28 黒色に飛ぶ1
雨が三日続いた。
雨の日は人を乗せる訓練はお休み。ランフォルは飛べるけど、操る側の人の目が効かないからだ。ごはんを食べて、訓練して、いつもの散歩の時間はそれぞれ思うように飛んだり、寝そべったりしている。
夕飯が終わり、アブラハム、ニコル、マル婆がお家に帰った。
そうなると、屋敷にはオスカーとセシルだけということになる。
最初にオスカーさんが言ってたのはこういうことか、と、ようやくセシルは理解した。確かにこりゃいかん、だ。なんとなく。
「どうした?」
「あ、大丈夫です。続けてください」
机の上の紙を二人で順番に見ている。
コールサックに届いた買取りの申込書だ。はっきり言ってかなりいい結果だった。
「輸送、交通、軍に個人所有……だいたい全部来てるな」
「ここって、すごいお高いランフォルを売る牧場ですよね?」
「ああ。その分訓練が厳しいが……」
ランフォルを個人所有できるのなんて、本当の金持ちしかいない。広い土地、毎日の餌代、専用の飼育員が必要だ。
オスカーが眉を寄せ、悩みに悩んでいる。その顔を見てセシルは笑った。
「なんだ」
「いえ。……嬉しい悩みですね、オスカーさん」
ふっ、とオスカーの顔が柔らかくなる。長い指でくしゃっと自分の髪をかき上げる。
「ああ。嬉しい悩みだ。あのときには想像すらできてなかったよ」
あのとき。家族が病気で死んだあと。愛したものを失い、残った命への全ての責任が自分一人にのしかかったとき、彼は、この牧場を背負うと決めた。
不幸な病さえなければ、今でも彼の家族がここにいたはずだった。
「……ご家族の病気って、どんな病気だったんですか」
「夏に虫が運ぶ病気らしい。まるで移動してるみたいにいろんな地域で、なんでか田舎ばっかり、何年おきかに発生してるそうだ。最初に右手の甲に、ぽつっと赤い発疹が出て、全身に広まって、やがて消える」
「消えるんですか」
へえ良かったと思いセシルはそう言った。オスカーが苦しい顔で首を振る。
「体の外への攻撃をやめて、中に出始めた証拠だ。出るところで症状も変わる。指先まで血が行かなくなって落ちたり、息ができなくなったり。早いやつは発疹が消えてから半日ももたなかったそうだ。あっちでも、こっちでも、地獄絵図だったらしい」
「……」
「薬のための設備をくれ、人をくれ。何度も何度も直訴してるらしいのに、本当に何の回答もない。発生するのが田舎ばかりだから、声が小さくて届かないんだ。……正直、俺はすごく怖い」
「何がですか」
「まだ何の原因究明もできてない、本当に移動する保証なんてないのに、セシルにここにいてもらうことが」
「……」
「俺はいい。地元なんだから。みんなだって、墓や家、土地や畑があるからここに住み続けてる。だけどセシルは違うだろう。違う土地から俺が呼んで、いてもらってるのに、またあれがここで流行って、セシルになんかあったらと思うと、ときどきたまらなく怖くなる。早く人を増やさなきゃってそればっかりで、何にも考えてなかった自分が一番怖い」
セシルは笑った。
「おんなじです。私だって、ここにオークランスの牧場があって、ランフォルがいて、好きなものがあるからここにいます。ついでに言えば美味しいごはんと温泉も。ランフォルと、オスカーさんたちといっしょです。自分で選んでここにいます。寂しいから仲間外れにしないでください」
「……理由の中に優しい上司が入ってないな」
「もちろん、優しくて頼りがいがある上司もです」
「相変わらず位置づけが低い」
「そんなことありませんよ」
セシルは笑った。オスカーを見る。青い目と目が合う。この人こんなにかっこよかったかなと思う。少し頬が熱いのが自分でもわかる。
「……そんなこと、ありません」
「……」
ダメだ。沈黙が痛い。前までそんなことなかったのに。思わず顔が下がってしまう。
これもどうしようもないのかなと思ったところで、あるものを見つけ、セシルは固まった。
「オスカーさん」
「ん?」
「……右手」
オスカーが自分の右手を見た。甲に赤い発疹が一つ、浮いている。
「……えらく間がいいな。虫にでも刺されたんじゃないか……?」
言いかけたオスカーとセシルの前で、一つ、ぽこっとその隣に発疹が増えた。セシルは立ち上がる。
「動けるうちにベッド行きましょう。悪いけど私じゃオスカーさんを運べない」
「……わかった」
「立てますか? 肩、貸しますか?」
「大丈夫だ」
立ち上がり、足を出しかけ止まり、テーブルの上の紙をオスカーが見る。
「セシル」
「はい」
「アーベントロート牧場にしよう。個人所有は博打の部分もあるけど、この牧場はすごく客を選ぶ。今のところ一番コールサックが手厚く扱ってもらえる可能性が高い。白銀は個人にすごく人気の高い色だから、きっといい家に引き取ってもらえる」
「……なんで……今」
セシルは目を見開く。机をバンと叩く。
「なんで今そういうこと言うんですか! 縁起でもないことするのやめてください!」
「……念のためだ」
そう言ったオスカーがふらついたので、セシルは肩を貸した。涙が溢れて止まらない。
「……ごめんな」
「何謝ってるんです! いいかげんにしてください!」
オスカーの手がセシルの右手をとってくるりと回した。そこに何もないのを確認し、わずかに笑う。
「今、そんなこと確認してる場合ですか……」
「やぁ。気になるさ。そりゃ」
そのままオスカーの部屋に移動。ベッドに寝かせ、ボタンを外し襟元を広げる。
「暑かったり寒かったりしませんか?」
「ああ。ありがとう。ちょっと町の様子を見てきてくれ」
「はい」
屋敷の外に出ようとしたら、松明を掲げた小さな影が走ってきた。
「ピオ」
「セシル! オークランスは無事か!?」
そう聞かれ、セシルは泣きながら首を振った。ピオはそれだけで察した。地面を蹴る。
「……オスカーさんもかよ。……ちくしょう」
「……『も』?」
「あっちもこっちも病人ばっかりだ。『なんでポスケッタばっかり』ってみんな泣いてらぁ」
「……」
「オークランスの様子見てきてくれって町長直々の御指名で走って来た。特別給だぜ」
「ピオ」
「ん?」
「ご家族は?」
ピオが鼻をこすった。
その指に、ぽたりと透明なものが落ちる。
「母さんと弟。張り付いて横で見てたってしかたないだろ。俺は動けるから、動けるうちは飯のために金を稼ぐんだ。男なんだから」
「……」
「じゃ、行ってくる。セシルは大丈夫だな」
ピオが自分の右手の甲をかざしたのでセシルも同じ動作を返す。うん、とピオが頷く。
ピオが言うなら間違いないだろう。セシルはオスカーの部屋に引き返した。
ノックし、返事はないが開ける。そしてベッドの上のオスカーを見て、手にした水差しを取り落とさんばかりに驚いた。さっきは手の甲だけだった発疹が、この短時間で首まで広がっている。




