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飼育員セシルの日誌 ~ひとりぼっちの女の子が新天地で愛を知るまで~【書籍化/コミカライズ】  作者: 紺染 幸


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19/32

19 旅2

 大きな街の上を旋回している。


 高い石の塔、大きな建物とそれの前の広間。そして、王宮。

 王宮の屋上にはランフォルが降りるための印がついていた。いつかあの丸のど真ん中を狙って降りてみたいなあと、あのマークを見るとわくわくする。

 端っこまでお店がいっぱい。人もいっぱい。間違ってもあの中に下りたりしちゃいけない。けが人が出てしまう。

 オスカーが右手を挙げたので後ろについた。街の真ん中から少し離れた水辺の、白い石造りの立派な建物に降り立つ。

 アルコルの体を確認。抱きついて、なでなで。何度だって髪をハムハムしてくれる。


「ここは?」

「中央薬師所。まあ、国で一番えらい薬屋だ。場所を覚えといてくれ」

「……」

「俺たちのどっちかが緊急で飛ぶことになるのは、おそらくここか、治療院目指してだと思う。そっちはこのあと回るぞ」

「はい」

「……兄貴はあの日、ここを目指した。たどり着かなかったけどな。あれの薬、扱いの難しい薬で効果が作ってから一週間も持たないらしい。ポスケッタに置いとけないんだ」

「町の中で作れないんですか?」

「成分を絞り出すのに専門の技術と器具がいるらしい。要請だけはずっと送ってるけど回答がないそうだ。……いつだって、小さいところは最後まで後回しだ」

「……」


 そんな日が来ないことを祈りながら、じっと白い建物をセシルは見た。

 なんだか固そうで、ぎゅっとした建物の形。それを切なそうに見るオスカーの横顔が妙に目の奥に焼き付き、セシルの眼の底からしばらく消えなかった。




 その日のうちに家に飛び帰れば、屋敷はちょうど夕飯の時間らしかった。


「……おかえりなさい」


 ニコルがスプーンを持ったまま、なんだか残念そうな顔で言った。アブラハムがやれやれと言わんばかりに首を振っている。


「何普通に帰ってきちゃってんだよ、オスカーさん」


 何故かピオが、ニコルの横に座って普通に飯を食べている。


「なんで食ってんだ? ピオ」

「食ってけって言われて、食ってかない俺だと思う?」

「ああ、思わないよ。ゆっくり食ってくれ」


 遠慮なくもりもり食べている様子に、オスカーはセシルと顔を見合わせて笑う。やり切った爽快感とは真逆に、体が鉛のように重いのはセシルも一緒だろう。

 ずっと正面から風を浴び続け、綱を握り続け、体重移動を繰り返した。飛んでるうちは気付かないが、降りてしまえば腕も脚も重く、肩も首もがちがちだ。


「風呂先入れ、セシル」

「いち従業員がボスを差しおいてですか?」

「ああ。優しいボスが譲ってやる」

「広いんだし一緒に入れば?」


 言ったピオを見てから振り向き、きょとんとセシルがオスカーを見上げた。


「そうします?」

「自分を大事にしなさい」

「冗談です」


 笑うと白い歯がこぼれる。蜂蜜色の髪が揺れる。


「じゃあ優しいボスに感謝しながらお先に入ってきます。言っておきますが長湯ですよ」

「ああ。ゆっくりほぐしてこい」


 笑顔で消えたセシルの背中を見送り、オスカーもテーブルにつく。


「首尾はどうでした」


 マル婆が持ってきてくれた、湯に浸したあたたかい布で顔や首を拭きさっぱりと顔を上げると、アブラハムに尋ねられた。オスカーは笑う。


「予想以上だった。ひょっとしたらうちの牧場はすごいかもしれない。コールサックも、アルコルも、少しも戸惑わずに、中だるみもなく最後まで調子を落とさず飛んでくれた。少しでも疲れが見えたら休もうって、それこそ泊りも覚悟してたけど、初めての長距離をここまで飛べるなんてと実は結構驚いてる」

「覚悟じゃなくて期待だろ」


 言ったピオの頭を、オスカーは両手で挟んで軽くグリグリした。笑っている。


「乗り手がいいからな」


 言ったアブラハムに、オスカーは同意して頷いた。


「ああ。セシルはすごい。俺は今まで、セシルのことを過小評価してた」


 ランフォルが大好きで仲良しな、意外と力のある元気で明るい飼育員。日誌を毎日真っ黒にし、汚れ仕事もいとわずに一生懸命やってくれる、真面目で優秀な従業員。そう思っていた。


「正直驚いた。あそこまでランフォルを疲れさせずに飛べる乗り手はそうそういない。軍にだっていなかったかもしれない」

「乗る人で、ランフォルの疲れが変わるんですか?」


 おずおずと聞いてきたニコルに、オスカーとアブラハムが頷く。


「きょうだいがいるなら分かるだろ? 抱っことかおんぶするとき、される側が暴れたりせずにぎゅっと上手にしがみついてくれると、支える側の負担はずっと軽くなる」


 ああ、とニコルは頷いた。いい兄ちゃんだなニコル、とオスカーは笑う。


「あれの延長みたいなもんだ。指示を出すタイミング、体に身を寄せたり離したりするときの力加減、旋回するときの体重移動。もちろん体が軽くてやわらかいのもあるけど、そういうバランスというか、ランフォルのやりたいこと、気持ちを酌んで、息を合わせるのが抜群に上手い。この上手さってのは短距離じゃそんなに大きな違いは感じなくても、長距離だと乗れば乗るほど差が開いてくる。アルコルはずっと、本当に気持ちよさそうだったよ」

「へえ……」

「一朝一夕で身につくもんじゃないし、元から持ってるもんも違う。最初から欲張るなよ、ニコル」

「……はい」


 まだランフォルに乗ったことのないニコルが、スプーンを握ったまま、アブラハムのほうを見て頬を染めて俯いた。

 しっかり、憧れてくれるんだなぁと、オスカーはひそかに嬉しくなる。

 皿が並ぶ。ひき肉を四角くして中にゆで卵を入れて焼いたのを切ったやつ。断面で卵の目玉がこっちを見ていて、その隣にカラフルな焼き野菜。そこにかかった少し甘口の赤いたっぷりのソース。元気のいい色の皿と、いつものホッとする味のスープ。

 たった一日離れていただけなのになんだか懐かしいような気になって、オスカーはそれらをゆっくりと食べた。ピオがいる分、いつもより食卓はにぎやかだ。


「すいません今あがりました。ああいいにおい! おなかペコペコです」


 言いながら現れたセシルの髪はまだ濡れていた。温泉効果で普段白い肌が上気して、ピカピカ光っている。ぽろりと雫が髪から鎖骨に落ちた。待てその寝間着、初めて見た気がするけどちょっと首が開きすぎじゃないか。ちょっと生地が薄すぎやしないか。


「……」

「……」


 ニコルが俯き、ピオが額を押さえて天を見上げている。アブラハムに足を蹴られた。俺のせいじゃないぞと思う。


「どこに座ろう」

「オスカーさんの横にしなよ」

「わかった」


 ピオの言葉に素直に従ったセシルが横に座った。なんか甘くていいにおいがする気がする。そういえばこないだアデリナさんが、何か瓶に入ったものをセシルに『おすそわけ』していた気がする。気がする。

 セシルの目がオスカーを見た。吸い込まれそうな水色。今日ずっと見続けた、空の色だ。


「先にいただいちゃってすいません。あっためておきましたのでオスカーさんもどうぞ」

「そりゃどうも。じゃ、俺も入ってこよう。あっためられてあったかいうちに」

「飲むなよオスカーさん」

「何をだよ」


 笑いながら立ち上がり、オスカーは部屋を出た。





「どうだった、セシル」


 オスカーの背中を見送ったあとアブラハムに聞かれ、セシルは考えた。思い出し、考えるだけで胸がわくわくし、顔が勝手に笑ってしまう。


「なんかいいことあったのか?」


 ピオが嬉しそうに身を乗り出した。


「うん、いっぱい。みんなすごく、すごかったよ」

「何が?」

「前からわかってたけど、長距離を飛んで改めて思った。コールサックは状況を把握するのがとっても上手。ちゃんと笛の指示に従ってるのに、風を読みながら一番いい位置取りを自分で考えてできる子。リーダーになるだけあって視野がとにかく広い。きっと弱ってる子が群れにいたら、前に出て風を自分が受けて守ったりもできる子だと思う」

「……」

「アルコルはやっぱりすごく優しい。背中にずっと意識を向けてくれてるのがわかる。強い風からさりげなく乗り手を守って、意識をいつも笛の指示に傾けてくれてる。周りと競ったり、自分の好きに飛ぼうとしたり、何かに気持ちを持ってかれたりしないで、集中を切らさずにいつも正確に指示に従ってくれる。優しくて真面目な仕事人、アルコル!」


 満面の笑みのセシルを、皆がじーっと見ている。


「……他は?」

「ほか?」

「…………例えばほら、オスカーさんとか」

「ああ」


 セシルは笑った。


「もちろんすごい。オスカーさんは、頭の中にすっごい正確な地図と、磁石があるんだよ」

「へえ」


 セシルは思う。自分だってそれは不得意ではないつもりだったけど、あれには敵わないと。

 ずっと先の、見えない目的地にピンを立てて、それと現在の自分たちの位置が見えているようにオスカーは進んだ。

 おそらくオスカーの地図の中に引かれたうちの線の一本を正確になぞり、何かあれば迷わずに別の線を選択し瞬時に切り替え、常にランフォルたちの体の負担が最小限になる道を選んで飛んでいた。

 セシルだって考えているつもりだが、どうしても最短距離に近いルートを進みがちだ。細かいことを考えなければそれでいいのだろうが、ランフォルのためにも、乗り手のためにも、飼育者、そして乗り手とはかくあるべきなのだとセシルはオスカーの背中、横顔を見ながら思っていた。

 今回オスカーが選んだのは、風の流れが不規則な溪谷を避ける若干の迂回を含むものだった。あとで地図を引いてみようと思うが、きっとそれが、ここから中央に何度も何度も飛んでオスカーが導いた、ポスケッタと中央を結ぶルートの最適解なのだろう。


「かっこよかった……」

「!」

「!」


 ピオとニコルがパンと手を打ち合わせた。なんだろう。仲良しになったんだなあと、セシルは嬉しくなる。


「いつか、あんなふうになりたいな」

「えっ?」

「あれっ?」


 食事が到着したのでほくほくしながらフォークを取る。何度か食べたことのあるお肉の料理。きっとまだ『懐かしい』なんて言える立場じゃないのに、なんだか泣きそうなくらい懐かしい。

  美味しい、美味しいと食べるセシルの前で、ピオとニコルが変な顔で首をひねっている。




 夜

 とんとんとノックの音がしたのでオスカーは立ち上がった。


「はい」

「セシルです」

「まだ起きてたか。どうした」


 扉を開けると、巻いた紙を手にしたセシルが月の光に浮かびながら立っている。


「……」


 蜂蜜色の髪がそれを反射し、きらきらと眩しい。でもセシルにはやっぱり太陽のほうが似合うな、と、なんとなく思った。


「少しご質問が」

「そうか。じゃ、窓辺の椅子で涼みながら聞こう」

「はい」


 かつて自分で決めた『部屋で二人きりにならない』のルールを遵守しながら、以前セシルと共に星を見上げた椅子に腰を下ろし、オスカーはセシルを見る。


「どうした」

「ここです」


 広げた地図に、正確に、今日飛んだルートが線で引かれている。

 正直言ってオスカーは驚いた。本当に正確で、何一つも違わなかったからだ。

 基本ランフォル乗りに方向音痴と弱視はいない。優れた空間への感覚と遠くまで良く見える目がなければ、あの速さで飛ぶ大きな生き物を、目的地まで正しく導くことなどできないからだ。もちろん記憶力も必要。丈夫な体と、日々細やかにランフォルたちを世話する根気強さもだ。

 なんか思ってたよりいるものが多いな、と思いつつセシルを見る。そして一生懸命な顔を見て思う。一番大事なのはやっぱり、ランフォルを好きなことだなと。

 セシルの指は一か所、溪谷のところ以外で少し遠回りをしているところを指している。溪谷は『風の谷』とも呼ばれてるくらいの場所だから、避けた意味がわかったのだろう。なんてことない小さい沼を迂回する意味がわからず、聞きに来たのだ。きっとどうしてだろうと考えに考え、気になってそのままじゃ眠れなくて。


「ここは底なし沼だって言われてるところだ。しかも変な生き物がいて、上を通るやつに泥水を吹きかけて落として引きずり込む、という伝説がある」

「伝説……」


 ふっとオスカーは笑った。


「体験者もいるぞ。うちの親父だ。真上を飛んでるときにビューッと下から泥をかけられて、驚いた拍子にかなりガタの来てたベルトが緩んで、あと少しで沼に落っこちるところだったって。泥の中から何かに引っ張られた気がしたって。『あそこだけは通るな』って、何度も何度も口酸っぱく兄と俺に言うもんだから、オークランス家の人間はつい、ここを避ける癖がある」


『オークランス家の人間』はもうオスカーしかいないことに、オスカーは口に出してから気付いた。頭をかく。


「……わけのわかんない伝説に、何十年も前の親父の体験談なんて、もうほとんど根拠なんかないようなもんだけど、できればセシルも避けてくれ。迂回ったってそれほど距離は増えないし、験かつぎみたいなところのほうが大きいけど、どうしても、なんとなく嫌でな」

「わかりました。なんとなく嫌っていうの結構当たりますもんね。避けます」


 ウンウン頷きながら、地図に×を書きこんだ。

 それを見て少しホッとする。これからはセシルもあそこを避ける。オークランス家の人間のように。


「もう平気か?」

「はい。夜にすいません」

「いいや」

「オスカーさん」

「ん」


 丸めた地図を手にしたセシルがそれを縦にして両手で宝のように持ち、はにかむように笑った。


「とっても楽しかったですね」

「……ああ」


 疲れたけれど楽しかった。いつも一人で飛んでいた長い道。

 連れがいるということが、それがセシルであることがどんなに心強く、快かったか。セシルは知らないだろう。


「しっかり休めよ。おやすみセシル」

「はい。おやすみなさい、オスカーさん」


 闇に消えていくセシルを見送り、自分の部屋に戻ってオスカーは机の上の日誌を閉じた。

 そのまま寝台に上がり、ランプの火を消す。


『名人芸』。普段そう呼んでいるあれが、今日はオスカーにもできたようだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] かっこよかったの言葉が出たけどナンカチガウ 一緒に入れば?とか期待だろーとか言いそうなのはピオくんではないかと思ったのですが
2023/07/10 08:04 退会済み
管理
[良い点] オスカーかわいいかわいそう不憫。 きっとまだ、ランフォルの方がオスカーに勝ってる。 そして、みんながなんか結託しててかわいい。 セシル、初恋泥棒じゃなかった……。
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