比較
置いていかれたのでこれはもう読むしかない、とロメルとジュリーという題名の冊子を前から順番に目を通してすっかり夢中。
あらすじや美麗な名場面の絵に添えられた文などでどういう物語か気になるし、この劇は異国文学が元のようで、煌国風にした台詞についての解説があるのだが、それも面白い。
心底お慕いしています、みたいな意味の台詞がちはやぶるをかけた月が綺麗ですねとか、北西の国では北極星は近くの星も含めた二つのことで恋人や夫婦、真心の星と言われているなど、気になる情報があちこちにある。
ロメルとジュリーは対立する家に生まれた二人の恋話で、紅葉草子とは異なり、二人に身分格差はないようだ。
「こんにちは。あの、そちらに名札があるのでミユさんだとお見受けします」
穏やかな男性の声がしたので顔を上げた。
見知らぬ男性が畳に上がる前のところに立っている。
帽子を被っていたけど脱いだので黒髪は短いと分かった。
服装も帽子も役人のものなので、今日来る予定だったトオラだと推測可能。
日勤勤務後の夕方という話だったので少々早い気がするけど、他に役人の制服姿の男性見舞い客は心当たりがない。
(ぼんやりした顔というか……私みたい。優しそうな顔立ちな気がする……)
最近背の高い男性達ばかり見ていたので、彼の背は低めだと感じた。
「はい。ミユと申します」
「自分はトオラと申します。ご両親に事前に話を通したのですが、ご存知でしょうか」
「すみません。もっと遅い時間だと思っていて何も支度をしていなくて」
地味姿にしておこうと決めたので支度も何もないけど、それは言えないからこう言っておくことにする。
「いえ」
続きの台詞はあるのかなと待ってみたけど何もなさそう。
無表情の彼は何を考えているのだろう。
会ったら、姿を見たらガッカリしたとかだろうか。
「あの、休憩室へ移動しましょう。お茶を淹れます」
「そのままでどうぞ。いえ、自分が聞いてきてお茶を用意出来るならそうします」
そう告げるとトオラは畳に上がって座ることなく病室から出て行った。
(お兄さんの友人みたいな雰囲気だから、多分これが私の世界の普通……)
イオとの落差が激しくて困惑。
静かで落ち着いているのでこちらも安心するはずなのに、しっくりこないというか落ち着かない。
(初めて会ったから緊張して当たり前……)
向こうも同じように緊張しているだろう。
トオラは待てども待てども戻ってこなくて、恋話をした介助師とは別の年配介助師が包帯を変えに来てくれた。
衝立で囲ってもらった後に、体の清めや傷の処置に薬塗りや包帯巻きなので、リルが持ってきてくれた水を体を拭くのに使ってもらうことに。
「薬師さんに、傷洗水にしてもらってから使いましょう」
「ありがとうございます。あの、インゲ君ってご存知ですか? 七歳のこう、頬に目立つほくろのある男の子です」
「ええ、彼のお世話をすることもあります。ああ、ミユちゃんってミユさんですか? てっきり同い年くらいの女の子のことかと」
「姉ちゃんと呼ばれましたけど、知らないところでは名前を呼ばれているのですね。前回はお茶を淹れるのに使ってこの部屋の方々と飲んだので、彼に何かお願いできますか? 彼にも皆でって」
そうだと思ってリルから貰った金平糖も渡して欲しいと依頼。
それは食事制限があるから医者経由にすると言われた。
処置が全て終わると、私の何かにガッカリしてもう帰ったと思っていたトオラが湯呑みの乗ったお盆を持って来訪したので動揺。
「あの、すみません。緊張してしばらく動けなくて、その後戻ってきたら入れなそうだったので待っていました。お茶は淹れ直してあります」
「淹れ直したなんて、わざわざありがとうございます。どうぞ」
私が促した方が良いのかな、と彼を布団の脇へどうぞと示したら、彼は少し足元に腰掛けてお盆を私の手が届くところへ置いてくれた。
「……」
「……」
話すかな、と待ってみたけど彼は俯いて何も言わないので、私が話題を振った方が良いのだろうか。
「こんにちは〜。皆さん元気ですか? みかんをどうぞ。ミユさんがいるから皆さんは棚からぼた餅です! みかんが嫌いなら残念ってことで」
「どうも〜。居ない人も残念ってことで」
私達の静寂な空気を切り裂いたのはイオ以外のト班二人で、彼らは私に手を振りながら部屋の奥まで進んだ。
自分が来られないから友人に偵察か何かを頼んだのだろうと気になって聞き耳を立ててしまう。
トオラは何も言わないので私達は無言。
ト班二人は他の人達を見舞ってから私のところへ来た。
「どうもミユさん、こんにちは。好き嫌いはナスくらいって聞いたんでみかんを持ってきました」
「貰い物ですけどね。昨晩というか明け方に市場方面へ応援に行ったらお礼にそこそこ貰いました。そして買い足しました。まんまと営業されてしまったという」
「イオのバカが接近禁止令らしいんで代理です。美味しいものを食べて欲しいってあいつから。かつ、せっかく助けたから元気いっぱいになって欲しい俺らから」
「どうも。お兄さんですか? お兄さんとお姉さんがいるって聞いています。お兄さんもみかんをどうぞ」
なぜ彼らはこのタイミングで来訪したのだろう。 どうもどうも、と彼らはお盆を私の体を越して反対側へどかして私の横に腰掛けた。
「ハ組ト班のナックとヤァドです。イオの幼馴染にして見習い時代からずっと火消し三兄弟です」
「聞きました? 同じ班のやつは兄弟なんですよ。ずっとってネビーが居た頃は違うよな。見習いの途中から火消し三兄弟です。まぁ、かなり親しい幼馴染なんで……昔は喧嘩していました。親分ネビーと親分ヤァドで」
「向こうの親分はシヴァだろう。お前なら勝てるってネビーが前に出されていただけ」
「なんでその紛争が終わったんだっけ」
「ネビーが不器用過ぎて、そこを攻めたらお前は凄ぇみたいに褒められて、おだてに乗ったらなんか仲間みたいになった。その後、あいつは半見習いをやめたら、俺らがイオと三兄弟になっただろう?」
「ああ。そうだ。それで兵官見習いやガントともつるむようになったな。よく考えたらイオがネビーの尻を追うから俺らも追う、みたいになってないか?」
「ここだけの話。俺はあいつらがくっつくんじゃないかとヒヤヒヤしていた。イオの本命はネビーか? 両刀使いで隠れ男色家か? って」
あの二人はそんなに仲良しなんだ。
「イオのやつ、ここんとこ勉強だなんだとずっとネビーに張り付いてるから、本命女がいるって知らなきゃそう思いそう」
二人は私のお見舞いにきたはずなのに、ずっと二人でけらけら笑いながら話し続けている。
ただ時々私やトオラに視線を送ってくれていて、今、隙間があったのもそれだと思って声を出した。
「すみません。ナックさん、ヤァドさん、こちらの方は兄ではないです。お見舞いに来て下さった知人です」
「えっ。あー。すみません、てっきり」
「そういや写師家系だからお兄さんは写師。つまり、この制服姿な訳がないですね。おお。お兄さんのこの腕章は小屯所です。今のお兄さんはミユさんのお兄さんって意味ではないですよ」
「役人って例の恋敵じゃねぇか。イオが死んだ顔で俺はとりあえず勉強をするって言い出して、ネビーとニックに張り付いている原因の」
「ミユさん、あいつはミユさんの親に追い払われて全然食べないし、仕事以外は勉強ばっかりです。女が来たら近寄るな、触るなって怖い怖い。元服前の出るとこ出てない論外少女にはいつも通り優しいですけど」
「そんなはずありません。どこかの誰かに、すとてときな紅を贈るらしいですから」
ト班ぐるみで私を弄びにきて、親に追い払われた腹いせに縁談の邪魔をしようってこと⁈
多分というか絶対に違うのに、私の心は天邪鬼で不信感の塊。
(嘘じゃなかったら紅は私へなんだけど……)
異性からそのような意味深な贈り物なんてされたことがない。
告白に使うことが多いらしい贈り物なのに、散々告白してまだ渡さないって何って思ってしまう。
「どこかの誰か? なんですかそれ。どう考えても他にいませんよ」
「誰からどんな噂を聞いたんですか?」
「拗ねていますか?」
「拗ねてるよな、これ」
「拗ねていません。やはり軽薄な方なんだなという軽蔑です」
「何の誤解ですか?」
「誤解だろうと誤解でなかろうとどうでもええです。私には関係のない人の話です」
この私は母の言う通り天邪鬼過ぎる。
リルは誰へ渡すのか聞いていないという返事をしただけなのに、何故私はこんなにイライラしているのだろう。
涙も少し込み上げてきたので自問自答して、藤を持ってきたのなら会いたかったとか、早く私の両親に頭を下げに下げて元に戻れるようにして会いに来ないかなという気持ちが湧いてきたので、このイライラは単なる寂しさだと自覚。
「一方的に狙われている側だから、関係ないっちゃないですね」
「邪魔者みたいなんで帰ります」
「あいつ、話し合いが終わってお見合いの可否が決まるまでは接近禁止令どうこうの前に、昨日足を怪我したんでしばらく来られません。失礼します。お大事にして下さい」
「そうそう。あいつは来ません。失礼します。お大事にどうぞ。二人でみかんを食べて下さい。ええ味でしたから」
待って下さい、と告げる前にナックとヤァドはそそくさと部屋から出て行ってしまい、足を怪我したというのがとても気になるのに聞けなかった。
(来ない……そっか。私はお見舞いに行けるかな……)
会いに来て! と思ったのなら状況的に親に話して彼に会いたいと話すべきなのは自分の方である。 でも、足を怪我をしてしまったのならそうしたとしても私とイオは会えなそう。
どの程度の怪我で辛くないだろうか。
家族の誰かが付き添ってもらって休み休みなら会いに行けるだろうからお見舞いしたい。
そう思ったけど今日、彼にインゲ経由で藤を贈られたから彼はここへ来ている。
そうなると怪我で来られないというのは嘘?
(イオさんの友人だからこの状況をわざと邪魔した? でも一方的みたいに言ってくれた)
今は目の前の人に集中だった、と心の中からこういうイオ話を追放。
「予定外のお見舞いの方々が来て、お騒がせしました」
「いえ」
ヤァドとナックがいた時はつい二人の会話や表情を気にかけて察することが出来なかったが、トオラは不機嫌そうな顔である。
いつからこうだったのか気になる。
悪いことをしたけど、あの二人もお見舞いに来てくれた人で、彼に気さくに話しかけたのに挨拶も返事もしなかった。
でもそれは気後れや人見知りかもしれない。
「命の恩人の方々です。たまに怪我の様子を気にして来てくれます」
「今、いなかった三人班の残り一人がミユさんをお慕いしているようですね」
「……ええ」
ナックとヤァドが来た時は空気が軽くなっていたけど、それがまた重くなった。
落ち着いた雰囲気で好ましいはずなのに、なぜこのように居心地悪いのだろう。
笑顔がないからだなとすぐに考察できた。
「火消しってもてはやされているけど独特な人達で緩いし騒がしくて迷惑な者達でもありますよね」
「そう思いますか?」
「遊び喧嘩が行き過ぎて兵官が小屯所まで連行することが時々あります。歩いていて邪魔だなとか。いずれは事務官から格上の中級公務員職でなれる補佐官系になりたいんですけど、火消しの方は受ける気がないです」
急に饒舌になった。
「いずれは中級公務員試験とは勉強熱心なのですね」
「自分の取り柄は頭なんで、活かしてこれからも自分の力で人生を切り拓いていきたいです。でも世の中って不平等だと思います。身分制度みたいな国策が悪いというか。同じ能力でも生まれが違うと無駄に苦労することになりますよね」
まだ饒舌。
ようやく彼は笑顔を見せたけど、笑い方に棘があるように感じる。
「苦労も財産になると思います」
「なりませんよ。世間様というのは結果が全てです。なのにその結果に対して不平等。世の中、解せない事だらけです」
釣書だけでは分からないは多分このことで、私はこの感じは苦手。
イオも最初は一部の事で嫌悪だったから、ここから印象が変化していくのだろうか。
トオラは一人でみかんを食べ始めている。そういう、私の怪我を気遣う感じがあまりないのも嫌だ。
みかんが食べたい、食べたくないではなくて「いただきます」が無いとか、ナックとヤァドに挨拶やお礼が無かったことなど、そういうことが嫌。
「食欲がないですか? それならいただきます」
返事をする前に私へと置かれたみかんがトオラの手に取られて、彼は何食わぬ顔で皮を剥き始めた。 果物はしょっ中食べられないから食べたい。
「この通りなので皮を剥いてくれてありがとうございます」
きっと気遣いだろうからこう言っておこう。
「えっ? 手は無事そうで良かったと思っていました。軽い火傷と聞いたので。傷物にならないのは安堵だなぁと。少しは食欲があったなら、それならこちらをどうぞ」
みかん四分の一を怪我をしている右手へ渡されたので、わざわざ左手で取りにいった。
(えーっと。これは、ありがとうございますなの?)
私としては当たり前のやり取りが現れないことに戸惑いまくり。
トオラは髪を掻きながら懐に手を入れた。出てきたのは手紙と長方形の板だった。
板には桜の枝とウグイスらしき鳥の彫刻がされていて、紐が結んであるので栞だろう。
「釣書に読書が趣味だと書いてあったのでお見舞い品です。大したものではありませんが、まだ大した間柄ではないのでその方がええかなと」
彼が照れ臭そうに笑ったので、ようやく和む笑みを見られたと思った。
「お気遣いありがとうございます」
人生で初めて男性からこのように贈り物をされたと思ったけど、私の背後には花カゴがあった。
「春告げ鳥ですので……その。気持ちです」
「……」
私を見つけて春を告げる鳥が鳴きました、的な?
物と言葉は雅だけど、心が凍ったように、何の感情も湧いてこない。
(気持ち……。トオラさんの気持ち。それはお見舞いなの?)
イオから最初に贈られた花カゴは「銘:来幸」で、それは怪我が治るようにという意味もあるけど自分達に幸せが来るようにと告げられた。
それで一緒に贈られたエリカの花はすずらんの代わりで、すずらんは西の方の国だと幸せになりますようにと贈る花だからという理由。
お見舞い品だから、これもそういう贈り物かもしれない。
「私に春が、怪我がすっかり治った日が来るようにということですか? ありがとうございます」
「えっ? ああ、あの。はい。そうです」
今の返事の様子だと私が口にした意味は無かったということ。
違和感がさらに強くなったのは彼の表情が不満げで、今の私の発言に対して「早く良くなって欲しいです」みたいな労いの言葉がないところ。
「その、春を告げるとは……お互いどうでしょう。自意識過剰ですね」
「そうでしょうか。このように分かりやすいのですから胸を張るべきだと思います。自己卑下なんてせずに。なにせ自分が……いえ、うん。コホン」
こっちの言葉だと自慢げというか嬉しそう。なにせ自分が、の続きは何。
俺が選んでやったんだからありがたく思えみたいな事じゃないよね、という邪推をしてしまった。
「姉ちゃん。あのさぁ、トランプの皇女様とかの特別な絵をニムラと考えてるんだけど一緒にどう?」
インゲが私を訪ねてきて、この間トランプをしたニムラも一緒。
瞬間、トオラの眉間にシワが出来て彼は私の方へ近寄ってきた。
その時、私は思わず彼から少し離れて頭側が遠ざかるように移動。
この無意識な行動で、私はイオが髪を軽い感じで触ってきた事が嫌だと思いつつ、自分はそれに対処していなかったと自覚。
誰かと比較したら分かる、というのはまさにこれだ。




