17 花まつり2
「……おいテオ、次は四倍速にしろ!」
親父が裏に叫んだ。『もう疲れましたよ~』と、誰かの声が返ってくる。
「駄賃を倍にしてやる! とにかくこげ!」
伸びをし、腕を回してから、オスカーは猫柄のボールを手に取る。
速い、速い。頑張りすぎだぞ裏方のテオとやら。
だが軽い軽い。伊達に長年アランとキャッチボールや水切りをしていない。ランフォルの口を狙って肉を投げていない。目印を確認しながら高速で飛ぶランフォルの乗り手の動体視力をなめるな。おっと危ないこれはひよこだったな。さっき見たからわかっている。
見たこともない速さで流れていくねずみ目掛けぽんぽんぽんとオスカーはボールを投げた。
そして。
「はい、十点」
「オスカーのバーカ」
「子どもか」
悔しそうな親父相手にオスカーは笑う。少し汗をかいた。
「ハンカチどうぞ、オスカーさん」
「ありがとう。景品はセシルが選べ」
「いいんですか?」
「ああ。投げたくなっただけだ」
「……全部の箱から選んでいいよお嬢ちゃん」
「わーい!」
熱心に、キラキラした目で箱の中を見つめ、セシルはじっくり考えてから石と貝のついた小さな髪飾りを選んだ。
「それでいいのか?」
「はい。一つくらいは、身を飾るものを持っててもいいと思って」
「そうか」
「爆発しろバーカ」
「大人げ」
歩いてそこを離れた。嬉しそうに手の中を見ているセシルの横顔を、オスカーは見る。漂う甘さと香ばしさを含んだ匂いに、ふっ、と昔の記憶が蘇った。当時少し好きだった女の子が、欲しい人形が取れなかったと泣いているのを見て、確かにあのとき少年だったオスカーは思ったのだった。
「子どものころ、あれで満点を出して、好きな女の子になんでも好きな景品を選ばせてやりたいと思ったな。……発想が、子どもだ」
「いえかっこいいです。思いは叶ったんですか?」
そう言われ、セシルを見た。
蜂蜜色の髪をランプの明りに透かし、水色の目が無邪気にオスカーを見上げている。
その髪でしゃらしゃらと花が揺れている。オスカーが贈った白の花。
その手には髪飾り。十七歳にしては少し子どもっぽいかもしれないが、セシルが望んだ、セシルが身に着ける、小さな『女の子らしいもの』。
望めるようになったのだ。ふわりと胸に沸いた意外なほどの喜びに、オスカーはふっと笑った。
「ああ。……叶った」
セシルが微笑む。まぶしそうな顔で。
「すごい」
「わたあめあるぞ」
「食べたい!」
「串焼きいいな。あそこのはタレがいい」
「食べたい!」
「フルーツキャンディ。あのでかいのはやめとけよ。口の周りが真っ赤に、手がドロドロになるからな」
「食べたい!」
「やめとけって!」
知り合いに会い花を贈り合い、買いたいものを買い、行儀悪く歩きながら食べる。味で言ったらゼフの方が上だろうが、この雰囲気と高揚感が調味料になって妙に美味く感じるから不思議だ。
練り歩き花を投げる一団が道を歩いていく。花まみれになるが、花祭りなのだから仕方がない。
「首から入った!」
「わかります。くすぐったいですよね!」
首元を払いながら白い歯を零して笑うその顔を、オスカーは見つめた。
たくさんの人が歩いていて、こんなにもカラフルなのに、そこだけに目が行く。細い首、揺れる蜂蜜色と白、水色。全てを好ましく思っている自分を自覚する。
ひょっとしたらこれは初恋かもしれないとオスカーは思った。これまで恋人も作ったことがあるというのに、彼女らに対しなんという失礼な話だろう。
欲しいと思う気持ちと、守りたいという気持ちが相反しながら矛盾なく胸にある。
アデリナの忠告を思い出しぐっと堪え、飲み込む。オスカーは狼にだけはならない。裸足で傷だらけの、ひとりぼっちなんかにさせない。セシルは充分、ひとりぼっちを味わってきたのだから。
腹いっぱい食べ牧場に戻る。夜道が暗い。ランプを一つ、オスカーが持っている。
「じゃあ、風呂入って寝よう」
「……オスカーさん」
「ん?」
「みんなの顔が見たいです」
「寝てるぞ」
「寝顔が見たいです」
「そうか」
若手たちの厩に静かに進む。雛たちはスピカたちの厩で寝てもらっている。
二人して覗き込み、隣でセシルがふふっと笑った。
「どうした?」
「アルコルが可愛い」
アルコルの房は一番奥だ。当然こんな光など届かない。オスカーは笑った。
「見えるわけないだろう。想像で言うんじゃない」
「……心の目です」
「そうか」
一番手前のコールサックの房が空だ。
背後で影が動いたので二人でそちらを見る。月夜を切り裂く、大きな翼の影。輝く銀色の羽毛。風に揺れ、きらきら、きらきらと光る。
「……夜、ひとりで散歩するようになったか」
「大人ですね、コールサック」
鳥目というが彼らは夜でも目が利く。動物というよりも魔物に近いのかもしれないと言われている所以だ。そうなれば当然夜でも好きなところへ飛べるだろうと思われるかもしれないが、彼らの首先を操るのは人間。地面に光る目印でもない限り、夜に目の利かない人間は彼らの首を目的地に向けられない。
成獣になったランフォルは夜に交尾する。コールサックは恋の時期が来る前に、本能に惹かれその練習を始めているのだ。
「きれいですね」
「ああ」
月光に銀毛が輝いている。美しい、立派な体格のランフォルだ。
なんとなくセシルと寄り添ってしまっていたので身を引いた。セシルがそっとコールサックに歩み寄る。
「こんばんは。気持ちよかった? コールサック」
ググルゥと鳴き、セシルの髪を食む。そこにあったオスカーのフォルトナが落ちて、苦笑いしながらオスカーはそれを拾った。腕を伸ばしてコールサックを撫でる。
「……うん。きれいだ。コンクールにはコールサックで出ることになりそうだな」
「二年目で出しますか?」
「うん。おそらくコールサックは早熟だ。笛も覚えたし、言葉も理解し始めてる。専門的な訓練にも耐えうるだろう」
「……」
ぎゅっとまたセシルがコールサックに抱きついた。
「すごいねコールサック。本当に立派だよ」
グルグゥ、グルグゥ、と鳴くコールサックを抱くセシルが一粒涙を落とした。
出会いと別れがある。それが育てだ。慣れ切ることも、いつまでも慣れないこともあっていいとオスカーは思っている。
「まあまだひと月はある。頑張ろうなコールサック」
グルグゥ、グルグゥの声を聞く。美しい星が輝き、美しい銀色のランフォルを照らしている。




