89:諜報員
「ふむ……」
明らかに、これは逃げてる動きだな。
俺は人間の町の宿の中、今しがた読んだ紙を蝋燭の火で燃やしながら思った。
首を持ってくるように言われた対象の精霊使いとやら。その動きは素人目にも分かる様な、俺達から逃げているものだった。
ついにはこのフルワ共和国も出た様である。
フルワ共和国は属国となった以上、今の様に大手を振って町を歩き、宿も取れていたが、他ではそうもいかないかも知れない。
この世界は一応種族毎に国を隔てている訳ではないが、戦争中である以上魔族を見る目が良くないのは間違いない。
正攻法での入国は厳しいものがあるだろう。
「少し、散歩してくる」
「はーい」
ポチ子の返事を聞きながら、俺は部屋を後にした。
〇
連絡方法は様々だが、大体いつの間にか服のポケットに紙切れが入っている事が多い。
所定の位置に資料を入れておく連絡方法もあるが、あれは面倒だからこちらの方がありがたいな。
問題はこちらから連絡を取りたい時だ。
暗くて静かな夜の街を歩き進み、裏路地へと入っていく。
道端に力なく項垂れる物乞い達を見下ろし、一人ひとりの様子を流し見た。
ああ、クソ。
貧民に紛れてる諜報員が居るって話だが、やっぱ分からねぇ。
そんな風に思いながらまったく人気のない場所まで来た頃、影に溶け込む様にあったらしい気配がゆっくりと顔を出した。
「ッ!」
咄嗟に柄に手を置く。
格上だ。
肌がぴりつく感じ。
この距離に来て漸く気づいた、いや相手が気配を出したからこそ気づいた事も、それ格上である事を物語っている。
「いい反応だな。だが生憎味方だ」
と、月光が当たる位置まで出てその男は言った。
黒のベスト、黒の征服、黒のマント。全身黒ずくめの恰好。
髪は赤黒く、瞳は夜闇に映える紅色だった。
そして喋った際に見えた、一際鋭く大きな犬歯。
独特な気配を感じる。
濃厚な血の匂い。
同族か? と一瞬思うが、その気配は今まであまり感じた事が無い。
間違いなく鬼系の血が入っているだろうが。
「まさか……」
吸血鬼!
あの噂は本当だったのか!
その正体に思い至って俺は目を見開く。
魔王軍の諜報部隊は当然に謎が多い。
存在そのものが隠蔽され、入隊条件も入隊方法も不明。
だが一つ噂されている事があった。
アルブレイン魔王国が建国された位置は元は吸血鬼達の住処であり、約百年前に魔王軍が侵略し、乗っ取った土地である。
そして元居た吸血鬼達は貴族階級へと落ち着いた。
その歴史に嘘はない。だがその吸血鬼達が諜報員として活動していると言う噂が、魔王軍では囁かれていたのである。
事実、吸血鬼の持つ能力は諜報員向けだ。
そして同じ吸血鬼である魔王軍幹部序列九位、“夜王”メラゾセフもまた謎が多い。
表向き貴族階級のまとめ役であり、他の吸血鬼達同様自身の領地の統治が仕事であろうが、それにしても魔王軍での立ち位置はまるで影に紛れるかの様である。
しかし吸血鬼達が“夜王”メラゾセフを頂点とする諜報部隊であるならば、色々と辻褄が合う。
「そうか。吸血鬼とは納得だな」
「勝手に納得していろ。今は現状知り得ている情報を伝えに来たのと、これを渡しに来た」
つい素の口調になっているのも気に留めず、その男は言って新たな身分証を渡してきた。
無論、ポチ子の分もある。
これで国家間の移動も安易になったな。
よく見るとそれは遠い西にあると言うルイラル公国の者だと示す身分証であった。
あそこは確か魔族や妖精も多く暮らす多民族国家であるから、確かに隠れ蓑として利用するには都合良いだろう。
その後いろいろと情報を貰う。
情報漏洩の心配が少なく、方針の整合性も取れる口頭での連絡が結局一番良い。
「ところで、貧民に紛れてるって話だったが、ここで話している事と言い隠す気ないのか?」
「今は気配隠しの魔法を使っているから安心しろ。そして住民に紛れているのは末端の者だ。私はこの地方を統括する者でね。せっかくだから挨拶代わりに出向いたのだよ」
「なるほど。いっそあんたが狩りに行けばいいと思うがな」
「我々は忙しい。何より目立つわけにはいかない」
「それもそうか」
そもそも精霊を見分けられる者が限られるから俺が選ばれたのだったなと、会話をして思い出した。
「では健闘を祈る」
それを最後に男は闇に紛れていった。
〇
前線の方では帝国を滅ぼした様だ。
“不凋花”は要所を回って戦線を押し上げていった様である。
戦いぶりのある戦場に行けなかったのは少し残念である。
その分、精霊使いとやらが手ごたえのある者である事を祈ろう。
国を越え、野宿をし、魔物を狩り、対象を追い続けた。
そしてついに、その対象と対峙した。
それは自然の奥深く、人気のない絶好の場であった。
ざっ、と。
一際大きく草を踏んだ。
こちらを向く集団。
黒髪黒目の青年。得物は片手剣。
側には給仕姿の少女が二人。金髪の方が回復役との情報だ。
そして青年の側を浮遊する精霊が三匹。恐らくは火、風、水の属性だ。
面倒と見るべきか、楽しめると見るべきか。
「な、何者だ?」
動揺した様子で言う青年。
「魔王軍……リュウラだ」
俺は端的に答えた。
刀を抜いて構えるのを、言外の問いに対する応えとする。
「そうか。俺を追ってたのはあんただな?」
それには答えない。答える必要はない。
情が移る前に殺すのが鉄則だ。互いに知り過ぎる必要はない。
にしても、年の割には落ち着いた態度である。
一応、修羅場を潜る様な経験はしてきた様である。
「ヒョーン。奴のステータスを読めるか?」
と、精霊との会話を始めたらしい青年。
その時言い様のない感覚が俺を襲った。
ふわっとと言うか、何だか見られている感じがする。まるで質量の伴った強烈な視線だ。
言動を込みで考えると、俺のステータスを見られたのだろう。
序で程度に、俺も最近計ったステータスを振り返っておこう。
種族名:ハイ・オーガ
レベル:71
魔力適性:9 魔力総量:601/601
闘気適性:13 闘気総量:1226/1226
状態:正常
きっと相手にはこんな情報が見えた事だろう。
聖都奇襲の際に格上を討ち、俺も大幅なレベルアップをしているのである。
ま、格上との戦いに明け暮れていた日々を思うと、割といつもの事だ。
「なっ」
目を見開き、青年は一歩後ずさった。
「だ、ダメだ。今戦っていい相手じゃない……。次元が違う」
そう震える瞳でこちら見て呟く青年。
「ふ、二人は逃げてくれ!」
「何を仰いますか! 先日言ったばかりではないですか! どんな相手だろと一緒に戦おうと!」
「そんなレベルの相手じゃないんだ! 頼むから逃げてくれ! なぁ、クロコ!」
「嫌です! 貴方が私たちを大切に思う様に、私たちも貴方が大切だから!」
と、青年らは熱い友情を見せてくれた。
こちらとしては精霊使いの首さえあればいい。
正直なところ、女はなるべく切りたくない。
逃げてくれるに越したことないんだが……
「たっく、分かったよ! いつもの事だしな!」
と、そう言って剣を構えた青年の顔は晴れ晴れとしていた。
なんかあいつ、主人公っぽい奴だな。
ご都合展開で倒されなきゃいいが。
にしても、格上の敵が一時覚悟や準備が整うのを待ってくれる理由が、今の立場になって何となく分かった。
それは実にシンプルな理由だ。
余裕があるからだ。
「そろそろいいか?」
「ああ。待たせたな」
と、俺に応じて眼前へと集中した青年。
「では、参る」




