釣書
お見舞いに来ないから私には友人は居なかったとは大変失礼な考えで、家族に手紙を渡してくれた友人、お見舞いして良いか確認してくれた友人達も、病院へ来てくれる予定。
今日早速来てくれたのは幼馴染のスズとチエだ。
こう考えると突撃してきたイオは非常識な気がするけど、彼は私の家族と話をしてからで、彼の関係者は彼を通して私の様子を把握済みで、私の気持ちは軽くなったから全部正解だと思う。
ハの花組は別として。
神社の井戸水を持ってきてくれたから悪意の塊ではないけど、不愉快だったので、親に愚痴ったら父からイオに伝わって、昨日彼に謝られた。
誰にでも人生にはモテ期が来るというけど、地味人生を歩んでいた私にも本当に来た疑惑。
なにせ家族がツテコネを辿って私と気が合いそうな良い男性を探して少し縁談話を進めていたそうだけど、それとは別の縁談候補者が三人も現れた。
一人目は生粋火消しイオ。
二人目は我が家と同じ奉公先の同じような家の写師アレル。
三人目は平家で陶器職人の三男トオラ。
彼は学費支援を受けて区立中等校を卒業して、その後は独学で煌護省南三区庁小屯所勤務の事務官職に合格したという男性。
イオと同じ下級公務員試験に受かった上での採用試験合格者だ。
結婚は家と家の結びつきなので、両家に得があるかが大事なのだが、庶民であればある程本人の気持ちが大切。
イオなら火消し家系だから火消しの娘が推奨される。我が家と縁結びをして得する事は特になさそう。
アレルの場合は狙えるなら格上の家を狙った方が良いけど、我が家はかなり堅実な相手だし、奉公先の商家が同じなのは色々情報が分かって安心感。
トオラはせっかく学費支援という珍しい事を成したので、玉の輿を狙うのは有り。
一方で、陶器職人と写師で合作が出来る可能性があるから、我が家は決して悪い家でもない。
家族の中での地位、離縁するしない、子どもをどうするかなどに、家と家の力関係が関わってくるから、家と家の結びつきや私の家での役割りなどは大切だ。
惚れただけで結婚したら痛い目に遭いやすいのは先人の教えだけど、身軽な庶民、特に頼れる家族親戚がいる庶民は、深く考えなくても気持ち優先でもあまり問題ない。
私はスズとチエにまずイオの釣書を見せた。
病室で話すと周りに聞こえそうなので、歩く練習も兼ねて病院から遠くない茶屋へ来ている。
店内の座敷だと足が辛いので、外の長椅子を利用中。
包帯姿は多少目立つしら痛み止めは完全には効かないけど、動かないのも悪いと言われているし、火傷が跡になったらずっと傷跡と共に生きるから気にしない練習。
イオの釣書に記載されている彼自身の情報部分はこれだけだ。
【南三区六番隊防所ハ組ト班所属、災害実働官一等正官ノ下官イオ。年齢は今年二十二才で趣味は火消し】
後は家族の事が簡単に書いてある。
「ミユさん。こちらの釣書は謎です。所属と家族構成と趣味は火消し。これで終わりだなんて」
「昨日、お母さんに渡された私もそう思いました」
「ミユさんと火消しさんがお見合いをするというか、もうしているとは不思議です。それにしても、これだと会う会わないの前の文通お申し込み用の釣書です。少し話してみる簡易お見合い用にしては話題になるような事が何も書いてありません」
「結婚お申し込み状態なのにらこれだと情報が無さすぎます」
「ええ」
イオの父親は同じくハ組の半見習い教育凖責任者、災害実働官三等小将官ノ中官ラオ。
母親サエは家守り。
三つ年上の兄は結婚済みでお嫁さんがいて、四つ年下の弟は独身。
記載されている情報をまとめるとそれだけ。
イオの場合は結婚お申し込み用の釣書のはずなのに、知りたい事が色々不足している。
「両親がイオさんの親から聞いた火消しの結婚関係が理由です。イオさんは特殊過ぎるので飛ばします」
「飛ばしますって一番の本命ですよね? 命の恩人であんなに格好良い方ですもの。私のお見舞いに来てくれた時もら私にも周りにも、とても優しかったです」
「スズさんに何回も救出劇を聞きました。ミユさん、飛ばさないで話して下さい」
イオの釣書はしまって、手提げから次の釣書を出して見せようと思っていたけど、二人の目は続きと訴えている。
「えーっと。まずイオさんの肩書きは普通だそうです」
このまま二年は一等正官という予測で、それは平均的なことで、イオは平均的な火消し。
下官というのは管理職の官位で、細かく言うと無等下官といって、管理職系の仕事にやる気が無いという意味。
同年代だとそれも平均的で、幹部になる為には中官にならないといけないのだが、その試験を受ける為には六等下官から一等下官の試験を突破して、さらに中官試験に合格する必要があるという。
幹部になれと言われて渋々、嫌々、名誉ある幹部になるなら仕方がないと勉強を開始する者ばかりという程、家系火消しは実務業務に関する勉強以外のことに興味が無いそうだ。むしろ嫌がっている。
中官試験に受かるのは、幹部に打診されてから何年も後になることが多いので、それだと仕事が回らないから先に幹部になひ、補佐官がついて、会議や管理業務や試験勉強指導などをしてくれるという。
その補佐官になるような人材は、最初から中官試験相当に合格した結果採用されるか、三年以内に合格したら正式採用という条件の元に雇用される管理職採用者。
彼らは同じ火消しの制服姿だけど装備が少し異なるし、会議や各種管理職業務を任されているのであまり外回りには居ない。
家系火消しに混じって火消しになるには半見習いになって実務職採用試験に合格するか、高等校まで通って中級公務員試験または下級公務員試験に受かり、災害実働官管理職採用枠にも合格した場合の二種類になる。
生粋火消しのイオは寺子屋に通って八才からは火消し見習いになってひたすら火消しになる訓練、鍛錬、下級公務員試験の勉強。
見習い卒業試験があってら災害実働官採用試験の実務職枠を受ける為の推薦状を番隊幹部から貰えたら採用試験を受けられる。
採用試験合格と兵官・災実下級公務員試験合格の両方を成すと晴れて火消し見習いから火消しに昇格。
本来、こういう家歴・略歴については、結婚お申し込み書と共に作成してら相手に渡すものだけどイオ側からは無かった。
「この管理職採用者をイオさんは役人火消しと説明してくれました」
「確かに仕事内容が全然違いそうで試験や学歴も全く違います」
「火消し家系ではないのに実務職火消しになった方は外様火消しだそうです。三代続いたら生粋火消しって呼ばれることが多いと言っていました。一割くらいいて、一代で終わることが多いようです」
理由は、火消しの始まりは私設団で、家族親族で集まって運営しており、一族同士で縁結びしているうちに、徐々に火に強い皮膚となり、体力が優れるようになり、力持ちにもなり、今に至るから。
火消し半見習いになるには、教育お礼金を払い、担当火消しがついてくれることが条件。
しかし、半見習いになれるような人材は火消し一族以外には少なめで、その中から半見習いになろうという者となると更に少ない。
それで火消しになったとして、子どもも火消しにと思うと、火消し一族の娘と結婚になることが多く、そうなると婿入りになるので、新しい火消し家系にならずに特殊平家の仲間入り。
「イオさんは旧都火消しからずっと続いている火車一族と言っていました。だから生粋火消し中の生粋火消しだそうです」
「旧都の火消し団、火車組と関係ありますか?」
「はい。イオさんがご先祖様だと言っていました。六番隊は火車組と亡滅組の系譜だから家系図があるそうです」
「うわぁ。なんだか生きる化石みたいです」
「チエさん、それはなんか違いませんか?」
「生者を地獄へ道連れにしようとする亡者が火事を起こすので、その獄炎を地獄に運ぶ車にあやかって火車組。亡滅一族と混じって滅という漢字を書くのが面倒だから無視された結果、六番隊の生粋火消しは基本的に全員火車一族だそうです」
お前の顔は亡滅一族だろうとか、縄張りがどうもか揉めることがあったり、家系図を残す事は放棄したけど我が家はどっちの一族みたいな認識はあるそうだ。
戸籍や記録上では火車一族だけど、内輪では火車、火滅、亡滅と三族に別れているから、違う一族からお嫁さんを貰うようにしたり、祭り時に三つに分かれたり、色々あるそうだ。
「漢字が面倒って雑じゃないですか⁈ せっかく歴史のある英雄達の血筋なのに」
「現場仕事が良いから他の事は賢い人にさせろと騒いだ結果、補佐官達が誕生したそうです。興味のない分野はとにかく嫌みたいです」
生粋火消しが興味がある仕事は災害現場での区民救助、災害復興支援、見回りで区民支援、啓蒙祭り、応急処置、鍛錬、訓練など。
「医学や薬学勉強は熱心な方が多くて、イオさんもそうだそうです。火消しは小さな薬師さん、小さなお医者さんなのはその為です。その辺りの資格取得には熱心なようです」
「あれこれ医療支援をしてくれるのも火消しさん達ですからね」
病人や怪我人の搬送や軽い健康相談なども火消しの役割りだ。
「趣味が火消しとは、このことだそうです。火消しという仕事が趣味。啓蒙祭りに伴う歌、踊り、お酒、宴会。鍛錬や訓練に伴う組手や遊び喧嘩、将棋、博打。人気者で老若男女に好まれがちなのでそこそこの女遊び。火消しは皆、趣味は火消しだそうです。その中でもこれ、はある方も無い方もいてイオさんは満遍なく好むそうです」
博打は仲間内でふざけの範囲だそうだ。
今だと私をいつ恋人に出来るかどうかを、友人達と賭けているという。
区立女学校卒だと平均的なお見合い期間は半年程度と聞いたから、それ以上かそれ未満か。
百夜通いを達成出来るか出来ないかも賭けているそうだ。
これを聞いて私というか一般区民が想像する博打とは全然違うと思った。
「趣味火消しと書かずにそのことを書いてほしいです」
「ええ。女遊びや本物博打にあまりハマると組で粛正されます。素行が酷いと追放。国の法律とは別に、生粋火消しの規則があるそうです」
「趣味火消しって書かれても説明されないとこんなの分からないですよ。博打と本物博打なんて初めて聞きました」
スズの言う通りなので、私の両親も当然質問したので、こうして私が説明出来ることになったと教えた。
「独特な世界なので火消しは基本的に火消しの娘さんと結婚するそうです。なのでイオさんはその、まぁ、少し珍しいことをしようとしているので、向こうのご両親も釣書と言われてもイマイチ書き方が分からなかったし、調べたら面倒だったので、この簡単な釣書で他は口頭説明になりました」
父が書き付けした書類もあるけど、詳細に記載してあるからそれは流石に見せる気にはならない。見せたら非常識だ。
私が覚えたことのうち、結婚は関係なく、知識として有していると良いと考えた事を中心にスズやチエに話した。
「この釣書では全然分からないですからね。ミユさんは相変わらず暗記に強いというか、勉強家ですね。なんとか試験とすらすら、すらすら」
「褒められて嬉しいです。火消しのお嫁さんは水組という組織に入ることになるから仕事が色々あるそうです。組全体で家事育児など町内会のもっと広くて濃い人間関係の可能性もあります」
スズとチエは顔を見合わせて嫌そうな表情を浮かべた。
「火消しさんはすとてとき、と思う女性は多いけど横入りは難しいという噂はこれですね。私は既に立候補したくないです」
「私もあまり。そもそも女遊びというのが気になりますし」
「そこを現在、父と兄が調べています。女性関係をイオさんの両親は詳しく把握していないそうです。二十才前には結婚するものなのに、恋人を作らないで女性にチヤホヤされていたい子どもみたいに振る舞っているから……だから火消しの娘でなくても私に感謝らしいです」
両親に私と結婚したいという気持ちを利用して火消しの娘との縁組をさせるつもりだろう、という話をされた。
イオの両親は息子が騒ぐなら私や我が家でも構わないけど、可能なら楽な縁組になる彼らにとって普通の結婚が良いような口振りだったそうだ。
「ミユさんは火消しのお嫁さんは面倒そうでも興味がある、と」
「チエさん。私だってイオさんに迫られたら迷います。あの日の彼はすこぶる格好良かったです。私に付き添ってくれた方は既婚者でした」
「……そ、そ、そういう訳ではないですが、その、まぁ、お見舞いのたびに周りの方々にまで優しいので……」
私はどもり過ぎだ。
ニマニマした笑顔のスズとチエに顔を覗き込まれて続きの言葉は行方不明。
「火に囲まれてああ、私はミユさんと死ぬんだなと思いました。煙が目に染みるし熱くなっていくしどんどん火の海です」
スズが突然語り出した。
「それなのにミユさんは私を守ろうとしてくれていました」
「その話はもう三回聞きました。ミユさんの優しさと勇気は昔からで、この話は何回聞いても良いですけど今は別件です」
「火だるまになるところだったミユさんをこう、燃える褞袍を躊躇なく勢い良く引き離して、私達二人を担ぎ上げて外へって格好ええです!」
「はいはい。スズさん、それはもう聞きました」
私はスズからあの日の話を聞くのはこれが初めてなので少し気になる。
「別の火消しさんに預けられて確認されましたけど、どう見ても私は怪我をしていなくてミユさんは大火傷です。なのにミユさんはずっとスズさんは? って私の心配。幸い、火消しさん達の応急処置や病院への搬送が早くてミユさんの火傷は浅くてかなり元通りになるそうです」
「ええ。すこぶる喜ばしい話です。ミユさんの怪我が悪化しないように毎日、ミユさんの町内会の鎮守社へ行っています」
「まあ、チエさん。そのようにありがとうございます」
隣の町内会暮らしなのにわざわざ我が家の町内会の方へ行ってくれているとは嬉しい。
「人の本性は緊急時に現れるもの、ということでその火消しさんはミユさんに惹かれたそうです」
「イオさんのことですね。それで相愛。今日、ミユさんの言動や顔で分かりました。このように助けられたら惹かれます」
違う!
「チエさん。それは異なります。その……イオさんは確かにその、私をお慕いしていると言っていますけど私は違います」
「そうなんですよチエさん。イオさんは破廉恥火消しなのでミユさんはご立腹です」
スズは色々情報を持っているようなので、そのままチエに説明してもらったら、やはりスズは大体把握していた。
「スズさん、こんなに色々、イオさん本人から教わったのですか?」
「はい。ご友人と一緒に来てミユさんについて質問されて、こういう理由で嫌われているけど巻き返せるか相談されました」
「ご友人……ナックさんとヤァドさんですか?」
「ナックさんです」
「火消しさんってやはり遊び人なんですね。街中でそのような事で頬にキスなんて最低最悪です」
「そうですよね。私もそう言いそうになりました。最低ですって。でも格好ええ、すとてときって思っていたらどうかと考えたら、それだと嬉しいですよね。火消しさんならありというか、彼らは許せるというか、なんというか。頬ですし」
私やスズからしたらお嬢様のチエが、そんなことを言うとは驚き。
「……確かに。見惚れていた時にされたら嬉しい気がします。他の方々と違って火消しさんはそういうものという印象がありますから。頬ですし」とチエも大きく頷いた。
あの時ジンに頬にキスされたら同じく嫌だったけど、私を支えてくれた人が火消しで見惚れている時にキスだったら……やはり嫌だ。
私は男性にそういう意味で肌を触らせたことはないのにあんなにあっさり済まされて、おまけに彼が覚えていないから腹立たしい。
スズもチエもコソコソ恋人がいたからこのように大した事ではないみたいな感じなのだろう。
二人して頬ですしって言ったし。
「ミユさんは遊び喧嘩みたいに周りに迷惑をかける事は嫌いですから、その中心だった方に誤解でお詫びの頬にきとすされたなんて最悪でしょう」
「ええ。最悪最低な人だと思いました。それなのに命の恩人で、皆さんに優しい……あっ」
「どうしました?」
通りの向こうに今朝、来なかった本人がいる!
夜勤が続くと言っていたので今日はもう会わないと思っていたのに街中で見かけるとは。
ここは病院に近いから今日も私をお見舞いってこと?
「チエさん、あちらの背の高い色男がイオさんです。あの木刀を帯刀している地味顔な方の隣の男性」
「スズさんの格好良いを信用していませんでしたが珍しく世間一般的な色男ですね」
「なんですかそれ。私の目はそんなに変ではありません」
隣を歩いている木刀を帯刀しているのはネビーで、私の視線は卿家であの穏やかな優しい笑顔がすとてときだった男性ではなくてイオだった。
ネビーに気が付きもしなかったってますます私の気持ちは怪しい。
スズとチエに左右から軽く小突かれながらら私は徐々に俯いた。
恥ずかしいので、どうかイオが私に気がつきませんように。