面々があまりに鈍すぎて……」

 クラウディアはハンカチを折り畳んで溜息を吐いた。


「あれがなければ、ナザレ殿下とのイベントも進まず、フェルナド様に有利に働いたはずです」


「だから、イベントだとか好感度というのは物語の中の話だ。なにもそのまま君が悪役になる必要はないだろう。アニエスを好ましく思うのなら、友人としてアニエスを支えればいい」

 フェルナドは同じ主張を丁寧に繰り返して、クラウディアに言い聞かせる。


「いいえ。アニエス様とフェルナド様が結ばれるには、汚れ役は必要不可欠なのです」

 クラウディアはキッとしてフェルナドを見上げた。


「ゲーム通りに進めないと、結末が変わってしまうかもしれません」

「ここは『ゲーム』の、物語の中の世界じゃない。遊びではないんだ。それをわかっているのか?」

 フェルナドはクラウディアの前に屈み、目線を合わせて繰り返し諭した。


 万事、どこか虚ろでわざとらしい態度であるのは、クラウディアが物語を通してフェルナドたちに接しているからだと思い至った。空想の登場人物としてしか見ていないのだ。

 図星を突かれても、クラウディアは動揺を見せなかった。


「わかっていようがいまいが関係ありません。私にとっては、アニエス様とフェルナド様が恋人になっていただかなくては困るのです。私自身が幸せな気持ちでいるために」

 クラウディアの強固な意志を前に僅かにたじろいだが、フェルナドも譲らなかった。


「私と協力関係にあるということは、ゲーム通りではないのだろう。であれば」

「アニエス様とフェルナド様が親しくなるためには、どうしても協力者が必要でした。一番都合の良い協力者が当事者であったというだけです」


 クラウディアの言い様は自虐を含んでいた。口元に冷笑が浮かぶ。

「フェルナド様のおっしゃる通り、ここではゲームのようにはいかず、思う通りにはなかなか進みませんから」


 フェルナドはハッとして言葉を失った。クラウディアが俯いて顔を背ける。長い髪が表情を覆い隠していた。クラウディアに明確な拒絶を受けたのは初めてだった。そのことでさらに強い衝撃を受けた。気まずい沈黙が場を満たした。


 直後、医務室の窓という窓に亀裂が走った。クラウディアの肩が揺れる。

 ようやくフェルナドは重い口を開き、怒りと失望を滲ませた。


「私が一番御しやすかったということか」

「……申し訳ございません」


 握り込んだ手に力が籠る。多少は親しくなれたと、一方的に勘違いしていた。単に、お気に入りの物語をなぞって満足したいだけの、幼子の遊戯に付き合わされただけだ。


「……身勝手な女と組んだ私も私だ。私もくだらない理由で君を利用していた」

 低く抑えた声で、クラウディアと自分を責めた。


「もう君の手は借りない。関係は解消だ」


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