罠
翌日、イオは朝食後の時間にやってきて、昨夜と同じ調子で火消しについて話し始めた。
知らない世界のことは気になるけど、無視して姉が借りてきてくれた海辺物語に没入していたら、包帯を替える時間になったのでイオは帰宅。
清々したと思ったのに、小一時間すると戻ってきて、また一人で話し始めて昼食時間に突入。
「運ぶのを手伝います」
イオは介助師がする昼食の配膳を手伝って、同室の患者に感謝された。
(人としては悪人と正反対……)
戻ってきたイオとパチリ、と目が合う。
「今日、初めて顔を見てくれた。やった」
屈託のない笑顔を向けられて、私は慌てて俯いた。
「かわゆい。昼間の方が赤くなったのが良く見えてええなぁ。つまり夜勤最高。元々別に嫌いじゃないけど好きでもなかった。今日から夜勤好きだな俺は。……あっ。でもミユちゃんが良くなってまた働き始めたらすれ違いだから嫌だな」
「……」
「照れて話せないだけなら脈ありだって浮かれてええ? 脈ありってことはこの瞬間から恋人ってことだ。うわぁ、やった」
「違います! 何を言っているのですか!」
思わず口を開いてしまった。
「よっしゃぁ! ミユちゃんが喋ってかわゆい声を聞けた! 若い男なら誰でも恥ずかしい、みたいな感じなんだろうけど、意識しているって事はいつか何か始まりそうじゃない?」
両手の拳を握って天井に向かって腕を挙げたイオに「頑張ってイオ君」とか「頑張りなさい」という拍手が巻き起こった。
同室の女性は皆中年または老年女性で、怪我人ばかりで、イオは彼女達にもお見舞いの言葉を伝えているし、手伝いもしているから、味方されるのは当然だろう。
彼を見たいと屏風を外して私達を見られるようにするのはやめていただきたいけど、大部屋の中で最年少なので何も言えず。
イオはお見舞いと称しながら私を口説き中だから応援して下さいと話して回っていたし、私への言葉も声が大きいからわりと伝わってしまっている。
昨日は夜だからヒソヒソ声だったのに、今は昼間だからか声が大きめで、今の台詞はまるで部屋にいる全員に聞いて下さいという声量だった。
「何も始まりません」
「始まろうよ。自分で言うのもなんだけど俺って結構な人数の女が恋人にしたい男なんだぜ? 俺の初めての恋人の座ってそんなに悪いものではないって証明するから機会が欲しい」
「……初めての恋人? まさか」
「そのまさかってどういう意味? 自分なんてってことなら大丈夫? そんなに女として自信がないのはモテてこなかったから? この天然記念物みたいなおさげやババアみたいな服選びだとモテないのも分かるけどわざとって聞いたし、顔は鏡で見れば平凡って分かるのになんで自信がないの? どういうこと? 誰かに、思春期頃に天邪鬼男にいじめられたとか?」
二度目の天然記念物発言にイラッとして、そもそもこの人は女性を渡り歩くような人だろうから嫌よりも前に、勝手に乙女の頬にキスをした破廉恥男性だから嫌だと思い出した。
「俺が目をつけてまとわりつくと目立つから隠れんぼは強制終了。だからこの髪型はやめようぜ。絶対他の髪型の方がかわゆいから。いや、でもこれはこれで俺としてはかわゆいんだけどね」
髪を勝手に触られた!
やはり彼は破廉恥男である。
「……」
「女の自尊心を損わせるのは幼馴染が定番だからそいつは隠れてほの字か? 誰だ? まあええや。勝てばええだけだし。それよりもまずはミユちゃんのお腹を満たす方が先。食べるの大変だろうから食べさせてあげる」
「……」
「握り飯は食べやすそうだから大丈夫として、この香物とおひたしは箸では難しいから任せろ」
私は首を横に振ってお膳を持って自分の足の上に置いて、握り飯を一つ左手で掴んで口に運んだ。
(お母さん、早く来て)
「俺は好き嫌いはほとんどないけど好きの大きさはあるからこれは好きで、こっちはそれなりで、これもまぁまぁ。握り飯の具は貝だと元気が出る。この握り飯の具はなんだろうな。ミユちゃんは何が好き?」
「……」
「口にご飯粒。利き手じゃないと大変だよな」
勝手に口元に触れたし、おまけにつまんだお米を食べた!
なんでこう彼は破廉恥なの!
(誰にでもしているってことよ。火消しなら許される雰囲気があるんだわ。文学でそうだからきっとそう。この部屋の誰もこれを叱らないし、彼にお世話になる時も何も言わないでデレデレしているもの)
戦略なのか着物はこの間と異なり落ち着いた灰色の単色で着方もキチンとしているけど、長めの髪を半分だけ後ろで結んでいるので、遊び人っぽい雰囲気はまるで隠れていない。
恋人がいたことがないなんて絶対に嘘。
この後、少しして母が来てイオは母とペラペラ喋って小一時間後に「食って仮眠して出勤だからまた明日。早く元気になりますように。お母さん、火の用心ですよ!」と私達に手を振って去っていった。
「ミユさん、体はどう?」
「痛み止めが切れてくると辛いですが慣れました」
「イオさんはどうかしら。朝、お見舞いに行きますと家に来て下さったのよ? 行く前に報告って言うて」
「彼とは話していません」
少し喋ってしまったけど、あれは無かったことにする。
「恥ずかしくて話せない?」
「あのような容姿の火消しさんは浮き名を流すもので、どうせ気まぐれでしょうから無視していたらすぐに来なくなります。来週には赤の他人です。さらに忘れた頃にお礼の文や品物を贈ります」
「それは良い考えですね。本気ならめげずに百夜通いのようになって下さるでしょうから」
命の恩人を無視するな、ではないのは娘の気持ちに寄り添ってくれている証拠。
火消しとの結婚は名誉だから女性関係にふしだらな男でも目をつぶれ、ではないのも嬉しい。
翌日、イオはまた朝食後くらいの時間に来て一人でペラペラ喋って同室の女性達とも話をして、軽く世話をして、私が歩く練習の時もついてきて隣でペラペラ喋って、私の昼食後に帰宅した。
(無視されてもニコニコ話しかけてくる神経が分からないわ)
そもそも会いたくないと言ってきた相手にまた会いに来れるその図太い神経が理解出来ない。
実体験はないけど、あのほんのり初恋みたいなジンに会いに行って話すことを考えてみても、想像の中の私の足は動かないし声もかけられない。
なのにイオは私に拒否されてもニコニコ笑っていられるので理解不能。
夕方、顔立ちが似ている若い男性と女性が私を訪ねてきた。
「こんばんは。初めましてミユさん。ハ組イオの幼馴染のネビーって言います」
この声にも顔にも覚えがあって、彼はイオ達の遊び喧嘩を止めに入った兵官だと気がついた。
制服姿ではないから、かなり雰囲気が異なる。
藍色の着物を義兄のようにきっちりと着ている。 下駄でも草履でもなくて草鞋に黒い足袋なので、これからどこかへ遠出? と気になる。
(私は彼のことを覚えていたけど、彼は覚えていないか。兵官さんからしたらあのくらいの接触だと有象無象よね)
二人とも少し釣り上がったくりっとした黒目がちな目をしているから小動物のような印象。
ネビーは目を三日月にして優しげな笑顔になったけど、妹はすまし顔に近い微笑みなので彼女をリスみたいだと思った。
「帯刀は地区兵官だからで許可証があります。隣は妹のリルです。お見舞いにきました」
ネビーは私に身分証明書を見せると、木刀を腰から外して畳の上に置いて、布団から少し離れた位置に正座。背負いカゴは降ろさないみたい。
その隣、私に近い方にリルが品の良い動きで着席した。
(制服ではないのに木刀帯刀だと怖い人だと誤解されるから、身分証明書を提示したってことよね)
イオの幼馴染と言ったけど、二人とも彼とは雰囲気がかなり異なる。
身分証明書を見せてくれたから分かるけど、役人家系の最高峰、役人の手本であり監視者でもある卿家の二人だから当然。
卿家は同じ庶民層と言われるのがサッパリ分からない家柄で、私は多分人生で初めて卿家の人間と出会って話した。
卿家のお嬢様は区立女学校ではなくて国立女学校へ通うようで、同級生には誰もいなかった。
仕事の依頼主でいるだろうけど、私達は与えられた仕事をこなすだけで依頼主が誰かなんて知らない。
「こんばんは。お二人ともありがとうございます」
「こんばんは、リルです。お花とみかんをどうぞ」
花は芍薬で、竹で作られた花器に生けられていて、リルはそれをみかんと一緒に枕側の空いているところに置いてくれた。
彼女は最近流行りの前髪を作っていて編み込まれている髪もかわゆいし、椿柄の小紋に合わせた各種小物などの何もかもが洒落ていて羨ましい。
私もそろそろお洒落出来るところだったから、ワクワクしながらリルの髪型や服を観察。
彼女のお洒落は幼馴染や地元の女の子達とは異なるので、これが格上の今の流行りと思って眺めていたら、結婚指輪をしていると気が付いた。
彼女は美人ではないけど、私と比較したらどう見てもかわゆい人で、さらにお洒落だからかわゆさが増している。
この感じで卿家のお嬢様だから、結婚相手はよりどりみどりだっただろう。
「花はイオからで立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花っていうので早く立ち姿を見たいから芍薬だそうです」
ネビーに笑いかけられてこの人はイオが私を気にかけていると知っている人物だと分かったので戸惑う。
「……。ありがとうございます」
「あいつ、必死で面倒だと思うんですけど、悪い奴じゃないんで元気になったら助けてもらったお礼にお茶くらいしてくれたら嬉しいです」
なぜネビーとリルが私のお見舞いにきたのかと思ったら友人の為に来たってこと。
「お嬢さんには付き添いがいるとか、二人では出掛けられないとか、きちんと教えておくんで」
私は庶民中の庶民の平家だからお嬢さんと呼ばれるのは違和感。
区立女学校に通学中は制服姿で良家のお嬢さんと間違えられるから嬉しかったし今も気分が良いかも。彼は私の家や仕事については知らないようだ。
「あの。ご友人なら困るというか迷惑ですと伝えてくれませんか?」
「言うても無駄なんで言いません。百回断られても口説くって言うていますから」
ネビーは呆れ顔で肩をすくめた。イオは百夜通いをする気なの?
百夜通いは相手の同意がないと何の意味もないけど、気持ちが強くて真剣だと伝える為に勝手にすることもある作戦。
あくまで創作話の中にしかない話だと思っていた。
「接近禁止命令を出したい程なら、どういう被害があるのか記録をして屯所に相談して下さい。裁判へ回すので」
裁判?
命の恩人を恐ろしい付きまといだ、と裁判しろってそのような発想はない。しかもイオは世間的には悪い事は何もしていない。
ネビーは会釈をすると私からリルへ顔の向きを変えた。
「リル、行こうか。付き合ってくれてありがとう。では失礼します」
「火消しの遊びに付き合いたくないです! 彼らと縁のない私にとっては非常識行為です。そういうのは訴えられませんよね? あの方、別に悪いことはしていませんから……」
裁判なんてそんな大袈裟な話ではない。ここまで言ったら真面目そうなネビーはイオに何か言ってくれるかもしれないと思ってこう告げたけど先程言っても無駄と言われたばかりだった。
立ちかけていたネビーは再度腰を下ろした。
「いえ、訴えられますよ。女性は基本的にか弱いんで有利です」
ネビーに真剣な眼差しで見据えられたので思わず唾を飲み込む。
「そこまでしたくないのなら、お見せしたように自分は地区兵官で、兄は裁判所勤務で、父は煌護省勤めなので、六番隊のネビー・ルーベル宛に非正式な陳情書でも対応します」
この人は友人を応援しにきたのではないの?
(卿家は国の犬……。家族親戚友人知人も必要があれば容赦なく切り捨てて評価上げに使うってこういうこと?)
卿家は裏切るから気を許さない方が良いなんて話もあるけどイオは今、まさにそういう状況?
非公式陳情書ってどういう意味があるの?
(えーっと、裁判並みに嫌って陳情するなら、言っても無駄な相手に裁判をするくらい強く言ってくれるってことだ)
二人の仲は悪化するのに自分の卿家としての点数稼ぎにはならないので、ネビーにとって損しかないはず。
命の恩人をそこまでして追い払いたいかと問われると、飽きて去って欲しいくらいでそこまではしたくない。
「あの、そこまで大事では……」
「火消しの火遊びは寄ってくる女と無責任にちゃらちゃら遊ぶことで、地元の女やそれを分かっていない女にはしません」
火消しの火遊びって言うけどそういう意味なんだ。
イオが寄ってくる女性と無責任にちゃらちゃら遊んでいる人だというのはこれで確定。
「地味子ちゃんを口説き落としてバカにするとか、誰が早く落とせるか勝負とか、そんなのは逆に皆でボコボコにします」
ネビーから見ても私は地味子ということ。
違うという人はいないと思うけどハッキリ言われると、これは家の方針だとしても少々傷つく。
「無責任に遊ぶのですね」
「ええ。だから俺は妹達を火消しの嫁にはしたくないです。あいつらにいつも説教をしています。聞く耳があるから年々地味になっています」
「……」
顔の良い活躍している兵官も遊び人の代表格なのに、その兵官が妹の縁談相手には嫌だと言うとか、説教をするって、火消しはどれだけ派手な人達なのだろう。
「本人に確認したらきちんと話しますよ。あれこれ隠して騙し打ちするような奴ではありませんし、あなたのような雰囲気のお嬢さんとは遊びません」
(私とは遊ばない……)
なぜあの雰囲気のジンがイオみたいな人と友人なのかと思ったけど、このネビーに対しても同じ感想を抱く。
凛と伸ばした座り姿に見た目はそこまでがっちりしていないのに、威圧感があって話は真面目な内容。
へらへら、ニコニコ笑っているイオとは全然違くて彼とネビーが友人として交流する想像はまるで出来ない。
「あっ、文通お申し込みからがよかですか?」
凛々としていたけど急に柔らかな笑顔になったのでドキッと心臓が跳ねた。
最初の挨拶時と同じくとても優しそうな笑顔だなと少し見惚れる。
私はジンやネビーのような穏やかそうな男性が昔から好みだ。
卿家と平家の縁結びなんてあり得ない事なのに、チラリと彼の左手薬指を確認したら何もなかったので少し嬉しくなった。
彼とはもう二度と会うことはないけど、このくらいは楽しんでも良いはず。
お出掛けした際にあの穏やかそうな雰囲気が素敵な男性は華族かも、と眺めるのと同じ心理。
「そもそもお嬢さんとはそうした方がよかだからそう言うておきます。いつもの調子なら褒めたり触ろうとしたりしているんでしょうから」
よか、って卿家言葉なのだろうか。
ネビーは友人を応援しにきたけど友人が非常識ではないか確認にきて、そういうところがあれば直させるつもりらしい。
「……それです。あの方、あの方は街中で見知らぬ私の頬にきとすをしたのです! 今も手に触れてきたり髪にも触りますし……」
ネビーなら話が通じそう。イオは非常識で女性とふしだらな関係を作っていた人だから嫌。
信用ならないし、飽きて次の人に移るからまともに相手にする気がないとネビーにしっかり伝えよう。
「……はぁ? あの野郎。かわゆい淑女そうなお嬢さんになにをしていやがる。そうなると話は別です」
ネビーは思いっきり顔をしかめた。
そういえば遊び喧嘩の仲裁時も彼はこういう感じのことを言っていた。
「急にぶつかってきて、ただ驚いていただけなのに見惚れたなんて勘違いを。しかも覚えていないのです。あのような自惚れ屋で女性の貞節を何も考えない方は嫌いです」
嫌いだから私の心を揺さぶろうとしないで欲しい。
「なんで私はあのような方に助けられたのでしょう。あの方がいなかったら火だるまでした……。他にも火消しさんはあの場にいたのにどうして……」
いっそこの兵官ネビーに助けられたかった。
災害現場には兵官も駆けつけて火消しの指示で救助にあたるから彼もあの日、あの場所にいたかもしれない。
助けてくれてありがとうございました、というお礼の手紙を送るという名目があるから、その勢いで文通お申し込み出来るだろう。
兵官は高嶺の花で卿家だとさらにだから、記念お申し込み。返事はすみませんだろうけど、雅な断り方をしてくれるに違いない。
「あー。帰ります。夕食の支度があるので帰らないと。失礼します」
サッと立ち上がると、ネビーはあっという間に草鞋を履いた。
「あの、お大事にして下さい。失礼します」
もう部屋から出ていったネビーを、慌てた様子のリルが追いかけていく。
(芍薬……)
私はイオからだという芍薬を眺めて指でつついた。彼からだけど、差し出してくれたのはあのネビーだ。
二度と会わないだろうけど、と思いながら三つ編みを解いて、手が痛いし鏡もないので横に流して終了。これではお洒落とは程遠い。
(化粧もしてない……。そうか。ジンさんといい、ネビーさんといい、突然誰かに出会うこともあるから、皆は常にお洒落しているんだ……)
変な男に引っかからないように地味にして自分を飾らないで隠すようにという教育方針に不満はなかったけど、今初めて変えたいと思った。
夕食頃に母が来てくれて、その後は家族全員が来てくれたので、姉にこっそり少しくらいお洒落な髪型や化粧をしたいと頼んだ。
「入院中にどなたかと出会うかもしれませんので」
「……ふふっ。ミユさんはイオさんは無視するおつもりなのですね」
「ええ。私は静かに暮らしたいです。あの方とは絶対に静かに暮らせません。そもそも暮らす前に、彼はたんぽぽの種のようにどこかへ飛んでいきます」
翌朝、姉は今日は仕事ではないからと朝食の補助にきてくれて、一緒に歩く練習や包帯変えの勉強をしてくれた。
さらに私の髪を姉がお見合い時にしていたようにかわゆくしてくれて化粧まで。
包帯姿で街中を歩くのは嫌なので、院内で歩く練習をしていたら、介助師に手紙を渡された。
【星花燎原の君へ】
漢字が間違っているけど火という字を今は見たくないから嬉しい誤字だ。字はあまり上手ではない。
「私にってどなた……」
裏を見たら六番隊ハ組ト班イオ、と記載されていた。
「イオさん、手紙に変えたんですね」
「ご友人のネビーさんが注意すると言っていたから手紙になったのかもしれません」
これで無視するのはもっと簡単になったので、ネビーのおかげなら彼に感謝。
(それを理由にあの方に手紙は……。卿家の断り文を読んでみたいけどイオさんの友人にそれは非常識か……)
興味津々の姉と共に、院内の休憩所へ行って人が少ないところで手紙を開いた。
(御申込み……。これが噂の文通お申し込み……。封筒の宛名に御申込みと書くことが多いっていうけどこの場合も正式だし、この内容もそう……)
どこどこの誰々で家族はこうで仕事はこうなので文通をして欲しいです、と住所が添えられていて返信用の手紙と封筒まで入っていて、着払いでと書いてある。
【変わらぬ誓いを込めて末の松山へ、と書くか悩みました。君は松よりも花で、なぜ君なのか伝えたいので星花燎原です。まだ怖いだろうから漢字は変えましたが意味は同じです。早くうなされない夜がきますように】
星火燎原。
星の光のように小さな火でも、燃え広がると原野を焼き尽くすという意味。
「……」
地味な私は小さな火だけど、イオの中では燃えに燃えて大きな炎のようになっている。
火や炎は恋慕の暗喩によく使う。
「すとてときねミユさん」
この内容で、昨日の芍薬のような朱色の花が描かれているのは、かなり好感度が高くて、私はドキドキ、ドキドキしている。
私の人生にこのようなお申し込みがあるなんて奇跡的だけど、相手はあのイオ……。
「これは代筆です。私が末の松山の話を読んでいた時にあの龍歌を全く知らなかった方です」
「そうなの? 分からないなりに覚えて調べて人を頼ったということですね。代筆も本人からと受け取るものよ。字は本人かしら?」
私としては多分字を書いたのは本人。
力強い大きめの文字は自信や自己主張の激しさの表れだ。
文字を見ればその人がどのような者か分かることがあるけど、これはまさにそれ。
「雅なことも出来るとは多くの女性が夢中になるのも当然です。この調子で何通ばら撒いているのやら」
「これだけだとすとてとき、ですけど火消しさんであのような感じの方なので私もそう思ってしまいます」
「ばら撒きなんてしない。初めてです」
文通御申込みが来たから今日は来ないと思っていたのに目の前にイオ登場。
彼の髪は昨日の半分くらいの長さになっていて、七対三くらいで分けて前髪を流すという義兄みたいな真面目で爽やかな髪型に変化している。
着物は今日も単色で、前のようにはだけさせたり片袖を脱いだりしていないし、裾も短くしていない。
今日のイオはパッと見は卿家の男性風で、うっかり素敵と思ってしまった。
これは恐ろしい罠だ。