10 違和感と追いクアクア
「ぺスカの様子がおかしい?」
昼食の席。今日は辛めのひき肉、カラフルな焼き野菜、目玉焼きののったリーソを大盛にしてもらって食べながら、セシルはオスカーと話している。
レアンはお昼寝中だ。ランフォルの雛はよく眠る。気絶するようにぽよんと不意に寝るので、彼らをよく知らない人はびっくりすると思う。寝息に合わせふわふわし、ときどきぴくっと揺れる尻尾が可愛い。
オスカーはひと匙が大きい。あっという間にお皿の上のものが消えていく。
ごはんが少し辛いからだろう。甘い果物のジュースがあるのが嬉しい。ごはんと交互にそれを飲み、トマト色のスープを飲む。美味しい。
ぺスカは子育て中のメスのランフォルだ。旦那さんはリゲル。仲良しだ。
それは、ほんのわずかな違和感だった。表面上は、体を見てもどこか痛めているわけじゃない。ごはんも食べるし、糞も普通。ただどこか、元気がないというか、何かを堪えているような、我慢しているようななんとも言えない感じがあった。
まだあまり仲良くできていないから、隠しているのかもしれないとセシルは思った。とても残念なことだけど、それがランフォルだ。だからセシルはこうして、オスカーに伝えている。
『神経質が過ぎる』
『お前の勘違いじゃないか』
前の牧場で一部の人たちにそう嫌われたみたいに、オスカーにも思われたらどうしようと少し怯えながら、きっとオスカーならば聞いてくれると信じ、セシルはオスカーを必死に見つめる。
「怪我か、病気を隠してる気がするんです。……気のせいだったらごめんなさい」
「わかった。食ったら見に行こう。でも食うもんはちゃんと食えよ」
「はい。食べてます」
「ああ、ホントだな」
もりもりと食べ終え、牧場に戻る。なおまだ寝ているレアンは背中に抱っこ紐で結んでいる。
焦げ茶の旦那さんリゲルに雛を見てもらい、セシルとオスカーは薄茶のぺスカの前に立った。
「ぺスカ」
ぺスカの金の目が、じっとオスカーを見ている。
そっとオスカーの大きくて力強い手がぺスカに伸ばされ、首の白い羽毛を撫でる。ググルゥとぺスカが鳴いた。
「ぺスカ」
オスカーは声が優しいとセシルは思う。低くて、深くて、響く声。
「ぺスカ。どこか痛いか? 何かあったら教えてくれ。俺たちはお前のことを守りたいんだ」
ランフォルは賢い。人の言葉を解しているのではないかと言われているが、実際そうかもしれないと思ったことは多々ある。言語として理解しているのではないにしても、言葉の響き、声の質で、彼らは何かを察しているのかもしれない。
オスカーの青い目がじっと優しく、ぺスカを見ている。
元軍人の、精悍な横顔。真面目で優しいのが少し話しただけですぐわかる、貧乏くじをよく引く苦労性の男の人。
この人は見捨てないだろう。自分が守ると決めたものを。自分がどんなに苦労することになったとしても絶対に。
そっとぺスカが羽根を広げた。その根元を、オスカーに押し付けるように動かす。
じっとオスカーが、そこを撫でるように指を動かした。ある一点を触ったとき、ぺスカが『ギャッ』と鳴いた。
「ここか」
言って、羽毛をかきわけ、慎重に何かをそっと引き抜き目の前にかざす。小さな小さな、小指の爪ほどの長さの、おそらく木の棘だった。
「教えてくれてありがとうぺスカ。一応薬を塗っておく。もう一度触るけど許してくれ」
ポケットから出した液状の薬をそこに塗り、ぺスカを優しく見て、撫でた。
ぺスカが羽根を畳み、ググルゥと鳴いた。
セシルはなんだか感動していた。オスカーの姿が、在りし日の祖父によく似ていたからだ。
いつだってランフォルと真摯に向き合い、自分の子どものように愛し、あたたかく、優しく包んだ。悪いことや間違ったことをしたランフォル、弱いランフォルだって見捨てなかった。誰にだって得意がある。苦手がある。自分に合った道で自分らしく彼らが飛べるように、そのために一生懸命だった。
その場を離れ、彼らの昼ごはんを準備するために道を歩んだ。
「セシルはすごいな」
そう言われて驚く。まさにセシルが、オスカーに思っているところだったからだ。
「俺ならあの違和感に気付けなかったかもしれない。よく見ていてくれて、本当にありがとう」
「気付いてましたよ。オスカーさんなら絶対」
「それはわからん。でも、ありがとう。セシルがいてくれて本当に助かる」
「……」
セシルは俯いた。いつか、オスカーにそう思われなくなる日が来たらと思うと、苦しい。
「傷を隠されたことは落ち込むなよ。ぺスカは一番繊細な奴だ。俺も最初は全然だめで、一番に時間がかかった。今の時点で騎乗できることがすごすぎるんだ」
「はい。もっと仲良くなれるようにがんばります」
クア、クア、クアと背中で声がした。オスカーがセシルの背中を覗き込む。
「昼飯の時間に起きたか。随分タイミングがいいやつだな」
「おなか減ったね。今日もいっぱい食べるんだよ、レアン」
紐をほどき、ぴょんと地面に降り立ったレアンを撫でる。ふわふわのもこもこ。手のひらが気持ちいい。
「残りの卵もおそらくそろそろだ。結構近いと俺は踏んでる」
「楽しみですね」
「ああ。賑やかになるな」
「子育てがんばらないと」
「親ってのは大変だ」
「はい。でも楽しい」
「ああ」
明るい道を二人と一羽は歩いている。
◇ ◇ ◇
西の部屋。
じっとセシルは並ぶ二つの卵を見ている。
レアンはセシルのベッドで寝ている。
卵はどちらもコツコツと音を立て、揺れている。
「どうだ?」
髪を布でぬぐいながらお風呂から帰ったオスカーが、セシルの後ろから肩越しにそれを覗き込んだ。
自分だってちゃんと髪を拭いてないじゃないかと笑いながら、セシルはオスカーを見る。
「あと一息って感じです」
「そんな感じだな」
ソファに並んで腰かけて、静かにそのときを二人で待つ。
心地のいい沈黙とこつこつした音の中、先にオスカーが拾った方の卵が作業を終えた。
たしたしたしっと、覗いた足が必死に殻を蹴り飛ばす。やがて成功して、足だけがだらんと外に出た。ちょっと疲れたようで、上半分に殻を被ったまま伸びている。
「がんばれ」
オスカーが笑いながら言う。自分でできるうちは手は貸さない。世界に出るために自分の殻を割るのは、彼らの一番最初の仕事だ。
気を取り直したかのようにもう一度。たしたしたし。
そして彼は現れた。灰色の、濡れた体が殻から現れる。
「よーし。よくやった。えらいな」
言いながらその体を布でぬぐい、オスカーが薬を塗ってやる。
ずっしりとしたそれを腕に抱き、覗き込む優しい顔は、お父さんみたいだ。
「オスだな」
「名前、もう決めてるんですか?」
「ヴィガにしようかな。なんとなく」
「なんとなくって大事ですよね。おめでとうヴィガ。世界にようこそ」
セシルもその生まれたてでふにゃふにゃな、とっても可愛い顔を覗き込む。
息に合わせてすうすうと動く小さな体。頼りないふにゃふにゃの首、羽根。愛おしくてどうしても涙が出てしまう。オスカーがそれを見て、優しく笑っている。
「お、そっちもだぞ」
「えっ」
少し目を離しているうちに急に進んだらしい。本当だ。目が見える。
金に近しい茶の体。蜂蜜色の子だ。
「メスか。色はお母さんに似たな」
オスカーが笑う。セシルも微笑み、そっと濡れた体に触れた。
「初めまして。ノワ」
「なんとなくか?」
「はい。なんとなくです」
「大事だ」
灯りを消し、またそれぞれのベッドで自分の雛を抱いて眠った。




