◆番外編 パラディのすれ違い
コンクール後、パラディの町でセシルが夕焼けの中ですれ違った、『いいにおいのする女の子』視点のお話です。
パラディの空に色とりどりの旗がはためいている。年に一度のランフォルのコンクールの時期だ。
こんな時期に家の手伝いもせずにきゃらきゃらと町を歩いているのはだいたいがお金持ちの家の子だ。
きゃらきゃらと町を歩きながら、そんな家の子のフリーダは思っている。女の子なんてつまらないわ、と。
ぴらぴらした服は最近の流行。薄い布を何枚も重ねているから風になびいて涼しげだけど、実際のところは内に熱がこもってけっこう暑い。髪飾りは最近瑠璃の細工の細かいものが流行っている。しゃらしゃらと音がして涼やかだけど、フリーダは少し前に流行ったリボン細工の落ち着いた色合いの花のほうが好きだった。
かかとの高い靴は少し歩くだけで足が痛い。ぺったんこで歩きやすい靴なんていくらでもあるというのに、何故わざわざこんな窮屈なものに足を突っ込んで必要もない傷を作っているのだろうと、風呂上がりに薬を塗りこみながら思う。
口紅は派手な赤が流行り始めた。塗りが濃いと毒々しくて、なんとなく皆同じ顔に見える。互いの甘い香水の香りが混じり合って、ときどき気持ち悪くなりそうなときもある。
フリーダは一昨年まで、宿屋で母と一緒に住み込みで働く貧乏娘だった。まだ若くきれいな母がお金持ちの年寄りに見初められて再婚。すっかりいい家のお嬢様として、同じような家の子達と、この日働きもせずフリーダはこうして町を歩いている。昔なら、稼ぎ時だと張り切っていたお祭りのような時期だった。
働きもせずに町を行く子を羨ましいなと雑巾を絞りながら見つめたはずなのに、いざその立場になってみれば、案外それほど楽しくもないのだと気がついた。汗水垂らし必死で働き、臨時収入に喜び、いつもよりも少しだけいいものを買って母と笑いながら食べたあの日の時間のほうが、よほど贅沢だったような気がしてならない。
いい家に嫁ぐのが女の幸せだと『父』は言う。そのための教育、ふさわしい相手は任せておけと。お前は母親に似て美人だからと。女は甲斐性のある男の横でにこにこと笑っていれば一生安泰なのだと言う。そんなものだろうか。
本当のことを言うとフリーダは、大人になったらこの町のランフォルを泊めるお宿で働いてみたかった。年に一度一斉にこの町を訪れるあの大きな鳥たちをフリーダはとても美しいと思うし、あの柔らかそうな大きな体に触れてみたいと思っている。そんなのは女の仕事じゃない。泥まみれになる男の力仕事だと、父は笑った。
労働とはすっかり無縁になり学校に通い、友人たちと、流行りの化粧や服、町で見かける男の子や役者の話をする。皆親に言われた相手と結婚することはわかっていて、だからこそ、恋に憧れている。
前から背の高い男の人が歩いてきたのでフリーダは顔を上げた。
風が吹く。その人の茶の髪がなびく。
あ、かっこいい、と思った。友人が好きな舞台俳優に少し似てる。
それよりも野性的で、なんというか、生々しい。いや生きてる人間なので当然なのだけど、すごく『そこにいるなぁ』という感じがする。
手足が長くて、筋肉質。なんとなく優しそうだから、今転んだらあの腕で、さっと抱きとめてくれるんじゃないかしらと思う。
夕焼けに浮かぶ、日に焼けた男らしく整った顔。その青い目が、何かをじっと見ている。
その先をフリーダは追った。道の向こうに、女の子が一人立っている。
その子の長袖の白いシャツが騎乗服だと、宿でランフォルの乗り手を多くもてなしたフリーダにはわかる。体にぴったりとした細身のそれと足のラインがわかる革のブーツ。硬い生地のズボン。その子のふんわりとした雰囲気に硬質なそれらは合わないように思えるのに妙にしっくりと馴染み、互いの柔らかさと硬さを引き立て合っている。
お化粧なんかしていないようなのに、唇はつやつやで赤い。大きな二重の目はぱっちり。金色のまつ毛はふさふさ。透き通るような色白の肌に桃色の頬。さっぱりと切られた髪から柔らかそうな白い耳が覗く。
大きな水色の目を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔で立ちすくみ、その子が道の先を見ている。その先で、さっきの彼の優しい目が彼女をじっと見て、彼女を待っているのがわかる。
そこにある熱いものに触れてしまったような気がして、フリーダは赤くなった。
ああ、これが。と思う。まだお話の中でしか知らない、みんなが憧れ、本物を欲しがるもの。
すれ違う際、大丈夫よと、その子の細い肩を叩いて教えてあげたくなった。
怖がらなくても大丈夫。あの素敵な男の人は、こんなにも人がいるのに、あなたのことしか見ていない。だから、そんなに怯えなくて大丈夫よと。なんとなくそうしたくなる雰囲気の子だった。
でもそれをしたら完全に不審者なので飲み込んで、何もせず、すれ違った。
ふう、と横で友人のアンリが息を吐いたのでそちらを見た。
「気づいた? アンリ」
「ええ。……死ぬまでに一度でいいからあんないい男に、あんな目で見つめられてみたいわ」
「本当ね」
「ええ。素敵だったわ」
「男らしくてセクシーだった」
「ええ。特に腕と胸と手首」
「よく見てるじゃないの」
くすくすと笑う。しゃらしゃらと互いの髪飾りが音を立てる。
ちらとフリーダは後ろを振り向いた。追いついた彼女に、彼がわずかにかがんで何かを言っている。手はつながないのかなと思ったが、つながないようだ。もしかしたらまだ二人は恋人同士じゃないのかもしれない。あんなにお互い好き合っていそうなのに不思議だけど、それもまたなんというか、たまらないものがある。
他人事なのに、なんというかこう、ざわざわする。フリーダは胸を押さえた。気が付けば隣でアンリもそうしている。
「あぁ……恋したい」
「ええ。恋すると、女の子ってあんなに可愛くなるのね」
「残念だけど大いに個人差があると思うわ」
「どういう意味かしら」
肩で互いを押し合い、きゃあきゃあと笑う。
労働を離れ、流行りの服を着て、流行りの化粧をして、まだ知らぬ恋を思う。なんの義務も責任もない、甘やかなふわふわとした時間。
つまらなくて永遠に続く気がすると思っていたそれらはきっと、今だけのほんの短い間、自分に与えられた幸運な自由なのだとフリーダはふっと思った。
生きた恋をしてみたい。あんな泣きそうな切ない顔で男の人を見つめてみたい。優しい瞳に見つめられてみたい。
できればそのお相手がどこかのランフォルのお宿の跡取りで、背が高くて顔が良くて優しそうで男らしくてセクシーで、いい腕と胸と手首の、いい男だといいなとフリーダは思う。というか父の紹介なんて待たず、自分でそんな人を見つけに行けばいいじゃないかと思う。
夕暮れの空を見る。
フリーダは最近少々、自分を殺しすぎていたかもしれない。
とてもいい子な自分は、きっと母のため、父に認められるため、立派なお嬢様に、周りと同じようにならなくてはと頑張ってしまったのだ。中身はずっと、汗まみれで床にはいつくばって働いていたあの頃と何も変わっていないというのに。
「明日から少し個性的な服を着てきても友達でいてくれる? アンリ」
「ええ。でも少しずつにしてちょうだい。こちらにも慣れというものが必要だわ」
「はーい」
かかとの高い靴で夕暮れを歩く。
どこかに私の素敵な恋が落ちていないかしらと探しながら、しゃらしゃらと髪飾りを鳴らし、流行りの服をふわふわとなびかせて。




