18:魔女VS銀月の騎士
「どうにか蹴落としてやろう」
騎士は姿勢を低くすると石を拾う動作をし、魔女へと石を投げつけた。更には姿勢を低くしたまま走ると石を拾うように手を下げ、幾つも投石する。
「ッ!」
魔女は瞬く間に近づくそれを見て顔を傾ける。先ほどまで顔があった位置に通り抜ける凄まじい速度の何か。怒らくは石だろう。
(これはマズいわね……!)
上昇しつつも魔女は避け切れなと判断し、防御結界を展開する。
石を打つけられたとは思えない様な音が響く。たった一つ打つけられただけで結界にひびが入った。
次々に打ち付けられる石に結界は音を上げ始める。
(キリが無い! 死角に入らなければ……!)
結界は維持に多くの魔力を消費する。投石程度で展開するのは勿体ないとの判断である。
「うわっ!」
バキリと嫌な音がし、体を揺らす衝撃に驚いて魔女は声を漏らす。
横乗りにしていた箒の先が石に砕かれたのだ。騎士が結界より下に潜るよう近き狙って当てたのである。
三分の一近くを失った箒の上で魔女は落ちぬよう杖を握り直した。
「ふっ、ふざけんじゃないわよ、あの男……。し、師匠からの……師匠からのプレゼントなのにッ!」
今だけは効率を無視して結界を大きく張り、魔女は憤る気持ちを落ち着かせた。
――アルラ、魔法使いは冷静である事が何よりの必須条件よ。貴方の心の状態に、常に魔力は相応の態度を取るわ……
いつの日か言われた師匠の言葉を思い出し、その魔女は深呼吸をした。
冷静さを取り戻し、結界の向こうの騎士を見据える。
その魔女は考える。今何をするのが最善か。
先ずは死角を作りたい。だがここは庭園で、周囲の建物と言えば王城か城壁くらいだ。
次に相手に勝ってる利点。それは毎度の事ながら制空権を得ている事。ならばこの利点があるからこその常套手段を行うまで。
だがその為には先ずは多少の集中力と時間を要する。
魔女は移動すべきか結界を解除すべきかを迷う。死角は欲しいが、投石を注意するなら恐らくこの手入れされた庭園が一番マシ。
それに建物があれば直接叩きに来る事が予想される。
結局多少の手の内を見せるのが無難か……
「一つ、訊いてもよいか?」
と、その騎士は立ち止まり、手元の石を軽く投げて遊びながら魔女を見上げていた。
「何よ?」
魔女は警戒は解かずに結界を解いて応じる。
「何故、魔族に加担する?」
「人間に加担する理由が無いだけよ」
「なるほど」
騎士はその返事に酷く納得した様子で頷いた。
「俺と一緒だ」
騎士は手に持つ最後の石を、その共感に免じて無駄撃ちする事に決めた。
「ッ! くッ……!」
今までの最高速度で投げられた石。大きな予備動作もあって魔女は結界を張っていたが、その石は結界を破壊して魔女の頭に当たった。
「ふぅ。ま、準備運動はこの辺にして、と」
ただの石で結界を破壊する荒業を繰り出した訳だが、その騎士は何ら感慨も無く呟く。
緊張感の無い、あまりに余裕の態度。
魔女は額から血を流し、不快感に眉を顰めていた。
これが直接当たっていたら、ただでは済まなかった事は当然に理解できる。
「随分と余裕の態度ね? メイン・ウェポンの石も尽きて、打つ手が無いのはそちらの方でしょう? それとも必死に背伸びしてその棒が届く様祈っとく?」
「フッ。そうだな」
槍使いに石ころが主要武器だと煽る魔女と、それを一笑に付す騎士。
事実魔女は強がっている。本気で石を投げられると結界を破られる事が分かった以上、それをされると本気で対処せざるを得なくなる。
対して騎士も、本気で投石する様な余裕をくれる程、相手の魔女が優しくない事は分かっていた。
両者の戦闘は既に牽制を終え、ここから加速度的に展開してくのである。
「――気に入らないわ。その態度……『ハイ・サモン・ミスト』」
魔女はゆっくりと上昇を行いながら、その身を立ち込める霧へと隠した。
この庭園中を優に覆う濃い霧が互いの姿を搔き消していく。夜中である上にこの濃い霧。最早視覚で互いを認識するのは不可能と言ってよい。
庭園の半分を火の海にしていまっていた魔法の残り火も、絶え間のない霧に徐々に消火していく。
このままではジリ貧になるのは確実。優位性を保つ為の大技を繰り出す為の下準備を魔女はしたのだ。
魔女は噎せ返ってしまいそうな程濃い霧の中を上昇する。
騎士は庭園のど真ん中に居て、周囲に利用できそうな建物は無い。
それでも一応更なる高度を魔女は取っておこうと言うのだ。
(この魔法を使うのは久々ね……大丈夫、魔力はまだ半分ある。それに私も成長してる)
魔女は意識を集中し、半分を切っても尚、成竜に匹敵する程膨大な自身の魔力が体内で蠢くのを感じる。
だが魔法が発現する事はなかった。
「なっ。ぃギィッ!?」
気づくと騎士が目の前に現れ、無防備な魔女は盛大に斬撃を受けた。
衝撃に体が捻じれ、肺が圧迫されて妙な声が零れ出る。
「ぐあぁっ! ぐ、うぅ……!」
箒から叩き落とされ、地面と激突。重い物が高所から落ちる鈍い音が響き、唸りながら転がる。
高度を上げていた事が災いし、魔女は盛大に受けた横薙ぎの斬撃と共に全身に打撲傷を負った。
上体の二の腕から胸囲を通りもう片方の二の腕までバッサリと斬られている。
「ぐうぅ、い、痛いぃ。痛いよぅ。せ、先生ぃ、師匠ぅ」
そういえば昔は師匠の事を先生と呼んでいたのだったなと、そんなどうでもいい事を思い出す魔女。それは一種の現実逃避だったのだろう。
魔女は空間魔法を使い、筋肉が斬られて動かない腕を無理やり動かした。
空間魔法の対象はあくまで自分の肉体である。箒に乗っているのはそれを触媒として魔法が安定するからだ。箒に『乗っている』という感覚はあるものの、実際にあんな細い棒に体を預けられる訳がない。
故に物を自在に操れる訳ではないのだ。それはもはや別の魔法である。
だから魔女は自身の腕を空間魔法で動かし、痛みに耐えながら懐の小瓶を取り出した。
緑の液の入った回復水薬である。
それを魔女は傷口へと掛けていった。
「くっ……うぅ。さすが先生ですぅ」
一瞬だけ滲みたがその薬のおかげで傷は瞬く間に塞がっていった。
かなり楽になった魔女は状況を思い出し慌てて立ち上がった。
周囲には今だ一寸先も見えない様な濃い霧が立ち込めている。これのおかげで危うかったととれるし、助かったともとれる。
「この辺かな?」
びゅんっ、と。目の前を槍の刃が通った。
驚きに声を漏らしそうになる。
音を出さぬ様そのまま宙に浮かび、魔女は距離を置いて息を潜めた。
「む? 気配が消えた……。気配を隠すのが上手だな。さすがは魔女と言ったところか」
「……皮肉にしか聞こえないわよ」
「いいや、心からの感想だ。どう受け取るかは任せるがな」
魔女はそのまま警戒しながら高度を上げていく。
騎士は声には出さぬが、魔女の声が頭上から聞こえた事から箒無しで飛んでいる事を察して感心した。
「にしても浅かったか? 濃い霧の上、感で飛んだので急所は外したが……。それにさっきの感触。お前かなりレベル高いだろ?」
「教える訳ないでしょ。ま、傷は水薬で治させてもらったけど」
「水薬か……。あまり服用すると素の傷の治りが悪くなるぞ?」
「ふんだ! 師匠がくれる水薬はみんな自然の素材で作られた物なんだから! 量産品と一緒にすんじゃないわよ!」
魔女は傷を労り、騎士は視界も気配も遮断されてはできる事がなく、互いに無駄話に乗る事にした。
「にしても、レベルより年齢が上だとレベルを明かすのを躊躇うのは皆共通だろう。つまりそれだけ高レベルなのにレベルを隠すお前はババアだ」
「てめっ……!」
魔女は憤るが、これがレベルを聞き出す為の高度な心理術であると察して気持ちを落ちつかせた。たぶん。
「それよりあんた何なのよ。どうやってあの高さに届いた訳?」
「ふんっ。教えるか……と、言いたいところだが。霧が晴れるまでの時間稼ぎに教えてやろう。簡単な事だ。全力で地面を蹴り、跳躍した。最初のはお前に俺の限界高度を印象付ける為に態と空ぶったのだ。会心の一撃をくれてやる為にな」
してやられた事実に魔女は唇を噛んだ。
同時に怖くなって高度を上げる。
「ふーん。でもあなたって天然な訳? そんな事教えられて、私が霧を晴れさせると思う?」
「思わんな。だからこうしてやろうと思う」
その時騎士は何かを呟いたようだったが、魔女はそれを聞き取れなかった。
だがその直後、凄まじい風が吹き荒れ霧が半ば四散する。
お互いの姿を視認する。騎士を中心に風が起こった様子を確認して、魔女は先ほど騎士が呟いたのは風属性魔法の詠唱であると察する。体を揺らす強風に抵抗しつつも逃げる霧に隠れようとする魔女。
そしてそれを見て驚愕する。
「ッ!」
反射的に防御結界を張ったのは正解であった。何故なら直後に石が結界を破壊する勢いで打つかったからだ。
見ると騎士の足元には幾つもの石が用意されている。
――こいつ! 今までの会話はこれの為のブラフか……!
いいや、声から移動していた様子は無かった。つまりあれは土属性魔法で作られた物。
それも魔女との会話に興じながら無詠唱で作ったという事だ。今思えばこの手入れの行き届いた庭園で幾つもの石を見つけられたのも、本当は拾うフリをしただけの魔法で作った物と言う事だろう。
(あの時から既にブラフは始まっていた! この男なんて用心深い……!)
動揺から魔女は判断を忘れる。
次々に放たれる石は霧に隠れようとする魔女を追い、結界を貫通して魔女に当たる。
「うッ、ヴぅ! 痛いぃっ!」
堪らず魔女は頭を覆って身を小さくする。
その隙を逃がす騎士ではない。
凄まじい脚力で跳躍し、魔女の高度に追いつくと槍を振りかぶる。
咄嗟に魔女は空間魔法を解除、全力の魔力を込めた防御結界を二重に展開する。
「ぐぅっ! ……ぶぐギッ!」
何とか衝撃の大半を結界で防いだものの、またも地面に叩き落とされて潰れた様な声が出る。
「う、うぅ、うっ。頭打っちゃった……。バカになったら、ダメだ。先生を、手伝えないっ」
「打ちどころでも悪かったか?」
ふらふらと立ち上がる魔女に騎士は槍を構えて駆け寄り、大きく振りかぶった。
次こそ殺れる、そう騎士が確信した瞬間――
「『エクスプロージョン』ッ!」
声高らかな魔法の詠唱。直後に起こる小爆発。
人一人くらいは優に飲み込む規模の爆発に、騎士の姿は掻き消えた。
眩い光。轟音。熱風。鼻に付く焦げた臭い。黒い煙から飛び出した騎士は受け身を取って魔女を警戒する。
漸くまともに受けた魔女の攻撃。所々鎧が外れ、服を焦がしている。
「『エクスプロージョン』ッ! 『エクスプロージョン』ッ! 『エクスプロージョン』ッ!」
続けざまに魔法の連射を行う魔女。
騎士は魔女の周囲を走りぬけそれを躱していく。
「『エクスプロージョン』ッ! 『エクスプロージョン』ッ! 『エクスプロージョン』ッ! 『エクスプロージョン』――ッ!」
連続した決して魔力消費も馬鹿にならない魔法に騎士は目を剥く。湿った地面を走りぬけ、行先を予想した様な魔女の魔法に騎士は急激に止まりつつ、無理な姿勢で魔女へと槍を投げた。
魔女はびっくりして反射的に目を瞑り縮こまり、目の前に全力の結界を二重に展開した。
槍は一つの結界を当然の様に突き破り、二つ目の結界に刃の先を食い込ませて止まった。
騎士は好機と駆け寄り、槍を掴む。その隙に魔女は手前の結界を解除すると、奥側の結界を補強する。そして空間魔法を発動。騎士の頭上へと飛ぶ。
「む?」
魔女の予想通り、騎士は思ったようには結界から槍を抜けなかったようだ。正面から突き破るのと、突き刺した状態から破壊するのとでは大きく違う。
それは単純に真っ直ぐ抜けばいい事ではあるのだが、この達人同士の極限の戦闘場面では一瞬の隙が命取り。
「ふふ。掛かったわね」
(偶然だけど!)
頭上からそう得意げになって告げる魔女。
この状況が偶然の産物とは言え、これから行うことは今までのブラフあっての事と言えた。
「フッ、お前は二重術者。一体そこからどうしようと……まさか!」
騎士は余裕の表情を焦燥と驚愕に変えていった。
「もう遅い! 『ハイ・エクスプロージョン』――ッ!」
魔女はその溜めていた魔力を開放し、目の前が光に染まる中でも油断無く騎士を見届けた。
魔女が行ったブラフ。それは自身が二重術者であるという偽装。現在魔女が行使する魔法は騎士の槍を止める防御魔法、空中に浮かぶ空間魔法、そして今放った火属性魔法だ。
そう、つまりは。魔女は三重術者なのであった。
今までとは一線を画す力が吹き荒れ、魔法が発動する最中。
光に染まる騎士の表情は段々と、この状況には余りに似つかわしくない、薄ら笑いへと変わっていった。
それが魔女には騎士の強がりにも、増して有終を飾る騎士の美挙にも思えなかった。
――ま、まさかっ!? マズい……!
そう。この時漸く魔女は察したのだ。
目の前の男が、『銀月の騎士』の異名を持つ存在であると。
「『リフレクション』」
月の女神の“反転する力”を得る、『月下の祝福』を受けた男であると。




