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飼育員セシルの日誌 ~ひとりぼっちの女の子が新天地で愛を知るまで~【書籍化/コミカライズ】  作者: 紺染 幸


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26/32

26 コンクール3

 会場は大盛り上がり。観客席で、セシルはアルコルと並んで丸い会場を見ている。


 売り手も牧場なら買い手も牧場。ランフォルを知り尽くした人ばかりだ。立派で賢くて速いランフォルはすぐに目を付けられるし、値段も高くなる。

 セシルがクビになった前のラルジュ牧場は最後、高い値のつかなそうなランフォルを切り捨てる方針になった。

 ベンノさんのときはそんなことなかったはずなのに、定期的に能力を測り、勝手に決めた基準を下回るランフォルを育てることをやめ、自然に放ることにするとある日突然言われたのだ。

 そんなことをしたって彼らは牧場を家だと思っているから、当然帰ってくるだろう。どうするつもりだと詰め寄る飼育員たちを、ベンノさんの息子は鼻で笑った。餌をやらなきゃ勝手に探しに行くだろう、と。

 目の前に自分が育てたランフォルがいて、おなかをすかせているのを見てごはんをあげないことなんかできるわけがない。次の定期計測で誰かがそうなったらどうしようと、セシルは一時眠れないほど悩んだのだった。まあそうなる前に自分のほうが放り出されたわけであるが。


「聞いたか、ラルジュ牧場の話」

「ああ聞いた聞いた。大笑いだ」


 タイミングよくそんな声がしたのでセシルは耳を大きくした。聞いてない聞いてない。セシルは聞いてない。


「育ての牧場でまさかの全羽カラス! 馬鹿じゃねえのありえねぇだろうが恥ずかしい!」


 どっと男たちが笑う。セシルは自由に空を飛ぶみんなを思い描き、スカッとした。そしてスカッとしたのち悲しくなった。ベンノさんは大丈夫だろうか。


「ブチ切れたベンノがその勢いで復活して息子を身一つで叩き出したってんだから面白ぇ」

「もっと早くそうしとけって話だけどな」

「そこはまあ、情だろうよ。いつかわかるんじゃないか、まともになるんじゃないかって、最後まで信じたいのが親ってもんだ。ま、そのせいで築き上げてきたもんが全部パアだけどな。さすがにもう牧場は無理だろうけど、食ってくくらいはできるだろう」


 そうだ。ベンノさんはお金持ちだ。土地も広いし、ごはんに困ることはないだろうと少しだけホッとする。

 それでも、寂しいだろうなと思う。ベンノさんは口にはしないけど、ランフォルのことが大好きだったから。


 切り捨てられなきゃいけないランフォルなんていないとセシルは思う。ランフォルの中では多少劣っていたとしても人に比べれば圧倒的に早く、格段に力持ちで強いのだ。臆病と言われるランフォルでもその繊細さが役に立つ仕事はいくらでもある。その子に合った方法で育てて、その子に合った道に進んでもらえばいいだけ、やらないほうが悪いだけだ。


「出てきたぞ」


 その声に顔を上げる。ふわっと会場が揺れる。太陽の光が大きなものに遮られ、見上げている人たちの顔に影ができる。

 手のひらをかざし、目を細めながらセシルはそれを見る。この入場シーンはいつ見てもいい。さまざまな色のランフォルが頭の上を舞い、羽根を広げている。一羽、また一羽と、自分の名前の書かれた丸の中に着地し、騎乗者が降りて礼をする。ちゃんと丸の中に止まれているかも、皆が自然に観察している。

 やがて今回の組全員が出揃った。二十組弱というところだろう。競技は時間で区切って出場者が入れ替わり、お客さんたちは一日の最後に希望の紙を出す。

 皆若いランフォルだ。そわそわと動いたりお客さんを見たり、乗り手に甘えたりしているものがいる中で、コールサックは堂々としていた。白銀の羽根が太陽の光にきらきらと光る。王様みたいだとセシルは思う。

 オスカーがコールサックの体を確認し終え、立ち上がって礼をした。こちらも堂々としていてかっこいい。そうか、オスカーさんは姿勢がすごくいいんだなと、セシルは思わず背筋を正した。

 背が高いし足が長い。体格がいいから見栄えがいい。身内びいきもあるとは思うが、つい目がそちらに行ってしまう。


「2、7、13ってとこか」


 ぼそぼそと男の人たちがしゃべっている。7がお勧めですよとセシルは念を飛ばす。

 入口で渡された紙の中から、セシルは二枚を広げた。今日ランフォルたちが飛ぶコースの地図が二つ。

 さすがのいやらしさだとセシルは震えた。ただ飛ぶだけではなく途中途中、合計五枚のカードを拾って帰ってこなくてはならないのだが、カードの近くにランフォルの気を引くトラップがある。

 果樹園の中、飛ぶと自分の体が映って楽しい滝の裏。転がして遊ぶと楽しい大きな綿毛をつけた花畑のど真ん中、ついつい捕りたくなっちゃうきれいなお魚のいる池の横。若いランフォルは楽しそうなものの数々の誘惑に耐え指示に従えるだろうか。

 乗り手たちがそれぞれのランフォルに跨り、隣同士で金具を確認し合っている。基本相手にそれを請われたら、快く応じるのが乗り手のマナーだ。今は敵とはいえ同業者同士、いつ何かでお世話になるかもわからない。ルールを守って紳士的に行きたいものだ。

 全員分の乗り手の右手が上がった。準備よし。じっとセシルはオスカーを見る。笛をくわえたまま、オスカーはわずかに微笑んでいた。手のひらが優しくコールサックを撫でている。

『頑張れコールサック』とは、オスカーはきっと言ってない。『いつもどおりな』だろうか、『気楽に行こう』だろうか。セシルの上司はそういう人だ。

 やがて人でも聞こえる笛が短く一回鳴った。全員分の手が下ろされ、それぞれ笛をくわえ、首紐を握る。ピーッと長い笛が鳴った瞬間に、ゴウッと風が吹き上がった。


「ああ。いい景色だなあ」


 男の人の声にセシルは頷く。本当に、何度見ても泣きたくなるくらい、いい景色だ。

 大きな体が天上に向けて飛翔する。重さなんか知らないよと、軽々と羽根をはためかせて。

 あんな風に飛べたらどんなに楽しいだろう。ランフォル乗りじゃない人たちから見たらセシルたちも、ひょっとしたらそんなふうに思われているかもしれないと、セシルは初めて思った。

 飛び立つ瞬間、オスカーが笑っていたのをセシルは見た。あんな楽しそうな、嬉しそうな顔をするオスカーに、思わず嫉妬さえしてしまいそうだった。


 皆が戻ってくる前に、今回の出場者のリストを見る。名前、所属する牧場、担当する飼育員の名前、身長、体重などがそこに記載されている。

 コールサックのところを見る。オークランス牧場、担当飼育員:オスカー=オークランス、セシル=バルビエ。


「……」


 こういうところが、オスカーなのだ。

 セシルは今までここに名前を載せてもらったことがない。若くて、女で、実績がないからだ。セシルが育てたランフォルでも、セシルよりも経験の長い上司の名前がここに入るのが、これまでセシルにとってはずっと当たり前だった。

 涙がぽたぽたと出てしまったので、拭う。アルコルが心配そうに見てくれるので首を抱き、撫でる。優しく髪を食まれる。


 どれくらい経っただろうか、遠くでカアンと鐘の音がした。先頭のお帰りだ。


「速いな」


 誰かが言った。なんせ一~三歳のランフォルのコンクールだ。個体によって差はあれどまだ全員に子どもが残り、ときどき指示に従えないこともある時期。そのあたりはこれから大きくなって人と過ごす時間が重なればそれは自然に解消されるので、今の段階では割と大目に見てもらえる。人を背に乗せその言葉を聞くのが当然であり、そうしながら人と暮らしたいとランフォルに思わせるまでが育ての牧場の役割だ。

 祈るようにセシルは天を見上げた。二羽が並び、ぐうんと高度を下げ会場に滑り込んでテープを切った。薄茶と銀色。赤いテープは薄茶のランフォルのくちばしがくわえている。そのままぐるぐると会場の上を飛び、やがて着地した。

 薄茶のランフォルの背中で赤毛の短髪の男性が嬉しそうに笑い、白銀のコールサックの上でオスカーがものすごい悔しそうな顔をしている。

 へえ、そんな顔もするのかとセシルは思った。セシルたちにはいつも大人みたいなどこかしら余裕のある態度なのに、今のオスカーは、友達に負けて悔しがっている少年の顔そのものだった。

 負けちゃったねオスカーさん、とセシルは笑った。もちろんオスカーもわかっているとは思うがほぼ同タイム。それほど声掛けの内容に変わりはないだろう。

 それでも悔しいのだ単純に。オスカーはランフォルが、コールサックが好きだから。どうだと自慢したかったから。

 コールサックの全身をくまなく確認し立ち上がったオスカーの手を、一位を取ったアンゼルムが取り、二人は同時に礼をした。会場に拍手が響く。やっぱり悔しそうな顔で、オスカーがアンゼルムを見て笑っている。


 その後行った二回目の飛行でもアンゼルムが一位、オスカーが二位だった。ずらりと輪になって並ぶときはセシルもコールサックの横に立って、質問に答えた。好きな食べもの、気質、飛び方の特徴。次々と来る質問に、なるべく丁寧な言葉で答えていく。

 水が得意かと聞かれたとき、オスカーが何と答えるかセシルはドキドキした。濡れても嫌がったり飛ぶのをやめたりはしないけれど、コールサックは内心嫌なはずだった。なんとなく顔でわかる。

『飛行に支障をきたすことはありませんが、苦手な気質です』

 あっさりとオスカーは真実を答えた。これで手を下ろす買い手があったとしても、オスカーはそれでいいと考えているのだ。コールサックが働きやすい場所で働けることを優先して。

 牧場主らしく落ち着いたオスカーの大人の顔を、セシルは思わずじっと見つめていた。


 次々来る質問に答えて、宿に戻ったころにはへとへとだった。セシルは乗っていないのに。


「セシル」

「はあい」


 オスカーの声だったのでセシルは答えた。ちなみにアルコルとコールサックはランフォル用のお宿に預けてある。この町の人たちはそれぞれがランフォルの専門家みたいなものだから、ランフォルを甘やかすのがとっても上手だ。大好きな食べ物に、面白いおもちゃと気持ちいい藁。もう訓練なんていやだ、帰らないよって言われたらどうしようと心配になるほどだ。

 扉を開けると、オスカーが立っていた。私服だ。


「せっかくもう一泊にしたんだ。のんびり飯でも食おう」


 セシルの手首を案じてオスカーがそうした。


「はーい。着替えて、部屋に呼びに行きますね」


 扉を閉め、鞄を前にしてセシルは固まる。騎乗服と作業服、寝間着しか服を持ってこなかった。

 仕方なく着替え用の騎乗服を着る。暑いしジャケットはいいだろう。オスカーの部屋に向かう。夕焼けの中、連れだって町を歩く。

 前からセシルと同い年くらいの女の子たちが歩いてきた。楽しそうにおしゃべりをし、笑いながら。皆明るくて華やかな色の、ふわふわした服を着て、可愛い靴を履き、長い髪の毛を思い思いに結っている。それが流行なのか、彼女たちの唇の紅が鮮やかに赤い。髪飾りがきらきらと光り、アクセサリーがしゃらしゃらと音を立てている。もちろん男性みたいなシャツ、ズボンなんか誰も履いていない。すれ違うとき、甘やかな花のようなにおいがした。


「……」


 セシルは俯いた。

 今までこんなことはなかった。男物の服で、髪が短くて、泥だらけの汗まみれでひとりぼっちでも、セシルはランフォルとさえいればそれだけで幸せだった。

 急になんだろうと、自分に戸惑う。


「どうした?」

「いいえ」


 胸がざわざわする。昨日と何かが変わってしまいそうなすごく怖い感じがする。夕陽の赤はセシルにとって嫌な知らせを運ぶ怖い色だ。

 そんな赤の中、背の高い男の人が振り向いて止まり、セシルが追いつくのを待っている。優しい目を持つ立派な体格の、年上の男の人。

 苦労性で貧乏くじをよく引く、真面目で、責任感の強い、細やかでとっても優しい人。


「……」


 どうしよう、本当に泣きそうだとセシルは思った。

 ざわざわ、ざわざわと、セシルの知らないものが胸で知らない音を立てている。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なんと、もう完結……! 早かった。 もっとセシルが気づかずに、オスカーを振り回して欲しかった!
[一言] 明日で完結!!おめでとうございます! でも本音を言うとあと500話くらい読みたいです。いつもセシルや周りのみんなの優しい世界のお話に癒されてます。さあオスカーが鋼鉄の理性で頑張った成果が出…
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