12 赤の記憶
セシルがここに来て三月経った。
まだまだ幼毛のままの雛たちは、それでも最近社会性がついてお互いを認識し遊び合っている。
つんつんつつき合ったり、ころころとお団子になっていたずらしている姿が微笑ましい。
今日もオスカーと声を揃えてワッチマルマルと魔法の歌を歌いながら厩を掃除し終え、雛たちが遊んでいるのを見ているとき、一度お屋敷に戻っていたオスカーが歩いてきた。
「セシル。職員証届いたぞ」
「ありがとうございます」
セシルの名と、生年月日等が書かれた、セシルがオークランス牧場の職員であることを証明する身分証だ。これとオスカーの委任状があれば、セシルはオスカーの代理で、様々な手続きをすることができる。
「誕生日、来週なんだな」
オスカーがセシルの横に腰を下ろす。
「……はい」
「何か欲しいものあるか?」
「ないです。もうもらってます。いっぱい」
新しい騎乗服とコンクールに出るための正式な服はもう作らせてもらった。仕上がりを待つばかりだ。
「なんかあるだろう。なんか」
「いいえ。大丈夫です。……もう一生、誕生日プレゼントは、誰からももらわないって決めてます」
「なんでだ?」
「……」
風が吹いた。髪を耳にかける。
思い出したくない、今まで誰にも言ったことがない、セシルの辛い記憶。
一度くらい人に話してみたっていいかもしれないと、セシルは初めて思った。
痛いこと、弱いこと。それをさらけ出していくのも、人の間で生きていくにはきっと、大事なことなのだ。
「昔、可愛い赤い靴を履いている子がいて、私、それを見て、一目で欲しくなったんです」
「うん」
「りんごみたいな赤で、つやつやしてて。その年、町で流行ってたらしいんです。女の子らしいものをそれまで欲しがったことがなかったから、祖父と祖母がびっくりして、それじゃあ町で買ってこようかってなって、二人して少しおしゃれして出かけていきました。珍しく二人で、町に」
まだかな、早く帰ってこないかな、とセシルは軒先に座り、楽しみに二人の帰りを待っていた。
「夕方、『二人が暴れ馬に蹴り殺された』って、お使いの人が来ました。じいちゃんがばあちゃんの前に立って、ばあちゃんは腕に、守るみたいにこれを持っていたって。傷一つない、真っ赤な、つやつやの靴」
そうだ。そういえばあれは結局、一度も履かなかった。
「家の中、夕焼けで真っ赤でした。あとは焼き上げるだけの料理がテーブルの上にあって、お誕生日にしか使わないお皿が並んで、ピカピカしてました。いろんなとこが、あの靴みたいだった。……私があんなもの欲しがらなければ、私があんなこと言わなければ、二人はその日町に行かなかったんです。死なないで、ずっとそばにいてくれた。私が、あんなもの欲しがらなければそうなったのに。そっちのほうが私、ずっと嬉しかったのに」
「……」
ぼろぼろと涙が落ちる。ぎゅっと固く目を閉じる。
セシルの誕生日。それはセシルの大切な、大好きだった人たちの命日だ。
「……私のせいで、死んだ」
「……違う」
「両親のない変な子を、あんなに優しく育ててくれたのに。私が二人を殺した」
「違う」
「……私が殺したぁ……」
「違う!」
セシルは目を開けられない。背中にそっとあたたかい手が添えられる。
「絶対に、違う。セシルのせいじゃない。ただ、たまたま運が、巡り合わせが悪かっただけだ」
「……」
「セシルのせいなわけがない。ただ十二歳の女の子が、可愛い靴を欲しがっただけだ。セシルが自分のせいだなんて思ったら、二人だって辛い。セシルが二度と可愛いものを可愛いとか欲しいと思えなくなったら、一生自分の誕生日を祝えなかったら、二人はとても悲しい」
穏やかな声。大きな優しい手。
初めての懺悔。罪を赦されているようなあたたかさに、体が震えて涙が落ちる。
「今年はちゃんと誕生日をお祝いしよう、セシル。みんなを呼んで、美味いものいっぱい食って、歌って踊って。プレゼントも用意するから考えてくれ。そうしてからおじいちゃんとおばあちゃんに、十七になったって報告しよう。たくさん祝ってもらった。プレゼントをもらったって。今はもう、一人じゃないから安心してくれって。そうしよう。セシル」
「……」
すん、と鼻をすすりあげて、自分の感情が穏やかになっていることを確認してから目を開け、その顔を見た。
青い目は誠実に、真っ直ぐセシルを見ている。
一度目を伏せてから、こくんとセシルは頷いた。
「よかった」
白い歯を出して微笑んだ精悍な顔に、セシルは見入る。
この人は本当に、優しい人だなと思う。
「もう平気ですオスカーさん。急に泣いて、すいません」
「そうか? 無理するなよ」
「いいえ。ありがとうございました。訓練に戻りましょうオスカーさん。時間取ってすいません」
「いいや。うん、じゃあ戻るか。大人たちの散歩は俺がやるから、セシルは雛のほうをやってくれ」
「わかりました」
言いながら別れた。
クアックアッのみんなを順番に抱く。
そうしているうちに徐々に、徐々に胸に嬉しさが沸き上がり、ドキドキする。
五年ぶりのお誕生日会。主役というのはどんな顔をしていいのか忘れてしまった。でも、嬉しい。すごく。
甘いケーキにお誕生日の歌。リボンのかかったプレゼント。もう二度と望んではいけないと思っていた、昔の記憶の中だけにあった数々のもの。
うずくまって泣いているセシルを囲み、雛たちがクアクアクアと鳴く。髪をツンツンされて、ふわふわな羽毛に四方八方からぎゅうぎゅうと押される。
「うん。うん。……今日もがんばろうね、みんな」
まとめて腕に抱き、クアッ、クアッを聞きながら、セシルはぽろぽろと涙を落とした。




