6 卵探し2
探して、探して、オスカーが一個、アランが一個の計三個を見つけた。アランが前後に二個、オスカーが一個を持っている。
森を抜け、孵化箱の中に入れる。しばらく、何十日も、オスカーとセシルたちはこれを一定時間おきにひっくり返さなくてはいけない。
卵のときも、雛のときも、しっかり育つにはたくさんの条件が必要だ。たとえ偶然に一般の人が卵を拾ったとしても育てられないだろう。育てには育ての技がいるからこそ、専門の牧場があるのだ。
「ありがとうなアラン。今、おすそわけのおすそわけを持ってくる」
「ああ。お気遣いなく」
小屋の前で、去っていくオスカーの背中を見送った。
「セシル」
「はい」
「ありがとうな」
セシルは顔を上げた。アランが優しい顔をしている。
セシルが不思議そうな顔をしていたのだろう。アランが困ったように笑った。
「急にこんなこと言われたって困るよな。ごめん。……ここ帰ったとき、オスカーずっと思いつめたような顔してて、ずっと心配だったんだ。俺じゃ牧場は手伝えないし、仕事もあるしであんまり励ましてやることもできなかった。今日はあいつの元気そうな顔見れて嬉しかった」
ぐっと伸びをして、アランは視線をセシルから外す。
「あいつの兄ちゃん子どもの頃体弱くて、牧場をどっちが継ぐかって、ずっと宙ぶらりんだったんだ。ようやく兄ちゃんが継ぐって決まって、そっからあいつ、猛勉強して軍の試験に受かった。すごい試験に、こんな田舎の、先生もいないところで仕事しながら独学で。本当に努力家なんだあいつは。あんまり言わないけど、軍でも出世コースに乗ってこれからってときに呼び戻されて。文句も言わずにそれを諦めて牧場継いで。ここがなくなったら仕事がなくなるやつが大勢いるってわかったから、あいつはそうした。肉屋も、野菜売ってるとこも、宿屋も、いろんな店がこの牧場のおかげで回ってるって知ってたから。責任感の強い、昔から黙って貧乏くじばっか引いてきたやつなんだ。俺はあいつを見てるとたまに泣けてくる」
「……」
「だから、今あいつが嬉しそうで、笑ってて嬉しい。セシルのおかげだ。きっと」
「……何もできてません」
「一人じゃないってだけで幸せだろう。一人は寂しい」
「……うん。それはわかります」
「セシルがここにいていいと思ううちはいてやってくれ。細かくて面倒だろうけど」
「細かくて助かってますってば」
笑ったところにオスカーが帰ってきた。
「おすそわけのおすそわけは売り切れてたから、おすそわけだ。ゼフ爺の特製肉、あとは焼くだけ。美味いぞ」
「やった。お前んち行ってあれを食うのが好きだった」
「だろうと思ってたよ」
手を振り別れた。
「いい奴だろ」
「はい。オスカーさん」
「ん?」
こちらを見る青い目を見返した。
「貧乏くじ引かせてすいません」
「何を言われた。……思ったのと違っただけで、そんなふうには思ってない。実際すごく助かってる」
「……」
「卵見よう。さっき入れたばっかりだけどな」
「はい」
箱型の孵卵器。大きな卵が一つずつ、ごろん、ごろん、ごろん。
小屋の中は暖かく、あの独特の香りがする。牧場ごとにやり方は色々だが、ここでは温泉の蒸気を利用して卵をあたためているらしい。引き込むお湯の道がぐにゃぐにゃしているのは、ちょうどいい温度まで湯を冷ますためだろう。
何色のが生まれるかな、オスかな、メスかなと、見ているだけでわくわくする。
「上手くいけば三羽か。結構大変だぞ」
「はい。楽しみですね」
顔を声のほうに向けたらものすごく近かった。二人ともわくわくしすぎて、夢中で覗き込んでしまっていたようだ。
目が青い。綺麗だなあと思う。
「……少しはびっくりしてくれ」
「してますよ。近いですね」
「ああ」
離れた。
「昼飯食ってみんなの昼飯だ」
「今日のご飯はなんですかね。最近夢にまで出てきます」
「あんだけ食っといて夢の中でまでまだ食うか。まあ、いっぱい食え」
「はい」
笑い合い歩く。早くみんなに会いたいなとセシルは思っている。
◇ ◇ ◇
「セシル、転卵してきてくれ」
「はい」
みんなの朝ごはんを見守り、朝の散歩を終えたところでセシルはオスカーに言われた。
あれから半月。まだまだ卵はヒビ一つなく、まるまるとしたまま箱の中に入っている。
ゆっくり、くるりと転がして、セシルはじっとそれを見つめた。最近風に甘いにおいが乗って、暖かくなった。すっかり春だ。
『森に花が咲いたら散歩で見下ろしに行こう。壮観だぞ』とオスカーが言っていた。お弁当も持っていきたいなと思ってから、でもそれじゃランフォルたちが腹ペコのままだから可哀想だと思い直す。
戻ると人がいた。薄茶色の短髪、日に焼けて体格のいい人。アランだ。
「アランさん」
「元気そうだなセシル。今日はセシルが喜びそうなもの持って来たぞ」
「なんですか?」
袋を覗き込み、セシルはぴょんと飛び上がった。
「パロン! こんなに!」
真っ赤な実だ。握り拳よりも一回り小さくて、弾力がある。ランフォルたちの大好物だ。
ああ、早く食べさせてあげたいと、セシルはウズウズしてしまう。
「……一個ずつだぞ。喉が渇いているだろうから」
「やったぁ!」
セシルはまた飛んだ。ほくほくとした顔でパロンの実を大事そうに持ち、跳ねるような足取りで若いランフォルたちのほうへ歩いていく。今日も立っている蜂蜜色の前髪がくるんと揺れている。
それを眺めながら、アランは思っている。日に焼けそうな仕事なのに、セシルは色が白いなあと。
髪が短くて痩せていて、動きが機敏なので、確かに一瞬、少年のようにも見える。水色のぱっちりとした目が大きい。まつ毛まで黄金のような蜂蜜色で、長くてふさふさしている。初めて見たときアランはセシルを、昔絵本で見た、性別のない妖精に似ていると思った。
今彼女は恋をするようにきらきらとした目をしている。ランフォルたちの喜ぶ様子を頭に思い描いているんだろう。
「可愛いな」
思わず素直な感想が出た。おっと怒られるかなと、慌ててオスカーを見る。
「もう少し女らしくないと嫁の行き手がなくなるんじゃないかと、俺は心配してるよ」
オスカーが腰に手を当て苦笑しながら言った。アランはぎょっとして彼を見つめた。
「……お前、マジ?」
「何が?」
青い目と見つめ合った。どうやらマジっぽい。アランは変な汗をかいている。
どうやったら二十三の若い男が、あんな可愛くて明るくて素直な女の子と一つ屋根の下で暮らしながら、ピクリともときめかずにいられるというのだろう。
「当然『お風呂場で偶然鉢合わせちゃった』とかいう美味しいイベントが起きてるんだろうな?」
「起きたことない。どっちかが中にいるときは使用中の札を下げる」
「『雷がこわいから添い寝して?』とかいう悶えちゃう感じのイベントは?」
「こないだ平気で寝てたぞ」
「……」
えっこいつってこうなの? なんなの枯れてんの? 爺さんなの? とアランは混乱した。
ツラと性格がいいわりに、オスカーに長く女関係の浮いた噂がなかったことを思い出す。
「……オスカー、お前の好きなタイプは?」
「なんだよ急に。まあ、こう、バーンとした、婀娜っぽい感じの」
「あるにはあるんだな一応。すごく安心した。セシル見て正直なところ、何も思わねぇの?」
「何ってなんだ?」
「……」
アランは頭を抱えた。二人がずいぶん仲が良さそうないい雰囲気だから、夏ごろには結婚式の招待状が届くかなと思っていたのだ。妻にもそう話した。
駄目だ。一年経っても何も起こらない未来しか見えない。
「まさか、その好み、セシルに言ってないよな」
「初日に言った。俺に襲われてもランフォルのために血の涙を流して歯を食いしばって我慢するって言うから、セシルは俺の好みじゃないから安心しろって」
「っ……」
初手が悪すぎるにも程がある。絶対このあと彼女を好きになっても、今度は『上司の俺が告白なんかしたらセシルが歯を食いしばって我慢しちゃうな』とか余計な事思ってそっから進めなくなるやつだ。もうダメだアランには未来が見える。腹がゾワゾワして、いたたまれない。どうして一発目でそのカードを引ける? 絶対こいつはこれまでの人生で貧乏くじを引きすぎて、貧乏くじを一番に引き寄せる体質になっている。
「若くて可愛くて明るくて、いっしょにランフォル育てられる奥さんとか最高なのに、お前ってやつはもうホント……」
「なんか言ったか?」
「いや、いい。もういい。今はいい。まあそのうち楽しいハプニングが起きてお前が目覚めてくれるって俺は信じてる。じゃあな。健闘を祈る」
「おう。ありがとな。奥さんによろしく」
ひらひらと手を振りながら、アランは牧場を歩んだ。
「アランさん」
「お、喜んでたかみんな」
前から走って来たセシルが、ぱあっと満面の笑顔になった。風に揺れる甘い色の短い髪が日に透けて眩しい。
「はい! すごく幸せそうで、でももっと食べたそうで、ちょっと可哀想でした。今日のみんなのおやつにしますね! きっと大喜びです。本当にありがとうございました!」
この輝くばかりの顔を見て何とも思わない、長年の親友の気持ちがアランはまったくわからない。
小さくて華奢。覗いた手首が細い。こんな細腕で餌を運んだり、藁や糞を運んだり。普通の女の子が嫌がる汚れ仕事も喜んで、にこにこしながら進んでやっていると聞く。
アランは神に誓って妻一筋だ。だがこの子にはなんというか、なんともいえない不思議な危うさがある。今はまだ無邪気な子どもっぽさのほうが勝っていて、牧場の中だけ。身の回りにはあいつと爺さんたちしかいないけど、もう少し成長してその子どもらしさが消えたとき、町に出したらどうなることかと思う。
馬鹿。ああもう本当にあの馬鹿。絶対今だろう。すぐ隣で光っている、これからもっともっと光る宝物に、一刻でも早く気づいてくれ。苦労性で世話焼きのお前に合うのは、絶対バーンとした婀娜っぽいお姉さんじゃない。全力でほかのやつらから守りたくなる、こういう目の離せないなんか危なっかしいタイプだろうとアランはなんかもう半分泣きそうになりながら思う。
「じゃあまたなんかあったら持ってくる。またなセシル」
「はい。また来てください。待ってます!」
出口までの長い道を歩きながら、はあ、と、実は自分も世話焼きで苦労性なアランはため息をついている。