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13. 弁明


 翌朝、城に戻ったフェルナドはさっそく国王夫妻から召喚命令を受けた。寝不足で頭の回転も足元も覚束ないが、国王からの命令とあれば参じなければならない。

 フェルナドは一度自室に戻り、着替えをして鏡の前に立った。仮面のおかげでというべきか、疲れは一見してわからない。呪われた王子の世話をしたがる者はなかなかいないため、早くから一人でも身支度ができるようになった。仮面が邪魔で髪を整えるのに時間がかかる。このあとのことを考えると、憂鬱な気分だった。自然と視線が下を向く。ピシ、と小さな音が鳴った。


 ふと顔を上げると、鏡に小さな亀裂が入っていた。このままでは鏡を割ってしまう。慌てたフェルナドは気分を上げるため、楽しい出来事を思い返そうと目を閉じた。


 柔らかな髪と榛色の瞳を持つ少女を思い浮かべた。アニエスといると、心が温かくなって安らいだ。呪われたフェルナドに居場所をくれた。アニエスは街行く人々と自然に打ち解けて、フェルナドも少しだけその恩恵に預かった。街の人の営みも日常も知った。色々な表情を見せて人間らしさを思い出させてくれた。

 しかし同時に、どうしても振られた現実が付き纏った。瞼の裏で鏡の亀裂が広がる音が聞こえた。暗くなる思考を切り替えようと試みる。


 失恋して落ち込むフェルナドに、ひとつひとつ長所を挙げ連ねた。長い睫に縁取られた蒼い瞳と闇に溶ける漆黒の髪、そして頬に添えられた手のひらの冷たさが脳裏に蘇った。


(まさかクラウディア嬢に慰められるとは思わなかったな)

 学院で、アニエス以外にフェルナドのことを好意的に評価している者がいるとは考えもしなかった。ずっとフェルナドのことを見ていたのだろうかと考えると、胸がむず痒い。

 初めて出会ったのは、占い小屋だった。抜け目がなく、そのうえ人を見透かした態度は気に食わなかった。自信に満ちた取り澄ました仮面を剥ぎ取りたかった。思わぬ形でその願いは叶った。


 秘密を打ち明けたあと、クラウディアは年相応のはしゃぎようをしていた。自然と口元が綻ぶ。

 学院では嫣然とした勝気な微笑ばかり浮かべていたが、時折じっと真顔でフェルナドを見つめることがあった。フェルナドが気付くと、決まって顔を逸らして小さく微笑む。その視線の意味を、昨晩の三時間以上に及ぶクラウディアの熱弁によってようやく悟った。クラウディアから想われるのは、悪い気がしない。



 同時に、必然的に今朝方の出来事を思い出した。

 寮室で語りに付き合わせるだけ付き合わせておいて、夜明け前にひとり寝落ちしたクラウディアの寝顔をフェルナドは恨みがましく見遣った。クラウディアは寝相が悪いのか、何度か寝具を蹴飛ばした。そのたびにフェルナドはクラウディアに毛布を掛け直す羽目になった。


「よく風邪を引かないな……」

 フェルナドが呆れていると、毛布どころか夜着まで捲れた。白い足が膝上まで露わになる。

「もう知るか!」

 怒りと羞恥で毛布を乱暴に覆い被せた。それからソファへと移動して毛布を頭から被る。やがてウトウトとして短い眠りについた。


「~~~っ」

 衣擦れの音と、艶めかしく透き通った白磁のような肌の色を鮮明に思い出した。


 直後、フェルナドの努力も虚しく姿見が激しい音を立てて無惨に割れた。部屋の外にまで割れた音が響く。

 侍女も慣れたもので呼びもしないうちから箒と塵取りを持って部屋に訪れた。


「いつもすまない」

 二人の侍女は会釈だけして、割れた破片を箒で集め始めた。後片付けを任せ、フェルナドは部屋の外へと出た。

「今回は半月ほど保ちましたね」

 扉越しに侍女同士で淡々と会話をしているのが聞こえて、がっくりと項垂れた。フェルナドは極力人と会わないように、遠回りをして謁見の間に向かった。



 回廊を渡り、謁見の間に辿り着く。衛兵に促されて中に入ると、国王モルゼットと王妃レイティアが最奥に据えられた玉座に座りフェルナドを待ち構えていた。モルゼットは齢四十過ぎで、銀の髪には白いものが混じっている。髭を蓄えた彫りの深い顔立ちで、鋭い眼差しは威厳に満ちていた。対してレイティアは王よりも五歳ほど年下で、栗色の長いウェーブのかかった髪を、緩やかにまとめている。穏やかな顔立ちで柔和な雰囲気を纏っていた。

 フェルナドが玉座の前に跪く。モルゼットが人払いをし、謁見の間にいるのはモルゼットとレイティア、フェルナドの三人だけになった。


「フェルナド。ここには私たちだけですから、遠慮せず近くに寄りなさい」

 レイティアはフェルナドに慈愛に満ちた眼差しを向けた。

「はい」

 フェルナドは赤い絨毯の上を進んで玉座に通じる階段の前で止まり、跪いた。


「此度お主を呼び出した用件はわかっておるな。昨夜何が起こったか、仔細説明せよ」

 モルゼットが険しい顔でフェルナドを問い質した。

 フェルナドは頷き、できるだけ詳細に順を追って伝えた。調べ物をしていたこと、不審者を追って女子寮に忍び込んだこと。人に見つかりそうになり、クラウディアに匿ってもらったこと。クラウディアが打ち明けた秘密については、話さなかった。

 国王が呆れて額に手を遣った。


「それではお前自身が不審者ではないか」

「申し訳ありません」

 返す言葉もなく、フェルナドは頭を垂れて軽率な行動を反省するばかりだった。

「それで」

 モルゼットが王笏を振るいながらフェルナドに確認する。

「エクスナ家の令嬢と一夜を共にしたのだな」

 モルゼットの言わんとするところは、理解している。フェルナドはきっぱりと否定した。


「隣に並んで寝ただけで、何もありませんでした」

 フェルナドの答えに国王がカッと目を見開き、荒々しく肘掛に拳を叩きつけた。


「何もありませんでした、だと? 同衾しておいて何もないわけがない。浅はかな言い逃れをするのではない」

「落ち着いてくださいませ。陛下の基準で物事を決めつけるのは早計です。フェルナドはこういうことで嘘を吐いたりはしません」

 怒りを露わにしたモルゼットの叱責に対して、レイティアはフェルナドを庇い、怒りを収めるよう取り成した。

 レイティアの言葉で落ち着きを取り戻したモルゼットが、肘掛に頬杖をついて嘆息する。


「しかし仮に何もなかったとして、エクスナ嬢がこの事を盾に婚約を迫るようなことがあれば厄介だぞ」

 モルゼットはフェルナドの言をいまいち信用していなかった。気難しく眉を寄せて腕を組む。

「ですが、今までフェルナドには良い縁談がなかったのですから、これは好機なのでは? 過去には優柔不断な態度で二人の令嬢を振り回した方もいらっしゃいますし、それに比べましたら、潔いではありませんか」

 レイティアがモルゼットを見ながらチクリと皮肉を零した。


「エクスナ家であれば評判はともかく、家格や国への貢献度合いを考えれば王家と釣り合います」

 モルゼットはしばらく思案し黙っていたが、やがて首を振った。

「……いや、駄目だ。エクスナ家だけは、受け入れがたい」

 フェルナドは不審に思ってモルゼットに問いかけた。


「どういうことでしょうか」

 モルゼットの頑なな態度は、エクスナ家に何かあるのだろうかと勘繰るには十分だった。レイティアも怪訝な顔をしてモルゼットを横目に見た。

 モルゼットは二人の視線を受け流して、顎髭をさすった。


「フェルナドよ。お前は聖女アニエスを気に入っていると聞いていたが……クラウディア嬢が良いのか?」

 質問を返されて、フェルナドは戸惑い、瞳を伏せた。


『クラウディア様は優しい方ですよね』

 今朝方に聞いた、明るく澄んだ声が鮮やかに蘇る。それから初めて見た、何の警戒もなく隣で眠る顔を思い出した。寝相の悪さまで思い出して、むりやり頭から追い出す。フェルナドは首を振った。


「そういうわけでは……ありません」

 項垂れたフェルナドに、モルゼットとレイティアは顔を見合わせた。

 結局フェルナドの処遇についてはひとまず保留とし、あとはエクスナ家の動向次第ということになった。モルゼットはフェルナドに厳重に注意をした。



 フェルナドに退出を促した後、レイティアは背もたれに体を預けながらポツリと零した。

「気が多いのは、あなた譲りなのかしら……」

「ゴホッ、オッホン」

 モルゼットは誤魔化すように隣でわざとらしく咳払いをした。


「ところで、どうしてエクスナ家ではいけないの?」

 二人きりで部外者がいないため、レイティアはモルゼットに気安く話しかけた。モルゼットは憮然としてレイティアの問いに答える。


「……エクスナ家には昔から影の仕事を割り振っている」

「まぁ」

 レイティアは目を丸くした。影とは王家に所属する諜報員のことで、間諜、護衛、暗殺などの命令も請け負っている。

「それで嫌なの? けれど、影とも結びつきを強める意味でも、縁を結ぶのは悪いことではないように思うわ」

「無論、エクスナ家を選ばない理由はそれだけではない」

 モルゼットはレイティアを横目に、唇を引き結んだ。それから目を逸らす。これ以上理由を話すつもりはないという意思表示だった。

 モルゼットは話題を変えた。


「ナザレはエクスナ家の裏の仕事について、薄々勘づいている素振りを見せるが……」

「フェルナドは気付いていないのね。純粋培養が過ぎたかしら」

「純粋培養……」

 レイティアの言いようにモルゼットは呆れた表情を向けた。


「あやつに政の裏をあまり見せないのは、仮面の悪意に呑まれないためだ。極力闇に堕ちる可能性を排除しなければならない」

 レイティアは美しく整った眉を寄せて不満を漏らした。

「その結果、ナザレにすべて押し付けている現状はどうお思いになるの? あの子は私たちの前ですら、笑うことはしなくなったでしょう」


 両親に対してさえ笑顔を見せなくなったナザレをレイティアは憂いた。

仕方のないこととはいえ、辛い役目を押し付けることになった。どうしようもないことをずっと悔いている。

 モルゼットは答えあぐねて、ひとしきり唸った。


「あやつは……。親の前では無表情でいられるから楽だとか、表情筋を休めることができるなどとのたまっていたぞ」

「……無愛想なのが素なのね……」


 しかし親の前で笑わなくなったのは確かだ。見せるのは張り付けたような見せかけの微笑だけ。レイティアは心を痛めていた。ナザレの父親への軽口も半分気休めだろう。この先、心からナザレが笑えるときはくるのだろうか、と思い沈んだ。それからレイティアは呪いを受けたフェルナドにも思いを馳せた。

 せめて自分が代わってあげられたらと願わずにはいられない。レイティアは息子たちの境遇を嘆いた。



*****



 昼前に侍女のジルに起こされたクラウディアは、驚いて窓の外を見た。日はすっかり昇っている。完全に寝過ごした。続いてベッドの上で昨夜の出来事を思い出す。慌てて隣を見るとすでにもぬけの殻だった。


「ええ……。もうフェルナ……いえ、何でもないわ」

 クラウディアは思わず手で自らの口を塞いだ。危うく失言をするところだった。

 溜息を吐いて、フェルナドの眠っていた場所に名残惜しく顔を埋めた。それから無事に寮を抜け出せただろうかと、思いを巡らせた。


「ところでクラウディア様。なぜしまっておいた毛布が出してあるのですか?」

 ジルは毛布を掲げながら、クラウディアに不審の目を向けた。クラウディアはベッドから顔を上げた。

「夜中まで本を読んでいて、寒くなったから出したのよ」

 クラウディアは悪びれることなく、澄ました顔で嘘を吐いた。

「左様でございますか」

 ジルは無表情のまま、クラウディアを見つめていた。その目は疑心に満ちており、クラウディアの言葉をまったく信用していない様子だった。


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