61:それぞれの約束
ラゼルはレットの胸の部分から浮き出る光の球を見つめ、呆然と涙も枯れた。
この時ラゼルの蓄積した技量と胸の奥底から来る強い願いが合わさり、その技術を得るに達したのだ。
つまりは、“魂を視る”技術を。
理性の部分でこれは何だと疑問に思いつつも、感覚的に魂だと理解する不思議な状態にこの時ラゼルはあった。
「そうか……これが『聖杯の祝福』か」
そしてその魂に余分に付いたと思われる何かを見て、ラゼルは理解する。
きっと自然の法則に従い主の元に召されるのが一番良い。
ラゼルは浮遊するその魂に触れる事無く見守った。
下手に介入などせず、輪廻が回る時を待つのだ。
「ふむ。少し遅かったか」
その時響いたこの場にある筈のない他人の声に、ラゼルは弾かれたように顔を上げる。
そこには一人の男が居た。
仮面を付けたタキシード姿の偉丈夫。
今しがた討った魔王軍幹部と勝るとも劣らない様な巨大な存在感だ。
「な、何者だ!」
絶望を跳ね除けそうラゼルは声を張る。
「魔王軍大幹部が一人、バランである」
ラゼルはそれを聞いても最早動揺はない。
自分以外の仲間が全滅した以上の衝撃は彼には起こりようがないのだ。
自棄的になっているのとは違う、ただし勇気あるのかと言われてもそうではない。
一種の超集中状態。ゾーンなどと呼ばれる状態に今のラゼルは置かれ、周囲の音や痛みなどの感覚すら置いて目の前に集中する。
生存本能すら傍に置いた集中力で、ラゼルは半ばで折れた刀を握る。
そして振るう。
今までで最高で最速の一太刀を。
「む?」
当然のように爪で受け止めたバランだったが、まさか爪の一つが砕けるとは思わずに声を零す。
同時にラゼルの刀も砕けて更に短くなる。
バランはその攻撃に何か違和感を感じて刀をよく見た。
刀身を薄く覆うようにラゼルから魔力が流れている。
直接、精神体にまで影響を与える一種の技術だ。
この刀で切られた部位は精神体まで傷つき、魔法や神聖術での治癒が不可能となる。
見るとラ=ルアの口と舌が斬られている。これに切られて詠唱を封じられたのは想像に難くない。
幸い自身が受けたのは生え変わりのする爪である為問題はない。
これは得物による力ではない。ラゼルの技量が成している事である。
レベルが高いからと言ってそうできる事ではない。
これはラゼル自身、半ば無自覚にやっている事だった。
ラゼルの人生で二度目の、凡人の人生で一度あるかないかの超集中状態を終え、ラゼルは地に膝を突く。
「なるほど。蓄積された技量と極限の状態により、人間の上位種である“仙人”に一歩近づいたようだな。ふむ……面白い」
そうバランはラゼルを見下ろして言う。
「殺すつもりだったが、見逃してやろう」
ラゼルはバランの言っている意味が分からない。
この渦巻く思いは何なのか。悔しさなのか虚しさなのか、それとも安堵などと呼ばれるものなのか。
分からない。
「その魂もな。故、こちらは回収しておく」
バランは“双頭姫”を名乗った女を持ち上げた。
「いずれまた会うだろう。その時は精々今より霊力を蓄積し、我輩のレベルアップへの良き贄となる事だな」
見逃してもらう立場なのは心の奥底から理解している。
仲間が一人残らず死に、自身も満身創痍の状態で何か言い返す気力は無く、ラゼルは空間転移にて消えるバランを見送る事しかできなかった。
〇
――初めまして。私、北の魔王軍より連絡係として参りました。ロアと、妹のルアです……
――ふふっ。これから同僚ですね。よろしくお願いしますね……
――ええ! 生命の神秘こそ! この世の最も尊ぶべきものなのです! 漸くご理解頂けましたか!? あれ? そうですか……
――まぁ、嬉しいですわぁ。本当に、300年生きてこの様に幸福だった事はありません。謹んで、お受けいたします……
――知っておりますか? 私の居た北の魔族の国には、『愛を知った悪鬼は間もなく死ぬ』、というジンクスのようなものが昔から囁かれているのです……
――ふふっ。ありがとうございます……
――でも、もし……もし、私に何かあったら、この研究所をお願いしてもいいですか……?
――もしこのジンクスが本当なのなら……きっと、私は幸福の中で死ぬのでしょう……私は幸せ者です……
その日は雨が降っていた。
魔王軍大幹部序列八位、“双頭姫”ラ=ロア・ラ=ルアの追悼式である。
魔王ラーを始めとした魔王軍の重鎮たちが立ち並び、喪に付した彼らは胸に手を当て黙祷を捧げる。
その者、バランもその一人であった。
「アランよ」
「はい」
粛々とした雰囲気の中、バランはすぐ後ろに居る部下を呼ぶ。
その場を動く事はせず、その部下も控え目な声で応じた。
「我輩の手袋の下に指輪が付けてある。もし我輩が死んだ時はこの体などはどうでもいい。ただその指輪は取って、この墓に埋めてくれ……。これは命令ではない。お願いだ」
「……分かりました」
そしてその悪魔達は約束を交わしたのだった。
〇
ラゼルは一人旅を続けた。
魔王軍との戦闘は二の次に、友との約束を果たす為の『聖杯の祝福』が掛かった魂を探す旅に出ていた。
時は経ち、その功績が勇者レットの陰に隠れていた事もあって、次第にラゼルの存在は人々からも忘れられていく。
技術を磨く事は忘れなかったが、移動を主題とする事によりレベルの上昇は著しく下がった。
ラゼルは類まれなる才で自身を理解していた。
このまま過ごせば伝説に聞く“仙人”に自分は成れないだろう。
その存在にこれから何歩も近づくだろうが、何れ老いがレベルに追いついてしまう。
そして一定の練度に達したが故、余生を技術の磨く事に専念せねば足りない事が分かったのだ。
ラゼルは高みの一つを目指す事は諦め、代わりに高みへと導くべき友の転生した姿を探した。
幸い魂は視る事が可能になった上、『聖杯の祝福』は見分けがつく。
更に練度が上がった事により魂を視る事も然程の苦ではなくなっていた。
――そして見つける事になる。『聖杯の祝福』を受けた者を……
〇
その者はとある国の辺鄙な村に居た。
偶然通りかからなければ立ち寄る事もなかっただろう村だ。
そこに居たまだ幼い少年。綺麗な金髪。魂に掛かった『聖杯の祝福』。その神聖力の奔流もまるで同じ。
間違いない。あの時と同じ女神ハウリアからの祝福を賜った魂。
生まれ変わったレットに再会したのだ。
にしても、余生の殆どを捜索に充てるつもりだった身としては、思ったよりずっと早くに出会えて肩透かしの気持ちも拭えないラゼルであった。
良い事ではあるのだが。
ともかく、ラゼルはその少年と話を付ける事とする。
口減らしに親から買い取る事も可能だったが、そんな事をしても意味はない。
最初の一歩。それだけはどれだけ小さかろうが本人が踏み出さなければならないのである。
驚いた事に、少年はすでに魔物退治等の逸話を作っていた。
またレットがそうであったように、周囲が持ち上げただけなのかともラゼルは思った。
だがラゼルは少年を一目見た時から直感していた。彼には才能がある。
実際にしてしまいそうな何かを感じたのだ。
少し話が逸れてしまったが、ラゼルは少年に自身が元勇者パーティの剣士である事。
少年が『聖杯の祝福』を受けた真の勇者と言われる存在である事。
そして自分の弟子になって旅に出ないか? と言う事を伝えた。
少年は頷いた。
一先ずの目標を達し、胸を撫でおろすラゼル。
これから前回の反省を生かし、ひっそりと修行を積ませる。
若い芽を摘むが如き動きをする魔王軍が居るだろうからだ。
相打ちとは言え、これでレットはレベル1の再スタートを切らざるを得なったのだ。
果たして前世の死から本人が学んだ事はあるのか、それはこれからの旅で確認していけばいい。
「おっと、俺とした事がついうっかりだ。お前が友達と似てたからよ。つい訊くのを忘れてた。名前、なんて言うんだ?」
そうラゼルはその少年へと言った。
それに少年は一言答えた。
「フルハ」
これはアスラ王都陥落の40年以上も前の事である。




