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「おはようございます!」

「おうおはよう。早いな」

「はい。わくわくしちゃって眠れませんでした。たっぷり寝ましたけど」


 ひと繋ぎの作業着を身にまとい、セシルはにこにこしながら朝食の席に着く。


「朝ごはんまで美味しそう……」

「いっぱい食えよ」

「はい」


 なんだろうオスカーさんてすごくお母さんぽいなと思いながら、サクサクのパンをかじる。ジャムが三種類、バターが一種類。白いふわふわしたのは何だろうと思ってのせてみたら、甘いミルクのクリームだった。思わずほっぺたがとろけてしまう。もったいないけど飲み込んで、セシルははあと胸を押さえて息を吐く。


「幸せ……」

「生きやすそうな奴でいいなぁ」


 オスカーはバター派らしい。いやちょっとジャムものせている。炙った燻製肉はじゅわじゅわのカリカリ。チーズの入ったオムレツは、それはもう伸びる伸びる。楽しくて美味しい。


「美味しいです! 今日もありがとうございます!」

「おう」


 厨房から人。てっきり昨日のおばあさんが出てくるのだと思ったら、おじいさんだった。背が高いが瘦せていて、右目の上に傷がある。


「マル婆は朝は別の仕事があって夜だけだ。ゼフ爺、これは新しく入ったセシル」

「セシルです! よろしくお願いします!」

「おう。元気でいいな。いっぱい食えよ」

「はい! 美味しいからいくらでもいけそうです!」

「そうか」


 にっとおじいさんが笑った。鋭く気難しそうだった顔が一気に親しみやすく、優しいものになる。


「朝昼はゼフ爺、夜はマル婆。よく考えてみればホントに年寄りしかいないな」

「そりゃあ悪かったな坊ちゃん。気ぃ抜くと死ぬんで早く若いの連れてきてください」

「嫌ですこんなに美味しいのに! お願いだから長生きしてください!」

「おお。ありがとよ」


 笑いながら料理人は厨房の奥に消えた。


「今日は一通り教えるな。物の場所とか、手伝ってくれてる人の名前とか。記憶力はいいほうか?」

「ランフォルに関わることなら忘れません!」

「心強い。……本当に好きなんだなあ」


 オスカーにじっと見られたので、セシルは張り切って頷く。


「はい。世界で一番好きです!」

「そうか」


 オスカーにくっついて牧場を歩む。ランフォル達にもご挨拶。まだカップルたちには触らないほうがいいようだったので、その分アルコルにたくさん甘えさせてもらった。今日も彼は優しい。

 どうしてランフォルってこんなにふかふかで、お日様みたいないいにおいがするのだろうとセシルはいつも思う。こうやってずっとうずまっていたい。

 ランフォルはなんでも食べる。お肉も、お魚も、野菜も。特に好きなパロンの実は春の果物だから、きっともうすぐ森にも、市場にも並ぶだろう。嬉しそうにあれを食べる姿を思い描きながら、セシルはアルコルを撫でる。

 すると濃茶のランフォルが、ググルゥと鳴きながら歩み寄ってきた。


「ネルケ」


『暴れん坊』のメスだ。撫でてもいいかとオスカーを見る。


「ネルケは好奇心が強いからな。新しい人間を面白がってるんだろう。変なところ撫でるとつつくから気をつけろ」

「じゃあ、触るねネルケ。嫌だったら言ってね」


 親愛の証に、ぎゅっと体を寄せ抱く。

 ああ、ふわふわだ。最高だ。

 首の羽の流れに逆らうように撫で上げる。ググルゥと鳴いたから、ここでいいらしい。

 おなかも。尾羽は嫌がる子が多いからやめておく。

 しばらくそうやっていたら、近くにアルコルがいた。ぐりぐりと体を寄せられる。


「もう少しなでなでする? アルコル」


 ググルゥと鳴く。大好きな感触に挟まれて、セシルは嬉しい。


「飯は終わったから朝の散歩だ。誰に乗る?」

「じゃあ今日はネルケに騎乗してもいいですか? ありがとうアルコル。みんなの特徴を早く知りたいんだ。また乗せてね」


 アルコルにくちばしで髪をハムハムされた。優しくかじられてるから痛くない。やっぱり優しい子だ。

 ネルケの背中に鞍をつけ、アルコルに跨ったオスカーと互いの金具を確認し合い、今日も飛んだ。オスカーの後ろをセシル。その後ろにコールサック、フラーゴラが続いた。

 朝の清純な空気が頬に当たり、澄み渡る光がまぶしい。

 ああ、もう春が来る。冷たさを残す空気に混じる、甘い香りが嬉しい。

 ネルケはちゃんとセシルの笛のいうことを聞いてくれた。暴れん坊だったのは雛のときだけだったんじゃないかなと思いながらセシルは彼女の首を撫でる。音への反応が早い。とても賢い。そして勇気と度胸がある。生命力溢れる強い子だ。

 昨日よりも速く、難しい道を飛んだ。飛んでいるとき、セシルは何も恐れない。セシルはこの瞬間のために生きている気さえする。

 楽しい散歩はあっという間に終わってしまった。皆で牧場に戻り、ネルケの脚や爪を確認する。


「よし、じゃあ今度は厩を掃除して、飯にしようか」

「はい」


 返事をして歩み寄った。ヘルメットを外してなんとなく頭をプルプルとしたら、オスカーの指がわずかに動き、止まった。じっとセシルはそれを見る。


「……今、ひょっとして髪の毛摘まもうとしました?」

「……すまん。なんかそうしなきゃいけない気になった」

「多分ですけど気のせいです」

「だよな。それは勝手に立つのか?」

「勝手に立ちます」

「じゃあしょうがないな」

「はい。だからあんまり気にしないでください」


 屋敷に戻ろうとすると、道の向こうから女の人が歩いてきた。


「アデリナさん」

「こんにちはオスカーさん。こないだ言っていたおすそわけ……」


 優しそうな、ふんわりした雰囲気の40代くらいの女性が、籠を出しかけてはっとしたように止まった。

 セシルを凝視。両手でぱっと口を押さえたので籠が落ちた。優先順位とは。

 セシルに固定されたままで見開かれたアーモンド色の瞳に、じわじわと涙が浮かんでいる。


「おめでとうルイス……ようやく念願のお嫁さんね」

「ルイス?」

「死んだ母だ。あのなアデリナさん、こいつは……」

「『孫を抱きたいのにうちのぼんくらたちが誰も結婚しない』、ようやくあなたの夢が、今、ここに! ボーイッシュで元気そうなすっごい可愛い子よルイス! あんたんちのぼんくらがやりましたよ!」

「アデリナさん……」

「ちょっと旦那に報告してきますね。あ、その籠、うちの庭のナップル。良かったら食べて」

「落ちてますよ」

「あらやだごめんなさい。でもいいわよね籠に入っているものね。はいどうぞ。じゃあ私はここで」

「アデリナさん!」


 らんらんらんとスキップせんばかりの足取りで、女性は去った。


「……」


 なんだか気まずい空気が流れているが、まあ仕方がない。ぼんくらって二回言われてたし、セシルは褒めてもらえたから、可哀そうなのはオスカーのほうだろう。

 黄色のナップルが入った籠をオスカーが拾い、厩に向かった。

 夜ランフォルたちが眠る場所だ。ふかふかの藁が敷き詰めてある。

 ランフォルたちは綺麗好きなので、毎日藁を入れ替えてあげなくちゃいけない。

 大きなフォークを手に、古い藁をかき出していく。体力を使う作業だ。黙々と、淡々と、手分けして行う。コロコロと丸いのは糞。いろんなものをいっぱい食べる彼らから出るこれは、いい堆肥になるので集めておく。

 汗が額を伝うが手は止めない。彼らにはふかふかに、幸せな気持ちで眠ってほしい。

 新しい藁を入れた場所にお日様の光が入り、清浄な空気が通り抜け、ほっとする。


「お疲れ」


 オスカーが差し出してくれた布で顔を拭う。さっぱりする。見ればオスカーも汗まみれで、一仕事したなあという感じがする。


「おなか減りました」

「ああ。戻ろう」

「はい」


 そう言って戻れば、照り照りに焼けたお肉がどんとのった何かを出され、ぐううと正直におなかが鳴った。スープは野菜たっぷりで、肉のお団子が浮いている。

 ナップルはさっそく絞ってくれたらしい。いかにもすっぱそうな黄色いジュースが添えてある。

 よだれを零しそうな顔でオスカーと頷き合い、胸に手を当てて頭を下げた。


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