番外「七夕2」
朝食後頃だろうという時間にミユの家を訪ねたら、途中で出勤する彼女の父と会ったので挨拶をして、家へ着いたら母親が出てきたところだったのでまた挨拶。
だから鐘を鳴らして声を掛けたら玄関扉を開いてくれたのは当然ミユだ。
この時間に来るのは二度目で、前回はあらかじめ約束した日だったけど、今日は違うので彼女は俺を見ると目を丸くした。
入院中のように地味な着物姿だけど髪型は天然記念物ではなくてまとめている。
しかし化粧はしていなくて、一方で紅はしている。
寝起きのままではないけど、しっかり整えてはいないという不均一さにとてもそそられるので、これは朝から眼福。
「おはよう、ミユちゃん。休みだから会いたくてきた。また一緒に洗濯してもええ?」
「……あの。今日はこの天気なのであちこち掃除やカビ退治をしようかと。洗濯はしません」
この天気と言われて空を再確認したら、どんより空で今にも雨が降りそうだ。
帰れってことだと落ち込んだけど、彼女の髪に向日葵の簪を発見して、伸びていた背筋がさらに伸びた。
「カビ退治はしなくてええので、ゆっくりしていって下さい」
「……ありがとう」
一度しか見ていない簪を発見したし、帰れではなかったので心の中で小躍り。
居間に案内されて「散らかっていてすみません」と謝られた。
「散らかってって花を生けていただけだろう。へぇ、この時期にも紫陽花って咲いているんだ」
「珍しいですよね。今、片付けます」
花カゴは二つあって、一つは俺が贈った来幸で、そこには最近あちこちで咲き始めたちび向日葵が二輪生けてあり、二本とも外側ではなくて内側を向いている。
「これさぁ、俺とミユちゃんだったりする?」
「しま、しません!」
「なんだ、残念。ゆっくりしてって言われたけど俺もしようかな、カビ退治」
「勉強はええのですか? それか読書。何もなければ何か貸しますよ。せっかくの休みですから休んで下さい」
「それなら今、ミユちゃんが読んでる本を頼む」
「はい」
花カゴが片方居間に飾られてもう片方はいなくなり、生花の切った茎などもなくなって、しばらくして本とお茶が届いたのでお礼を告げる。
「今日の休みはあまり疲れていなかったんですか?」
「ん? どういうこと? いつも休みは疲れてないけど」
「そうなのですか? 休みの日は昼過ぎまで寝ていて、後は鍛錬と勉強と制服の手入れだと、サエさんに聞きました。今日は早起きですね」
そう言い残してミユは居間から去った。
休みの前の日に遊び回ったり飲み続けて夜明けや朝のことが多いから、翌日の休日はだらけて爆睡が多いけど、誤解が発生している。
朝帰りと言うと心象が悪いから母がそこを省略してくれたのだろう。
ミユが持ってきた本は、先日のおまじないの元になったシーナ物語で、図書館の所有物だと分かるように判子が押してある。
怖い目に遭ったのに読もうと思ったのかと驚愕しつつ読んでみることにした。
昔々、とある村に顔にも手にも足にもあざのあるシーナという娘が住んでいた。
母を早くに亡くして父と二人暮らしの彼女は、元服時にお見合い相手へ嫁入りの予定だったけど、体が弱めの父親を心配して、どうか婿に来て欲しいと頼む。
しかし、それなら破談だと言われてしまい、シーナは父を選んだ。
それは正しい判断だったようで、その後父は病気になり、シーナは甲斐甲斐しく世話をする。
約十年して父は亡くなり、シーナはとてもお嫁にいくような年齢ではなくなったので、親が残してくれた家を売って、村の端にある小さな家へ引っ越した。
(気に食わない話だな。こんな親想いの子がいたら口説くし一緒に住むけど。しかも元服から十年ってまだまだ女盛りだけど。まあ、いいや。最後は皇子と結婚らしいから)
独り身で子育てもしていないし、彼女が世話をしなければならない祖父母も親もいないので、村人達はちょっと困ったことがあるとシーナを頼った。
彼女は働き者なので何でも引き受けていたが、ある時頼まれた物置小屋の蜘蛛退治は断った。
しかしどうしても頼むと言われて、子どもが噛まれて足がうんと腫れたと言われて、仕方なしに物置小屋へ行き、胴体の大きな大きな蜘蛛を発見。
シーナが退治を断ったのは食事と関係のない殺生が苦手だったからで、彼女は蜘蛛にこう告げた。
『ここへいると退治しないといけません。どうか他のところで、出来れば人が来ない外で暮らしませんか? 雨風が気になるなら我が家もありますよ』
『なぜお前は私を殺そうとしないの?』
蜘蛛が喋ると言うことは、この蜘蛛は副神様の遣いかもしれないし、単に物語だからかもしれない。
『まあ、蜘蛛なのに話すのですね』
『喋らないと思ったのならなぜ話しかけたの?』
『聞こえているかもしれませんから。犬や猫が呼ぶと来るように、作物に話しかけ続けていると実りが豊かになるように』
シーナは蜘蛛なんて大嫌いだけど殺す方がもっと嫌なので、両手を器にして乗ってもらい、蜘蛛を着物の袖へ入れて「退治しました」と告げた。
翌日から、シーナは蜘蛛を平気で殺す酷い女だという噂が立ち始め、近寄ると祟りがあるという話にもなり、彼女は孤立してしまった。
(ちょっと待った、なんつう話だ)
けれどもシーナは寂しくなかった。
一緒に暮らすようになった蜘蛛のアトラは喋る上に、博識で色々な話をしてくれるからだ。
アトラは村から出たことのない彼女に村の外の景色を教えてくれる。
(おお、龍神王様の話が出てきた! あはは。この蜘蛛が酒を飲ましたから酔っ払ってエドゥアール温泉街が出来たのか)
「イオさん、面白いですか?」
集中し過ぎてミユが近くに来たことに気がつかなくて、かわゆい声が耳元でしたので「うおっ」と声が出てしまった。
「すみません」
「いや、全然。隣にいたら嬉しいから。しかも近かったらなおさら」
「昨日借りたばかりでまだ読んでいないんです。最後に皇子様と結婚するのなら、怪談話ではないですよね?」
「まだ序盤だから分からないけど龍神王様の話が出てきて、そこは面白かった」
「龍神王様も関係のある話なんですか?」
彼女は手にすり鉢を持っていて、中身は乾燥させた紫蘇に見える。
ミユは俺の隣に座るとそれをすり始めた。
居間はそんなに広くないけど他に場所はあるし、丸い机にも他に空きがあるのにわざわざ隣。
「関係あるかないかはまだ分からないけど名前が出てきた」
「へえ、気になります。結構長そうな話ですよね」
向日葵の簪が髪から消えていてものすごくガッカリだけど、なぜわざわざ外したのだろう。
今は何も飾りが無い状態だ。
「朝はあった簪、どこかに落ちた? また買う?」
「えっ? いえ、外しただけです」
そうな気がしたけど、確定すると更にガッカリである。
「何で外したの?」
「ほっかむりをしていても埃をかぶって汚れるからです」
「そうなんだ。あれから今日まで使っているのを見たことがないから、気に入らなくて売ったのかと思ってた」
大事にされているなんて予想外で、自然と口元が緩む。
「イオさんも私が贈った根付けを使っていませんよね?」
「失くしたらどうするの! ミユちゃんから俺に贈り物は一生に一度かもしれないのに、失くしたら相当落ち込む」
ミユが微笑んだ後に視線を落として、すり鉢をまた見たので横顔を眺める。
「私も失くしたら悲しいです。あとその、使っているところを本人に見られるのは恥ずかしいなぁと……。売りません」
「……る。買ってくる。失くしてもええように十本くらい買ってくる!」
「えっ?」
ちょっと、と聞こえた気がするけどミユの家を飛び出して、どこで買ったっけ? と考えながら走って少しうろうろしてお店を発見。
同じ簪は二本あったのでそれと、隣にあって目についた「流行りの一つ結びに」と書いてある札近くにあった黄色い麻の葉模様の布も購入して戻った。
途中で雨に降られてびしょ濡れである。
「大きい手拭いを持ってくるので待ってて下さい」
「いや、この濡れ具合は邪魔だから帰る」
帰る前に簪を渡そうと思ったけど、ミユは俺に背を向けた。
「土砂降りですから帰るなら小降りになってから。風邪を引きますから待っていて下さい」
帰りそびれたので軒下で着物の裾を絞っていたらミユが戻ってきて、大きな手拭いと普通の手拭いと、父親の浴衣を差し出してくれた。
「着替え終わったらよく絞って下さい。無駄でしょうけど部屋干ししましょう。寒かったら言うて下さいね」
「ありがとう」
人様の家の玄関で褌一丁ってどうよと思いつつ、肌着もわりと濡れているので全部脱いで、体を拭いて浴衣を着て、着物を絞りに絞って居間へ移動したら、衣紋掛けを持って待っていてくれていたミユが、着物を預かってくれて居間から去った。
(思いつきで行動して大失敗)
ミユの父親は平均的な背格好なので、彼の浴衣だと袖も裾も短いから格好悪そうだけど、余計なことをして借りておいて文句は言えない。
そもそも彼女に対して格好つけても格好悪いことにしかなっていないから無駄だ。
諦めて努力放棄はしないけど、格好つけるぞというやる気は日に日に減っている。
ミユが戻ってくるまで立ちっぱなしで室内をウロウロして、彼女が戻ってきたらまず謝罪した。
「いえ。傘を渡せば良かったです。驚いて間に合わなくて。それよりも、まさか本当に十本も買ってきてないですよね?」
「二本しか売ってなかった。三本になって縁起数字だし、小さいから並べても使える」
自分の手拭いに包んで懐に入れてあるので出して彼女に差し出した。
「……ありがとうございます。あの、気をつけていても失くしてしまう可能性があるけど、使う方が嬉しいですか?」
両手で丁寧に受け取ってもらえて心底嬉しい。
「うん、まあ。でもほら、好みがあるから好きなように、使いたい時だけ使って。受け取ったらもうミユちゃんのものだから八つ当たりで折ろうが、売って新しい物を楽しもうが、箱にしまっておこうが君の自由」
「まさか、折ったりなんてしません。自分は失くしたら嫌だなぁと思って家の中だけで使うようにしていたのに、他人のことだと気に入らなかったのかなぁと邪推しました」
「根付けのこと? それなら聞いてくれたら良かった……俺も聞かなかった。聞けなかった。そっか。似たようなことを考えていたってこと」
「そうみたいですね」
ニコリと笑いかけられて、俺はそんなに好かれていない説はどこへ行ったと自問自答。
今日はミユからわりと良い反応ばかり返ってくる。
「あの、もう一つ。流行りの一つ結びにって札に書いてあって、一つ結びって流行りなの? 分からないけど向日葵と同じ色だし、風呂敷みたいにも使えるかなってつい買った」
喜ぶか分からないのについ買ったのは、流行りの一つ結びを見てみたいと思ったからだ。
折り畳んでも折り目がつかない柔らかい髪飾りを懐から出して彼女に差し出すと、それも両手で丁寧に受け取ってくれた。
「ありがとうございます」
「……かわゆい」
にっこり笑いかけてくれたから心の声がだだ漏れた。
彼女は困り顔で俯いただけなので効果なし。残念。
「こちらはきっと結納お申し込み品ですね。私は九月に結納品として何かお返します」
「……えっ? それは着物。着物がええなぁと思って、一緒に買いに行けたらと思っているからこれは単に贈りたかったもの」
「お礼を返せませんから、そんなに色々いただけないです」
「返さなくてええから。いや、貰った。今さっき貰った。かわゆい笑顔で十分。っていうか結納品をくれるの⁈ 欲しいから貰うけど俺が払う。浴衣、同じ柄の浴衣にしよう。俺はミユちゃんの分を縫うから俺のを縫って」
平家に結納品なんて風習はないし火消しとしてもなくて、格上の家を真似て贈り物をし合うとか、記念だから相手に何か贈るくらい。
その話がミユから出てくるとは予想外。
「いえ。そのくらいは流石に我が家が支払います。火消しさんはそういう風習なんですね」
体が冷えているだろうからと、ミユはお茶を淹れに行ってくれた。
(思ったまま話したけど、お揃いの浴衣でええの⁈)
お茶を出してくれたミユは俺の隣で縫い物を開始。
髪に向日葵の簪が復活した。
(触ってええ領域だよな)
嬉しいので簪を指でつつくとミユは俺を見上げた。
「寒いですか?」
「いや、全然」
「もう飲み終わっていたのですね。すみません。お茶を淹れます」
「要らないから隣にいて」
机の上に置いてある針刺しに針が刺されて、裏地を縫いつけていた着物が横に置かれたので、これは好機だと思って彼女の両手を取った。
困り顔で俯いたけど逃げないっぽい。
「手、冷えていますね」
「ごめん」
「いえ」
冷たい手は嫌そうだけど、離したくないから離せと言うまで離すつもりはない。
彼女は離せとは言わないけど手を握り返すこともなく、俯いて無表情で手を見つめ続けている。
なので、心の中で何を考えているのかサッパリ不明。
「あのさ」
「はい」
「結納してくれるってことはベタ惚れになった? って聞いたけど、なってないって言われるのは当たり前というか、そういう気配はないのに質問した俺がバカだった。その、前よりマシになったとか、ほんの数歩進んだとかそういうこと?」
「……分かりません。ええ方だし、二回も助けられたから結納しなさいと言うたのは親です」
「あー……」
親に言われたからという理由だと嬉しくないから結納中止! と言いたくなるけど、断ったら終わりだから絶対に口にしない。
それにまだ七月なので、ミユが断ったり延期したいと言う時間はある。
「その。そう言われて反発心はないので、嫌ではないからええかなと」
「……そっか」
「あの。誕生日をお祝いしてとは言わないんですね。祝ってもらいたくないからですか? イオさんってこう、思ったことは口にするようなので、言わないってことはそうなのかなって」
「めちゃくちゃ祝って欲しいけど自分から言うのはおかしいって思って黙っていただけ! 祝ってくれるの⁈ 近いって知ってた⁈」
これは引いた効果がある疑惑!
「この間、家にうかがった時にサエさんにどこへ行くの? と聞かれて、誘われていませんと答えたら組の祭りで若手はこき使われて、夜は自由だから友人達と飲みまわって翌日まで帰ってこないと教わりました。誘われていないなら、毎年恒例の飲み会が優先なのかしらと言われました」
「飲み会優先じゃない。自分で言うのもなんだから黙ってて、誰かミユちゃんに教えろって思ってた。教えたのに無視かもって考えたり……」
「遠慮することもあるんですね。イオさんはいつも前向きで悩みなんてなさそうな感じだけど、悩まない人はいませんね」
七夕祭りの日にミユと会えそうな気配だと心の中で大踊りを開始して、父に袖振りされたくないとか何とかゴネて係から少し離れようと考えて、インゲ達をダシにしたら絶対に一緒に過ごす時間が作れると気がついた。
むしろ先にインゲ達を誘って、その流れでミユも誘うか誘ってもらえば良かった。
誕生日という話をしなくて済むし、会える可能性はグッと高くなるのに思いつかないとは相変わらずバカである。
きっと火消しを格好良いと言ってくれるインゲ達が大喜びしてくれるから、得しかない案なのに。
「飲みに行って朝帰りってその、どこで過ごしているんですか?」
「その時その時で違う」
「誕生日だから……景気づけに女性といそうですよね」
「……いやあ。誕生日だからではなくて盛大に飲むとまぁ、あはは。ははははは……。昔のことだから! もうしないから!」
「……」
質問してきたのはミユなのに、彼女は一気に不機嫌顔になった。
嫉妬ならかわゆいけど、生理的嫌悪だろう。
「今年もそうかと思いました」
「ミユちゃんがいるから誰にもそそられないから! でも寂しいかなぁ。ミユちゃんは添い寝もしてくれないだろうし、むしろ手を出さないなんて拷問で辛いから嫌だ」
そこまではしませんが、少しくらいなら歩み寄りますという発言はないようだ。
「あっ、膝枕は? 三つ数える間くらい。あと三つ数えるくらい抱きしめるのは? いいや。欲張ると全部消えるから全部無し。いや、一つだけ。ここに会いにくるからおめでとうって言うてくれ」
ガントに、頼み事は無理なことから提示して小さい事を頼むと通りやすいと教わったので試してみる。
「私がお祭りを観に行きます。その、スズさんやチエさん、それからインゲ君達を誘いました」
「ああ。お祭りを観に行くだけで、別に俺のところに来る訳じゃないってこと。そうだろう。俺はミユちゃんのことをそこそこ分かってきた」
基本的に良い返事は返ってこないので、先回りして自衛することにする。
「……。ハ組の七夕祭りは七夕当日ではないので……当日は防所のお祭りなんですよね? 両方行きます」
「そうそう。七夕当日は竹飾りを持って防災厄除けの練り歩きと闘技場で試合。空き時間は普段の仕事や区民に挨拶」
「両方とも、どういう予定なのかサエさんに聞きました」
「この騒がしいのに参加は嫌だーって考えなくてええから。楽しめるところだけ外から眺めればええ。お嫁さんのお手伝い仕事は裏方もある。静かで地味な目立たない事は嫌がられ気味だから喜ばれるよ。だから騒がしいのは嫌って避けなくても大丈夫」
袖振りされるまで俺はミユは俺の嫁になると考えることにするし、そういう前提で喋る。
彼女の反応も確認出来るし。ただ、案の定、不快そうな表情が返ってきて心が折れそう。
「あの、七夕の夜なのですが……。兄夫婦と一緒なら散歩や笹舟灯流しに行ってもええそうです」
「へぇ。それなら仕事が終わったら家の前で待ってる。お父さんが晩酌に付き合ってくれるかな。スズさんもチエさんの家も心配するだろうから遅くならないだろう?」
「……違います」
「ん? 心配しない家なの?」
「そうではなくて、スズさんとチエさんは来ません」
「あっ、そういうこと。七夕って健康祈願の家族行事だもんな。いや恋行事でもあるけど願掛けとかしないの?」
「だから、一緒に行きたいという話です!」
「……えっ? 嫌だよ。何で他の男と縁結びとか、そういう願掛けの場に行かなきゃいけないんだ。俺は俺で行ってミユちゃんの健康と良縁を祈るとして一緒には嫌だ」
「なぜそうなるのですか⁈」
「なにが? 既婚者と良縁がありますようにってやめなよ。そりゃあ優しいお医者さんに惚れるのは分かる。でもさ、俺にしておこう? 女は惚れられた方がええらしいからって言うたように、追いかけるより楽だよ? 精一杯甘やかして大事にするから」
ミユは顔をしかめて俺を思いっきり睨みつけた。 抱きしめて、好きだから、大好きだからお願いしますと縋りつきたいけど、相手からしたら怖いだけなのでむしろ手を離した。
「お医者さんに惚れていません」
「またまた。照れるだろうけど、照れるならもうちょっとかわゆい顔をしなって。仕方ないけど既婚者はやめておくのが世の中の規則だよ」
「ですから違います」
「インゲ達も来るのかぁ。何かしたら喜ぶかな。ちょっと考えておく」
「私が少しす……と言うた話はどこへ消えているんですか?」
「少しす? お酢? 少ししかないから買ってきて欲しいって言われたっけ?」
「違います。すときの話です」
「素敵の話? ミユちゃんは毎日素敵だけど、それがどうしたの? 別にどこにも消えてないけど。俺、ミユちゃんはもう素敵じゃないなんて、そんな事言うた? 言うてないはずだけど」
素敵ならすとてときで、すときだと好きの話になる。
好きの話?
「……好きの話です」
「ミユちゃんを少し好きって、少し好きって何。大好きだから。少しじゃ全然足りな……い……」
さすがにこれは恥ずかしいのと、一方的過ぎて惨めになってきて大きなため息が出た。
百回、千回伝えたらミユの脳みそが錯覚して惚れるかもしれないから言い続けよう。
「そう、足りない。少し好きではなくて大好きだから覚えておいて。右から左へ聞き流しそうだから、これから何回も言う」
「イオさんの話ではなくて私のことです。私の気持ちの話です」
「いやあ、そりゃあミユちゃんの気持ちの問題だけど、言い続けたら混乱して俺を好きって思うかもしれないから、ウザくてもうるさくても言う。二度と顔を見せるなとか、手紙も送るなって言われない限りそうする」
「イオさんのことが少し、少し好きだから、誕生日の七夕の夜に貴方と一緒に笹舟灯流しに行きたいって言うたんです!」
キッと睨まれて膝を優しい強さでペシンッと叩かれて頭真っ白。
ミユはぶすくれ顔で横を向いた。




