25 コンクール2
「壮観!」
セシルは飛んでいる。カラフルな町を見下ろす、パラディの空を。
あっちにも、こっちにも、ランフォルの翼が見える。様々な色、大きさ。いずれもその背中に、人が跨っている。
皆、それぞれの牧場カラーの公式な型の騎乗服姿。これだけの数の牧場のランフォル乗りが集うのは、コンクール以外にないとセシルは思う。こんなに飛んでいたらぶつかるのではないかと思われるかもしれないが、不思議にランフォル同士がぶつかることはない。微妙に進路、高さを変え、上手くよけ合うのだからすごいなあと思う。
色とりどりの旗が町のいたるところにある。コンクールのあるこの時期は、町にとってもお祭り期間だ。屋台や食堂は大盛況、宿は満員御礼。
この町の人たちは皆、ランフォルに詳しい。詳しくて扱いが上手いほど、この時期稼ぎのいい仕事ができるからだ。
ランフォルで降りていい場所で、オスカー、セシルはコールサック、アルコルの背から降りた。セシルは今日も、アルコルの体をすみずみまで確認する。
どきどきしてオスカーを見る。オスカーだって似たような顔だ。緊張と、自分の自慢のランフォルを披露する誇り。いい人に見つけてもらえるだろうかという期待。どきどき、わくわく。そわそわ。道行くランフォルを連れた人みんながそんな顔だ。
「緊張しますね」
「ああ」
互いの思いがわかるから、目が合うと笑ってしまう。オスカーもセシルも揃いの騎乗服だ。乗馬服に似ているが、飛ぶとき見栄えがいいよう上着の裾が長いのが特徴。オークランスの色はきれいな青だった。
「この色になる染料がポスケッタで採れるんだ。いわばポスケッタ色だな」
「はい。きれいな色。すごくかっこいい」
首紐を引きながら歩む。会場に向かって。
昨日は宿でぐっすりと眠った。本日はコンクール当日である。
時間を競う競技がコースを変えて二回ある。始めにセシル、二回目をオスカーで飛ぶ予定だった。
まだオークランスの牧場に入って日の浅いセシルが、こんな大事なコンクールに出ていいのかと驚いたが、いいとのことだった。コールサックの性格が丸くなったのはセシルのおかげだとオスカーは言うけれど、セシルはそうは思わない。コールサックはもともと優しい、視野の広い子だった。たまたまタイミングがよかっただけだ。
それでもランフォルに乗っていいと言われて遠慮するセシルではない。若手のリーダー。かっこよくてきれいな、コールサックのお披露目。こんなにわくわくすることがあるだろうか。
前方が騒がしい。なんだろうと思っていたら、人が走って来た。
「暴れ馬だ!」
「誰か騎乗して掴んで放れ」
「田舎成金の高そうな馬だぞ! んなことしたらいくら請求されるか! 大暴れしてやがる!」
言いながら走る男がアルコルに当たりそうになったのでとっさに前に立ったらぶつかって、セシルは転んだ。
「っ!」
土埃が舞い、ごつんと地面に頭を打つ。
ちょっとくらりとしながら、まずい、ここに人が走ってきたら踏まれると思い、セシルはぎゅっと丸くなる。ここに馬が来て踏まれたら、じいちゃんとばあちゃんといっしょだなともうっすら考える。
ふわりと体が浮かび、ぎゅっと抱かれ空に浮かんだ。
「動くなよ」
優しい声が言い、包むように強く抱かれる。あったかい。
ランフォルとは違う人の体温を、セシルは何年振りかに肌に感じた。
「……う」
「セシル」
「……?」
一瞬意識を失い、何が起きたかわからず、セシルは目を瞬いた。
オスカーの顔が、心配そうにセシルを覗き込んでいる。
慌てて自分の体を見る。オスカーに横抱きで抱えられて運ばれている。セシルは慌てた。
「大丈夫です! おろしてくださいお願いします!」
「ダメだ。頭を打ってる。このまま医務室に行く」
「自分で歩けますから! 本当に大丈夫です。くらっとしたのは一瞬です」
「ダメだ」
ぎゅっ、とオスカーの腕に力が入った。顔が青ざめている。セシルは暴れるのをやめた。
「……ダメだ」
ああ、ランフォルを失ったとき、家族を失ったとき、この人はこんな顔をしたのだろうと何故か思った。痛いところを痛いと言わない、我慢強い、責任感の強い人の感情を押し込めたような固い顔。
思わず腕を伸ばし、いつかのようにその頭を撫でた。そこにあの日の、小さな男の子がいるような気がしたから。
「心配かけてすいません。もちろんオスカーさんのせいじゃないです。私が自分で、とっさにアルコルの前に立ったんです。変ですよね、ランフォルのほうが強いのに、馬鹿みたいだ」
「……」
「二人はどこですか? 時間、大丈夫ですか?」
「入口で預かってもらってる。時間はまだ大丈夫だ」
「すぐ二人のところに帰りたいって言ってもダメですよね?」
「ダメだ。一回見てもらう」
「はあい」
体の力を抜き、セシルは運ばれるのを楽しむことにした。こんなの子どもの頃ぶりだ。
「何笑ってるんだ。一瞬死んだと思ったんだぞ。人の気も知らないで」
「だって元気ですもん。ふわふわして楽しい」
「ああ楽しめ楽しめ。にしても軽いなあ」
「オスカーさんの腕のために頑張りました」
「そりゃどうも」
そうして着いた医務室でいろいろと検査をされて、今のところたんこぶもできてないし、目も体の反応もひとまずは問題ないということになった。頭痛がしたり、吐いたり、手足に力が入らないようなことがあればまた来るようにとのことだった。
さっき運んでもらった廊下を、セシルはオスカーと並んで歩いている。
「石頭でよかった」
「ひとまずは安心した。何かあったらすぐ言えよ、セシル」
「……」
笑顔で大丈夫ですよと言いかけて、セシルはこちらを見る真剣なオスカーの顔を見てそれを飲み込んだ。
「……」
ぼろぼろっと涙が出る。本当は、目を覚ましたときから気付いていたことだった。セシルは右手を上げる。
「……手首、痛いです……」
「……」
「……乗りたかったぁ……」
涙と、うわああんという自分でもびっくりするくらい子どものような声が出てしまった。
セシルはずっと今日を楽しみにしていた。乗りたかった。この会場で、優しくてかっこいいコールサックをみんなに見てほしかった。コールサックはいいランフォル、オークランスはいい牧場なんだと、みんなにセシルの大事なものを自慢したかった。オスカーとお揃いのポスケッタの青い服で。オークランスの飼育員として。セシルはオークランスの飼育員になれてとっても嬉しかったから。
オスカーの大きい手がセシルの背中を支える。それが優しいせいで、セシルの涙は止まらない。必死で目を閉じ、気持ちを落ち着かせようと息を吸って吐く。
もう大丈夫、と確信してから、セシルは目を開ける。子どものような情けない泣き方をからかいもしない真摯な青い目が、セシルを見ている。
「乗りたかったな」
「……はい」
「でもダメだ。来年だセシル。いいな」
「はい」
言えばそうなるのはわかっていた。だから隠そうと思った。
でもそれで何かがあったなら。セシルはなんでも自分のせいだと思って背負うこの人のあの悲しい固い顔を、もう見たくないと思ったのだ。
「骨か? 戻るか?」
「いえ、軽くひねっただけって感じです。ちょっと痛いかなくらい。よくあります布巻いときます」
「そうか。あんまり動かすな」
「はい」
「セシル」
「はい」
「教えてくれてありがとう」
「……はい」
オスカーの青い目を見返す。まだ涙は出るけれど、後悔はしていない。オスカーとコールサックの見事な飛行を、目に焼き付けようと思った。
「オスカー」
預かってもらっていたアルコルとコールサックを連れ会場に向けて歩いていると、そんな声がした。
薄茶のランフォルを連れた男の人だ。オスカーよりも少し年上くらいで、逞しい体つきの赤毛の短髪。優しそうで、頼りがいのありそうな人だ。
「アンゼルムさん」
オスカーが答える。アンゼルムと呼ばれた男は歩み寄り、オスカーとセシルを交互に見て、顔いっぱいににっかと笑ってオスカーの背中をどんと叩いた。
「なんだよ心配させやがって。そうなってるならなってるって早く言えって」
「どうにもなってません。新しく入った飼育員のセシルです」
「セシル=バルビエです。よろしくお願いします」
「……」
とても悲しそうな顔だ。何か悪かっただろうか。
「……違うのか……?」
「違います」
「何がですか?」
「……」
ぽんぽん、とアンゼルムの大きな手がオスカーの肩を叩いた。
そのまま肩を落とし、無言で去っていく。
「別の牧場の知り合いだ。親同士が知り合いで、ちょくちょく顔合わせてた。まあ、幼馴染みたいなもんだな。兄貴と同い年で、俺にすぐに兄貴面してくる」
「へえ」
あの人もポスケッタの皆と同じ。オスカーが心配でしょうがない人たちの仲間だなとセシルは笑う。
「オスカーさん」
「おう」
「がんばってください」
「ああ。応援頼む」
セシルが差し出した拳に、オスカーが自分の拳をこつんとぶつける。
去っていくオスカーとコールサックの背を見送り、セシルはアルコルを連れて客席へと向かっていった。




