5 卵探し1
「初めまして。セシル=バルビエです」
初対面の若い男性に、深々とセシルは頭を下げた。
いかにも人のよさそうな、薄茶色の短髪の、日に焼けて体格のいい人だ。オスカーの同級生だという。
「アラン=バーリです。ちょっとオスカー借りていいか、セシルちゃん」
「はい。セシルでいいです」
「わかった。セシル」
笑顔でセシルに言いながら、アランさんがオスカーの肩をむんずとつかんで木の裏側に行った。ひそひそと声がする。
そしてしばらくのひそひそのあと、髪の毛に葉っぱをつけて、憮然とした表情のオスカーが出てきた。
「もう俺はこのパターンに飽きた」
「仕方ないだろこんなんみんなそうなる。諦めろ」
また『ぼんくら』呼ばわりされたのかなと、セシルはオスカーが気の毒になった。ここの人たちはオスカーに、きっと幸せになってほしくて仕方がないのだ。
セシルがいたらオスカーに噂の尾ひれが引っ付いてしまうかもしれないけど、諦めてもらおう。セシルはどうしてもここにいたい。オスカーには本当に悪いなとは思うけれど。
「アランは農場の息子だ。結構大規模にいろいろやってる。悪いな、忙しいところ借り出して」
「いいさ。お前が帰ってきてからあんまりゆっくり会えてないからな。忙しかったんだろ」
「ああ。なんせ一人だったからな。セシルが入って助かってる」
「へえ」
驚いた、といった様子でアランがオスカーとセシルを見た。そして笑う。
「細かくて面倒な男で大変だろうけど、こいつのこと頼むなセシル」
「細かくて助かってます。すごく優しいし」
「へえ」
「お母さんみたいで」
「……ああ」
驚いた顔から何かじっとりとした顔に変わって、アランがオスカーを見た。なんだよとオスカーがそれを見返している。
幼馴染っていいなあと思う。何歳になったってこんな風に、少年同士みたいな空気が出せるって、きっと素敵なことだ。
「さて。では探しますか、卵」
「ああ。目標二つ」
「お願いね、フラーゴラ」
セシルはフラーゴラ、オスカーはネルケの首紐を引いている。卵探しはメスのほうが上手いのだ。
人に使役される動物の中で、ランフォルは最大にして最強だ。そのにおいがあれば、たいていの動物や魔物は寄ってこない。
集団で、国の壁の外のドラゴンを倒したランフォル乗りの一団もいると聞く。連携と作戦で、ランフォルと人は大きなものを相手取り、引かずに戦うことができるのだ。
フラーゴラもネルケも、オークランスの牧場にいるどのランフォルも、戦いには特化していない。オークランスは卵から若い時期までのランフォルを育てる牧場。その特性を見た専門の牧場がそこからランフォルを買い取り、それぞれの道で活躍するランフォルに育て上げるのだ。
フラーゴラはどんなランフォルになるかなとセシルは思う。繊細な分、細やか。最初は臆病だけど、慣れればしっかりと真面目に話を聞いてくれる子だ。音や風に敏感で、戦闘向きじゃないけれど、人の生活に寄り添うような、輸送や交通、正確に確実に任務を遂行する仕事にぴったりだと思う。
初めてフラーゴラがセシルを乗せてくれたのは、牧場に入って一週間後だった。アルコルにうずまっていたら背中にぽよんとした感触を感じたので、あ、ネルケかなと思って振り向いたら、フラーゴラだった。目が合い、そっと腕を伸ばして彼女を撫でた。ふわふわで柔らかくて、『ググルゥ』の声まで女の子らしくて、可愛いなと笑った。
ちなみにコールサックはその翌日だった。きっとボスの威厳を見せたんだろうと思う。撫でたらはしはしと噛んでくれた。皆に認めてもらえたようで、セシルは嬉しい。
牧場に入って、二週間が過ぎた。毎日美味しいものを食べて、あったかくて気持ちいい温泉に入って、ぐっすり寝て、大好きなみんなに囲まれてセシルは過ごしている。
卵を持つ大人組のカップルのランフォルたちも、毎日餌のときに顔を合わせているセシルに、体を触らせてくれるようになった。
毎日が、穏やかで幸せで楽しい。誰かの手料理を食べるのも、誰かの生活の音がするのも嬉しい。これまでセシルはずっと、一人で暮らしていた。
セシルは改めて横を歩くオスカーを見る。こうして見ると、ちょっと老けてはいるが、とてもかっこいい男の人だ。青い目は優しく穏やかで、目元がすっと涼しげで、鼻が高い。後ろで結んでいる肩くらいまでの髪の毛は伸ばしてるのかと思ったら『伸びちゃった』のだそうだ。軍時代は短髪だったらしい。
「どうしたセシル。腹でも痛いか? さすがにあれは二杯でやめといたほうがよかったと思うぞ」
「いいえおなかは元気です。今はオスカーさんってかっこよかったんだなって思ってるところです」
「ぶっ」
アランが噴き出した。オスカーがじっとセシルを見る。
「風邪でも引いたかセシル。幻覚か?」
「いや、いやいやいやセシル。オスカーは昔、すげぇモテてたんだぞ。町の女の子はみんな、オスカーに花祭りの日誘われないか、花をもらえないかってソワソワしてた。マジで。ツラもこの通りだし、昔からなんか大人っぽいやつだったから、女子には新鮮だったんだろうな、うん」
「すごいや」
「初耳だ」
「お前は家のことで忙しかったもんな。祭りの日ぐらい休めばいいのに」
「兄貴がまだ体弱かったからな。ランフォルの生活に休みはないし、仕方ない」
「まあなあ」
森の中を歩いている。
野生のランフォルは、崖の上に巣を作る。今三人はそこを目指して歩いている。
朝だ。牧場のほうは昔勤めてくれていた人たちにお願いして、朝ごはんの準備をしてもらっている。
もやのかかる、切り立った崖に到着した。上のほうは見えない。何かがいるような空気を感じるのは、こちらの勝手な希望だろうか。
野生のランフォルを、セシルは見たことがない。どんなふうに飛ぶんだろうとわくわくする。
「なんか雰囲気が怖いぞ」
「ちょっと曇ってるしな。大丈夫、ランフォルは人間を襲わない」
「トゥランの民が背中に乗っかってなけりゃな」
「殺戮の民トゥランか。お前すごい怖がってたよな、昔」
「姉ちゃんが、めちゃくちゃ語るのが上手かったんだよ。トゥランが血みどろになって国を亡ぼす様子を毎日生々しく語られる、当時七歳だった俺の身にもなってくれ」
「俺は羨ましかったけどな。そんなふうに上手にランフォルに乗ってみたいと思ってた。笛なんか使わないでも、言葉がなくても以心伝心で操れる、彼らの魔法の技が欲しかったよ」
「お前ならそうだろうな。俺なんてもうトラウマで、未だに目の赤いウサギを見たってドキッとする」
気安い幼馴染の会話が続いている。と、ぴたりとフラーゴラが足を止めた。
「おっ?」
「このへんか?」
「……」
皆辺りを見回す。背の低い木の茂みをオスカーがかき分け、アランが木の上を見ている。セシルはしゃがみこみ、地面の上を探す。
「あった。……けど」
「えっ」
「けど?」
声を上げたオスカーにセシルとアランが歩み寄り、同時に眉を寄せた。ぱかりと割れた大きな卵から、だらんと黄色のものが溢れている。
セシルはランフォルが好きだ。きっとこうすることにはランフォルの、大事な理由があるんだと思う。
「泣くなよセシルちゃん。……優しいんだな」
「……すいません、未熟なだけです。何年も飼育員やってるのに、これだけはダメで。気にしないでください」
「ここにとがった石さえなければな。仕方ない諦めよう。下が草や茂みなら、生き残ることも少なくない」
捨てられた卵。愛されず、育てられなかったもの。どうしてもこれを見ると、どうしようもなくセシルは悲しくなってしまう。
今度はネルケが止まった。さっきと同様に探し、今度はアランが見つけ、『セシルは来るな』と言った。気を使わせて悪いなあとセシルは涙を堪えきれなかったことを反省している。
今度はフラーゴラ。また地面を確認していたセシルは、草をかき分けた先でそれを見つけた。
「オスカーさん! アランさん!」
「ん?」
「あったか!?」
「あった」
二人が歩み寄り、セシルを挟んでしゃがんだ。
大きな、白にまだらの茶の点々の付いた卵。見えている側に割れは見当たらない。目を合わせて頷き合い、セシルの手がそれをゴロンとひっくり返す。
反対側。綺麗な、ヒビ一つないつるりとしたなめらかなものがそこにあった。
「よっしゃあ!」
全員で手を合わせてハイタッチした。みんな笑っている。
胸がどきどきする。嬉しくて笑ってしまう。この子は生き延びた。これからも生きられる。同じ牧場の仲間として、一緒に。
「また泣くか?」
「嬉しいときは大丈夫です」
「よかったな」
「はい」
二人は首紐を持っているので、卵はアランが抱いてくれている。
「パパの気分だ」
大きな布に入れて抱っこ紐のようにしたアランが笑う。
「パパになるんだろ。今のうちに練習しておけアラン」
「アランさん、お子さんが生まれるんですか?」
「ああ。夏の終わりくらいかな? 初めてだからみんな浮ついてる。おやじなんかすでに孫バカだ。揺れる木の馬作って待ってるぞ」
「さすがにそれは気が早い」
あっはっはと笑うアランの男らしい顔を、幸せそうだなあと、ほほえましく思いながらセシルは見つめた。
結婚。子ども。きっとセシルの人生には一生縁がないだろう。でも大丈夫、セシルはランフォルのそばにいられれば幸せだ。