82:決着
そ、そんな。
嘘……
「あ、アドラぁ!」
アルラは膝を突いたまま駆け寄ると、泡状の血が心臓部から溢れ出すアドラを抱えた。
「嘘つき! 嘘つき、嘘つき! 負けないでって言ったじゃん! 私の言葉は絶対なのよ! 勝手に死なないでよぅ!」
「へへっ……さーせん」
そう余裕そうな笑みを作って見せるアドラ。
「許さないから! 許さないもん!」
自身の水薬は使い切った。
アルラはアドラが持っていないかと懐をまさぐる。
と、それもアドラは手を取って止めた。
「いいんです……もう。ゲほッ! ……わ、分かるんです」
血を吐き出しながら、弱々しく言うアドラ。
「そんなっ」
その手を握って、アルラはおでこをアドラのそれと合わせる。
止め処無い涙がアドラにも伝う。
「い、いいですか、姐さん……。絶対に、特に今、復讐しようなんて気を起こさないでください……。お願いです。後、死体はアウラ様のところがいいです」
「う、ぅっ。今そんな事言わないでよ~ぅ! もっと楽しい事話そうよ~ぅ!」
ぎゅ~、とアドラを抱き寄せるアルラ。
血がこぽこぽと泡を立てる。
「うっ……姐さん、もっと、遺体には優しくしてっ」
「まだ死んでないじゃん! ないじゃ~ん!」
「グッ、げホッ!」
口からも溢れ出る血。
その別れの挨拶を邪魔する野暮な者など、この場には居ない。
皆が粛々と見守り、帝国軍の中には目を拭う者すら居た。
「フレシア様?」
と、フレシアもその一人。
顔を俯かせて手で隠していた。
グルーシーに呼ばれ、フレシアは顔を上げる。
「何でもない」
そういつもの通りの顔付きで言うが、皆に背を向けると静かに肩を揺らし始めた。
「じゃあ、こんな時にしか言えないんで……。あの時、あっしを拾ってくれて……見つけてくれて……ありがとう、ございました」
「そんなのっ、私は見つけただけで、大した事は何も……! あ、アドラ? アドラ!?」
腕の中、ぐったりと力を抜いたアドラ。
アドラはもう、その呼びかけには応じなかった――
○
「ぐっ、うぅ……!」
抱き着き、アルラは俯く。
とんっと、アルラの肩に手を置き、フレシアはアドラに手を向ける。
「せめて、綺麗な状態を保とう」
傷口が凍り付き、止血される。
「約束通り、我々は去るとしよう。アルラ。お前もだ。そいつが大事だったのなら、その意思を汲んでやれ」
そう立ち上がり言ったフレシア。
「その腕、取ってくれないか? 案外そこら辺は、人間より重視するのがこっちの文化でね」
切り落とされていたアドラの腕を帝国軍の者が広い、代わりとレルがフレシアに渡した。
持った途端、凍り付いた腕。
「さて、戻るぞ。私が送ってやる」
フレシアの言葉にゆっくりと、アドラを抱いたまま立ち上がるアルラ。
フレシアもグルーシーもアルラの元に寄り、一塊となった。
「おや、どうも」
レルの合図でアンチ・テレポート・フィールドが解かれ、フレシアは礼を言う。
「魔女アルラ。手を出さないと言う約束が、今後も続く事を願うばかりだ」
そう言ったヘルンに泣きはらした目をちらりと向けるアルラ。
特に返事は無い。
「フレシア。いずれ、スフィルの仇は取らせてもらう」
「ふっ。楽しみにしてるよ」
レルに応じるフレシア。
「グルーシー! 次こそ決着をつけるぞ!」
「ふんっ。命拾いしたと素直に言ったらどうだ?」
アレンとそうやり取りするグルーシー。
決着と共に新たな確執を産み、この場での戦いは終わった。
○
四人の姿が掻き消え、その気配も完全に消え去った後。
「アドラー……お前とは、また違った道もあったかも知れない」
――それこそ、出会い方や、立場さえ違ければ……
そう、荒廃した地にて、黄昏て思うヘルンだった。
そしてどさりとヘルンは膝を突く。
「ヘルン!」
駆け寄るレル。
ヘルンはそのまま倒れ込んだ。
「お前、脚折れてるだろう! 無茶しやがって!」
水薬を取り出したレルをヘルンは手で止める。
「いや、いい……今呑むと、三日は昏睡する筈だ。それよりミティアを……」
「ああ、そうだな! 治癒術を使える者は勇者パーティの治療を! 体力を消費する水薬は使うな! その他はスフィルの捜索に当たれ!」
現場は慌ただしく動きだす。
次第全員の治療を終え、リタを除く騎馬隊は残らず捜索に充てられた。
傷はほぼ全快近くにはなったとは言え、勇者パーティの面々に会話はない。
それは今にも気を失ってしまいそうな疲労とは別にある事は、わざわざ誰も口にしない。
敗北に続く敗北。
騎士スフィルの死はほぼ確実な上、こちらが討ったのは“赤髪の悪鬼”ただ一人。
非常に強力な個体であった事は間違いないが、あの幹部と言い魔王軍の戦力はまだまだ底が見えない。
ここに援軍に駆け付けた騎士達だって、その穴を突く様に戦線が押されたのは間違いない。
見るに一人ひとりが歴戦の猛者だ。きっと戦う事になったっていい勝負はしたくらいの。
そしてその代償は大きい。
最早帝国は滅びゆく時を待つだけだろう。
だがレルは、一国の滅亡よりもここが大事だと援軍に駆け付けた。
「レル……教えてくれ」
いつの間にか向かい合う様に集まっていた中、ヘルンは上体を起こすと言った。
「どうして……何故ここで俺達が戦っていると分かったんだ」
レルの目を真っ直ぐに見て言う。
騎兵隊が援軍に来た事も。
スフィルが駆けつけた事も。
度を越した読みだ。
ヘルンもレルの采配や軍略の読みは認めている。自分にはない素晴らしい才だと。
だが、今回は何か……言いようのないものを感じる。
何かの意思が絡んでいると言うか、まるで自分たちはゲーム盤の駒で、戦況を俯瞰して見ている何かが居る様な……
ヘルン自身、レルと言う軍略を巡らす者と直に接するからこそ、そして今まさに国が侵略される中、各地の戦場を駆け回るからこそ、そう錯覚しているのかと思っていた。
そんなものかも知れないと、そう納得していた。
だが、たった今巻き起こった一連の事は、ただの『読み』の一言では説明が付かない。
レルはじっと、ヘルンの真剣な眼差しを受けて黙っていた。
「女神ハウリアの祝福を受けたと名乗る男が……魔王軍として現れた」
「な、なに?」
だがその言葉に、思わず動揺して瞳が揺れた。
普段皇族としての威厳を保つ為、感情を露わにしないレルが。取り分け動揺という最も注意すべき感情につい言葉を零した。
「一方的にやられたよ……。向こうは本気を出してもいなかった。スフィルさんが駆けつけに来てくれなかったら、多分、いや全員死んでた。……これもお前の読みなのか?」
「いや、向こうに勇者が付いているなんてのはさすがに予想外だった……。だが」
と、一度言葉を止め、考え込む様に頭を下げる。
一時そうした後、レルは顔を上げる。
「確かに、俺はお前たちを利用した。すまなかった。だが来ると予想したのは向こうの将軍である“鬼武神”グラハスだった。まさか“六花竜”に加えてまだそんな化け物が居たとは……」
そう呟いたレル。
その姿を眺めていたヘルン。
短い付き合いとは言え、ヘルンはレルの事を理解しつつあった。
それが何かを誤魔化した姿だと、ヘルンには分かったのだ。
「なぁ、教えてくれ。一体お前は何を知っているんだ? 何に気づいたんだ? さっき『だが』と言ったろう。その続きは何だ? お前の事だ。『だが、予想はできた』……そう言おうとしたんじゃないのか? 何故だ。何故そんな事がお前に分かるんだ。俺達の動きを向こうが分かっていると、何故お前には分かったんだ。教えてくれ!」
そう真摯に訴えかけるヘルン。
「俺には……俺には、これが何か途轍もなく重要な事に思えて、仕方がないんだ」
次いで勢いを落とし、そう零す。
それを無表情で見ていたレルだったが。
「分かった」
ついにそう、レルは折れた。
「向こうの勇者が出た以上、最早向こうも隠す気がないのかも知れない」
そう呟くレル。
レルが折れたのはこちらに来て、新たな情報が入ると共に変わった事情あっての事である。
「い、言うのね? レル」
「ああ」
そうレルはリタに応じ、視線は唯一立ったままだったリタに集まる。
「レルはね。内通者の存在を疑ってたの。でも、それが分かったと同時に何故か誰にも教えてくれなくって……」
「一応、スフィルには話した」
その言葉にハルはスフィルの何か知っていた様子に納得すると共に、その言動を振り返る。
「言っとくが、後悔するぞ?」
「望むところだ」
賢人は言った。後悔は早い方がいいと。成長の余地があるから。
だがこうも言う。後悔先に立たずと。
「俺の思う内通者……それは――」
瞬間、とある人物が駆け出した。
爪を突き立てた両手をレルの顔面に向けるも、余りにお粗末な動きによってすぐにリタによって抑え込まれた。
「ミティア様……お戯れを」
その人物、ミティアをそう敬称で呼んだのは、リタ自身頭が追いついていないからだろう。
と、腕を捻られ地面に押し付けられたミティアは無表情でレルを見上げている。
――遠い東の地では、『加護』を受けた者を巫女と呼ぶ文化がある。それは『加護』を受けし者が神の依り代であると信じられているからだ……
「あ、あれ? 痛てて。え、ちょ、何この状況?」
と、正気に戻ったかの様に呟くミティア。
「い、今、俺の目を、狙ったのか……?」
レルは尻餅突いた状態で、ミティアの事もそんな無様もどうでもいいようにわなわなと震えた。
「そうか! そういう事か! 目が媒体なんだな!? ミティアやヘルン、そして向こうの勇者の瞳を介して、俺達を盗み見してたんだ! そうだろう!」
そう怒鳴りつける様に言って、ミティアの瞳を覗くレル。
次いでヘルンの顔を掴むと同じくその瞳を真っ直ぐに覗く。
「今も見てるんだろう? この瞳を介して! いいか? よく聞け。俺は絶対にお前を許さない! 神々の王、全能神ウラノスの使徒、レル=ン・フォン・レクタリアの名に懸けて、魔王軍に浴したお前には必ず相応の報いを与える!」
皆が呆気に取られてしまう中、ハルは一人スフィルの言葉を思い出していた。
彼は言った。『主の御心を差し測るなど、我々には過ぎた事でしょう』、と。
ここで言う主と言うのが、もしレルの事ではなく、もっと別の――この世界その物の創造主の事を指すのであれば……
そして、レルはその帰結せし内通者の存在を叫んだ。
「女神、ハウリア!」




