13 セシルの誕生日1
「じゃあ、きれいにしましょうねセシルちゃん。腕によりをかけてかけてかけてかけまくるわ」
にっこりとアデリナが、迫力のある顔で笑っている。
「余計なことするなよアデリナ」
「まあ失礼ね。しませんよこんな可愛い子に。粉をはたいて、少し色を乗せるだけで充分。綺麗な肌。素敵な髪」
ムキムキした男性はアデリナの旦那さんのガンツさん。髭が生えていて、胸板が分厚い。腕のいい大工さんなんだそうだ。
今日はセシルの誕生日。あのあと言葉通りセシルの知っている人に、ピオが招待状を作って、持って行ってくれた。ちゃんと特別手当はもらってるからと、綺麗な色でそれを書いて、軽やかに走って行ってくれた。
お化粧と服をアデリナの家で整えてもらってから、セシルはお屋敷に戻ることになっている。
こじんまりとした可愛い家だ。煉瓦の壁に赤い屋根。家の中はきっとアデリナが作ったのだろう色とりどりのキルト、乾燥させて壁に吊るした花、可愛い小物。このおうちが大事、というアデリナの気持ちが伝わってくる。
「どれにする? セシルちゃん」
「……みんな可愛い」
「私の若いころの服。娘が出来たら着せようと思って取っておいたの。そんな機会はなかったけれど」
「……」
「あらごめんなさい余計なことまで。一周回って今また流行っているらしいから変じゃないわ。いいやつだけ残しているし。今日は主役だから、派手なのにしましょう。これなんてどう? きっと似合うわ!」
真っ赤な薔薇がついたよく光るドレスを押し出され、セシルは焦った。こんなの着たことがない。
スカートなだけでセシルにとっては既に新しいのに、こんなのを着たら目がチカチカしてしまいそうだ。
「もう少し……自然なのが嬉しいです」
「あらそう? じゃあこれは?」
クリーム色の生地にやわらかい色の花が刺繍されている。
レースもついているけどそれほど大きくない。これくらいならチカチカせずにすみそうな気がする。手に取れば軽く、柔らかい。
「はい。好きです」
「そう? じゃあこれにしましょう。先に着替えて、それからお化粧と髪」
「はい」
アデリナのうきうきした気持ちが伝わってきて、セシルもうきうきしてきた。
別室に行くか聞かれたが手間だろうと思い目の前で着替え、鏡を見たセシルは声を上げた。
「アデリナさん!」
「なあに?」
「この服肩がありません!」
「わざとです。いいのよ最近暖かいし。綺麗なものは出していかないと。やだ真っ白でツルツルピカピカ。男じゃなくても触りたくなるわ」
「……」
そうなのだろうか。そういうものなのだろうか。何も言えないままセシルは鏡の前に座った。
「このぴんとしたのはずっとぴんなのかしら?」
「はい。何してもぴんです」
「可愛いチャームポイントね。髪には生のお花をいっぱい飾りましょう。花冠みたいに。花嫁さんみたいに。きっと白が似合うわ。少し小さめの赤も入れて。アクセサリーも変にギラギラした宝石より、小さめの真珠や貝のなんかにしましょう。ナチュラルなほうが、きっとセシルちゃんには合うわ」
「アデリナさんすごい」
「昔は中央で髪結いをしていたの。今でもときどき頼まれればやってるわ。楽しいの。やらせてくれる?」
「はい、お願いします」
「本当に綺麗なお肌。余計なことはしないで、でも少しだけ大人っぽくしましょうね。男性たちの視線が痛いでしょうけど、可愛い子の義務だと思って受け止めるのよ」
「可愛くは……」
「女の子はみんな可愛いの。認めてください」
「……はあい」
アデリナが笑う。優しくて、チャーミングな人だ。
顔に刷毛が走ってくすぐったい。セシルはそっと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
オークランスの一室がにぎわっている。
料理人のゼフ爺さんとマル婆さんが張り切って作った料理が並んでいる。それぞれの家のご自慢のお持たせも皿に盛られ、今年の野菜の出来はどうだとか、あの家のあの子がどうだとか、うわさ話に興じている。
アランは最近、若手の一員として、このポスケッタの田舎町の将来について考えている。
せっかく温泉があるのだ、町総出で大きな温泉施設を作ってはどうかと盛り上がる若手一同と、そんな大きなものを作ったところで客が来なければただの大赤字だと揉める爺さん一同で割れている。
確かに何もしなければこのまま先細り、どんどん人がいなくなっていくだけのことはアランにもわかる。だがしかし爺さんたちの言うことももっともだという年寄りめいた保守的な考えが、アランの中にもないわけでもない。
現状農業と、畜産業と、そしてこの牧場頼りの現状はいつか打破したい。隣に座る男の顔を見て、はあ、とアランはため息をついた。
「なんだ人の顔を見てため息なんかついて。失礼な奴だな」
「ああすまん。考え事だ。主役はまだかな」
「そろそろだろう」
涼しい顔で言う男の顔を見る。
子どものころから、どの成長段階でも顔が整っていた。いつもその場の誰よりも何か達観していて、爺くさい。だけど誰よりも丁寧に、努力して必ず何かをやりきる奴だった。
男の自分でも憧れるようないい顔だ。長くなった髪を後ろでひとまとめにしているので出ている額の形は良く、すっと嫌味なく鼻が高い。鋭いが鋭すぎない青い目はしゅっとまなじりが涼しげで、真面目そうに引き結ばれた唇は、すぐに優しげにほころんで微笑みを形作る。
男らしい、いいやつなんだよなあと思う。これで根が優しくて真面目なんだから、自分が女だったら選ばないわけがない超絶優良物件だと思う。妻が自分を選んでくれた幸運に、アランは感謝しなければならない。
ざわめきの種類が変わった。扉が開き、誰かが入ってきた。
ランプの明かりに、ほっそりとした女の子の姿が浮かんだ。真っ白な丸い肩を出し、白い花に飾られたとろけるような色の髪を揺らし、水色の大きな潤んだ目で不安そうに周りを見ている。
花の刺繍が散らされた、かすかに透けるレースのドレスに包まれた体が細い。泣き出しそうな顔をしていて、頬がわずかに赤い。
戸惑っている。怖がっている。
手を伸ばして抱き締めたい。大丈夫だよと言ってやりたい。
どこかぽつんと切り離されたような、ふわりとどこかに消えてしまいそうなはかない雰囲気を持つ、妖精のような女の子だった。
それに息を呑んで思わず見入ってから、アランははっとして横の男を見た。
親友である男前は、青い目を見開き固まっている。
ああ、とアランは額を押さえた。俺もあのとき、こんな顔をしてたのか、と。
知ってるはずの人が昨日までとは別人に見えてしまう、不思議な境。目の前の曇りがパリンと晴れた、なんとも言えない瞬間の顔。
つくづく思う。自分はあのとき誰かに見られなくて、本当によかったと。
オスカーが杯を置いて、頭を抱えた。うん、わかる。
わかるわかる。わかる。
「……アラン」
「なんだオスカー」
「もしもだ」
「ああ」
「もしも三月。今来たあの子と一つ屋根の下で寝起きして、毎日朝昼晩いっしょに飯食って、寝るとき以外ほぼ同じ場所で仕事して、肩組んで顔近づけて同じ部屋で寝て、指で食いもんアーンされて肩車して介抱して泣かれておいて、その子に惚れてるのに気付いてなかった男がいたら、そいつを何て呼ぶ」
「ああ知ってるぞ教えてやる。『馬鹿』だオスカー」
「そうだなアラン。『馬鹿』だ」
はあああと深いため息。見ちゃいけないと思ったがつい見てしまう。オスカーは一度ぎゅっと目を閉じ、またその青い目でじっと彼女を見た。そして、また頭を押さえる。
「いや……」
「……」
「…………可愛くないか?」
ぶはっとアランは笑った。こいつのこんな馬鹿面をアランは初めて見た。
「最初から言ってるだろ。セシルはずっと可愛いよ。馬鹿オスカー」
「……言ってたなあ」
「どうする?」
「何がだ」
「告白しねぇの」
「……できないだろ立場的に。セシルが可哀想だ」
「……そうなるよなぁ」
今度はアランがため息をつく番だ。
セシルがオスカーを好きならいい。だがそうでなかったら、セシルはここにいるために主人の気持ちが嫌でも歯を食いしばって受け入れるか、ここを去るしかなくなる。
ぽんと親友の肩を、アランは叩いた。
「惚れさせろオスカー」
「どうやって」
「愛と誠意だ。俺はそれ以外知らん」
「頼りねぇ」
「仕方ないだろう。知らないんだから」
「ああ。役立ついいアドバイスをありがとう」
「どういたしまして。セシルがお前を探してる。こっちに連れてやってこい」
「ああ」
オスカーが立ち上がった。セシルがオスカーに気づき、ぱっと安心したような笑顔になる。
嬉しそうなその様子に、嫌われていることはないだろうとアランは思う。
だがそれが、今さっきあいつが気付いたものと同じ種類のものなのか、男の自分にはさっぱりわからない。
アランは杯を持ったままそっと立ち上がって、立ったまま談笑しているアデリナに近寄った。
「アデリナさん」
「あらアラン君。大きくなったわね。失礼」
「何年も変わってないですよ。アデリナさんはどう思います」
「何の話かしら」
「セシルはオスカーに惚れてますか?」
「前置きもなく野暮なことを聞くわねえ」
ん~、と、アデリナは頬に手を当てた。
「少なくとも嫌いじゃない。でもまだ恋には一歩届かない。そんなところじゃないかしら」
「微妙だなあ」
「それでも今日、あの子がおめかしした姿を一番に見せたいのはオスカーさんだと思うわ。そうなれば、もうあとは時間だけの問題。女がきれいになりたいときに考える相手は今恋に一番近い人のことだもの。明るく見えて怖がりな子だから、あまり性急に行かないほうがかえって近道だと思うわ」
「……お見通しっすね」
「年の功よこの洟垂れ坊主。あら失礼、いつか割ってくれたお気に入りの植木鉢はちゃんとインテリアにしてありますからねアラン。いいこと、あまりオスカーさんを焚きつけるんじゃないわよ。オスカーさんが頭に血が上っちゃってうっかり間違って狼にでもなれば、あの子はぴゅっと逃げ出しちゃうわ。信じてた人に裏切られたことに、心がとっても傷ついて。裸足で泣きながら、一人ぼっちで、ずっと遠くに」
「……わかりました」
「お願いよ。オスカーさんのことだから心配しないけれど、男って何か妙なときに急に爆発することがありますからね」
「はい。身に染みてます」
「今日は奥様は?」
「来たがったんですけどつわりがぶり返して。めでたい席でなにかあったらいけないから行くのはやめるって」
「そう。労わってあげて。産前産後夫は妻に従順な献身をしたほうが、残りの長い人生が過ごしやすいわよ」
「胸に刻みます」
アデリナに挨拶をし、アランは席に戻る。
セシルがオスカーの隣に座っているので、アランはオスカーの正面に腰かけた。
『オスカー』
「ん?」
『褒めろ』
口の形でそう言って、足を蹴る。行け、と目で伝える。
女性が普段と違う恰好をしているとき、あるいは髪を切ったとき、男は気付かないと、出すのは褒め言葉でないとひどい目にあう。
まして無理やり褒め言葉を出すわけじゃない、ちゃんとこんなに可愛いのだ。褒めなくてどうするのだとアランはオスカーを睨む。
チラッチラッとセシル、アランを見て、オスカーは言葉に詰まっている。アランは席を外すことにした。あとはお若いお二人でだ。




