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4 みんなのごはん

「いただきます」

「いただきます」


 スプーンですくう。白い粒々が、お肉の下にふんわりと敷いてあった。


「これ……」

「リーソあんまり食べないか? ラグーの移民がよく食べてるやつだ」

「……サラダでは少し食べたことがありますけど、こんなには初めてです」

「多分ちょっと種類が違うだろうな。まあ、食ってみろ」


 照り照りのお肉と一緒にスプーンにのせて口に運んだ。セシルは目を見開く。

 濃厚なソースが甘い粒々にからんで広がる。噛むたびに徐々に味が混ざっていく。濃い味をやわらげ、油を抱き締め、やわらかく、あたたかくおなかに落ちる。


「……」

「泣くな」

「……本当に……ここに来てよかった」

「これまで何食べて生きてたんだまったく。ゼフ爺! セシルが美味いってさ!」

「おう。そりゃよかった!」


 厨房の奥から声だけ返ってきた。オスカーが笑い、大きな一口でぱくりと食べて、うんと頷く。


「俺も、この家を出て、軍に入って一番後悔したのは飯だったよ。あっちは基本パンだもんな。ゼフ爺の飯が食いたくて食いたくて、夢にまで見た」

「わかります。小さいころから食べてたものって、疲れたとき食べたくなりますよね」

「ああ。セシルはあるか? なんか思い出の飯」

「……」


 思い出。もう、思い出の中にしかない味。


「……ばあちゃ……祖母が焼いてくれる、お肉がぎっしり入ったパイが好きでした。いろんなハーブが入った、面白い味の、祖母の特製のパイ。祖父も大好きで、競争するみたいに食べて、祖母がそれを見て、あらあらって笑うんです」

「……」

「必ず少しすっぱいトマトのスープと一緒に出てくるんです。こう、丸い小さくしたもちもちが入ってるやつ。……なんだか、思い出したら食べたくなってきました」

「……セシル、家族は?」


 聞かれて彼を見た。青い目が、真摯な色でセシルを見ている。

 セシルは首を振った。セシルにはもう、家族はいない。


「両親と兄弟はもともといません。十二歳のときに、祖父と祖母も死にました。町で、馬の事故で」

「……そうか」


 二度と食べられないパイの味を思い出し、少し胸が痛んだ。


「悪い」


 本当にいい人だなあと思う。そんな痛そうな顔をしないでほしい。

 家族を失う痛み、一人だけ世界に残される悲しみを、この人もまた知ってるのだった。セシルは笑ってオスカーを見返す。


「いいえ。いいんです。こうして二人を思い出せるのも、誰かに話せるのも嬉しいから。美味しいですねオスカーさん」

「ああ。美味いな。きっとおかわりできるようにしてくれてるから、いっぱい食え」

「……大きくなるために?」

「背がな」

「他だってこれから逆転のチャンスがあるかもしれないじゃないですか」

「ああ、そうだな」


 絶対信じてないオスカーと、自分でも無理だろうなと思っているセシルは味わいながら昼食を平らげ、おかわりしてそれも空にし、また牧場へと向かった。

 自分たちだけおなかいっぱいになっているわけにはいかない。ランフォルたちもお昼の時間だ。


「ようピオ。今日もありがとうな」

「お得意様だからね。これくらいいつだって……」


 小さい男の子だ。九歳か十歳というところだろう。青い目が好奇心で輝き、頭の回転が早そうな顔をしている。

 彼は野菜を担当してくれているようだ。きちんと食べられないところを取り除いて、洗ったのだろう水に濡れてピカピカと光った野菜たちが台の上に並んでいる。


「……」


 そんな彼が、振り向いた形のままセシルを凝視している。そして、にっと笑った。


「オークランスにもようやく春が来たか。よかったねオスカーさん。奥さん、すげー可愛いじゃん」

「ああみんながそう言うよ。だが残念、まだ冬のままだ。新しく入った飼育員のセシルだ。こっちは近くの農家の息子ピオ。野菜を担当してもらってるから毎日顔を合わせるぞ」

「セシルです。よろしくピオ」

「女の人の飼育員もいるんだ。よろしくセシル」


 右手を出されたのでセシルはその手をきゅっとにぎった。


「……」


 ピオがびっくりしたという顔をしている。


「どうしたの?」

「いや、母ちゃん並にガッサガサでびっくりしただけだよ。オスカーさん、女の子なんだから、そういうところ気ぃ使ってやんなよ」

「おいおい紳士だなお前。ああ、なんか見繕っておく。ご助言どうも」


 じゃ、これでと走って彼が去った。きっといろんな仕事をしているんだろうなあと思う。なんとなくだ。


「……」

「?」


 オスカーに手を差し出されたので、セシルは握った。


「ホントだな」

「やすりみたいですいません。水も使うし、首紐をずっとぎゅっと握るし、仕方ないです。冬なんかひび割れてバキバキです」

「いい油がある。においがないからランフォルにも嫌われない。あとで渡すよ。気が回らなくて悪いな」

「ピオがすごいだけです」

「きょうだいが多いからな。上にも下にも気を遣うやつだから、目の付け所が違う」

「なるほど」


 お肉はもうしっかり準備されていた。こちらはお肉屋さんが、切った状態で持ってきてくれるそうだ。

 果物もゴロゴロ。全部大きな台車に入れて運ぶ。

 草原の真ん中に大きな台。運んだ食べ物を全部並べ終えてから、オスカーは鐘を打った。

 カーン、カーン、カーン。青い空に、気持ちよくその音が吸い込まれていく。

 わっ、と風が吹いた。あちらから、こちらから、計六羽。大きな羽をそっと畳み、音もなく草の上に降り立つ姿を、きれいだなあと思いながらセシルは見つめている。

 セシルは彼らに人気のある果物を抱えている。若い四羽はためらいもせず、セシルの手からそれを受け取る。我先にとがっつくこともなく、ちゃんと順番を守っているのがえらい。銀のコールサック、気の強い濃茶のネルケ、臆病な薄茶フラーゴラ、そして黒のアルコル。アルコルはフラーゴラが受け取ったのを見てから自分も受け取った。本当に大人で、優しいなと思う。

 カップルのほうはオスだけ来ている。メスが卵を守り、オスが餌を取ってくるのだ。

 卵から離れているからだろう。普段のような張り詰めた空気を、彼らから感じない。むしろ興味津々といった様子で、セシルを見ている。

 ググルゥとそのうちの一羽、スピカが鳴いた。ぱっとオスカーを見れば、頷いている。

 セシルはスピカに歩み寄った。スピカは綺麗なランフォルだ。銀色で、胸のところが白い。


「スピカ」


 セシルの掲げた赤い果物を、スピカがくちばしで受け取った。そっと手を伸ばすが、嫌がる様子はない。顎を撫でる。大丈夫そうだ。

 嫌だったら逃げられるよう、ゆっくりと抱きついた。ふわふわで大きい。一歳の子たちはまだなんとなく雛のようなふわふわとした頼りなさが残っているけれど、スピカはがっしりとしていて、しっかりと分厚い感じがする。

 ハムハムまではしないけれど、スピカにくちばしで髪を撫でられる。嬉しい。

 あとの一羽にはまだそこまでできなかった。でも果物は手から受け取ってくれた。うれしいなと思っていると、ぷっとオスカーが笑った。


「なんですか?」

「すごいいい顔してんな、と思って」

「だって嬉しいんです。すごく」

「よかったな」


 そういう自分だって嬉しそうじゃないかとセシルは思い、やっぱり笑った。

 カップルのオスたちは忙しく何度も奥さんとこの場所の間を往復し、その仕事がない若者たちは腰を落ち着けて思い思いのものを食べている。

 ちゃんと食べられているか、栄養が偏っていないか、固いものを避けていないか。飼育員たちは横でしっかりと観察している。


「オスカーさん。日誌をつけたいんですが、紙をもらえますか?」

「ああ。夜渡す。記録は細かいほうか?」

「辞めるとき担当の子のを皆に渡したら、『細かすぎて気持ち悪い』って言われました」

「ああ。そうだろうなと思った。俺も細かいほうだから、助かる」


 確かに細かそうだなとセシルは思った。確実にお母さんタイプだ。


「そのうち、若手をセシルの担当にしてもいいか? もちろんできる限り二人でやってセシルが誰にでも乗れるようにはするが、分かれるところは分かれないと効率が悪い」


 オスカーにそう言われ、セシルは顔を上げた。ほっぺたが熱いから、多分今真っ赤になっていると思う。


「……いいんですか?」

「もう少ししたらだ。そのつもりでいてくれ。セシルがランフォル大好きなのはもうわかった。間違ってもこいつらが困るようなことはしないだろう。背に腹は代えられない状況だし、いいか?」

「はい。……ありがとうございます」


 ちょっと涙が出てきた。あの牧場をクビになって、もしかしたらもう一生、ランフォルに触れないかもしれないと思った。初めて行く場所が怖かった。お前なんてクビだってまた言われたらどうしようかと思っていた。ここに来てよかった。上司がオスカーで、本当によかったと思う。

 ん? と、セシルを見ていたオスカーが眉を寄せた。


「セシル」

「はい」

「セシルの目の色、薄い水色だよな?」

「……」


 セシルはそっと目を伏せた。


「はいそうです。今はピコットの実の色が反射してるだけじゃないですか。あっち、ちょっと掃除してきます」


 オスカーの返事が来る前に、セシルは歩き出した。


 平常心、平常心。ドキドキしている胸を手のひらで押さえながら、セシルは歩いている。


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