8 クアッ
「噂をすればでしたね!」
「ああ。あれは今度やってくれるって言うし、楽しみが増えたな」
丁度よくセシルが言った『揚げたお肉がのったやつ』の昼ご飯をお代わり含めて食べ終えて、今日もランフォルたちのごはんを見守った。今は厩に向かって並んで歩いている。
扉を全開にして、よしとセシルはフォークを担いだ。
「……こないだ気づいたんだが」
「なんですか?」
「藁かたすとき、セシルなんか歌ってるか?」
「……お気づきになりましたか!」
「なんで自慢げなんだ」
オスカーが苦笑する。セシルには『お掃除がはかどる魔法の歌』がある。
「歌ってみますか?」
「どうぞ」
「マルペコ牧場のペコさんが、熊に蜂蜜食べられて、鳩にコーンを食べられた。ワッチマルマル、ワッチマルマル」
「ワッチマルマルがわかんねえよ!」
「十番まであります。まだまだ色々食べられます」
「ペコさんが可哀想だよ!」
それなら心の中だけにしようと、セシルは心の中で歌う。ワッチマルマル。ワッチマルマル。
「……ル」
「おや?」
セシルは顔を上げてオスカーを見た。オスカーが驚いたような顔でこっちを見ている。
「一度聞くと永久に繰り返すなこれ。……ワッチマルマル」
「ワッチマルマル」
声に出すと余計に手が動く。それがワッチマルマル。
「嘘だろうなんだこれ妙にはかどるぞ! もういいやペコさんへの同情はしない。歌ってくれセシル」
「マルペコ牧場のペコさんが、猫に魚を食べられて、ねずみにチーズをかじられた、ワッチマルマル、ワッチマルマル」
はっはっはとオスカーが笑いながら手を動かしている。ほらねやっぱり魔法だと、セシルも笑う。
おばあちゃんが歌っていた歌だ。小さいころから聞いて育った、思い出の魔法の歌。
歌って、笑って、片づけて。今夜の彼らのふわふわベッドが完成。清潔な藁にセシルはぽすんと埋まってみる。
「やるよな。わかるぞ」
隣の山にオスカーが埋まった。わかるわかる。お日様のいいにおいがする。
風が吹き、オスカーの茶の髪が金色になって揺れる。青い目がそっと瞬く。お昼寝してるみたいな、やわらかな空気が流れた。
「よし、休憩終了。卵見にいくか。そろそろ何かあっても不思議じゃない」
「はい」
いつまでも休んでいるわけには行かない。立ち上がり、フォークを片づける。
「セシル」
「はい」
「ついてるぞ」
「あ、すいません」
オスカーの指がセシルの髪に触れた。思わず見上げてしまい、青い目と間近で目が合う。ふっとオスカーが笑う。
「いつものが二本になってた」
「一本は偽物です。見破ってくれてありがとうございます」
「似てた。危うく本物を抜くところだった」
「騙されませんでしたね」
笑い合って、そうして卵のところへ歩く。
三つ並んだ卵のうち真ん中の卵に、小さなひびがあった。こつこつと音が響く。二人は見つめ合う。
「……来たか」
「来ましたね」
か~っと顔に血が上る。何度やったって、これにはたまらない喜びが湧き上がる。
「もう少しかかる。夜中だろうな。どうする?」
「交代で寝ましょう。出てきたらお互い起こして」
「うん。じゃあ簡易ベッドを西の部屋に出そう。今日は早めに切り上げよう」
「はい」
大急ぎで仕事を終えて、運んだ孵化箱を見ながら夕飯を摂った。
今日は絶品シチュー。とろとろに煮込まれたお肉を食むとほろほろと口の中でほぐれる。大きいにんじんが甘くて好きだ。しっかりめの生地のパンにはごろごろとお豆が入っていて、付け合わせの数種類の野菜はしゃきしゃきだ。
「オスカーさんってお酒飲まないんですか?」
「軍にいたときは飲んでた。こっち帰ってからはさっぱりだな」
「飲んでもいいですよ。何かあったら対応しますから」
「そうか。……今ならできるんだな。今度セシルも飲んでみるか」
「飲んだことないから、どうなるかわかりませんよ」
「案外強いかもしれん。そんな気がする」
美味しいものを食べながら会話をして、夕食を食べ終えた。
「少し書類仕事をしたいから、先に入ってくれ。卵は見とく」
「はい」
今日は先にセシルがお風呂をいただいた。
独特のにおいのお湯に肩まで浸かる。これのおかげか、傷の治りが早い。ここに来てから肌がつるつるになったような気がする。
お湯を出て髪を簡単に拭き、最後に以前オスカーにもらった手の油を塗る。びっくりするほどよく効いて、こっちもだいぶつるつるになった。今度ピオに手を握ってもらおうかなと思いながら出たら、ちょうど廊下にオスカーがいた。
「髪をちゃんと拭け」
「はあい。待たせましたか?」
「いや、単に通りがかりだ。着替え持ちに戻ろう」
「オスカーさん」
「ん?」
右手を出してみた。不思議そうな顔で握られる。
「なんだ?」
「つるつるになったかなと思いまして」
「ああ」
思い出したらしい。
「うん。つるつるだ。ピオにもう『母ちゃんみたい』とは言われないぞ。よかったな」
「やった」
セシルは笑う。
「じゃあ西の部屋で卵見てますから、オスカーさんはごゆっくりしてください」
「ああ。頼む」
西の部屋。セシルの部屋三人分くらいの広い部屋だ。
簡易ベッドが二台。シーツが畳まれたままだったので、セシルは二人分敷いた。
まくらにお布団。よしよしと出来を確かめてから、自分のベッドと勝手に決めたほうの上に乗り、卵の入った箱を置く。
うつぶせになって、腕にあごを置いてじっと眺める。
卵全体がブルブル震えている。中で必死に殻を破って世界に出ようとしている、命がそこにある。
ダメだ。見ていると泣けてしまう。幸せで嬉しいことのはずなのに。
どれくらいそうしていたのかわからない。セシルはこの様子なら、いくらでも見ていられる。
ノックの音がしてオスカーの声がしたので顔を上げた。どうぞと言えばかちゃりと開く。すっかり見守りの型が出来上がっているセシルの様子に笑っている。
「なんだ、独り占めして。ベッドありがとう」
「いいえ。運ぶの手伝わなくてすいません。ありがとうございます」
「セシルが先に寝ろ。出そうになったり時間になったりしたら起こすから」
「……絶対ですよ」
「ああ。そんな一生恨まれるようなことするもんか。起こすよ」
「わかりました」
オスカーに箱を渡す。
「ではお先に失礼しておやすみなさい。いびきかいたらすいません」
「かくのか。わかった」
ぽすんと枕に頭を乗せる。
「あ、そうだセシル。若手の餌……」
「……」
オスカーはそろりと立ち上がった。ついさっき、ほんの数秒前まで彼女はしゃべっていたはずだった。ベッドサイドに立って顔を覗き込む。ぴったりと目が閉じ、蜂蜜色のまつげが織り合わさっている。
すう、すうと規則的な息が聞こえる。
「……名人芸か」
尊敬に値する快眠ぶり。これは恐れ入った。
まあいい。少しでも寝たほうが疲れは取れるし背も伸びるだろうと、オスカーは中央のテーブルに卵を置き、自分はソファに座った。
こつ、こつ、こつ、と中で頑張っている小さな音が愛おしい。
そこにすう、すう、すうという安らかな吐息が重なるので、少し笑う。本当に、子どものようだなと思う。
よく食い、よく眠り、よく働く。いつも楽しそうで、全力でランフォル大好き。
女性であることなんか気にする必要なかったなと思う。あっけらかんと明るくて元気で、一緒にいてもまったく気を使う必要がない。
音と動きが変わった。仕上げに入ったらしい。早い。こいつは生命力が強いやつだと思う。
「セシル」
「……」
「セシル。起きろ。生まれるぞ」
「……」
立ち上がり、顔を叩くのも気の毒だと思い布団をはいで肩を揺すった。
「セシル! 起きろ! 雛が生まれる!」
カッと目を見開き、セシルが起きた。自分のせいだが顔が近い。
「どっちがママになりますか」
「一発目は俺だろう」
「嫌だ!」
「嫌だとはなんだ。どっちの卵だ」
「アランさんのです」
「あいつのかよ割り切り悪いな。アランの卵に好かれるのもあれだから譲ってやる」
「やったあ」
寝起きにも関わらず、弾むような足取りでセシルがほんの少しの距離を駆ける。
ソファに並んで座る。身を乗り出して、セシルが卵を覗き込む。
「落ちる落ちる。隙間にセシルが落ちる。ああもうソファに乗せよう」
箱をテーブルから下ろし、二人の間に置く。
水色の目がきらきらしている。あんなちょっとの間に寝ぐせが付いたらしく、おでこがいつもより出ている。
わずかな距離を置いて向き合う形だ。ふと、まつ毛が長いなと思った。肌が白い。大して手入れなんかしていないだろうに、つるつるとなめらかなのはやはり若さだなあと思う。
おっ、とセシルが跳ねた。くちばしが殻をぐるりと切り終えた。もぞもぞっと揺れる。
「がんばれ、がんばれ」
顔を真っ赤にしてセシルが応援している。
ばしんと力強く殻を蹴り飛ばし、脚が覗いた。したたたたと、床を蹴っている。
「もうちょっと! がんばれ!」
拳を握り涙目でセシルが言う。あまりにも必死なその様子に、オスカーはふっと笑ってしまった。
そんなことには気づかずに、セシルが息を呑んで卵の様子を見守っている。
そして。
きらきらとした目が、セシルをまっすぐに見つめている。
濡れた体をセシルが抱き締め、少し出血しているところに薬を塗っている。
独特のにおいが部屋に満ちている。生臭いような、血のような。
白かったセシルの寝巻はいろんな色の染みだらけだ。
生き物を飼うというのは、綺麗なことばっかりじゃない。汚れるし、臭いし、怪我をしたり、大事にしていたものが突然失われることもある。楽しいことばかりでもない。
セシルが泣いている。それでもこうやって生まれる命があるから、自分たちは彼らを育てたいのだと思う。
「この子と一緒に寝てもいいですか?」
「ああ。ちゃんとあったかくしろよ」
「はい。今日はもうここで寝ちゃおう」
「そっか。俺もそうしよう移動するのも面倒だ。着替えたほうがいいぞ」
「朝お風呂に入ります。今日はこのままぎゅっとしていたいんです」
「そうか」
それぞれのベッドに入ってランプの明かりを消した。
セシルじゃないが、オスカーも疲れていたらしい。すっとその日は眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
「おはようございます。見てくださいなんだかアランさんに似てませんか?」
朝起きて光の中で腕の中のランフォルの雛を撫でているセシルを見て、あれ、俺なんでセシルと同じ部屋で寝たんだっけと思った。
正直なところ、一瞬焦った。そんな馬鹿なと思ったがそうだった思い出した。よかった。何も起きてはいない。
「茶色いな。うん、なんか似てる。旦那さん浮気したって奥さんに言っとこう」
「ランフォルと?」
セシルが笑う。クア、とどこか抜けた顔の、アラン似のランフォルが鳴く。いいこいいことセシルがそれを撫で、頬ずりする。
「可愛い男の子だね。名前をどうしよう」
「頑張って考えてくれ」
「……アラン?」
「なんでうちのにあいつの名前をつけなきゃいけないんだ。友達大好きか俺は」
朝日の中でセシルがほわほわを抱きしめて笑う。白い肌がそれを跳ね返し、蜂蜜色の髪が透けながら揺れている。嬉しいのだろう、頬が桃色に上気している。
「そうだお風呂に入らないと。雛って湿気大丈夫ですよね」
「大丈夫だけど、そいつといっしょに入るつもりか?」
「お湯には入れません。寂しがると可哀そうだから、見えるところで待っててもらいます」
ね、と雛にセシルは優しく呼びかける。クア、と雛がまん丸の目でセシルを見て鳴いた。
「……」
「もしあれだったら、朝ごはん先食べちゃってください」
「や、待つよ。ゼフ爺の手間だし、それくらい待てる。別に焦らず普通に入ってくれ」
「わかりました」
濡れてくったりしていた雛はふわふわの幼毛をなびかせながら、偉いことにもう自分の両足で立っている。
えらいえらいと褒めるセシルにくっついて、部屋から出ようというとき、アラン似の雛は何故かオスカーを振り向いて見て『クア』と鳴いた。
「なんだ今のクア」
「あいさつできて偉いね。賢いいい子。じゃあ行ってきます」
「なんだ今のクア! アラン!」
「アランでいいんですか?」
「絶対嫌だ!」
「わかりました。いい名前にしようね」
『クア』
「……」
部屋に残され一人。なんだか納得のいかない気持ちで、オスカーはベッドを片づけている。