22 棒付きキャンディ
「この時期が来たか」
「この時期が来ましたねえ」
空中にほわほわしたものが舞っている。
あちこちちょぼ、ちょぼ、ちょぼとはげた、なんとも珍妙な姿の茶色のレアン、灰色のヴィガ、蜂蜜色のノワがクアックアッと鳴いている。
「……これは?」
痛ましいものを見るようなニコルの戸惑った顔に、セシルはオスカーと目を合わせ、ふふっと笑った。
「病気じゃないから大丈夫。羽根が大人に変わるんだよニコル。……みんな、少し大人のランフォルになるの」
「……」
まじまじとニコルは灰色の目で雛たちを見た。潤んでいる。
「……早いんだなあ」
ニコルの手のひらが彼らの残りのほよほよ部分を撫で、感極まったかのように抱きつく。三羽に囲まれ髪をハムハムされている。
散歩に行ったりなんだりと牧場を出たり入ったりするオスカーやセシルと違い、ニコルはずっと牧場の中で仕事をしていた。雛たちにとってこの頃一番に一緒にいて、遊んでくれる人間は、ニコルなのだ。
もちろんセシルとオスカーの顔は覚えているし、この中でボスがオスカー、その下がセシルであることは理解しているから、オスカーやセシルの言うこともちゃんと聞いてくれる。
生まれたてのときの、ただの刷り込みだけでぽよぽよクアクアとお母さんを追いかける時期は終わったのだ。
彼らの成長が嬉しくて、頼もしくて、少し寂しい。
「……でもなんか可哀相ですね。……痛くはないんだろうけど……」
ニコルにはげの部分を撫でられたレアンがまん丸の目でニコルを見上げて『クア』と鳴く。
「お母さんのいる子は、お母さんがくちばしとか爪で上手にはぐはぐしてくれるんだけど、いない子は気になって自分でつんつんしすぎて、傷になっちゃうこともあるよ。大人ほどじゃないけどくちばしが鋭くて、固くなってるのに、自分じゃまだそれに気付いてなくて。傷ができると今度はかゆいから余計にかいちゃって、放っておくと可哀相なことになることがあるよ」
「……」
ニコルが悲しげに俯く。セシルはそんな彼の前に、背中に隠していたものを取り出しじゃーんと見せた。木でできたくちばし型、爪型の、フォークのようなもの。
「ノワ」
クアッと鳴きながらノワがぴょこんと進み出た。背中側に立ち、セシルは爪型のほうをそっとノワの背中に当てる。
「力は入れすぎません。ただ体に沿って、そっと引っ張ります」
そ~っと引いたフォークの先に、みるみるうちにもさもさあっと蜂蜜色の毛が集まった。これは何度見ても壮観だ。
重みが増したそれを掲げる。ランフォル乗りの俗称『ロリー』。棒付きの飴玉だ。ニコルが目を瞬く。
「……ノワが一羽増えた……!」
「よしどんどん行くぞ。ニコルはレアンを頼む。毛はあとで麻袋に詰めるから、丸めて転がしとけ。モジャァッとつくと取れにくいから気をつけろよニコル」
「……モジャァッ?」
「はーい!」
オスカーがヴィガを、ニコルがレアンをそれぞれの道具で梳る。雛たちは皆目を細め、やがてクックックと喉を鳴らし始めた。彼らは、これが大好きだ。本来雛のときに母親にされることだからだろう。
鳥のようであり、動物のようである。やっぱりランフォルって不思議な生き物だなあと思う。
必死に腕を動かしていると汗が噴き出て目に入りそうになった。今日はもう散歩も終わったし、とセシルは革の上着を脱ぎ、布で顔と首、背中を拭う。ここのところ本当に暑い。間もなく夏、コンクールの時期がやってくる。
やがてへとへとになった飼育員一同と、ごろんごろんと転がる各色ずつ三個、計九個の毛玉が残った。雛たちは軽くなった体で目いっぱい遊びたいらしく、オスカーに許しをもらってから仲良く走り去っていった。
「腕が……」
「服がしぼれるくらい汗だくです。臭かったらすいません」
「お互いさまだ。ここは寛大に許し合おう」
色ごとに、ころんころんの毛玉を袋詰めする。ランフォルの雛の毛はやわらかくて保温性が高いので、人気があるのだ。
「今年は一個ぐらいうちで使うか」
「やったあ! あれふみふみするの大好きです!」
「ふみふみ?」
不思議そうな顔をするニコルに、オスカーが教える。
「各牧場で調合した秘密の粉を入れて、水を入れて、人の足で踏むんだ。汚れが落ちていっそうやわらかくなって、乾かせばふかふかのいい毛になる」
「へえ……」
「泡が出て、ぬるぬるで、転びそうになるから手をつないで輪になって歌いながら回るんだよ。踏み残しがないように、輪を大きくしたり、小さくしたりして。楽しいよ」
「へえ」
説明しながら笑ってしまう。そう。あれは楽しい。小さい頃セシルは祖父、祖母、近所の人たちとあれをやった。大切な仕事だから真剣にやらなきゃいけないのだけど、足の裏のぬるぬるもにょもにょする感触が楽しくて、今にも転びそうなみんなの様子がおかしくて、やっぱりやりながら、皆笑ってしまうのだった。
「いろいろあるんですね」
うん、とセシルは頷く。
「たくさんいろいろ。ランフォルって素敵でしょう、ニコル」
「……はい」
ニコルがいい顔で笑ってくれたので、セシルも笑った。セシルは一人でも多くの人に、ランフォルをそう思ってもらいたい。
「……」
「?」
ニコルがじっと見つめてきたのでセシルもじっと見返した。なんだろうと思う。
「さて夕飯だ。いい仕事したから今日のは余計に美味いぞ」
「やった! いつも美味しいのにいつもより美味しいなんてすごい」
立ち上がり、みんなで小屋を出る。
風が気持ちいい。春よりもたっぷりと深みを増した、夏の夕暮れの命の香りがした。




