14 セシルの誕生日2
アランに去られてしまい、オスカーは少し動揺した。
隣のセシルを見る。普段直毛の蜂蜜色の髪は複雑に編まれ、生の花が細かく差し込まれている。
派手な薔薇じゃない。活き活きとした小さな花々。セシルっぽくてよく似合う。
先日襟元からわずかに覗くだけだった白い鎖骨が、今日は丸見え。肩は丸く、白く、そこからほっそりとした腕がすんなりと伸びている。
目尻に少しだけ赤っぽい色が乗り、唇がグミの実のようにつやつやと光って赤い。とても少年には見えない。女の子。いや少し大人びて、女性にしか見えない。
「オスカーさん?」
水色の目がオスカーを見る。しまった見すぎた。ガン見にもほどがあるだろう今のは。
「いや、セシル」
「はい」
「誕生日おめでとう。とても……似合ってる」
「……」
ほっと息を吐き、はにかむようにセシルが笑った。オスカーはちょっとめまいがした。
この先今まで通りにできるか、不安しかない。とりあえず一緒の部屋に寝るのと、部屋に入れるのと、部屋に入るのだけはやめようと誓う。肩車もだ。やめることが多い。
「よかった。変じゃないかなあって、ドキドキしました」
「変じゃない。……似合ってる。すごく」
「やったあ」
「こらこら腕を上げるな。せっかく可愛い……服を着てるのに」
「はい。気を付けます」
「何か持ってこようか?」
「一緒に行きます。何があるか見たいから」
「そうか」
連れ立って歩いていると、ピオが来た。
「オスカーさん、セシル」
「ピオ」
「これ俺の親。あと兄弟。遠慮なく全員で押しかけてごめんな。いっぱい食っていいんだよな!」
「ああ。いっぱい食ってくれたほうが爺さんたちが喜ぶ。いつもご子息をお借りしてすいませんアッシャーさん。賢くて気が利いて、いつも本当に助かっています」
「とんでもない。うちの小賢しいのが何か失礼なことをしていないかといつもヒヤヒヤしております。今日は私たちのようなものまで、奥様のお誕生日会にお招きいただき恐縮です」
「奥さ……」
「すっげぇきれいだなセシル。これじゃあ惚れ直しただろうオスカーさん」
「惚れ……」
「わかったような口叩くなピオ! こんな美人惚れ直すどころか毎日惚れ倒してるに決まってるだろう!」
「……」
もう何言っても深い墓穴しか掘れない気がして、オスカーは口を閉じた。なんだ俺そんな顔してたかと、ピオの父ではないが内心ヒヤヒヤしている。
「ピオ」
「ん?」
セシルが右手を差し出した。ピオがそれを握り、にっと笑う。
「ちゃんとしてんじゃんオスカーさん。見直したぜ。大事にしてもらってよかったなセシル」
「うん」
わいわいとピオの一家は離れていった。病気がちだという痩せた奥さんが、最後に振り返って礼をした。
「仲良しですね」
「うん。良かった」
今度は初見の家族が寄って来た。母親に男の子が二人、女の子が一人。
「ロラ=アレアンです」
母親が名乗り、頭を下げた。
ああ、とオスカーは気付いた。今度新しく入る子の家族だ。
母親の横に立つ少年をオスカーは見る。おそらく彼の持つ一張羅を着て、とても緊張した様子で頬を染めている。銀色の髪に灰色の目。真面目で賢そうな顔をしている。
「ニコル=アレアンです。よろしくお願いしますご主人様」
「そんな柄じゃない。オスカーかオスカーさんでいい。こっちは飼育員のセシル。ニコルの先輩だ」
「……奥様じゃ」
「飼育員のセシル。ニコルの先輩だ」
「よろしくねニコル。一緒にがんばろう」
「……」
ポーっとセシルを見つめてから、ハッとした様子で頷く。
「よろしくお願いします!」
母親とぺこりと礼をし合い、別れる。
「いい子そうですね。優しそうで、真面目そうで」
「うん。小さいころからあちこちで働いているようで、評判もよかった。器用そうだし、勤勉な奴は助かる」
「楽しみです」
料理を皿に取り、テーブルに戻る。何食わぬ顔でアランが座っている。
「よう。さっきはどこ行ってたんだ?」
「ちょっとお花を摘みにな。野暮なことは聞かないでくださいな恥ずかしいわ」
「そうか。可愛いレディに失礼した」
「アブラハムさんはOKしたか?」
「ああ。めんどくさそうに、仕方ねえなあってさ」
「あの人らしい」
アランが明るい顔で笑う。アブラハムはかつてこの牧場で働いていた、年季の入ったランフォルの飼育人だ。腰を悪くして、一度はこの牧場を去った。
重い荷を持ったり散歩は難しいかもしれないけど、ニコルに仕事を教えたり、餌の配合を考えたり、様子を細かく見てもらうにはうってつけだ。彼は死んでも自分の仕事から手を抜かない。
人にものを教えるというのは重労働だ。でもあの爺さんならねちっこく、諦めずに教えてくれるだろう。ニコルにはがんばってもらうことになるが、そこはもう細かく目を配りフォローしながら祈るしかない。
「よかったな」
「……ああ」
オスカーは感謝を込めて親友を見た。こいつに正しく背中を押してもらえなければ、きっとオスカーは思いつめて、見当違いなことばかりしたことだろう。
楽器を持った一団が現れ、拍手が起こった。セシルがびっくりした顔でそれを見ている。
「セシル! 前に来いよ!」
ピオが迎えに来た。恭しくエスコートまでしている。
「小賢しい奴め」
「ああ。羨ましいね」
「譲ってる場合かよ。アデリナさんから伝言だ」
「なんだ」
「『焦るな。お前が狼になれば、セシルはぴゅっと逃げ出す。傷ついて裸足で泣きながら、一人ぼっちで、ずっと遠くに』だそうだ」
「ああ。……わかってる」
前に出たセシルを囲み、楽器の音が響く。
みんな暇だから、趣味で何かしら楽器をやっている。中には玄人はだしのやつもいて、なかなかいい演奏をする。
喜びの歌を歌おう
祝福の舞を舞おう
心からの寿ぎ 贈り物を贈ろう
今日はあなたの生まれた日 生まれてくれてありがとう
今日はセシルの生まれた日 お誕生日おめでとう セシル
セシルが泣いている。目をぎゅっと閉じて、ピオに心配されながら。
大人たちは笑っている。感動して泣く彼女の様子、ピオの困った様子が微笑ましいからだ。
ピオが走ってきてオスカーの手を取った。ぐいぐい引かれて皆の前、セシルの前に立つ。
そっと肩に手を置き、つるりとしたものに触れてぎょっとした。そうだここは今日出ているのだった。慌てて手を置く場所を背中に切り替える。
「おめでとう、セシル」
「オスカー、さん」
「ん?」
「本当に、ここに来れて、よかった」
「……うん」
「とっても嬉しい。すごく幸せです。……ありがとうございます」
「うん。それなら、俺も嬉しい。……生まれてくれてありがとう、セシル」
涙が止まらないセシルに、ピオが布を渡す。それで顔を隠して肩を震わせているセシルに、皆が微笑んでいる。
ずっと一人だったセシル。祖父母の死を自分のせいだと決めつけて、毎年どんなふうに自分の誕生日、彼らの命日を過ごしていたのだろうと思うだけで胸が痛い。
十二歳なんて子どもではないか。そんな子が傷だらけになって働き、自分で自分のご飯を作り、一人で食べ、一人で眠っていたのだ。この子はずっと、どんなに寂しかっただろうと思う。
ちょっとオスカーも泣きそうだ。セシルを椅子に座らせ、飲み物を飲む。
「セシル」
ピオが来た。
「うん」
セシルが胸を押さえてから、顔から布をとった。まつ毛が濡れ、目が赤くなり、目尻の色が薄くなっている。
「これプレゼント」
「ありがとう」
「石だよただの。でも、一番綺麗なやつだからな」
「もらっていいの?」
「うん。セシルの色だもん」
ちゃんとリボンをしてあるそれを、セシルの指が解く。中からセシルの目と同じ、水色の半透明の石が現れた。
せっせと磨いたのだろう。表面がきれいだ。
金はないけど、少しでもきれいなものを贈りたいと思った小僧の気持ちが滲むような贈り物だった。
「……お化粧がとれちゃう」
ぼろぼろっと、白い手の中の石と同じ色の瞳に、涙が盛り上がって落ちた。ピオが嬉しそうに笑っている。
「いいよ。泣いてる顔も、すっげえ可愛いぜセシル」
いつの間にか横に立っていたアランに軽く足を蹴られた。わかってる。ピオのほうがよっぽど男らしくて紳士的だ。
「セシル。これは俺んちの奥さんから」
「ありがとうございます」
アランが手渡した袋から、白いハンカチが出てくる。見事なランフォルの刺繡付きの。
「っ……」
またぼろぼろっと涙が落ちた。
「ちょうどいいな。使えセシル」
「嫌だ汚れちゃう!」
「ハンカチの意味がないじゃんかよ」
皆が笑う。セシルも、頬を染めて笑う。
こうでなきゃいけない、とオスカーは思った。この子はこうでなきゃいけない。セシルは人に囲まれ、愛されて、笑っていてほしいと思った。
代わる代わる、皆がセシルにプレゼントを渡す。高価なものは何もない。素朴で、あたたかなちょっとした贈り物を、セシルは笑顔で、ときどき泣きながら受け取った。
「踊りましょう」
やがて誰かがそう言い、誰かが楽器を持ち上げ、男女が手を取り合う。
「相手がいない。ピオ付き合え」
「女役かよ。高いぜ」
「今度りんごを持ってくよ」
音楽についていけないセシルが棒立ちになっている。またアランに蹴られた。
「セシル、踊るか?」
「振付けがわかりません……」
「周り見ながら覚えればいい。たぶんすぐだ」
男女のダンスだがあまり密着はしない。高級なダンスではなく、庶民の祭りなんかでよく踊られる、跳ねるような踊りだ。
軽快な音楽が響く。向き合って両手を取る。
「右にトン、左にトン、後ろ、前、回ってトン」
「……」
必死の形相で、セシルがオスカーの動きを追っている。
「手を取り合ってもう一回。右にトン、左にトン、離して後ろ、手を合わせて前、回って今度は背中がこっち」
後ろから抱くような形になるがオスカーのせいではない。こういう踊り、不可抗力だ。
「そのままもう一回。右にトン、左にトン、離れて前、もう一回後ろ、回って正面」
何度も繰り返すうちに覚えたようだが、残念、これはだんだん早くなる。
それに気づいたらしい。笑顔が零れる。髪で小さな花が揺れている。
もう解説はいらないだろう。音楽に合わせて体を動かし、セシルの小さな手を取って、後ろから抱く。
「オスカーさん」
「ん?」
「……楽しいです」
「そうか」
思わず腕に力がこもってしまいそうになり、抑えた。
難しいもんだなあと思う。ただ、大切に思うだけなのに。
音楽に合わせ、誕生日の夜が更けていく。
「セシル?」
廊下の端に置いてある椅子に腰を下ろし月を見ていたセシルは、暗闇からそう呼びかけられ顔を上げた。顔を確認するまでもない。この優しい声はオスカーだ。お風呂上がりだろう。
「何してるんだ」
「星を見てました。ここだとよく見えるから」
「そうか」
もうきれいな服は脱ぎ、お化粧は落としてしまった。ただの、いつものセシルだ。
「あと、オスカーさんを待っていました」
「俺?」
「すいません。少しの間隣の椅子に座ってください」
オスカーが隣の椅子に座る。
祖父母はよくこうやって夜空を見ていた。死んだら空の星になって、ずっとセシルを見守ると言っていた。自分のせいでそうなってしまった彼らを、セシルはこれまでまともに見上げることができなかった。
天を見上げる。たくさんの星。空のどこまで高く上がれば、彼らに会えるのだろう。
「じいちゃん、ばあちゃん、この人が今のセシルの雇い主の、オスカーさんだよ。ランフォルにすっごく優しくて、セシルにもすっごく優しい人だよ。今のセシルの、神様みたいな人だよ」
ああ、ダメだ。やっぱり涙が出てしまう。
「今日、十七歳になったよ。みんながお祝いしてくれて、歌ってくれて、プレゼントをくれて、踊ったよ。すっごく、すっごく楽しかった。十二歳のとき、綺麗な靴をありがとう。……せっかく買ってくれたのに、お礼を言わなくて、一度も履かなくて、……ごめんね」
ぎゅっと目を閉じる。まだ大丈夫なはずだ。
「セシルは今、ランフォルと、好きな人たちがいっぱいで、すごく幸せです。だから、あんまり心配しないでね。これまで、ずっとごめんね」
涙を袖で拭っていたら、ぽんと背中を叩かれた。優しい、大きな手だ。オスカーがセシルをそっと覗き込んでから、顔を天に向かって上げた。
「オスカー=オークランスです。セシルさんには今、私の牧場で働いていただいています。とても真面目に働き、真摯な愛情を持ってランフォルに接してくれる、私の牧場自慢の大切な、まことに得難い飼育員です。彼女がランフォルたちを心から愛するから、彼らもまた彼女を慕い、愛しています。彼女が明るく元気で、嬉しそうに笑うから、周りの者皆がつられて笑っています。素晴らしいお嬢様をお預かりさせていただいていることに感謝いたします。今後も大切に、お守りすることをお約束いたします」
夜空は何も言わない。星が静かに瞬くだけだ。
静かな風が、セシルとオスカーの髪を揺らしている。
「……ごめんなさい。こんな、変なことに、つきあわせて」
「変なんかじゃない。大事なことだセシル。きっと聞こえてる」
「はい、オスカーさん。……ありがとうございます」
「うん。気にするな。……それと」
「はい」
「これ。日誌書くときにでも使ってくれ。あとで部屋に行こうかと思ってたけど、いてくれてよかった」
オスカーが取り出したのは、黒色の羽根ペンだ。
しゃらんと金色の短い鎖がついていて、そこに涙型の蜂蜜色の飾りがついている。
夜空と星のようだった。この深い黒に、セシルは見覚えがある。
「これ、ひょっとしてアルコルの羽根ですか?」
「うん。小さいとこのを加工してもらった。なんかアルコルに乗ってるセシルっぽいだろ」
「……嬉しい。ありがとうございます」
「誕生日おめでとう。セシル」
「……ありがとうございます」
やっぱり泣いてしまい、それでも笑い合って別れた。
その晩眠りについたセシルは、お星さまの間で、背の高い誰かとダンスをする夢を見た。




