94:序列九位、“夜王”メラゾセフ
その日は雨が降っていた。
魔法で雲を晴らす事は安易な事であったが、それは野暮である。自然なままに執り行うのだ。
魔王軍幹部序列八位、“双頭姫”ラ=ロア・ラ=ルアの追悼式である。
魔王ラーを始めとした魔王軍の重鎮たちが立ち並び、喪に付した彼らは胸に手を当て黙祷を捧げる。
その者、メラゾセフもその一人であった。
じっと雨に打たれるメラゾセフに黒い考えが過った。
思考が止められない。
元々ここは我らの土地だったと、言い訳まで用意される。
その後メラゾセフは墓を掘り返す事となるが、一先ずそれは別の話である。
〇
襲撃のあった夜から五十年。
メラゾセフは諜報員として順調に地位を築いていった。
レベルは91となり、魔王国でも一目置かれる様な強さだ。
最も、ここ十年の活動の殆どは非公式な為、その活躍を知る者は少ない。
「さて、幹部の一人がやられた。補充をしようと思う。それは君だ」
魔王ラーの事務室。
二人のみの場にて、メラゾセフはそのラーの言葉に目を見開く。
「私ではまだ力不足です」
「そうだな。だから力をやろう。これは褒美でもある。長年私とこの国に貢献したな」
そう言って立ち上がり、近寄るラー。
メラゾセフは生唾飲む。
一体何が始まるのだと。
「道を極めた者がする事は、皆同じだ。つまりは、後任の育成である。これは種の頂きである魔王としての能力だ」
「い、一体、何をするおつもりですか?」
「真なる魔王に覚醒する条件を知っているか?」
「え?」
質問を質問で返され、言葉に詰まるメラゾセフ。
そしてその答えも知らなかった。
「魂のレベルを上限まで上げるのと、国家単位の“群れの進化”だ。だがどうやら私はこれ以上“群れの進化”で得たリソースにより、レベルを上げる事が叶わないらしい。と言うより、因果の部分で多大な下方補正が掛かっている様なのだ。私がこのリソースでレベルを上げるのは効率が悪い」
“群れの進化”。
確か、結束の強い魔物の群れなどは全体意識が繋がり、霊力の貸し借りを行うと言う話か。
そう思うメラゾセフ。
「だからね。君にこれをあげるよ」
「なっ。そ、そんな事が……!」
可能なのかと、驚愕するメラゾセフ。
信じられない思いだったが、主のお言葉を否定する訳にはいかない。
メラゾセフが驚愕したのは霊力の貸し借りを行う“群れの進化”を、任意で操作すると言う部分であった。
それは全体意識にまで干渉する、まさに神業。いや、“王”の所業。
「神々が行う祝福も似た様なものだね。種の頂きに立った者は、他の者へと進化の手助けをするのだろう。そして『聖杯の祝福』を受けた者は『聖杯の神』へ、『豊穣の祝福』を受けた者は『豊穣の神』へと成るのだ」
「な、なるほど」
その説明を感心して聞いていたメラゾセフであったが、少し疑問が浮かぶ。
その理屈で言えば、一体最初の『神』はどうやって覚醒したのだ? と。
「まぁ、奴らはちょっと違った使い方をしてる様だがね。それも追々話さなければな」
と、ラーの言葉に考え事から意識が戻る。
「と言う事で、是非この霊力を有効活用してくれ」
「は、ははっ! 必ずや、ご期待に応えて見せます!」
「うむ」
その場に跪いたメラゾセフ。
ラーも満足気に頷き、メラゾセフの肩へと手を触れた。
瞬間、知覚できる程の大量の霊力が流れ込んでくる。
今まで感じてきた、格上を屠った際に得られた満足感のある霊力、そのどれよりも遥か上。
そして一際全体意識が繋がったからか、メラゾセフはラーの持つ、膨大な量の霊力を垣間見た気がした。
――まるで、大海だ……
その果てしなく大きな霊力を見て、メラゾセフはそう一言の感想を抱いたのだった。
「くっ……あぁ」
滝の様に流れ込む霊力に耐えられず、メラゾセフは声を零す。
「ふむ。効率が良いのはこの辺だろう」
と言って、ラーは手を離す。
逆にメラゾセフは肩で息をし、床に手を突く。
そして感じる、確かな力。
それによる全能感を。
「今の君のレベルは119だ。急激な体の変化で一晩は寝込むだろう。ゆっくりするといい」
「は、はっ!」
こうしてメラゾセフは幹部級の力を手にする事となる。
魔王軍幹部はラ=ロア・ラ=ルアの空席をずらし、序列九位だったグラハスが八位になった。
そして九位の席に新たな魔王軍幹部、“夜王”メラゾセフが着く事となる。
〇
魔王城にあるメラゾセフの事務室にて。
「これ、メラゾセフよ。また下部会議に顔を出さぬつもりか?」
「し、師匠! そう言われましてもですねっ」
「御託はいい。一度くらい顔を出せ」
「あぁー! あんまりです師匠!」
踏ん張るメラゾセフの耳を掴み、無理やり引きずり出すグラハス。
「これ。わしの事は閣下かグラハス様と呼ぶ様言っておろう」
「師匠だって呼び捨てじゃないか!」
「わしが人前で間違える想像がつくか?」
「し、しないけど!」
メラゾセフは力づくで指を剥がし、グラハスはそれに『む?』と声を零した。
脱兎の如く逃げ、机の向こうの椅子に隠れるメラゾセフ。
「と、とにかく行くもんか! そもそも行く必要なんてないんだよ! バラン……様に、俺を呼ぶ権限なんかない! 師匠だってなんで行くのさ!」
「一応、序列は上だからじゃよ。それにこう言った付き合いも大事じゃ。お主、未だにリオウ殿やアウラ殿とまともに会ってなかろう? 顔合わせはしておいて損はないぞ」
「いいよそんなの! 空席に押しのけられる様な、なんちゃって幹部じゃん! 軍人でもないのに! つか俺だってただの財務大臣だし、接点ないって!」
無論、財務大臣とは表向きだ。
「全くお主は……。同じこの世の強者として、学び取れる物もあると思うのじゃがなぁ」
「ふんっ。空席を残してるからちょっと変に見えてるけど、序列がレベル順なのは今もそうなんだろう? って言うか、俺が九位になる様調整したって、魔王様も仰っていたし。つまりは、あの二人のレベルは俺より下って訳だ!」
「図に乗りおって。お主のは借り物の力であろう?」
その言葉には無言で視線を送る他ないメラゾセフ。
「言っておくが、自力でレベル100を越えた者はやはり一味違うぞ? わしも魔王様より力を授かった者じゃが、レベル相応の技量と経験を得るには相当な時間が掛かった。お主のそれは、祝福を受けて調子に乗る人間となんら変わらん」
メラゾセフを射抜く、正論であった。
「それにじゃ。わしが魔王軍幹部で最も戦いたくないのは、“獅子師”リオウ殿じゃからな」
「は? なんでだよ! レベル俺より下なんだろう!?」
「まぁ、な」
思わず立ち上がるメラゾセフ。
グラハスは深くは話さない様だった。
「ともかく、強者に敬意を持てと言いたいのじゃ。必ずお主にも利がある事じゃ」
「わ、分かった……。でも会議は行かないもん!」
「バカ弟子め……。わしは、バラン様はお主に来て欲しいと、そう思うのじゃがな」
その言葉を最後に事務室を出ていくグラハス。
暫し無言で視線を下げるメラゾセフだった。
〇
魔王軍幹部と言う実力と地位を手にしたメラゾセフは、間もなく諜報機関である特務機関の統括も任される事となった。
軍の階級としては大将となるが、表向き軍との関わりは無い事となる。
「失礼します」
「おっ。来たね~」
メラゾセフは魔王ラーに呼ばれ、客室へと入った。
既に寛いでいた様子のラーが軽く応じる。
と、その向かいには見知らぬ男が居た。
中年の男だ。雰囲気的に人間。いや、魂を視る技術を得たメラゾセフが見るに、実際にその男は人間であった。
見た目は何ら変哲もない。
仕立ての良い服を着ているが、鍛えられた様子もなく、隙だらけな男であった。
「この方は?」
魔王城に居るには余りに異質なその存在に、メラゾセフはラーへと視線を向けて問うた。
「わ、わ、私はエイレと申します。以後、お見知りおきを」
と、酷く緊張した様子でその男は立ち上がり、メラゾセフへと腰を折った。
「エイレ? ああ、もしかしてアスラ王国の文官の?」
その男はアスラ王国に潜伏する諜報員であった。
戦争とは何でもありだ。
魔族が人間の間者を使う事はさして珍しい事ではない。
そしてメラゾセフは特務機関を統括する者として、その男の存在も知っていた。
「は、はっ! 左様でございます!」
と、背筋を伸ばして答えたエイレ。
彼にとって、メラゾセフは組織図の頂点。
更には天上人の様に感じていた魔王すらも同じ空間に居る。
未だ自分が呼ばれた理由も知らぬ彼は、不安や恐怖、そして緊張の絶頂にあった。
「うんうん。じゃ、本題に入ろうか。と言っても、僕から話す事はあまりないんだけどねぇ~」
言いながら、ラーもその場に立ち上がった。
「率直に言って、エイレ君。君には勇者になってもらう」
「は、へ? ゆゆ、勇者ですか?」
「ああ、そうだ。今君にはこの場で死んでもらって、向こうに逝ったら女神に『聖杯の祝福』を掛けてもらってくれ」
「す、すみません。言っている意味がよく分からないのですが……」
困惑した様子で、やたらと汗をかきながら男は言った。
「ま、詳しくは向こうの女神が説明してくれるよ。時期が来たらこの国に亡命するといい。大丈夫。僕が見るに、君ってば戦闘の才能があるから」
「は、ひっ」
徐々に理解が追いついてきたエイレ。
恐怖で後退るが、ラーは平然と踏み寄ってぽんっ、と。肩に手を置いた。
瞬間、エイレは息絶えた。
音もなく。
その場に崩れ落ちたエイレ。
驚き、メラゾセフは膝を突くとエイレを抱えた。
生死を確認する。
「こ、これは……死属性ですか?」
「ん? いいや。ちょっと僕のオーラを見せただけ。それだけで耐性の無い者はショック死しちゃうから」
始めて見た主のお力の一端。
ひんやりと首元が寒く感じる。汗をかいているのが分かった。
メラゾセフはエイレの顔を見る。
手を置いて一秒の間も無く絶命したエイレ。
そんな間など無かった筈であろうに、その逝き顔は恐怖に歪んでいた。
「さてさて~。と言う事で、彼が勇者になったら連絡は特務機関に任せる事になるから。よろしくね」
と、そうにっこりと人好きのする笑みを向けるラーであった。
その日、メラゾセフは魂の奥底から来る恐怖を知った。




